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★星空日記コリメート風goo★

星や旅などの話題を「ひらい」が札幌から発信。2010年開設。2025年7月に「はてなブログ」へ引越し予定。

札幌市天文台の清掃

2015-06-03 07:00:00 | 札幌市天文台
 札幌市青少年科学館の 【 60cm反射望遠鏡の清掃 】 に引き続き、札幌市天文台の清掃ボランティアにも参加してきました。


 都心から南へ1kmほどの中島公園内に札幌市天文台の建物があります。

 2015年6月2日(火)の午後、札幌市天文台に清掃ボランティアが順次集合。
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 5mドームの回転部分をグリスアップするため、覆っていた板を全て外し、13時半から清掃作業開始。
 空中の埃のせいで画面がまだら模様です。

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 壁面を拭いています。
 ドームを回転させるモーター2台に給油し、歯車にはグリスアップ。緩んでいたボルトの増し締めを行いました。
 スリット (開閉扉) の可動部分にもグリスアップした結果、動作がスムーズになりました。

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 ドーム回転用モーター部分のカバーは3人ががりで取付けしました。

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 20cm君 (口径20cmF12アポクロマート望遠鏡) を拭いています。

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 ワックスがけしています。

 ドーム内の床も綺麗に掃除。4時間の清掃作業完了です。

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 職員さん2人、天文指導員6人、合計8人が作業した結果、ドーム回転時の騒音が低減し20cm君はピッカピカになりました。お疲れ様でした。

 綺麗になって良かったね、20cm君!

30年ぶりの天文台

2014-04-21 07:00:00 | 札幌市天文台
 【2014年4月20日の記事】からの続きです。

 天文指導員仲間7人が札幌の繁華街すすきので二次会をしている最中に、科学館職員のN.A.さんが中島公園の天文台(正式名称は札幌市天文台)に向かっているという情報をキャッチ。

 天文台に来てもいいですよというN.A.さんの了解があったことから、まだ飲んでいたいという4人をその場に残し、我々3人は天文台に向かったのでした。

 タクシーに乗り、深夜の23時に天文台に到着。
 トントントンと鉄扉をノックするとN.A.さんがドアを開けてくれました。
 少し酒臭くてゴメンナサイ。業務撮影の邪魔をしないようにしますね。

 と言いつつも、撮影の合間に270倍で見せてもらった火星は、大気の揺れが少なく、微細な模様が結構見えました。
 さすが低分散レンズを使ったEDアポクロマートレンズ、見え味がいいです。

 「コリメート撮影してブログに掲載してもいいですか?」
 「いいですよ」と特別に許可をいただき、デジカメLX7を手で持ち接眼鏡に押し付けて撮影。

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 コリメート撮影した火星です。1枚画像のため、眼視のほうがもう少し鮮明に見えます。
 2014年4月19日23時54分、口径20cmF12EDアポクロマート、天頂プリズム、5mm接眼鏡、デジカメLX7、カメラの焦点距離200mm、露出1/80秒、感度ISO1600、合成焦点距離96,000mm。
 なお、天頂プリズムを介しているため裏像です。

 この他に土星も観望させてもらい、N.A.さんの車で自宅まで送っていただきました。N.A.さん、本当にありがとうございました。帰宅したのは1時を過ぎていました。

 この20cm屈折望遠鏡を使い夜の星を見たのは、この望遠鏡の納入検査を行った1984年以来ですから、実に30年ぶりのことでした。(昼間に限れば2011年9月に札幌市天文台を訪問しています)

 なお、1984年に望遠鏡を更新したときの様子は2011年9月16日の記事【札幌市天文台その4】に書きましたので、よろしければご覧ください。

札幌市天文台その4

2011-09-16 19:20:00 | 札幌市天文台
 【札幌市天文台その3】の続編です。
 いつも記事が長くなってしまい申し訳ありません。

 1983年(昭和58年)に札幌市天文台のドームと望遠鏡を更新する計画が具体化されました。更新業務を担当したのは、実は私です。

 一般的な望遠鏡に使用されている対物レンズはアクロマートという種類ですが、2代目の新望遠鏡には色収差が少ないアポクロマートという高価なレンズを採用することにしました。予算的にはかなり厳しかったのですが、担当者としては少しでも見え味がいい望遠鏡を導入したかったからです。

 発注に備え、主要国内メーカーが製作した口径20cm級アポクロマート屈折望遠鏡をメーカーには内緒で実地調査することにしました。

 口径20cmクラスのアポクロマート望遠鏡は、1983年当時で国内に恐らく20台もなかったと思います。
 苦労の末、数箇所の施設を探し出し、実地見学の依頼をしたところ、いずれも快くOKしてくれました。
 なお、そのうちの1台は個人所有でした。相当高価な20cmアポクロマートを所有している個人がいたことには驚かされました。

 1983年の秋、私は本州へ出張し、国内数箇所で各メーカーの望遠鏡を実地調査した結果、メーカーによって光学系や架台の質にかなり差があることが判りました。太陽投影板も欠陥品らしき製品がありました。
 そこで、どのメーカーが応札してもいいように、発注仕様書には細かな納品検査を行うことを明示しました。つまり、これだけシビアな検査に合格しなければ納品OKにはならないよということです。

 独自に考えた検査方法を記憶を基に再現してみました。少し記憶違いがあるかもしれません。


 結局、2代目望遠鏡は㈱五藤光学研究所が落札しました。
 落札後、暫くして五藤光学の研磨責任者から電話があり、「使用する予定の光学ガラスだと、材質の僅かな違いや製作公差から色収差の検査許容値をほんの少しオーバーする可能性がある。」と言うのです。望遠鏡光学を「にわか勉強」し、検査許容値を決めたのですが少し厳しすぎる値だったようです。

 1984年(昭和59年)8月13日から10月2日まで天文台をお休みにし、この間にドームの張替えと望遠鏡の交換を行いました。

 1984年9月下旬、いよいよ新しい望遠鏡の実視検査の日です。実際の星を見ながら行ったテストは、1項目を除き許容の範囲内でした。許容値を超えたのは赤緯のガタつきで、これも赤緯微動の調整を行った結果、2回目のテストでOKとなりました。

 夜間の初公開日は、1984年(昭和59年)10月5日でした。
 光学性能は、今までに私が見た口径20cmクラスの望遠鏡の中で、トップクラスの見え味でしたから、青少年科学館勤務の最後を飾る仕事として満足感が一杯でした。かなり厳しい仕様に見事応えてくれた五藤光学のスタッフの皆さんには感謝しています。


 1984年更新の2代目20cmアポクロマート望遠鏡
(2011年9月3日に撮影)

 昼間は太陽を投影しています。
 夜間公開は公開日を決め、年間60回ほど行われています。


 札幌市天文台全景(2011年9月3日に撮影)


 天文台入り口に掲げられているプレートです。1958年の新設時と同様、1984年の更新費用も雪印乳業の寄附でまかなっています。

札幌市天文台その3

2011-09-14 19:00:00 | 札幌市天文台
 札幌市天文台は、1958年(昭和33年)に開催された北海道博覧会の展示施設として、同年7月5日に公開されました。
 【札幌市天文台の発足】 と 【札幌市天文台その2】の続編です。

 博覧会開催期間中の様子を当時の新聞記事から引用します。(新聞のコピー画像を掲載すると、著作権使用料として6ヶ月毎に1,000円かかるので、無料扱いの引用記事にします)

 北海道新聞1958年(昭和33年)7月15日朝刊8面
「北海道博ノート」という囲み記事から引用
 この中島公園にある天文台、宣伝不足もあって案外知られていないが結構リッパなものだ。鉄筋コンクリートづくり、約三十坪。八インチ屈折望遠鏡を据えつけている。これまで本道にただ一つだった旭川天文台のは六インチだからそれをしのぐ。札幌人の好きな”東北以北最大”のものである。昼三人、夜(六時-十時)は四人の係員がついて説明しているが、八インチ望遠鏡を通して見る夏空もまたかくべつ。

 天文台が博覧会来場者にあまり人気がない様子がうかがえる記事です。
 博覧会期間中の7月5日から8月31日まではスポンサーの名前を冠し「雪印天文台」でしたが、博覧会閉会とともに博覧会事務局から札幌市に移管され、9月1日以降は「札幌市天文台」が正式名称となりました。


 2011年9月に撮影した中島公園に住み着いているカモさんです。1958年当時も同じような光景が見られたのでしょうね。


 それでは、札幌市に移管された1958年9月1日から一般市民向けの公開が始まったかというとそうではないのです。55日後の10月25日にようやく一般公開が始まりました。

 北海道新聞1958年(昭和33年)9月19日夕刊8面の記事です。大きなタイトルがつけられています。

「店開きはいつになる 天文台と児童会館」
「予算難をなげく 観測施設ができない」

 ”札幌市天文台”は博覧会を機会に雪印乳業が市に寄附したもの。
          ・・・(中略)・・・
 これを管理する市教委でもゆくゆくは子どもたちの天体指導のほか全国観測網の一環として活躍してもらおうと、近く北大理学部卒の台員を任命する予定で、十八日の市議会にその人件費と需要費が提出された。
 一般開放の時期については皆目見当がついていない。というのはこの天文台、博覧会の添え物として作られたのでまだかんじんの観測施設が赤道儀と太陽投影装置のたった二つしかない状態。
 ”これでは飾りにすぎない”といま博覧会事務局で、もうけのなかから天体カメラ、星探索用双眼鏡など五十万円余の施設を買おうと話が進んでいるが、天体カメラなどは望遠鏡に合わせて作らねばならぬとあってできてくるのはいつのことか。
 担当の小早川社会教育課長も”正直のところいつから開放できるかちょっと見通しがつきません”と予算難をなげいている。

 私が思うにかなり胡散臭い記事です。望遠鏡本体は完成済みなのに、天体カメラや双眼鏡がないと一般公開できないとはおかしいですね。予算難で備品類が購入できないから公開できないという論旨は全く信用できません。何か違う理由で公開が遅れたものと思われます。

 もしかしたら、【札幌市天文台管理規則】の公布日が昭和33年10月31日になっていることに関係しているかもしれません。一般公開されたのは規則が制定される6日前の10月25日です。


 ところで、この札幌市天文台管理規則ですが、今回、丹念に読んでみると2010年(平成22年)3月に改正されていました。
 天文台の利用規定が微妙に変更され、利用申請書の様式が削除されていました。利用者から見れば残念な改定です。

 この続きは【札幌市天文台その4】をご覧ください。

札幌市天文台その2

2011-09-08 19:30:00 | 札幌市天文台
 札幌市天文台が設置された1958年(昭和33年)当時のことを書いた記事【札幌市天文台の発足】の続編です。

 札幌市天文台の初代20cm望遠鏡は、対物レンズ部を東京光学機械㈱(※注:現在は㈱トプコン)が製作し、架台部を府中光学㈱が製作しています。
 なぜ2社の合作となったのか長年疑問でした。その理由を関係者に近いA氏に聞いた内容をご紹介します。前回同様、長文になりますがお付き合いください。


 札幌市天文台の初代20cmF12屈折望遠鏡です。コバルトブルーの架台が印象的でした。(写真は9月1日の記事と同じものです。写真提供:中山さん)

 2社の合作となった最大の理由は、発注から僅か9ヶ月で望遠鏡を納入するという当時としては厳しい条件があったためだと思われます。

 1957年(昭和32年)4月、札幌市に天文台を設置する計画が立案され、博覧会事務局の専門委員として委嘱された札幌天文同好会々長の福島久雄氏(1910-1997)が中心となり、望遠鏡の基本構想が練られていきました。

 福島氏は望遠鏡選定にあたり、東京天文台(※注:現在は国立天文台)の下保技官と綿密な協議を行ったようで、望遠鏡の仕様を口径20cm屈折とすることを同年9月までに決定したようです。

 A氏の覚え書きによれば、次のようなやりとりが博覧会事務局とメーカーの間で行われました。

1957年(昭和32年)9月12日
 スポンサー予定の企業に費用概算額を提示するため、博覧会事務局が20cmF12屈折望遠鏡と5mドームを一体とした見積りを4社に依頼。見積り提出期限は9月20日。
(※注:後に1社追加され5社となりましたが、1社から納期に間に合わないとの回答があったとのことです。)

9月19日
 東京光学から「弊社としては現在八吋レンズ関係は納期可能ですが、望遠鏡ボデー及ドーム等は目下弊社作業が輻輳して居りますので納期に間に合い兼ねます為誠に恐縮ですが貴市にて下請会社御斡旋方御願い致します。」との文書を博覧会事務局が受理。
(※注:吋はインチと呼び、1インチは2.54cmです。八吋は約20cm)

9月20日
 博覧会事務局が東京光学あてに次のように回答。
 「貴社より連絡のありました下請の件につきましては、都内 府中光学より見積りを提出させて下さい。尚、府中光学は東京天文台(下保技官)よりの紹介でありますので、出来れば東京天文台と打ち合わせの上、連絡をとられるようお願いします。又同光学では現在手持ちもあり価格についても特に安くしたいという意向ですので、この点御留意の上、御交渉願います。」

10月31日
 福島氏が次のような推薦状を博覧会事務局へ提出。

(※注:A氏覚え書きを基に私がワープロで復元したもの。社名は伏字にしました。)

 当時、府中光学は日本光学工業㈱(現在の㈱ニコン)の下請け会社で、東京天文台から直接の発注を数多く受けていたそうです。
 福島氏は下保技官との協議の中で、府中光学に20cm用架台やドーム部材の手持ちがあることを知っていたようです。

 こうした経緯があって、札幌市天文台の20cm屈折は東京光学と府中光学の合作となり、翌年1958年(昭和33年)7月に引渡しされたのでした。


 ここで、A氏がお持ちだった初代20cm対物レンズ設計図面のコピーをご披露します。


 対物レンズセルの設計図です。


 20cmアクロマート対物レンズの収差曲線です。収差に興味があるかたは拡大してご覧ください。画像は通常よりもサイズを大きくしてあります。
 当時の屈折望遠鏡の口径比(F)は15が標準でした。収差を犠牲にしても、あえて短めのF12にしたのは、ドーム直径を5mに納めるためだったのでしょうか。


 この初代望遠鏡は札幌市天文台で26年間使用され、1984年10月に新しい望遠鏡へ交換されました。望遠鏡の更新経緯については近いうちに続編で紹介いたします。

 この続きは【札幌市天文台その3】をご覧ください。