goo blog サービス終了のお知らせ 

★星空日記コリメート風goo★

星や旅などの話題を「ひらい」が札幌から発信。2010年開設。2022年7月にteacupからgooへ引越しました。

2025青森の旅その5(青森市中央市民センターのプラネタリウム)

2025-05-17 06:00:00 | プラネタリウム・各地の科学館・天文台
 前回のブログ記事 【 2025青森の旅その4 】からの続きです。

 5月10日(土)の午前中に酸ヶ湯温泉で入浴後、青森市松原の青森市中央市民センターを訪問。受付けでお聞きすると本日13時30分からの投影担当は9年前にお会いした中山さんとのこと。ラッキー!

 中山さんの前職は東京渋谷にあった「五島プラネタリウム」のプラネタリウム技術員です。青森に新設されるプラネタリウムの運営に携わって欲しいと依頼され、1969年(昭和44年)から青森のプラネタリウムの設置・運営・投影を担当されているそうです。

 50分間のフル生解説による投影終了後、中山さんにご挨拶。
 中山さんは生解説に強いこだわりを持っておられます。 【 9年前の訪問時 】は投影日でなかったことから今回の中山さんの生解説を55年ぶりにお聞きしました。(55年前のことは、このブログ記事の最後に書いておきました。私のプラネタリウム原点です。)


 中山さんから了解をいただき投影機を撮影。ミノルタ製のMS-10型で1990年に投影原盤や投影レンズなどの大改修がされているそうです。


 改修前のプラネタリウム部品が展示されていました。


 帰り際、中山さんからプレゼントされた冊子です。
 A4版56ページの冊子で、取材記事や写真のクォリティーがとても高いように感じました。


 この冊子の16ページから19ページに中山さんが紹介されています。なお、このページの複写とブログ掲載については出版社に電話し、編集長さんから口頭で承諾を得ています。

 おまけの画像です。
 古い資料を整理をしていたら、当時の青森市民文化センター(現在は青森市中央市民センター)が1970年(昭和45年)2月に発行した「プラネタリウム」というパンフレットが出てきました。

 左側が裏で右側が表です。


 パンフレット内側の記事です。
 なぜ古いパンフレットを持っていたのかというと、1970年3月、高校1年生だった私は国鉄(現在はJR)札幌駅から急行はまなすに乗車、函館駅で青函連絡船に乗り継ぎ、青森市民文化センターのプラネタリウムを【1年後輩のI.N.さん】と一緒に見たからです。

 そのような思い出話を中山さんに話しながらセンターの玄関で見送りを受けたあと、父方のご先祖様が眠っているお墓と母方のご先祖様が眠っているお墓を訪問してから、子供だった母が入学した小学校に向け車を走らせました。

 次回のブログ記事 【 2025青森の旅その6 】に続きます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

憧れの東京天文台を見学(2025年2月下旬)

2025-04-03 06:00:00 | プラネタリウム・各地の科学館・天文台
 えっ?東京天文台? と疑問を持つ方々が多いと思います。

 古くは東京天文台という名称でしたが、国立の天文組織が1988年(昭和63年)に改組統合され、それ以降は国立天文台という機構の一施設となっています。

 2025年2月下旬に「憧れ」の国立天文台三鷹キャンパス(旧東京天文台)を見学してきました。なぜ私の憧れだったのか、その理由は57年前の1968年(昭和43年)に遡ります。今回は長文の記事になります。


 1968年(昭和43年)9月11日(水)に本田彗星「旧符号1968c、現符号C/1968 N1 (Honda)」のスケッチをし記録に残しました。
 上の画像はケント紙に鉛筆と擦筆を使いスケッチしたものです。当時の私は中学3年生で、生まれて初めて彗星を見ました。本田實さん(1913ー1990)が7月7日(日)の早朝に口径12cm双眼鏡を使用し、ぎょしゃ座の位置で同氏6番目の新彗星発見です。(発見時の経緯等は月刊誌の「天界」から引用)


 ひらい少年が当時使っていた1965年発行の「標準星図」です。この星図に葉書の速報で得た本田彗星の予報位置を鉛筆で書き込み、ファインダーを覗きながらスターホッピング(暗い星を辿りながら目的の天体を導入すること)を行い、口径5cm屈折の視野内に彗星を捉えました。


 彗星を見るために使った望遠鏡は、3年間の小遣いとお年玉を貯め1968年(昭和43年)9月に購入したアストロ光学製のR51という口径5cm屈折赤道儀です。札幌の自宅に梱包された望遠鏡が届いたのは1968年9月2日(月)のことでした。高校受験を半年後に控えていましたが望遠鏡を入手直後に彗星を見ました。
 口径50mm焦点距離750mm2枚玉分離式アクロマート、ファインダーは4倍10mmという小ささで対物レンズはシングルレンズです。こんな小さなオモチャのようなファインダーでもスターホッピングや昼間の金星を見るのに大活躍しました。この鏡筒部分だけは2025年現在も手元で保管中です。

 自分の望遠鏡を入手後10日目で暗い彗星を導入できたのは、中学1年生のときに青森市立筒井小学校から口径6cm屈折経緯台を借用、中学2年生のときに札幌市立明園中学校から口径6cm屈折赤道儀を借用し天体導入の練習体験があったからです。貴重な望遠鏡を快く貸してくれた両校の恩師に感謝しています。



 本田實さんが次々と彗星を発見されたことに触発され、彗星のような新天体を発見した場合、どこに報告するのか中学生の私が調べたところ、それは東京天文台でした。

 東京天文台天体捜索部の電話番号と郵便番号(当時は3桁)を当時の生徒手帳(中学3年)に書き込んでいます。
 結局、新天体を発見しここへ電話することはありませんでしたが、今回改めて電話してみたところ「こちらはNTTドコモです。おかけになった電話番号は現在使われておりません」という自動音声が返ってきました。(笑)


 1988年(昭和63年)に完成した赤道儀に口径15cm双眼鏡を同架させ、彗星捜索の真似事をしている若い頃の私(黄色の防寒着)です。
 極軸体のみ旭精光製で、それより上部の赤緯体は自作です。極軸と赤緯軸にアブソリュート型12ビットエンコーダーを後付けし、双眼鏡が向いている方向の詳細な星図(恒星は9等級まで・星雲星団は13等級まで)がパソコン上で瞬時に表示できました。
 私が作ったこのシステムはハワイ島に設置を計画されていたJNLT(後日すばる望遠鏡と命名)の検討スタッフで国立天文台のWさんからシステム構築資料の提出を求められたほか、ある望遠鏡メーカーからも私が作ったソフトウェア使用許諾の打診がありました。



 そのような感慨に耽りながら、2025年2月下旬に人生で初めて三鷹市大沢のキャンパスを見学しました。

 第一赤道儀室です。
 1921年(大正10年)に完成し、三鷹キャンパスでは最も古い観測用建物で一般公開されています。(文章はパンフレットから引用、画像はひらい撮影。以下同じ)


 第一赤道儀室の中には1927年にカールツァイス社が製作した口径20cm焦点距離359cm屈折赤道儀式望遠鏡が鎮座しています。この望遠鏡は1938年(昭和13年)から約60年間も太陽観測に用いられてきました。
 この望遠鏡の日周追尾装置はモーター駆動ではなく重錘式です。
 1965年(昭和40年)、私が小学5年の夏に当時は青森市筒井町にあった青森県立理科センターの星空講座で初めて見た本格的な望遠鏡も口径15cm屈折の重錘式赤道儀でした。速度調整用の丸い部品(ガバナー)がケースの中で回っていた様子を覚えています。


 ゴーチェ子午環です。
 1924年(大正13年)に設置された天体南中高度を精密に測定できる観測装置です。1903年のフランス製です。(1904年に約2万円で購入され、当時天文台のあった麻布で試験的に使用され、三鷹へ移転とのパンフレット記述があります)


 ブリンクコンパレーターです。時間差で撮影した写真ガラス乾板2枚を左右で交互に点滅させ、小惑星の発見などに使われたはずです。下保茂さん(1909ー1981)、富田弘一郎さん(1925ー2006)、香西洋樹さん(1933ー)などの大先輩がこの装置を使っていたのでしょうか。(この文章だけひらい憶測) 先人の努力に頭が下がる想いです。

 この他に、大赤道儀室と呼ばれるドーム内には、カールツァイス社製口径65cm焦点距離1021cmと口径38cm焦点距離1083cmの屈折赤道儀が鎮座してあり、1998年3月に研究観測から引退しました。

 今回、図書室を訪問した際、閲覧したい書籍がありました。
 図書館司書で芸術家のOさんにお願いし、歴史的な星図「ボン星図」と「コルドバ星図」の原本を拝見させていただきました。
 ボン星図を丹念に拝見すると、彗星や小惑星の精密位置を測定するためでしょうか、基準星となったらしい星々の周囲に鉛筆の書き込みがされていました。
(私も2011年の秋に高速で移動する小惑星を眼視観察するため、東京天文台の大先輩の真似事をしたことがあります。その様子は2011年11月のブログ記事 【 高速移動小惑星3 】に書いておきました。)
 Oさん、貴重な星図の原本を見せていただきありがとうございました。

 なお、この星図の余白には小さな白い紙が貼ってあり、透かしてみると「射場」と読める蔵書印のようなものが読み取れました。
 東京天文台は1945年(昭和20年)2月の火災で多くの書籍などが消滅。当時の実業家でアマチュア天文家「射場保昭さん(1894ー1957)」が蔵書などを1946年(昭和21年)に寄贈した名残なのでしょう。

 森に囲まれた憧れの三鷹キャンパス(旧東京天文台)を3時間ほど見学し、帰路に着きました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログの投稿をしばらくお休みします

2025-02-28 06:00:00 | プラネタリウム・各地の科学館・天文台
 2024年9月のブログ記事 【 多摩六都科学館を訪問(2024年9月8日) 】に引き続き、2025年2月26日(水)に多摩六都科学館を再訪問してきました。

 多摩六都科学館で「アイヌの星空」という大人向け投影を天文指導員OBと現役天文指導員の3人で観覧。その日のうちに札幌へ戻ってきました。

 2月26日の23時過ぎに帰宅した途端、自分の趣味に費やす時間の確保が難しくなる事態が発生。そのため、ブログの投稿をしばらくお休みします。
 ブログ読者の皆様、申し訳ありません。ブログ投稿の再開時期は未定です。


 東京で咲いていた梅の花です。2月26日(水)の午前中に撮影。本州ではこの後に桜が咲きます。北海道だと梅と桜がほぼ同時に咲くのはなぜでしょうね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コスモプラネタリウム渋谷を訪問(2024年9月8日)

2024-09-14 06:00:00 | プラネタリウム・各地の科学館・天文台
 前回のブログ記事 【 多摩六都科学館を訪問 】からの続きです。

 西東京市の多摩六都科学館を出てコスモプラネタリウム渋谷に向かいます。16時からの投影間に合うかギリギリで焦りながら渋谷区文化総合センターの12階へ。
 投影開始10分前の15時50分にプラネタリウムの受付に辿りつきました。(汗)

 入場して驚きました。村松さんが16時からの投影担当でした。挨拶もそこそこに着席。ドーム直径は17m、同心円状の座席配置で130席。機材はコニカミノルタ製です。

 「伝説のプラネタリアン」というキャッチネームの村松さん。流石の話術です。引き付けられます。投影終了後、村松さんと話していると永田さんが登場。
 うん?次回の投影は永田さんですかー。ということで17時からの投影券を急きょ購入。

 永田さんは「癒しの星空解説員」というキャッチネームです。惚れ惚れするような内容でした。台本を見ない肉声解説の素晴らしさを感じます。もう私はプラネタリウムの投影解説をすることはないでしょうが、もう一度投影してみたくなりました。
 なお、私がプラネタリウム投影していた頃の思い出話を2012年12月のブログ記事 【 プラネタリウムの話 】として書いてあります。


 投影終了後、記念撮影をおねだりしてしまいました。ブログ掲載OKの承諾済み。お忙しい中ありがとうございました。
 お二人とも渋谷にあった五島プラネタリウム時代にお会いして以来ですから40年ぶりぐらいの再会です。当時はお互い若かったですねー。
 実は白状すると、お二人ともコスモプラネタリウム渋谷で勤務されていることをすっかり失念し渋谷に向かっていました。お二人のお顔を拝見してから思い出すというお粗末さでした。ごめんなさい。大変失礼しました。

 永田さんが投影終了後、コスモプラネタリウム渋谷では投影スタッフ8人の個性を活かした解説ということに話が弾み、私の方から「落語と同じですね」と伝えると永田さんも同感のご様子でした。
 ネタが同じであっても違う真打ちクラスが異なる話し方でもそれぞれが面白い。投影話術には間(マ)が大事というのも落語と似ているという話になりました。
 松村さんも永田さんも話の間(マ)が絶妙です。他の投影スタッフさんの肉声解説も是非聞きたくなりました。


 入場口に掲げられている投影スタッフ8人の紹介パネルです。5年ぐらいの勤続年数で頻繁に交代してしまうプラネタリウム施設ではこのような肉声解説に特化したスタッフの紹介は困難でしょうね。

 観覧券を購入する際、親切に笑顔で対応していただいた西さんも投影スタッフさんでした。皆さんの表情を見ていると自信と意欲を持って仕事に励んでいる様子が見て取れました。
 大変なこともあるでしょうが、これからも頑張ってくださいね。


 2階に展示されている五島プラネタリウムで活躍していたツァイスⅣ型プラネタリウム本体を拝んでから宿泊先に戻りました。

 次回のブログ記事 【 羽田空港の全ターミナルを見学し札幌へ 】に続きます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

多摩六都科学館を訪問(2024年9月8日)

2024-09-13 06:00:00 | プラネタリウム・各地の科学館・天文台
 前回のブログ記事 【 東京で天文指導員OBと懇親会 】からの続きです。

 9月8日(日) 8時過ぎにJR駒込駅近くのホテルを出発し、西東京市の多摩六都科学館 へ向かいます。JR山手線の高田馬場駅で西武新宿線に乗り換え、花小金井駅で下車。


 花小金井駅前のバス停で「はなバス第4ルート田無駅行き」を待ちます。1時間に2本の間隔で運行しています。

 可愛いラッピングの小型バスに乗車。8分ほどで「多摩六都科学館」バス停で下車。9時28分に到着しました。


 大きな肉まん(失礼!)のような建物が特徴的。左側はスカイタワー西東京という別組織の電波塔です。

 9時30分の開館時にはすでに長蛇の列。ガードマンさんにお聞きすると、きょうは空いている方だとのこと。

 私の目当ては13時10分からの全編生解説プラネタリウム。プラネタリウム観覧付き入館券を購入し館内の展示物を見ていると、館内に食事ができるレストランを発見。
 レストランの受付け女性スタッフにお聞きすると、営業開始の11時には結構並ぶので事前に受付用紙にお書きになりますか?ということで営業開始1時間前にトップで記入させてもらいました。貴重な情報とご配慮に感謝。
 展示物を見て11時少し前に行くと情報どおり列ができていました。ひらいさま〜と女性スタッフに呼ばれ店内に着席。1番乗りで気分がいいです。(笑)


 雑穀米入りのハヤシライスを美味しく頂戴しました。支払い時に事前情報を丁寧に教えていただいたことと接客時の笑顔が素敵ですねとお礼を言って館内の見学に戻りました。

 私が科学館などの施設見学をする際は、スタッフのコミニュケーションなど接客の様子も気になります。展示物の見学と同時に館内受付スタッフ、展示説明スタッフの様子を拝見すると、皆さんの丁寧な対応が心地良かったです。

 さて、お待ちかねのプラネタリウムの入場時間になりました。満席とのこと。

 「サイエンスエッグ」と呼ばれるプラネタリウムドームは傾斜型の直径27.5m。光学式投映機CHIRONⅡ(ケイロンⅡ)が設置されています。下に写っているのは施設のマスコットキャラクター「ペガロク」です。(星座のペガススと六都から名付けられたようです。1階受付けのコーナには背中から羽根が生えた大き目の「ペガロク」が鎮座しています)

 この日は子供達が多く、投影スタッフは子供達の反応を感じながら双方向コミュニケーションで解説しています。まるで録音テープのような無機質気味の肉声解説が増えてきた昨今、観客の反応を感じながらの臨機応変の解説は好感が持てました。ベテラン投影者による肉声解説の醍醐味でしょうね。

 投影後、投影をしてくださった雨森さんと情報交換。途中で天文チーフの斉藤さんにもご挨拶させていただきました。お忙しい中、対応ありがとうございました。

 帰路も科学館前のバス停から「はなバス第4ルート田無駅行き」に乗車。これから渋谷に向かいます。
 コスモプラネタリウム渋谷の投影時間に間に合うでしょうか。次回のブログ記事は 【 コスモプラネタリウム渋谷 】の予定です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする