+3Kの牛の如く

前に向かってひたすら歩く。
感動し、希望を胸に、明るく楽しく元気に。
大地を踏みしめて歩く。牛の如く。

いざ大崩山へ(1日目)

2009年09月27日 | 宮崎県の山
9月のからつ労山定例山行は、シルバーウィークの20日から21日の日程で行われた。場所は九州一の名峰と言われる大崩山である。
「屹立する岩峰群」で既報の山であるが、出発から帰着までの珍道中についても記録として記しておきたい。
なお不足・不明分は、からつ労山の仲間で全てに卓越したタクさんが既にレポートしているので、彼のブログ(一日の王)で補完し確認していただきたい。
出発は、唐津駅を7時、鏡Aコープ駐車場を7時15分となっていた。
参加者は、私が乗り込んだ鏡で既に18名、途中で4名の仲間が加わるということで、今回は総勢22名となった。マイクロバスは満席で、おまけに寝袋や食料で棚までもが荷物で溢れていた。天気は快晴。絶好の山日和のようだ。
7時20分、鏡を出発し、岩屋駅でアキさん、多久インター入口でタクさん、古賀さん夫婦を乗せて、7時52分高速道路に乗った。流石に車の交通量が多いようである。
高速道路に乗って間もなく、事務局から行動予定の説明があり、続いてチームリーダー山崎氏より挨拶があった。
話を聞いているうちに、私にとっては未知の山「大崩山」、九州一の名峰をいよいよ歩くことができるということで、「いざ大崩山へ」の思いがみなぎって来た。
8時37分~52分山田サービスエリアで休憩。パーキングは満杯で、女子トイレは長蛇の列ができていた。
次のサービスエリアまで間に、西岡さん撮影、編集の「北アルプス登山紀行」や田部井淳子の登山入門のビデオが放映された。
10時~10時15分別府湾サービスエリアで休憩。ここもパーキングは満杯。私は冨田さんとパーキング内の小山(標高380m)に登った。大崩山の準備にと思ったが僅か5m程しか高低差はなく全く足馴らしにはならなかった。

小山から駐車場越に鶴見岳方面を見た

10時40分頃大分米良インターより10号線に入り、その後326号線日向街道を南下した。
11時8分道の駅「みえ」に到着。

早めの昼食を採る。お昼には早過ぎたのか洋食屋とラーメン屋は開店していたが、うどん屋は準備中であった。
食事が済んで、駐車場から西の方を見ると、大野川越に九重の山々の稜線が見えていた。

12時6分道の駅を出てバスは再び走り始めた。
昼食が済むとにわかに夕食のことが気になりだした。食べ物よりも飲み物の調達をどうするかということになり、15分程走った所にコンビニがあり、私もビールを調達した。勿論翌日を考えて控えめに買ったのは言うまでもない。
宇目の道の駅を過ぎて暫く走ると、13時過ぎには祝子川渓谷入口があり右折した。すると美人の湯の看板が出迎えていた。

渓谷入口となっていたので川沿いを走るのかと思っていたら、バスはどんどん細い坂道を走り高度を上げていく。ここまで登ったら、大崩山の登りもいくらか緩和されるだろうと勝手に都合よく考えていたら、今度は下り始めた。
結局、祝子川沿いまで下りた。私のかすかな期待は祝子川の水泡に帰してしまった。
13時40分祝子川温泉美人の湯に着いた。今日宿泊予定の研修所の鍵を受け取るためである。

駐車場からは明日登るであろう大崩山方面が遠くに見えていた。

14時丁度。大崩研修棟に着いた。


広い講堂に、思い思い場所を確保して夕食までは自由時間となった。
テツさん、イチさん、境さん、アキさんはニジマス釣りに出掛けた。全員分釣って来ると意気込んで行ったが、有言実行、23匹釣って来た。釣堀から買ってきたという人もいたが・・・。
私は、美人の湯周辺を散策の後、美人の湯の温泉に入った。
明日朝早い出発だから夜は早めに寝るから飲むのも早いほうがいいという言葉に甘えて、実はバスの中でビールを飲んでしまった。
だから、風呂から上がって缶ビールを調達して、研修棟に戻った。
16時過ぎには既に飲み方が始まっていた。私も遅れをとるまいと缶ビールを飲んだ。風呂上りということもあり極上ののど越しであった。
缶ビールはあっという間に蒸発してしまったので、九州各地から届いた焼酎を2,3銘柄?頂いた。
その内にテツさんたちが釣り上げてきてニジマスが塩焼きになって目の前に現れた。余りにも美味しくて二人分頂いたような気がする。



楽しくも賑やかな酒盛り夕食会も19時30分頃にはお開きになった。
自己管理が甘い私は、かなり控えめに飲んだつもりであった。翌日分かったことでは在るが、酒気帯び運転並みの影響が残っていた。

宴会後、夜空の星を見に行ったのは既報の通りである。
カシオペアや北斗七星、天の川を見て、21時頃には寝袋に入ったような気がする。
「いざ大崩山へ」と意気込んで出発した一日目は、明日への英気を一杯養って終わったことは言うまでもない。
アルコールの所為とはいえ、意識も定かでない状態で寝れることほど幸せなことはないが、翌日起きたのが3時だったことは確かに覚えている。

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