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女教皇 アセリエス

2010年05月24日 22時54分46秒 | 登場人物紹介
名前 アセリエス

   (幾つかの名前と人格をもっており、
    『ロゼリア』という名で行動していることも多い。)
   
性別 女性

年齢 100歳以上(肉体年齢は19~21で止まっている。)

髪  黒く美しい、長い髪

瞳  右目は緑で、左目は真紅

武器 なし

奥義 なし

戦士レベル なし
レベル限界  0


 セバリオス法王国の『女教皇』。


戦う『力』を、持って生まれたものと、
       持たずに生まれたもの。

アセリエスの立場は、後者です。

アセリエスは、
セバリオスの神託によって、
今の地位に在ります。

彼女は初めから、
とりわけ美しく生まれたわけではなく、
生まれながらにして、
何かを持っていたわけでもありません。

何処にでもいそうな、
ごく普通の一人の少女でした。

自分を守ってくれる存在が、
いなかったという点では、
決して、恵まれた環境で育ったとは言えませんでしたが。

当時の世界は、
今の世界よりも荒れ果てていましたし、
生き残る為には『力』、
もしくは『知恵』が必要でした。

その二つとも、
彼女には欠けていましたが、
ただ彼女は、
強く、自分を信じていました。
彼女が、他人と大きく違っていた点は、
その気持ちが、とても強いという事でした。

信じるだけならば、誰にだって出来ることです。

自分を信じるのに、お金は必要ありません。

前を向いて歩くだけならば、
必要なのは『力』や『知恵』ではなく、
健全な、その両足なのです。

アセリエスは、自分を信じ、
無知であることには、言い訳はしませんでした。

自分を信じて歩く為には、
見上げる『目的』が必要なのだと、
彼女は考えました。
見上げる事で、彼女は下を向かずにすむのです。

最初の目的は、簡単でした。
『生きる』ことです。

生きる為に、何が必要なのか?

たくさんの、
足りないモノを満たしていくことが、
彼女を導く答えとなりました。

まずは、空腹を満たすだけのパンとスープ。
雨風をしのぐ為の、屋根のある寝床。
そして、お金や物を得る為の仕事です。

それらを少しづつ満たしていく中、
人々は、
複雑に絡み合って
生きているという事を、
彼女は、経験という足跡で、
ゆっくりと理解していきます。

『社会』の仕組みです。

人にはそれぞれ、役割があります。

アセリエスは、考えました。

善人が『善人』である為には、
『悪人』の存在が必要なようです。

害悪は、許されるものではありませんが、
必要悪というものもあるようです。

彼女は、思いました。

「悪魔がいなければ、
 神の存在は、薄れてしまうし、
 その恐怖がなくなれば、
 人間たちは争い始め、
 やがて、
 世界は今よりもっと、
 不幸になってしまうのかしら」、と。

アセリエスは、正直、
世界の『不幸』に興味はありませんでしたが、
不幸が自分に飛び火してくるのは、
避けたい事でした。

それと同じように、
安易に飛び交う、
『幸福』という言葉の意味も、
理解し難いものだと、
彼女は、考えていました。

聖職者の多い
この『セバリオス法王国』では、
その役職にある者に、
『幸福』という言葉が、
とても便利な、まじないの呪文のように
節操なく使われていると、
アセリエスは、思いました。

実体の無い約束事のように、
何の根拠無く、それは人々を励ましたのです。
その先に待っているのは、
伴わない結果と、落胆です。

このような無責任な発言は、
彼女の、
無意味なほど高い、
そのプライドが許しません。

彼女は、実行出来ないことは、
出来ないと言いましたし、
発した言葉に責任は取りました。

アセリエスは、
徹底した現実主義者でした。
取り引きには、至って誠実です。
まやかしの言葉などは、
美しくないと考えてました。

そんな人間が生きていくには、
多少、辛い時代ではありましたが、
信じる自分を安売りする気など、
このアセリエスには、
ありませんのでした。

彼女なりの美学に、
自己のルールに従って、
幾多の困難を乗り越え、
生きていました。

『強さ』を生き残ることで証明したのです。


やがて、
女教皇となった彼女は、

『女教皇・アセリエス』として、

こう言いました。

「自信を失うことは、
 とても、不幸だと思うのじゃ。
 では、幸福とはどんな味かのぅ?」

『言葉で語れるモノならば、
 ワタシの耳には、まだ聞こえないし、
 この目には、その色すら映らないワ』、と。


人を幸福にしたいのならば、
  まずは、自分が幸せでありなさい。

アセリエスは、そう言った真意を、
口に出して説明する性格ではありません。

また、アセリエスは、
豊かさというものが
いかに飽きやすいものかという事を、
新しいモノを手にする度に、
感じてきました。

それを他人に見せぶらかすのは、
悪趣味で、愉快ではあるのだけれど、
当然、妬まれ、無駄な悪意を買うのだし、
何より、自分を信じるという意味では、
何ら、『利』を生まないと。

女教皇となった今でも、
アセリエスは、こう言います。

「褒め讃えられるのは、
 とても愉快であるし、楽しいことじゃ。

 意外かもしれんのじゃが、
 褒められると、自信が湧くのじゃ。
 単純に、褒められるとやる気が湧くのぅ」

『こんな素敵な気持ちなら、
 少しは優しくしてあげられるかも
 知れないわ』、と

確かに、アセリエスは、
褒められるのが大好きです。
それは、彼女にとって、
とても嬉しい事なのです。

だから、彼女は手抜きはしません。

皆が彼女を称えるその喝采は、
彼女の気持ちをより高ぶらせ、
その自信を、より強くするのです。

まずは、
自分を信じることから始め、
信じ続けることで、
美しく成長してきた彼女、アセリエス。

彼女は、とても高慢で、
たとえ、思ってはいても、
言葉は選んで並べます。

『幸福』の言葉の意味も、
彼女なりに真剣に考えてはいるのですが、
それを口にするのは不愉快なので、
滅多に語ることはありません。

気まぐれに、
良い行いをしたくなった時、
アセリエスは、
こっそりと子供たちの前で、
こう言ったことがあります。

「子供はね、
 親にとっては、未来そのものなの。
 今を生きているのが親だとすれば、
 親たちは、今を延々と生き続けるの。

 だって、未来はあなた達が、
 繋いでくれるもの。
 あなた達が、未来を生きてくれるのよ。

 親が信じてくれるなら、
 迷わず道をお行きなさい。

 その先を照らすのが、
 あなた達の役目だもの」と、

アセリエスは、
言葉の意味を理解できない、
子供たちに向かって、
優しい口調で、
こう語り聞かせます。

そして、その言葉を直接、
親に伝えることはありません。

無邪気な子供は問いかけます。

「じゃあ、おねえさんのみらいは
 だれが、てらしてくれるの?」、と。

その時、
アセリエスは、
黙って首を横に振ります。

すると、一人の子供が言いました。

「じゃあ、ボクがてらしてあげるよ!」、と。

アセリエスは、
自然とその子の頭を撫でてあげました。

すると、他の子たちもそうして欲しいのか、
同じように、アセリエスに言いました。

子供の視線の先に映るアセリエスは、
とても美しい女の人で、
その手は、細くしなやかで、綺麗です。

子供たちは、ぼんやりとしか、
『めきょうこう』と呼ばれる彼女、
アセリエスの立場を理解出来ません。

子供たちにとって、
その手で撫でられるのは、
とても嬉しいことでした。

ですが、アセリエスは、
この子達と同じ時間を生きてはいません。
正確にいうと、この子たちの一生は、
アセリエスのそれよりも、とても短いのです。

子供たちの何人かは、この記憶を宝物に、
女教皇に仕える道を選びました。

立派に働いて、
その生涯が終わるまで仕える。
あの日と変わらぬ、綺麗な人、アセリエス。
いや、もっと美しく、優雅にアセリエスは咲いてゆく。

彼女の姿を見上げながら、
彼女の前を、
最期まで安堵の笑みを浮かべた
幾つもの命が、
通り過ぎて行きました。

その煌きは確かに、
アセリエスの異なる両目には、
映っていました。

アセリエスは、無表情です。
これは、頂点に立つ者の使命なのかも知れませんが、
一人の者の為に泣くのなら、
全ての者の為に泣いてあげなくてはなりません。

アセリエスが、
そこまで想っていたかはわかりませんが、
アセリエスは、
そういう時に、目を背けたりした事は一度としてありません。


アセリエスは、
多大な犠牲を払うような戦いに、
教団に仕える者たちを、派遣するのを好みません。

たった数人の見知らぬ者たちを救うのに、
何百人もの命を犠牲にするような真似はしません。

彼女に言わせれば、単純な足し算と引き算です。

教団の兵士は、他国の兵士に比べると
戦での犠牲者は、圧倒的に少数です。

アセリエスは、とても強いのです。
兵たちは、女教皇アセリエスを絶対的に支持しています。
アセリエスは、負けず嫌いなので、
勝てる戦いにしか、教団の兵士を用いません。

大人になった子供たちは、
アセリエスを敬愛し、
国の発展の為に力を尽くします。
アセリエスは、
そんな彼らに、相応の礼節を以って応えます。


アセリエスは、時折、
純白の法衣を纏い、
神々しいまでの聖女の姿で、
人々の前に姿を現します。

市民や信徒を見渡せる祭壇に立ち、
アセリエスは、言いました。
その言葉遣いは、いつもと変わる事はありませんが。

「フハハハハッ・・・、
 良き、眺めじゃのう。
 私を讃える声に、満ち満ちておるわっ。

 皆が息災であるならば、
 それは国が、富んでおるということじゃのう。
 私に、仕事がないのでは、
 退屈すぎて、あくびが出そうじゃ。

 この身を退屈させるのが、
 国の平和に繋がるのであるならば、
 その退屈も、仕事の内かのぅ。

 暇と金を持て余しておる者は、
 聖都を花で満たすのじゃ。
 好みの花なら、何でも良い。
 己が色の花で、聖都を飾り立てるのじゃ。

 それでも、
 このアセリエスの薔薇を超える事は無理かろうが、
 出来るものなら、超えてみよ。

 フフッ・・・、フハハハハッ!!」

アセリエスは、
度々、富めるものを競わせては、
派手に金をばら撒かせます。

花売りの子供は、忙しくなり、
各地の花を満載した荷車で、
聖都は世界中の花で溢れます。

交易が活発になると、
豪商たちから献上される品々で
大神殿の宝物庫も溢れます。

アセリエスは、我がままを言っては、
気に入らぬ品々を金へと変え、
使い切れない金を教団の寄付へと充てます。

司教たちは、その豊富な資金で、
飢える者に食事を与え、仕事を与えます。

アセリエスは、司教たちの無理な布教を禁じています。

大半は自分が投じた金なので、
信徒が司教に付くよりは、
女教皇の自分を崇めなければ、つまらないからです。
特に、信徒を集めているわけでもないので、
好きな者だけ信ずればよい。
と、そんな姿勢を取ってます。

この女教皇様の行いは、
『セバリオス神』の意に適うものである。
と、彼女を支持する者も、教団の内外に多数存在します。

神の絶対の信頼を得ておられるからこそ、
アセリエス様は、永遠に美しくあられるのです。
これは、彼女の存在によって何らかの利を得ている者の言葉ですが、
大多数の人々の支持を集めている事には、違いありません。

アセリエスは、
相変わらずの無機質の笑みを浮かべながら、
贅の限りの尽くされた彼女の個室にて、
椅子の腕木に頬杖を付いて、こう言いました。

「苺のケーキが、食べたいのぅ・・・。
 それも、とびきり美味しくなくてはいかん。

 ロゼリアにでもなって、
       買ってこようかのぅ」、と。

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