イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

真善美を意識して一年の計をたてる!(新しい年の迎え方! 5/10)

2015-12-24 | 第九章「愛」

 自分の生き甲斐を思索する。自分の夢を思索する。幸せな家庭、幸せな職業生活、幸せな死後・・・まあ、いろいろ思索できるかもしれない。

 しかし、自分の過去の経験からすると結構難しい。ある道を辿っていくと・・・あれれ、こんな道だったのかと幻滅することも。

 さて、私はこの一年、生き甲斐と真善美の関係をあれこれと考えてきた。どうも心が躍るのは真善美と深い関係があると思うようになった。若き日に数学や統計学に凝ったこと。最近の古都めぐり聖地めぐり。企業をやめてから福祉・医療・教育分野への興味。経済的な自立や健康は大事だが、興味や生き甲斐と真善美は何らかの関係があると思うようになった。

 今日はクリスマス・イブ。昨日の雨天から晴れて、さわやかである。これからの一年の計でもたててみようか。真善美を意識しつつ・・・

 

新しい年の迎え方! 5/10

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冬至を東京のストーンサークルで!(新しい年の迎え方! 4/10)

2015-12-23 | 第三章「無意識の世界」

 昨日は冬至で天候も晴れとの予報。夕方期待しつつ多摩境の東京のストーンサークル、田端積石遺構を訪れた。すでに20人近い人が冬至に沈む太陽を観ようと集まっていた。

 残念ながら厚い雲に覆われ、夕日が綺麗に丹沢山系の最高峰、蛭が岳に沈む光景は見られなかったが、表紙の写真を撮ることができた。来年こそはと思いつつ帰宅した。

   

 しかし、隣には富士山があるのに何故蛭が岳が聖地になっていたか、そんな疑問が湧くが、死と再生の意味を考えるとやはり蛭ケ岳だと気が付く。縄文後期、石棒等が祭儀に使われていたことは有名だが、沈む太陽と蛭ガ岳が文字どおり合体するイメージとなることで、太陽の生命体の再生を意味していたのだと思う。

 さて、昨日は田端遺跡見学の後、やはりビデオでトムハンクスの「ターミナル」というハリウッド映画を観た。祖国のクーデターで突然ビザが無効となり米国に入国できず、しかも帰宅できないという主人公(瞬間的に無国籍となった)の物語。生きるために何をするか。生き甲斐は何か・・・いろいろ考えさせられた。

 考えてみれば、私も突然地球に日本に裸一貫?で生まれたわけだが、生まれるとすぐ国籍とかいろいろな世間的な属性をもち始める。そして、その属性によってなんとなく支えられているところがあるが、よく考えると本当の「生き甲斐」は、自分の中から湧きおこる何かであることがわかってくる。それは、属性の上に構築されるものでは基本的にない。しかし、湧きおこった何かは、生き生きと活動する原動力となるが、不思議に世の中で属性として判断されある属性に代わってしまうところがある。それは水垢のように「生き甲斐」を今を閉塞させていく。

 冬至の次の日の今日。新しい日が始まっている。裸一貫の意味を考えるときかもしれない。

新しい年の迎え方! 3/10

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自分を大切にするという意味をまじめに考える!(新しい年の迎え方! 3/10)

2015-12-22 | 第三章「無意識の世界」

 今日は冬至でオフ。夕方も晴れているという天気予報なので冬至の入日の写真でも撮りにいこうかとウキウキしている。

 さて、昨日は何回目かの楽しい忘年会に参加したが、その前に家で映画「ヒアアフター」をDVDで鑑賞した。この映画が素晴らしい・・・そんなことを先週教えていただいたからであった。ちょっとシックスセンスのような、ややホラー的な映画かなと思っていたが、決してそうではなく実に感動的だった。まだ観られていない方もいらっしゃるのだろうから、詳しくは述べないが、私は霊能者のジョージが自分の不思議な能力を受容していく愛の物語と考えた。

 受容とは、心理学的な言葉であるが、愛そのものと解釈することもできそうだ。

 今、2015年の冬至を迎えるにあたって、今年一年を振り返ると、生き甲斐の心理学の論文書きが私にとって一大事件だったように思う。やはり、学業には節目が大事で、論文も大きな価値が個人的にあると実感した。そして、論文を書く中で自己分析をずいぶんしたが、それはヒアアフターの主人公ではないが、自分にとって受け入れにくい自分の特性を受容していく作業だったかなと考えられる。

 自分を本当の意味で受容することはなかなかできないことである(無意識の存在も大きい)。生涯を通じての修行なのだろう。愛とは何か・・・その大問題が背後にある。

 新年を迎えるにあたり、一年の計を考える中で、自分を真の意味で大事にすること(神仏が人を大事にするように)を考えてみることは重要だと思う。

 新しい年の迎え方! 3/10

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聖地に行ってみる!(新しい年の迎え方! 2/10)

2015-12-21 | 第二章「五感と体感」

 U先生の「生き甲斐の心理学」では聖地にのんびりと行くことを大切にしている。感受性訓練にもなるという。写真は富士山の聖地のひとつ白糸の滝。朝日で滝つぼのあたりに虹がでて素晴らしかった。なお白糸の滝では冨士信仰で有名な食行身禄(江戸時代)が修行をしたとされる場所があった。富士山の烏帽子岳で31日の断食を行ったことで当時の人に衝撃を与えた修行者だ。

 

 聖地で、さまざまな体感を味わう。日本人には穢れと禊・・・そんな古くからの伝統が生活の中にも生きている。清められるという体感はなんともいえない。臨床心理学的にいうと、世間の囚われから解放される感覚、自分の柱というかアイデンティティが整う感覚、そして判断力というか、それが神秘的に整う感覚。まあ、①アイデンティティの統合 ②防衛機制からの解放 ③健全な現実吟味力 と関係が深いのだろう。

 富士山の白糸の滝は、いつもすぐに行ける場所ではないが、こうした体感が得られる聖地(自分なり)を持ち、日常的に訪問できると実によいように思う。もちろん新しい年を迎えるにあたっては、聖地に行き心の自由を得ることは大事だと思う。

 聖地での作法。恐らく数万年の新石器時代以前からあったと思われる習慣。水で身体を清めるという所作がある。神社仏閣では手や口を清めて参拝するが、私の通うカトリック教会でもお御堂に入るときに聖水盆があり、それで十字を切る。この体感は実に素晴らしい。

 一年の計を神社仏閣・教会に行ってからたてる。そして、あれこれといつもの悩みを考えてもいいが、何のために生きているのか?とか、このあたりの深い問題を自問自答するのも一年の計をたてるときには重要かもしれない。

 新しい年の迎え方! 2/10

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新しい年の迎え方は?(新しい年の迎え方 1/10)

2015-12-20 | 第七章「光と復活体」

 12月22日(火曜日)は冬至。12月25日(金)は満月のクリスマス。1月31日は大晦日。1月1日は正月・・・新石器時代からの伝統かもしれないが、新年の行事がいろいろ世界的に営まれる。

 仕事も、人それぞれであるが一段落させて、楽しい休暇をとる季節でもある。

 そんな中、来年どのように新しくなるか、一年の計をたてたり、あるいは、小さな初めの一歩を人知れず始めたりする。

 生き甲斐の心理学は、どのような知恵でサポートしてくれるか。これから考えてみたい!

新しい年の迎え方 1/10

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