丘を越えて~高遠響と申します~

ようおこし!まあ、あがんなはれ。仕事、趣味、子供、短編小説、なんでもありまっせ。好きなモン読んどくなはれ。

チリメンジャコの目ン玉 

2009年06月14日 | 作り話
 隣の山田さんからチリメンジャコをたくさん頂いた。なんでも山田さんちの奥さんの実家から送ってきたそうだ。山田さんちの実家は高知の漁港の近くにあるらしい。時々大量に魚の干物を送ってくる。その度に亜沙子もお相伴に与るという訳だ。
「そんなんねぇ、チリメンジャコばっかり保存袋に三袋も送られてもね」
 山田さんの奥さんは苦笑いを浮かべながら一袋を私に手渡した。白いポリ袋の中には乾いてカラカラしているチリメンジャコが一杯入っている。
「きっちり乾いているから日持ちはするけど、冷蔵庫に入れてね」
 山田さんの奥さんの言葉に頷きながら亜沙子はこの大量のチリメンジャコをどうやって消費しようかと考えていた。
 ワカメとキュウリとチリメンジャコで酢の物がいいだろうか。それともちらし寿司に混ぜ込むか。いやいや、そのままご飯にかけて食べるのも悪くないかも。なんにしても、しばらくは我が家の食卓に続けて登場すること間違いなしだ。
 家に帰ると亜沙子はさっそく、堅くくくってあったポリ袋の口を開けた。ふわりと潮の香りと魚の生臭さが漂ってくる。なんとも懐かしい匂いだ。亜沙子は袋に手を突っ込むと一つまみ口に運んだ。ほどよい塩味と旨みがふわあっと口に広がった。

 亜沙子は夫と二人暮らしだ。結婚して五年。子供はまだない。夫の弘樹は大工として小さな工務店で働いている。ちなみにこの工務店は亜沙子の叔父が経営している。叔父と弘樹と、もう一人若い見習いという本当に小さな工務店だ。弘樹が大工になったのは二十代の半ばからで随分遅いスタートだったが、真面目に働くので棟梁からは随分と可愛がられている。腕の方もメキメキと上がり、十年経った今では棟梁の右腕といってもいい。いずれは店を継がせたいと棟梁も言っていた。
 亜沙子が弘樹と結婚したのは棟梁がきっかけだった。当時亜沙子は小さな会計事務所で事務員として働いていたが、どうもぱっとしない、冴えない生活を送っていた。会計事務所の独身イケメン会計士に密かに想いを寄せてはいたが上手くアプローチすることも出来ず、悶々としているうちに彼は学生時代からの恋人と結婚してしまったのだ。がっくりと落ち込んでしまったのだが、元々あまり口数の多くない亜沙子だから誰も彼女の心情に気付くこともなく、これみよがしに新婚生活のオノロケをさんざん聞かされる始末。自分の影の薄さを嘆いたところで始まらないが、地味で目立たない性格も容姿も大嫌いになっていた。
 そんな時、お見合いをした。その相手が弘樹だったのだ。

 約束の小料理屋に現れた弘樹を見て、亜沙子はぽかんと口を開けたままになってしまった。日に焼けた細面の顔にどことなく憂いを帯びた瞳。大工をしているだけあって体つきはがっしりしているが、ずんぐりむっくりの棟梁とは違い背もそこそこ高い。叔父には悪いが、大工にしておくにはもったいないような男前だ。
「高山弘樹です」
 少しハスキーな声は深みがあって素敵だった。
 小料理屋のカウンター席で弘樹を挟むように亜沙子と棟梁が座った。棟梁が弘樹越しに色々と話しかけてくる。
「こいつな、無愛想で口もほとんどききよらへんけど、エエ男なんや。大工やからな、体が資本や。いつまでも一人暮らしでは食べるモンも困るし、生活が落ち着かんやろ。だいたい他人様の家作るのに、自分が家庭持ってへんようでは腰の据わった仕事はでけへんわ。亜沙子やったらワシも子供の頃からよう知ってるし、兄貴に聞いたら結婚の予定もない言うから、そんなんやったら一回紹介したろと思ってな。この男、男前やけど女っ気もないし、不器用やから女も寄ってこんらしいわ」
 えらい言われようだが弘樹は苦笑いするだけで、気を悪くする様子もなかった。亜沙子はというと一応ふんふんと相槌は打っていたが、目は弘樹に釘付けで棟梁の言葉など右から左へ素通りだった。
 そう、一目惚れだった……。

 あんな男前が自分を相手にするはずがないと思っていたが、しばらくしてメールでデートの誘いがあった。亜沙子はすっかりのぼせてしまった。
 弘樹は人混みがあまり好きではないようで、お弁当を持って大きな緑地公園に行ったり、ハイキングに行ったりと、まるで一世代昔のカップルのようなデートをした。確かに普通の女の子にはつまらないデートかもしれなかったが、亜沙子にとっては最高のデートだった。街中を密着しながら歩くような恥ずかしい事は亜沙子にはとても出来そうにない。それよりも木陰で弁当を広げて、ポツポツと言葉を交わし、空を見上げて昼寝をする弘樹を見る方がよっぽど気が楽で良かった。亜沙子の作った弁当を無心で食べる姿を見ると心が和む。時々「美味しかった」と全くひねりのない感想を口にしてくれると頬が赤くなるほど嬉しい。山道を登る途中でぎこちなく差し伸べられる手をおずおずと握るのがとんでもなくドキドキしてしまう。弘樹の手は指が長くて、とても綺麗だった。大工仕事で荒れてはいるが、しなやかで色っぽい手だと思った。その手に握られる感触はゾクゾクするほど素敵だった。
「若年寄か、お前らは。二十代のデートとちゃうやろ、それ」
 弘樹からデートの様子を聞いた棟梁は思わず吹き出したらしい。そんな話をしながら照れくさそうな笑いを浮かべる弘樹を見て、亜沙子はまたときめいてしまうのだ。
 弘樹は余計な事をほとんど話さない男だが、慣れてくるとポツポツと自分の話をしてくれた。両親は既にない事、高校を出てからしばらく東京にいた事、大阪に帰ってきて、棟梁に出会うまではフリーターをしていた事。詳しい話はしないが、寂しい十代、二十代前半を過ごしてきたという事は亜沙子にも伝わってきた。どことなく憂いを帯びた弘樹の瞳を見ていると、この人の心の穴に自分が入って埋めてあげたいと心の底から思うのだ。この人のために何が出来るか、わからない。でも人間、お腹が減ると不幸な気分になる事は確かだ。とにかく一生懸命お弁当を作って、この人の胃袋を満たしてあげたい。
 これといって特技はないが、料理だけはそこそこ出来る自信があった。亜沙子は今までに増してお弁当作りに情熱を注いだ。本屋に行っては新しいレシピ本を買い研究を重ねる。お陰で料理の腕はメキメキと上達した。
 おままごとのようなお付き合いを半年ほどして、弘樹がプロポーズをしてくれた。
「結婚、してくれ」
 なんの演出もない、直球ど真ん中。亜沙子は喜びで気絶しそうになりながらも、そのボールをしっかり受け止めた。
 
 そんな回想はさておき、今日も弘樹は夜七時ごろに帰ってくるだろう。いつもどおり木屑と汗の匂いと共に。玄関が開いて、ただいまという声をきくとほっとする。一風呂浴びてすっきりした弘樹が食卓について、ビールを飲みながら美味しそうに夕食を食べてくれるのを見るのはいまだに亜沙子の楽しみなのだ。
 今日は美味しいチリメンジャコをもらった事だし、ばっちり和食メニューだ。すき焼き風煮物に、ほうれん草のお浸し、キノコの味噌汁、ご飯。
「山田さんからチリメンジャコもらってん。すごい美味しかったから、まずはこのまま食べてみて。ええ塩加減で、美味しいわ」
 亜沙子は可愛い小鉢にチリメンジャコを入れて、弘樹の前に置いた。美味しそうに煮物を突いていた弘樹の箸が止まる。
「……」
 まじまじと小鉢の中身を見ていたが、ふいに眉間に小さなシワを寄せると亜沙子を見た。
「悪い。チリメンジャコ、あかんわ」
「え?」 
 亜沙子はきょとんとした。
「あかん?」
「うん。苦手や。よう食べん」
 そして左手で小鉢を取ると、亜沙子の前に置いた。
「ちょっとくらいやったら食べれんこともないけど、これはちょっと……」
「……そうなん? 美味しいのに」
 小さなショック。弘樹はほとんど好き嫌いがないと思っていた。魚も好きなのに、まさかチリメンジャコが苦手とは。
「あかんねん。目ン玉が……」
 弘樹は嫌そうに視線をチリメンジャコからそらした。
「目ン玉?」
「……なんか、皆コッチ見てる気がして。気持ち悪ぅなんねん」
「そう?」 
 亜沙子はまじまじと小鉢を覗き込んだ。透き通るようなジャコの端っこに張り付いている銀色の丸い目、目、目、目。言われて見ればコッチを見てるようにも見えないこともないが、そんな事を気にしたこともなかった。
「ふぅぅぅん……」
 亜沙子は頸をかしげながら小鉢を引っ込めた。

 チリメンジャコ事件からしばらくたったある日。
 亜沙子は美容院で髪をカットしながらパラパラと女性週刊誌をめくっていた。
『彗星の如く現れて、流星の如く去ったキラ星たち』
 そんなタイトルが目に飛び込む。どうやら一発屋で終わった芸能人の特集らしい。そう言われれば、こんな人、いたいた……。そんな声が聞こえてきそうだ。
 若くして亡くなったアイドルもいれば、一曲二曲ヒットして消えていった歌手もいる。流行語大賞は獲ったものの、その後泣かず飛ばずで消えてしまったお笑い芸人に、前評判だけは高かったがそれだけでさっぱり売れなかった俳優など……。世間の人の記憶の底にうっすらと残像が残る程度の儚い芸能生活。今、この人達は何をしてるのだろう……。亜沙子は何気なくそんな事を考えながらページをめくる。
 ふと手が止まった。ページの隅の、それほど大きくない写真。十年ほど前、デビュー曲がミリオンセラーを記録したもののメンバーの不祥事が原因であっという間に解散してしまった「エキセントリック☆」というロックバンドだった。亜沙子はあまり興味がなかったので名前も知らなかったが、その中の一人の顔に釘付けになる。
「……うそぉ……」
 今よりも少し痩せているし、表情も尖った感じだったが、それはまぎれもなく弘樹だった。

 美容院から帰って、亜沙子は慌ててパソコンの前に座った。「エキセントリック☆」というバンドについて必死で調べる。ボーカルでありリーダーのCAZ、ギターのTAKU、ドラムのD-ATSUSHI、ピアノのMAYUNA、そしてベースのHIROKIの五人で構成されていたバンドだった。貪るように次々とサイトを開いてみた。コンサートでは何万人という観客動員数を記録したこと、そしてリーダーが未成年のファンに手を出したことが発端となり解散したという事も知った。
 世の中には似た人が三人はいるらしい。きっと偶然が二つくらい重なった他人だ。そう思いながら当時のメンバーのプロフィールも調べた。亜沙子の予想は見事に裏切られ、HIROKIの生年月日や身長、出身地などの情報は弘樹と一緒だった。
 頭の中で刑事ドラマのようなシーンが浮かぶ。現場の指紋と容疑者の指紋が一致しました! よし、決まりだな!
 亜沙子はプルプルと頭を振るとパソコンを切った。そして、ぼんやりと考えをめぐらしながら紅茶を入れて、食卓に頬杖を付きながら立ち上るほのかな湯気を見つめる。取り留めのない想いが湯気のように湧き上がっては消えていく。
 なんで今まで一言も言わなかったのだろう。隠しておきたかったのか。触れたくなかったのか。結婚してから弘樹が自分に隠し事をしていた事は多分一度もないはずだ。無口だけど、誠意は誰よりも厚いことを亜沙子は知っている。
 言わなかったということは、言いたくなかったからだろう。バンドの活動は東京にいたという時期だ。きっと色々あったのだ。亜沙子には想像もつかないような事が……。
 解散した後、メンバー達がどんな道を歩いていったのか。ピアニストはどうやらアレンジャーとして業界に残っているらしいが、他のメンバーは不明だった。勿論、2chなんかを必死で探せばもしかしたら手がかりはあるかもしれない。でも、そこまでする気はなかった。あんまり詳しく知ってしまったらいけないような気がする。いや、本当は怖かったのだ。ふいに、弘樹が弘樹でないように思えてしまうような気がしたから……。
 
 その夜、亜沙子はなかなか寝付けなかった。弘樹は亜沙子の隣で安らかな寝息をたてて、安心しきった様子で眠っている。亜沙子は弘樹の寝顔をまじまじと見つめた。
 見慣れているはずの夫の顔が知らない人のように思えてくる。弘樹は無口で真面目な大工で、自分の夫で、何でも食べるけどチリメンジャコだけは嫌いな、ごく普通の男のはずだ。何万人もの人の前でギターを弾きながら歌を歌うようなそんな煌びやかなことが出来たなんて想像もつかない。
 亜沙子は目を閉じてみた。精一杯想像力を働かせてみる。大きな球場を埋め尽くす大観衆。何万人という人々の目がこっちを見つめている。それって一体どんな気分なんだろう……。
「あ」
 亜沙子はふいに声をあげ、目を開けた。
「……チリメンジャコ」
 小鉢の中から見つめるチリメンジャコの目、目、目、目……。無数の観客の目、目、目、目、目……。
 亜沙子は布団を飛び出すと台所へと走っていた。
 冷蔵庫を開け、チリメンジャコの袋を取り出す。袋を開けて手のひらにざらざらと乗せてみた。
 冷蔵庫の黄色い光に照らされたチリメンジャコの銀色の目がじいっと亜沙子を見つめている。チリメンジャコを見つめていた弘樹を思い浮かべながら、亜沙子もじいっとチリメンジャコを睨み続けた。
 しばらくして、亜沙子はおもむろに口の中にチリメンジャコを放り込んだ。もしゃもしゃと無言でほおばる。乾燥しきった小魚どもは口の中でもなかなかこなれず、飲み込むのに苦労した。やっとの思いで飲み込むと亜沙子は冷蔵庫の中の麦茶を出し、口の中に残る塩気と魚の臭気も綺麗に飲み込んだ。
 このチリメンジャコどもめ。私の大事な夫に嫌な事を思い出させる悪いやつらめ。弘樹を苦しめたであろう記憶の化身のようなこの不届き者どもめ。
 チリメンジャコに罪はない。だから夕食と弘樹のお弁当には入れないで、私が食べるてあげるからね。チリメンジャコにそんな事を呟く。
 そう、そして明日の朝、弘樹に言ってあげよう。
 チリメンジャコは私が全部食べてあげる。これからもずっと、私が食べてあげるから。
 亜沙子はそう思いながらチリメンジャコを冷蔵庫にしまった。

                                    了


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