彦中三八ブログ 

彦島中学校を昭和38年3月に卒業した同期生のためのブログ。 掲示板「彦中昭和38年卒同期会」にもお立ち寄りください。

幼少期の思い出1

2016年06月08日 23時49分00秒 | 全国各地
先日、同期会で下関を訪れた時、
ついでにと、自転車を車に積んでいきました。

それは、以前から一度訪れてみたいと思ってきた
旧長門鉄道の路線をたどるポタリング(自転車散歩)です。

その前に、先ずは新門司でフェリーを降りたら最初に立ち寄るのは和布刈PA。
和布刈から見る朝の関門海峡は朝日を浴びて下関が生き生きとしています。


「硯の海に日は射して~」
本村小学校の校歌が聞こえてきそうです。

閑話休題
幼い頃、お袋に連れられて行っていたお袋の里までは、
下関から汽車で小月まで行き、小月から長門鉄道に乗り換えて
行っていました。

小月まで乗ってきた汽車の蒸機に比べたらちっちゃな蒸機でした。
客車に丸いブレーキハンドルが付いていたように記憶しています。
そんな幼いころの思い出に浸りながら
いよいよポタリングの始まりです。
スタートは小月駅です。

小月駅近くのパーキングに車を止めて、
自転車を組立て、先ずは小月駅前に。


さて、最初から躓いてしまいました。

二本の狭い道に挟まれた建物に「バスのりば」の文字がかすかに
残っているのはここがかつての長鉄の小月駅だったと
思われるのですが、はてさて、線路はこの二つの細い道の
どちら側だったのだろう。
座っていた人に尋ねてみたが、知らないとのこと。
右に進めばスーパーの建物に阻まれて道を失うので、
左を選んで進めました。

狭い道をいくつか行きつ戻りつして家並みを過ぎると
鉄道跡らしき道が目の前に現れました。
やっと本来の鉄道跡ポタリングが始められました。


山陽道の小月インター高架下も真っ直ぐ続いています。


線路(跡)は続くよどこまでもと鼻歌交じりに進めました。
鉄道が無くなった後、バスは小月から真っ直ぐ北上して
峠越えをしていましたが、鉄道は山越えは苦手なので、
この先で木屋川目指して、山陽道と並行するように東に向かいます。

道路に並行して右側に山陽道が走っていますが、
この地道の勾配は急なので、
本来の軌道は山陽道に呑みこまれてしまったのかもしれません。


暫く行くと山陽道は大きく右にカーブし、鉄道跡は左にカーブします。
遠く正面に見える看板を拡大すると

神戸への帰りに同じ看板を見ることになるんですが・・・


鉄道は、ある時は切通しを抜け、

ある時は田圃を貫き、

みどりのトンネルを抜けていきます。


途中には、停留所の跡もあります。


自動車道と旧鉄道跡とはなからずしも一致せず、
それぞれの道を行くようです。


峠を下り、いよいよ菊川町の盆地に入ります。


峠を下って、視界が開けると、向うに田部停留所と思われるものが
目に入ってきました。

田部の停留所はプラットホームが残っています。


幼い頃、このプラットホームにお袋と一緒に立っていたのか
と思うと何とも言えない懐かしい思いに包まれました。
目の前に山々が連なっています。


説明板が掲げられていました。

僕の頭では、駅は鉄道、停留所はバスとの理解でしたが、
昔は駅と停留所とは鉄道でも使われていて、
明確に使い分けられていたのですね。

先ずは、小月から田部までたどり着きました。


by W

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