サニテラの仲間達

退職を機に、自分は残りの人生で何をしたいのか心の声に耳をかたむけ山小屋生活を楽しみ、世界を歩く夢を実現したいと考えてます

第二の人生 ストレスと幸せとは

2022-01-30 14:47:00 | 人生について
今思うと、サラリーマン時代の私はストレスから肉体のあちこちが悲鳴をあげ、心も精神も病んでいた事が理解出来ますが、その当時はそれが日常でストレスだとも思っていませんでした。

今、リーマン時代のストレスから解放された状態にいて、当時と異なるのは肉体が健康に戻りつつある事、精神的にも幸せを感じて毎日が楽しい事、心は余裕が出来てなのか自分が望む事が少し努力すれば叶うという事が理解出来初めているという事です。

肉体が健康に戻るという事は、以前も書いた事だし誰もが想像出来ることだと思いますが、幸せを感じる心とは説明難しいのですが私に起きている事を少し開示してみます。

朝の陽射しがとても気持ち良くて、太陽に向かって「ありがとう御座います」って気分になります。リーマン時代は眠い目を擦りながら冷たい水で目を覚まして憂鬱な朝の始まり、朝から最悪です。

今の食事はとても質素ですが、とても美味しく自然と"命に感謝"して食しています。本当に坊さんにでもなった感じて笑っちゃいますが。リーマン時代の食事は「何処の店が美味しい」とか「〇〇珍味を食べた」とか「誰某が行った店で食べた」とか、どうでも良い事に気持ちがいってしまってて「命に感謝」の気持ちがなかった様な気がします。勿論、色んな物を食べて経験積んだのですが、食の行き着くところは、幼い頃に食べたお袋や婆ちゃんの味が1番だという事。小さな子には、愛情たっぷりな季節の食物を作って食べさせる事が重要なんだと思います。

テレビニュース番組をあまり見なくなり、知りたい事は調べるようになりました。ニュースは各局が悪意を持って視聴者を誘導しているようで嫌いになりました。自分で調べたり、知ってる人に聞きたいと思うと、自然に人と繋がったり必要な情報が解るヒントに出会えるような気がします。なので最近は自分で大きなテーマを持って知る過程をも楽しんでいます。

とても前向きになり毎日が愉快です。神棚や仏壇に「毎日有難う御座います」と言えています。以前は「今日も家族を災難から守って下さい」「〇〇お願いします」とお願いばかりしていたのに、いまや感謝の言葉ばかりです。リーマン時代は、休みの日には勿論遊びにも旅行にも行っていましたが、家に帰ってきても胸のどこかに暗くて黒いモヤが残ってました。何か夢が叶うならと言えば「押入れに入って出てきたくない。ご飯とお風呂以外は押入れで生活して他人とは会いたくない」なんて言っていましたが、今自分の心を覗いても、一点の曇りもない状態で、都会の太陽でさえも、山の上の自然の中では、風や水や木々にも、とても気持ち良く感じ自分が生きている事に感謝です。

人間が生きる事とは、お金を稼ぐ事であり、私の場合はリーマン時代の特に後半は知らない内にストレスが汚い澱のように溜まって酷い状態だったんだと思います。つまり逆にストレスがない状態だと人はとても幸せな状態になれると思うんです。
人は子供の頃は親からも他人や兄弟と比べられ、学生になったら恋愛、学力、体力や外見等の優劣での嫉妬や競争、社会に出ても社内や競合会社との駆引や競争、様々な形での差別や暴力。人は勝っても負けてもストレスは感じるでしょう。残念ながら今の世ではストレスなく生活できる場所は皆無です。親は子供に少なくともストレスの上手い解放方法の訓練、つまり心が安まる絶対的な場所なのか、熱中出来る趣味等を見つけてあげるとか、政府はせめて老後にはストレスなく生活出来る環境準備する為の情報や手段を国民に開示しておく等が必要なのではないでしょうか。

などと暇な時間で考えています。


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