この巻では、ディオクレティアヌスからコンスタンティヌスまでが描かれています。
どちらも世界史の授業の中で名前を聞いたような気がします。
ローマ帝国を混乱から立て直した人たちでもあり、ローマをいままでのローマでなくしてしまったがために、国がだめになっていくのに拍車をかけてしまった人ではないかと、作者は分析しています。
ディオクレティアヌスは、混乱した国内を建て直し、防衛体制を再確立した皇帝、
コンスタンティヌスは、キリスト教世界では、「大帝」と呼ばれるほどの存在、
なのになぜ?
ディオクレティアヌスは、外敵に対応するため、ローマの国内の区域を分け、防衛を分担する皇帝を任命します。自分を入れて最初は二人、次には四人体制での国防を行うことにし、各皇帝の元には防衛線の軍団とは別に皇帝専属の軍団があり、ローマに侵入した外敵を追い払います。
この制度は、ローマ国内に久々の安定をもたらしますが、軍隊の肥大、皇帝が4拠点にそれぞれいることでの官僚機構の重複それに伴う経費の増大、結果としての増税と大きな変化ももたらしました。
そして、軍人皇帝時代に皇帝が簡単に殺されてしまうことが多かったことから、いままであくまで市民の中の第一人者としての存在だったものが、絶対者としての存在としてあろうとし始めます。
ディオクレティアヌスは在位20年で引退を宣言、次の4人の皇帝を任命します。
あくまで、ディオクレディアヌスという抜けた皇帝の存在でうまく行っていた4人の皇帝の序列が崩れ、この体制はやがて崩壊していきます。
ディオクレティアヌス引退後の皇帝間では反目が続き、いわば群雄割拠のような状態。
そのうちの一人の皇帝の息子がコンスタンティヌス。
父の死後、兵士たちからの支持を経て皇帝となった、コンスタンティヌスはじっくりとしかし確実に力を蓄え、ライバルたちを倒し、ついにはただ一人の皇帝となります。
さまざまな施策はディオクレティアヌスのものを引き継ぎながらも、コンスタンティヌスが力を入れたのがキリスト教の保護。
基本的にローマは多神教の世界で、ローマの支配に悪影響がない限りどんな宗教で認めてきました。
(ユダヤ教と)キリスト教は、ローマ人としての義務より教義を優先することで、過去たびたびローマとぶつかり弾圧の対象となることもありましたが、その方向を転換し、キリスト教の保護ともいえる施策を進めていきます。
なぜ、キリスト教なのか?
ローマ皇帝とは、市民と元老院から統治の権限を認められた存在、彼らの指示がなければ統治の根拠を失います。実際にその力量なしと殺害された皇帝も数多くいます。
彼らの支持とは関係なく皇帝であるにはどうすればいいか、それはより高次の存在から統治を委託されること、つまり神から統治を任せられることで、市民らの支持とは関係なく皇帝としての正当性を主張できるようになる。
神から統治を委任されるためには、地上における代理者たちである司教を支持を得ること。が必要です。そのためのキリスト教保護、教会の振興策であったのだろうと。
やがて、ディオクレティアヌスの時代から皇帝がほとんど立ち寄らなくなったローマから、コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)に首都が移されます。
銀本位制から金本位制への転換など(通常の銀貨幣を使うものと、金貨で給料をもらうもとの富の格差を生む原因ともなっている)も含め、ローマ世界に君主制・キリスト教といわば中世の始まりといえる世の変革がもたらされたと作者は述べています。
今まで読んできた、ローマらしさを失っていくローマはやはり寂しいものがあります。