さすがに、朝4時起きで、5時出発。
終電の電車帰りの1日強行軍はツラかった。
つか、これでも渋滞を覚悟していたのに、
微塵も混んで無かったので
予想外の時間に目的地に着いてしまった。
さすがに、朝4時起きで、5時出発。
終電の電車帰りの1日強行軍はツラかった。
つか、これでも渋滞を覚悟していたのに、
微塵も混んで無かったので
予想外の時間に目的地に着いてしまった。
ここ最近は
「成果主義は失敗だった」
って意見が多いけど、例えば野球って
成果主義だけど成功してるよね?
んで、何が違うのかなぁと考えてみた。
まず、評価基準が一般化(公開)されていること
(だからマスコミは「あの選手の今季の成績を考えたら
これくらいの金額だろう」と予想出来る)。
企業の場合は、被評価者ですら評価基準が
さっぱり不明で、そもそも「何を評価しているのか」すら
明確でなかったりする。
ついで、評価者がちゃんとしたプロであること。
だから、面談の時に「君の今期の成績は
打率が○○で、出塁率が××で(以下略)。
チームのために▽▽▽な貢献をしたので、
前回より△△アップの▲▲だ。」
ってちゃんと説明できる。
企業ではこれができない。
だって、評価する側がなんの教育も受けていないため、
知識も経験もまったく無いから。
いや、そもそも
「被評価者が納得するまで説明する」必要性すら
認識していないんじゃないかと。
つまり、「会社側が決めた事に異論を挟ませない」って
認識のまま成果主義を導入したんだろうなぁ。
だから、社員から見たら「評価基準が不明瞭で、
難癖をつけて給料を下げられるだけ」ってことになって、
まるでやる気が増えないんだろうなぁ。
野球と違って。
さすがに、
25日の日曜の夜8時の
名古屋行きの電車はガラ空きだった。
つか、車両に自分しかいなかった。
上り電車は沢山乗ってたけど。
きっと、名古屋周辺でクリスマスを
満喫したんだろうなぁ。
一部の小学校では掛け算の記述順にコダワリがあるらしいが、
個人的には反対だなぁ。
1に、全国統一されていないこと。
中学だか高校で、コダワリがある派と無い派が合流した時に
言い争いになるのは目に見えている。
「考え方」程度ならともかく、
テストの正誤にまで影響があるなら、
「なんで、こいつは記述順が間違ってるのに
正解になってるんだ!?」
みたいなことになったら面倒じゃん。
2に、掛け算は「掛ける数と掛けられる数」だけの
話ではないこと。
例えば確率の計算で
「赤赤赤白白のボールが入っている箱から2回連続で
赤を引く確率は?」みたいな問題だと
3/5 * 2/4
になるが、掛ける数と掛けられる数の関係ではないよな。
そうなると、掛け算を「ずつが書いてある方が先」みたいな
解釈をしていると、後々困るのはほぼ確実。
3に、アインシュタイン曰く
「常識とは、十八歳までに身につけた
偏見のコレクションのことをいう」。
「8*6≠6*8」と力説しておきながら、
後々になってから「実は8*6=6*8です。」
みたいな誤解を仕込むのはどうかと思う。
若いうちに習ったその知識が常識として
定着しちゃったらどうするんだよ。
24日が人狩りの対象(自社の炎上案件のヘルプ)になった。
世間一般では3連休でクリスマスとかだが、
23日・・・ト○タカレンダーだから祝日とか関係なく出勤
24日・・・自社
25日・・・客先でリリース作業
3連休が丸ごと消えるとは思わなかった。
Googleニュースで「慰安婦問題」を検索してみた。
結果は633件。
同じく「慰安婦問題 基本条約」で検索してみた。
結果は23件。
ほとんどの記事は「賠償問題は決着済みとの認識」
って記述してるけど。
「1965年に締結した日韓基本条約によって
賠償問題は決着済みとの認識」って
なんで書かないんだろ?
単に強弁してるだけなのか、
条約という根拠があって突っぱねているのとでは、
説得力に雲泥の差があると思うんだけどなぁ。
例えば、学校の課題をやってなくて、
「色々と忙しかったからやってません」なんて言い訳が
通用するとは誰も思うまい。
でも、会社では通用するんだようなぁ。
謎に。
忙しいなら忙しいで、
納期と優先順位を勘案して、
他人に影響がある作業を送らせざるを得ないのだったら
遅れる旨を連絡するのが
普通の社会人だと思うんだけどなぁ・・・。
高望みしすぎなんだろうか?