皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

自販機に見る陳列の三原則

2023-01-09 22:17:20 | 物と人の流れ

日本の治安の良さを示す指標の一つとして自販機(自動販売機)の豊富なことがあげられる。飲料を中心に様々な商品が無人の自動販売機で売られている。生卵など生鮮品もあれば一時期おでんの缶詰などが話題になった(天狗缶詰のこてんぐ缶)
最近では冷凍の餃子が話題になっている。「行田の餃子」と銘打ってご当地名産となるよう頑張っているようだ。昨年駅前に自動販売機も設置され、観光客はもちろん、駅を利用する地元の人々にも認知されてきているようだ。また新聞の地元欄にも何度か取り上げられている。

今日夜間に初めて自販機を見ながら買おうか買うまいか考えていたところ、すでに夕食の準備も済ませていたためか購入は次回に持ち越してしまった。もちろん買ってみたいという気持ちもあったが、もう一つ購入に踏み切れなかったことの理由に商品そのもののに姿が見えなかったことがあげられる。冷凍の商品の都合もあるのだろうが、自販機のメニューには商品イメージが表示されてはいるが、商品そのものの姿を見ることはできない。

商品販売理論の原則の一つに「陳列の三原則」がある。小売店の経営の基本は商品を求めて来店する顧客に対して、足を止めて商品を購入してもらうという常にシンプルなもの。主役は商品であり、価格や鮮度、値打ち感を伝えるための技術が「陳列」である。
「陳列の三原則」とは
①見やすい
②取りやすい
③選びやすい
の三つでいたって単純で明快だ。
①見やすいでいえば人の最も見やすい位置は目線より20度下がった高さといい、最も手に取りやすい部分でもある。スーパーではこの高さをゴールデンラインと呼び、その上下10度、20度をゴールデンゾーンと呼ぶ。②取りやすさ③選びやすさについては日本人の標準的な体系の人が手の届く範囲をさし、③選びやすさについては、商品を分類し価格や内容を分かりやすく表示することである。

翻って駅前の冷凍餃子の自販機表示は残念ながら現物が見えない、いわゆるイメージPOPでの表示。特に初見の人にとっては非常に購入しずらい形態だと思う。袋や形態が表示しずらいとすれば、現物の写真の表示が欲しい。あくまで主役は商品そのものだから。

行田にはフライ、ゼリーフライという二大フードソールが根付いている。新たな取り組みで「行田の餃子」というのもとても面白く素晴らしい取り組みだと思う。
次回は思い切って商品イメージを膨らまし、「行田の餃子」の購入ボタンを押してみたいと思っている。
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ブルショット・ジョブにあふれた世界を生き抜くには

2022-11-21 19:57:41 | 物と人の流れ

物価高騰に直面した社会の中で、多くの矛盾や過去の政策の失敗が明らかになりつつある中でも今日明日の私たちの暮らしが激変しているわけではない。本当の有事は音もなく忍び寄るというが、少しづつのわずかな変化の繰り返しが私たちの社会生活をよくもし、悪くもする。
イノベーションという言葉がもてはやされ、多くの企業が経営に反映するよう努めているが、技術革新、創造的進化なるものが一朝一夕に叶うものではないことは確かだ。

ペーパーレス社会の進行によって、デジタル教科書の導入も近い。覚えた知識を紙に書いて答えるというこれまでの教育も見直される日が来るだろう。しかし幼少期における(青年期まで含め)社会的また科学技術的な基礎知識を記憶にとどめ、人格と知識を融合し成長するのに本を読み筆で書き伝えることは文化的に最低限必要なことだろう。まさにデジタル社会の進行は過渡期なのであって、すべてデジタル化することが有益ではないだろう。

自動運転が実現する未来も近いが、「人間にしかできない仕事」ほど労働条件が厳しくなっている。社会のインフラと化したコンビニの業務はまさしく多岐にわたり、店員一人の働きをすべて機械化するには現時点では不可能に近い。介護や医療の現場においても相手に合わせた細かいケアが必要であって、エッセンシャルワーカーと呼ばれる仕事はロボットの対応が進まないのだ。(私自身もその現場にいる)
しかしそうした社会的に絶対に必要である仕事ほど労働条件が厳しく低賃金である傾向が強い。労働時間が長くなることが顕著である。

一方商品を売り込む広告や、業務改善などにつながるコンサルタントなどは非常に華やかであるとともに経費をかけ、働く従業員の給料も高い。ただしよくよく考えれば、社会的に絶対に不可欠とは言えず、その内容も時代に合わせて変化が大きく、結果に直結しなけれすぐに消えてしまう。
例えは悪いが販売業における接客調査などがその最たるもので、チェーン化され多くの従業員を教育管理する手間を省くため、現場の仕事ぶりをお客様の視点で覆面調査する。お客様にとって不快と思われる従業員には管理者を含め指導と評価がなされるので、現場の意識向上につながるそうだ。

そうした指導をされて従業員の考え方が変わるとはとても思えない。いわゆる背面服従の労働者を生産するだけだろう。
「ブルシット・ジョブ」とは「くそどうでもいい仕事」と訳される。
資本家にとっては細分化された仕事に就く従業員をいかに効率よく働かせるかが重要なのであって、内面の問題は関係ないのである。
私たち労働者は仕事における構想と実行をできるだけ共有し、仕事に対する喜びを自ら見つけ働き方、生き方に反映させるしかないのだ。
そのために技術向上、労働時間管理、デジタル化といったものを自分で取り入れ進化していくしかないのだ。
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ビックマックの経済学

2022-09-12 21:47:02 | 物と人の流れ

為替相場が連日騒がしい。1㌦140円を優に超え、行き着く先がいくらか見通しが立たないようだ。1998年以来の140円台だということで四半世紀ぶりの円安水準。1997年に消費税が5%となり当時新卒一年目のサラリーマンだった私は、日々忙しいだけで当時の経済状況をあまり覚えていない。こんなに騒ぎになってはいなかった気がする。ラジオの経済学者の見解によれば1㌦90円から100円が安定水準だというから、要するにいま日本はものを輸入するのに1.5倍の資産を費やしていることになる。デフレで給料が上がらないから2%の物価上昇を目標にしてきたはずなのに、とんだ見当違いな政策だったのだろうか。7月の消費者物価指数(生鮮品を除く)は前年比2.1%だったそうだ。(目標ピタリ)

ところが世界を見渡すと、物価指数の上がり方は日本と比べものにならないくらい上がっているという。その分給与水準も上がっているので、日本だけが取り残されているわけではないとも言っていた。ただし給与水準が20年前と比べ減っているのは日本だけだということで、まさしく「失われた20年」。先進国(もう零れ落ちている)の中ではダントツに給与水準が低いそうだ。
世界の中の価格水準を比較するのに「ビックマック指数」というものがあるらしい。現在日本国内でのビックマックの価格は390円。
アメリカ    710円
スイス     915円
オーストラリア 638円
などこうした価格水準を均衡化するための仕組みが為替相場だというが、現実には購買力評価から乖離してしまってゆがんだ状態だという。
仕組みについてあまり私自身理解できないでいるが、明らかなのは日本の購買力は間違いなく低いということ。(残念ながら)

景気対策としてインバウンドによる爆発的な購買を期待している向きがあるが、反対に日本人が外国に行って自由に(経済的負担なく)旅することは不可能になりつつある。
雇用と給与、社会保障、経済的自由度など国々で違いがあろうが、人々が安心して世界中で取引できる時代ではなくなった。
日本は令和の実質的経済鎖国へとむかいつつあるとラジオの経済学者は結んでいた。
有事は静かに侵攻するとはよく言ったもので、私たちの自由度はすでに浸食されつつあるそうだ。
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自動車産業の未来

2022-08-25 22:39:00 | 物と人の流れ

薄紅色のかわいい君のね
果てない夢がちゃんと
終わりますように:君と好きな人が
百年続きますように
(ハナミズキより)
人生百年時代と呼ばれるようになったのはいつからだろう。つい先日明治維新150年といっていたように感じる。
モータリーゼーションとは自動車が普及し生活必需品とする現象で、日本においては1946年東京オリンピックの直後から進んだと考えられている。高速道路の拡張、オイルショック以降の石油価格の低下などが後押しした。

1960年代から70年代にかけての三種の神器はカラーテレビ、自動車、クーラーだったそうだ。

田中角栄による日本列島改造論で新幹線の整備と高速道路の拡張がより進んだともされる。それに合わせてメーカー側もTOYOTA、NISSAN、HONDA、SUZUKI、など日本を代表する会社となっていった。

2000年以降、景気の後退にに加え、環境問題(排気ガス)もあって車に頼らない生活が提唱されていったが、過疎化の進む地方など生活の足となって現在でも車のない社会は考えられない(受け入れられない)とことも多い(私自身もそうだ)
ところが昨今の社会状況から、車がすぐに変えない時代が来ている。社会的に新車の納期が大幅に長期化しているそうだ。
コロナウィルスによる影響に加え、慢性的な半導体不足、ウクライナ侵攻など海外の情勢不安など多くの要因がかさなっていることをメーカーのチラシで知らせている。一ヶ月二ヶ月ではなく、一年待ちというのも出ているそうだ。

日本は自動車生産国で国の主要産業。社会科の教科書の記述が過去のものになるようだ。生活必需品を安定供給できない状態。新車の納期がかかるぶん中古車市場も需要が高騰し、価格も上昇しているそうだ。
百年安定して続く産業はどれだけあるのだろう。飛躍的にインターネットが普及し毎日スマートフォンとにらめっこする社会となった。
電源の問題も含め今の世の中の仕組みが百年続くとはどうも思えない。
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人口減少社会の進み方

2022-05-12 23:33:32 | 物と人の流れ

田舎暮らしには欠かせない自家用車。維持費を考えると一家に一台が経済的だが御多分に漏れず、夫婦でそれぞれ所有している。贅沢かもしれないが、手放す決断もおいそれとはできない。生活の自由度が下がってしまうことに抵抗があるのだろう。
半年に一度の点検が長期所有にとってメリットがあるのか、それともさほど必要ない点検をしているのか判断しかねるが近年の自動車販売においては「点検パック」に購入時に誘導させられる。当然安全性に関しては担保されるが(その確率が上がるだけ)費用対効果については長期的に考えると疑問符もつく。必要以上な点検になっていないか判断できないからだ。「保険の見直し」が流行りで余計な出費を押さえましょうが叫ばれるが、国産車についても同じことが言えないだろうか。ただし安全にも費用が懸かるのは事実。

半年先には車検となるため、その事前申し込みを迫られる(任意だけど)。近年自動車ディーラーも週休二日制が導入されているため、営業日の混雑が顕著になっているらしい。以前であれば平日ならそれほど混むことはなかったが、限られた設備を週五日しか稼働していないため、車検整備が顧客の希望日時にできないことも出ているらしい。だから半年先でも仮でもいいいので予約をいれてくださいと営業を受ける。今は書面記入ではなく、アプリによるネット予約になるので言われるがままに入力すれば終わり。約半年先の一日の予定が埋まってしまった。
他社への切り替えをふぜぐと同時に、自社の営業日の稼働率がかなり事前に埋まるわけだからそれこそうまい(美味しい)仕組みだ。
一方顧客はどうか。煩雑さが払拭できる一方、他社との価格対比ができなくなり(やらなくなり)タイヤ履き替えなどやや高いかなと思う反面申し込みしてしまうの異だった。
必要なサービスが来店すればすぐに受けられる時代はすでに終わっている。例え来店してもインターネットを介さなければサービスがすぐに受けられない時代にはいっているのだ。アプリやネット環境から逃げられない社会。便利なのか思考力や判断力が削がれるのか。
すべてはその人次第の世の中になったのだろう。
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