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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

愛の原型を意識すると愛の多様性に気がつく・・今も縄文時代も (9/10 五感と縄文)

2022-07-05 | 第十一章「五感で面白おかしく」

一家団欒で家でご馳走を食べるのと、一家で外食を楽しむのとどちらが嬉しいか?私は外食も勿論好きだが、父の影響か家でご馳走を食べるほうだった。ところが妻は外食が特にお好きのようだった。

他者との愛し愛される幼い頃の経験は原型となって、その人の人生を左右するという理論がある。それを踏襲すると、私のそれは家でご馳走を皆で楽しむという愛の原型があるようだし、妻の場合はどうも外食を家族で楽しむという原型があるようだった。この場合、愛の原型のことを知らないと、夫婦間のちょっとした深層意識のずれは、微妙な問題になったりする。外食に愛を感じる人は家でのご馳走はここ一つ喜べないし、場合によれば煩わしくは感じるかも知れない。

人それぞれの愛の原型を意識すると、例えば私が外食は良いものだと思うようになり(教育されたのかもしれないが)、愛の多様性をより知ることになる(負け惜しみかもしれないが)。勿論その反対もあり、円満になっていくことも。

愛の原型は結構大事であり、人間関係に大きな影響を与える。自分の愛の原型を意識したり、大切な人の愛の原型を意識すると人間関係も少し変わってくるようだ。愛の原型も自分で直接経験したこともあるが、間接的な経験もある。先の家で一家でご馳走をということは、父の考え方がベースでどこかで私があたかも自分で直接経験したように思い込んでいたふしがある。また本来なら愛は自他肯定的なスタンスに向かうと思うのだが、例えば自己否定・他者肯定に流れるような原型もあるかもしれない。自分の人生をより豊かにするためにも、自分の愛の原型について、時々立ち止まって点検すると生き方が豊かになるようだ。愛の孤独を感じる時は特に必要かもしれない。

さて、縄文時代のことだが、土器や土偶の多彩さは、縄文人の愛の原型の多彩さを表しているようにも思えてしまう。だんだん考古学の成果で分かってきていることの一つに、結婚相手は自分の村(中期など)だけでなく、遠方の村からということもあったようだ。縄文時代も交易(干し貝や黒曜石は有名)があったが結婚相手を遠方から求めるということもあったようだ。多摩の村に信州から嫁かくる。信州からの嫁は多摩の流儀の土器を教えてもらい作って使うが、信州の土器に愛の原型があり、どうしても信州の土器が作りたくなって、家族に夫も理解してもらって土器も作ってみる。作った土器で食事をして妻も当然大喜びだが、喜ぶ妻に何か元気をもらって愛の多様性を知った家族もいる。そんなこともあったのではないだろうか。

9/10 五感と縄文 

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「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

入手方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

 なお、国会図書館、八王子市図書館でも閲覧できます。

2.電子書籍版はアマゾンさんで、1000円で購入できますが、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。 


       森裕行

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コツコツと旅する人生・・今も縄文時代も (8/10 五感と縄文)

2022-07-02 | 第十一章「五感で面白おかしく」

縄文小説を書くために最近学生時代に読んだ「悲しき熱帯」を納戸の書棚から引っ張り出して、それこそ40~50年ぶりに読んだ。昔読んだ本は、良かったとかつまらなかったという感想の記憶は微かに残っているものの、内容はすっかり忘れているのもおかしい(笑)。

そして、ところとどころ読み直すともう一つ気づくことがある。かつては抵抗なく読め好印象だったのに、今読むと抵抗感を感じたり、印象がかなり変わってしまっていたり。その一番の原因は、自分の哲学というかアイデンティティがいつのまにか変わったこと、現実吟味力も学生のそれと違っていること、防衛機制の使い方も変化しているということかもしれない。

心理学の用語ではわかりにくいかもしれない。平たく言えば個人が成長したとか、年輪を積んだとか、個性的になったとか、そういう領域のことなのだろう。前回のブログでの「解釈を変える」は主にある時点での自分の解釈を変えることであったが(現実の再考察)、今回はちょっと違う理想の変化ということになるなのだろう。そして、これは日々の中で「私は何の為に生まれてきたのだろうか?」というような根源的な自問自答から生まれる。心理学というより宗教とか哲学の世界の問題であり、自問自答は旅に似たなにかである。

会社に入ってある職務を身につける。好きなスポーツをやりはじめること。修行というか旅というか。そんな中で少しずつ何かが見え変わって行く。さらに奥の深い真善美の領域もあり、例えば人生最大の問題である死とか病といったことが旅の途中で突然立ちはだかって来たりする。

その時、宗教や哲学の領域の問題が出てくるが、これは頭だけで理解するものではないようだ。身体性、五感と密接な喜怒哀楽の世界と関係するようだ。長い階段を苦労して上がってたどり着いた神社。長い旅の末にたどりついたお寺。何か入りにくいが意を決して入った教会。普段は着ない浴衣を着て参加したお祭りもそうかもしれない。日常と非日常の境で、山道で突然展望が開けるところにでたように分かることもあるようだ。悔いの無い人生を歩むには旅が必要なのであろう。

さて、縄文時代の祖先の旅はどんなものだったのだろうか?縄文時代の文化とも関係が深いと思われるアイヌ民族や東北地方の聖域は祭り。沖縄などの南西諸島の聖域や祭りなどを調べてみるとその一端が少し見えてくる。また、考古学の成果で宗教用具の土偶、石棒。あるいは縄文後期の環状列石や配石などは、多大な非日常的な労力なしでは考えられず、それこそ縄文時代の祖先の精神世界の旅を感じてしまう。こうした精神文化の上に日本の豊かな古代や中世の宗教が花開き、近世でも250年にわたる隠れキリシタンの時代があったりしたのだろう。

8/10 五感と縄文 

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「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

入手方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

 なお、国会図書館、八王子市図書館でも閲覧できます。

2.電子書籍版はアマゾンさんで、1000円で購入できますが、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。 


       森裕行

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