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★星空日記コリメート風goo★

星や旅などの話題を「ひらい」が札幌から発信。2010年開設。2025年7月に「はてなブログ」へ引越し予定。

札幌市天文台の発足

2011-09-01 19:20:00 | 札幌市天文台
 札幌市天文台は、私が中学生の頃から通い始め、徹夜観測もさせてもらった想い出深い施設です。

 1973年頃の札幌市天文台(写真提供:中山さん)


 きょう9月1日は札幌市の公共天文台として正式発足した日ですので、1958年(昭和33年)に天文台が設置されるまでの様子を文献などを基に紹介します。内容が長くなりますがお許しください。


 北海道初の天文台は札幌ではなく、旭川市天文台です。1950年(昭和25年)に旭川市を中心として開催された北海道開発大博覧会が契機となり、旭川市天文台は1950年に設置されました。
 
 北海道大博覧会が札幌市と小樽市を会場として1958年(昭和33年)7月に開催されることが決定した際、札幌市にも天文台をという声があがったのは自然の成り行きだったと思われます。
 また、人類史上初めてとなる人工衛星打ち上げを1957年(昭和32年)10月に控え、一躍宇宙ブームになったことも天文台設置を進めるうえで大きな追い風となったようです。


1957年(昭和32年)3月5日
 札幌天文同好会の幹事である伊藤政夫氏が博覧会事務局を訪問し、天文台設立を初陳情。

4月1日~
 札幌市に永久的な天文台を設置する計画が練られるが、博覧会の予算では捻出できないため、スポンサーの寄附により設置する案が検討される。
 スポンサーが見つからない中、博覧会専門委員に委嘱された札幌天文同好会々長の福島久雄氏(1910-1997)が中心となり、望遠鏡の基本構想が練られていった。

9月12日
 スポンサー予定の企業に費用概算額を提示するため、博覧会事務局が望遠鏡とドームの見積りを4社に依頼。見積り提出期限は9月20日。

9月25日
 見積り業者を1社追加し、5社となる。

10月10日
 博覧会事務局において天文台設置の方針が決定。当時の関係者に近いAさんの覚え書きによれば「天文台設置方針」に書かれていたという内容は次のとおり。

 博覧会を機会に、天文台を恒久施設として設置することは、華を添えるばかりでなく、天文台を持たぬ当市にとり、極めて時宣に適しているとの見解から、博覧会予算により、これが設置を計画しておりましたが、博覧会の収支状況から、天文台設置の予算を捻出することが不能となり、これをスポンサーによって設置することに考えを改め、関係各部課とが打合せの結果、このスポンサーの対象として、雪印乳業を選定し、過般来、数次に亘る交渉を重ねて参りましたが、今般同社より、スポンサー條件並びに天文台の仕様について知らせて欲しい旨、話がありましたので、左案のとおり、天文台寄附についての要望事項を指示すると同時に八吋の屈折望遠鏡を設置するためにはレンズの研磨等可也りの日時を要し、博覧会に間に合せるためには、早急に発注の必要もありますので、雪印乳業に対し実施の可否の早期回答を要請致したくお伺い致します。

 なお、天文台の規模については、札幌天文同好会々長、北海道大学工学部福島教授より東京天文台にも連絡して頂き、札幌市にふさわしい天文台の内容を聴取り、それによって東京光学機械株式会社外四社に見積りを提出させた結果を基にして算出したものであります。

11月7日
 スポンサー企業、望遠鏡とドームの請負業者選定の報告がなされた。博覧会事務局の報告書に書かれていたという内容はAさんの覚え書きによれば次のとおり。

 先に別添要望事項を添えて雪印乳業株式会社に博覧会を契機として、天文台の設置協力方を要請しましたところ、この度別添書面のとおり実施する旨連絡がありましたので報告いたします。

 なお、業者の選定につきましては、レンズの研磨に相当の日時を要する関係上、札幌天文同好会々長北大工学部福島教授の協力を得て○○○○外四社に見積書を提出させ、その内札幌市に最もふさわしい規模として東京光学機械(望遠鏡関係)並びに府中光学株式会社(ドーム部分)を雪印乳業株式会社の了解を得て選定いたしましたので申し添えます。

 亦、来る十一月八日、東京光学並びに府中光学株式会社より係員が参上する機会に雪印乳業株式会社及び前記福島教授、市側で協議の上、細部見積りを得た上契約致したく伺います。

12月22日
 天文台の設置場所は、札幌市の都心から南へ約2km離れた中島公園の岡田山に決定。(※注:岡田山は中島公園内にある高さが10mにも満たない小山です。)

12月27日
 札幌酪農牛乳㈱(※注:雪印乳業㈱の子会社)から望遠鏡本体(250万円相当)の寄附文書を受理。

1958年(昭和33年)2月17日
 東京光学機械の工場において、人工点光源による20cm対物レンズのテストに福島会長が立会った。同席者は東京天文台(※注:現在は国立天文台)の広瀬教授、下保富田両氏。

4月15日
 雪印乳業㈱から天文台建物の建設資金として現金150万円を寄附する文書を受理。

6月20日
 望遠鏡本体が東京から発送される。(※注:札幌到着の日時は不明)

6月30日
 東京天文台の下保技手が札幌に到着。7月1日から望遠鏡組み立て調整の立会い。

~7月4日夜
 実際の星で極軸調整、星像テスト。機械調整完了したのは、7月5日(土)午前3時。

7月5日
 北海道大博覧会開催。天文台の公開開始。
 林耕輔氏(1934-2003)が博覧会の臨時職員として天文台業務を担当。

8月31日
 北海道大博覧会閉幕。

1958年(昭和33年)9月1日
 天文台が札幌市に移管され、札幌市天文台としての業務が開始された。

 林耕輔氏はその後、札幌市職員として採用され、天文台の常駐を約20年継続。
 

 1973年頃に撮影した札幌市天文台の20cm屈折望遠鏡です。奥には関西光学製15cmアベック式反射経緯台が見えています。(写真提供:中山さん)

 近日中に続編として「札幌市天文台の20cm屈折望遠鏡は、なぜ東京光学と府中光学の合作となったのか」についても書く予定です。

 この続きは【札幌市天文台その2】をご覧ください。

【参考文献】
札幌天文同好会会報PLEADES第4・5号合併号(1958年12月発行)
札幌市天文台報 第1号(1960年3月発行)
福島久雄先生が「星空と私」というタイトルで書かれた北海道新聞に掲載された連載記事