たまたま入った街の本屋さん。
平積みになっていました。平積みされる本は強いです^^ お友だちは、平積みでしか置けない判型のご本、普通に置いていたらとても売れそうにないけれど完売させました^^ ★昨日、きょうは【1708】の記事は → こちら
今回、平積みだったのはこちら^^ 当然、話題だから平積みなんですよね^^;
弊ブログでは、既にお馴染み^^ 私も、ちえみちゃんと全く同じ病気でしたからね^^
私の病院体験、入院体験については、←のカテゴリで一番下の「醫院遊樂園」へお出でくださいm(_ _)m
オビです。自分もそうでした。やはり、現実に「がん」という宣告を受けて平静でいられたかというと、そんなことはありませんでした。
裏表紙です。簡単に章立てが述べられています。がん発見までの経緯や手術、その後のあれこれについての言及は避けますが、印象的だったのは第4章。キャンサーギフトとありますが、キャンサーとは“がん”のこと。がんに罹ったことによって、得たものという意味です。
彼女の場合、お子さんたちとの関係を再発見したり、新たな生き方を考えたり……。私ですら、こういうことにならなければ得られなかったこと、幾つもあります。私なんかよりよっぽど大変だった彼女ならなおさらだと思います。
初版第1刷でした^^
一つだけ、タネ明かしをしちゃいましょう^^
それにしても、舌へのあれだけの手術(舌の6割を切除し、太腿から移植)。狭い口の中で大変だったでしょう、という彼女の問いに対する答えは、「首を切ってそこから舌を出して、外で切ったり縫ったりした」なのだそうです^^;
以前の記事にも書きましたが、彼女の場合と私との一番大きな違い、それは発見の時期でした。彼女の場合、異常に気付いてから正確に診断されるまでが1年半。私の場合は、人間ドックの問診で、本人に自覚がないまま指摘され精密検査。
彼女の1年半はというと、治らない口内炎と戦っている間にどんどん重症化が進んでしまったのでした。
2週間過ぎても治らない口内炎は、
“舌がん”を疑え 彼女からの教訓です。
私の場合は、人間ドック最後の問診で口の中を見てもらったのが8月9日。舌をひっくり返していたら、「何でしょ、コレは」と早速組織採取して精密検査。5日ほどで“悪性”という結果が出、組織の標本が出来上がるのを待って飛行機を変更して帰国。8月21日の朝、成田に着いてから自宅へ帰り、その足で普段通っている病院へ出向きました。様子を聞かれ、ここには口腔外科も耳鼻咽喉科もないのでということで、別の病院への紹介状を書いてもらいました。
翌日、紹介状、人間ドックの結果と標本を持って、別の病院へ行きました。そのまま連日の各種検査が始まりました。検査を進めるうちにスタッフも集めて、手術の日(9月26日)までどんどん決めてもらえました。職場の方も速やかに療養休暇に入ることができ、帰国以来出勤したのも引き継ぎの何回かだけで済んだので、検査に集中できたのが幸いでした。自覚のないうちに発見された上、手術までの期間も1ヶ月半と短かったことが比較的軽く済んだ理由でしょう。時間が進むにつれ、食事や会話にも支障が出てきたという彼女の話を見聞きするにつけ、そうなる前に対処してくれた各地の病院の先生方には感謝しかありません。
ただ、唯一の心配(唯二か^^; )が4月下旬から隣に呼び寄せている両親のこと。5月から入院していた母親は、8月頭にリハビリのために転院。このままでは、私の入院中に退院になってしまうので、なんとか施設を探して9月中旬に老人保健施設へ。
父親は、私がいなかった8月にはショートステイのロングで^^; しかし、7月に続き、9月の台風の際にも4泊5日の停電のあおりを食らい脱水症状で入院。なんとか退院はしたものの、9月下旬からの私の入院時にはとても家には置いておけないので、施設探し。なんとか、入院期間をカバーできる施設を探してショートステイのロング……。ところが、私の入院前に施設に入ったものの、私の入院日に父親も再度入院……。食が細くなってしまっていてどうしようもありませんでした。およそ1か月で「地域包括ケア病棟」に転棟となりましたので、12月下旬には退院しないとなりません。しかし、退院して家にいても同じことの繰り返しになってしまいそうなので、現在施設を探しているところです……。あぁあ……(涙)
Stage For~ 舌がん「ステージ4」から希望のステージへ
♡ขอขอบคุณสำหรับการมาตลอดครับ♡
いつもご来場くださり、ありがとうございますm(_ _)m
にほんブログ村
平積みになっていました。平積みされる本は強いです^^ お友だちは、平積みでしか置けない判型のご本、普通に置いていたらとても売れそうにないけれど完売させました^^ ★昨日、きょうは【1708】の記事は → こちら
今回、平積みだったのはこちら^^ 当然、話題だから平積みなんですよね^^;
【堀ちえみ 「Stage For~ 舌がん「ステージ4」から希望のステージへ」 扶桑社】
弊ブログでは、既にお馴染み^^ 私も、ちえみちゃんと全く同じ病気でしたからね^^
私の病院体験、入院体験については、←のカテゴリで一番下の「醫院遊樂園」へお出でくださいm(_ _)m
彼女の場合、お子さんたちとの関係を再発見したり、新たな生き方を考えたり……。私ですら、こういうことにならなければ得られなかったこと、幾つもあります。私なんかよりよっぽど大変だった彼女ならなおさらだと思います。
一つだけ、タネ明かしをしちゃいましょう^^
それにしても、舌へのあれだけの手術(舌の6割を切除し、太腿から移植)。狭い口の中で大変だったでしょう、という彼女の問いに対する答えは、「首を切ってそこから舌を出して、外で切ったり縫ったりした」なのだそうです^^;
以前の記事にも書きましたが、彼女の場合と私との一番大きな違い、それは発見の時期でした。彼女の場合、異常に気付いてから正確に診断されるまでが1年半。私の場合は、人間ドックの問診で、本人に自覚がないまま指摘され精密検査。
彼女の1年半はというと、治らない口内炎と戦っている間にどんどん重症化が進んでしまったのでした。
“舌がん”を疑え
私の場合は、人間ドック最後の問診で口の中を見てもらったのが8月9日。舌をひっくり返していたら、「何でしょ、コレは」と早速組織採取して精密検査。5日ほどで“悪性”という結果が出、組織の標本が出来上がるのを待って飛行機を変更して帰国。8月21日の朝、成田に着いてから自宅へ帰り、その足で普段通っている病院へ出向きました。様子を聞かれ、ここには口腔外科も耳鼻咽喉科もないのでということで、別の病院への紹介状を書いてもらいました。
翌日、紹介状、人間ドックの結果と標本を持って、別の病院へ行きました。そのまま連日の各種検査が始まりました。検査を進めるうちにスタッフも集めて、手術の日(9月26日)までどんどん決めてもらえました。職場の方も速やかに療養休暇に入ることができ、帰国以来出勤したのも引き継ぎの何回かだけで済んだので、検査に集中できたのが幸いでした。自覚のないうちに発見された上、手術までの期間も1ヶ月半と短かったことが比較的軽く済んだ理由でしょう。時間が進むにつれ、食事や会話にも支障が出てきたという彼女の話を見聞きするにつけ、そうなる前に対処してくれた各地の病院の先生方には感謝しかありません。
ただ、唯一の心配(唯二か^^; )が4月下旬から隣に呼び寄せている両親のこと。5月から入院していた母親は、8月頭にリハビリのために転院。このままでは、私の入院中に退院になってしまうので、なんとか施設を探して9月中旬に老人保健施設へ。
父親は、私がいなかった8月にはショートステイのロングで^^; しかし、7月に続き、9月の台風の際にも4泊5日の停電のあおりを食らい脱水症状で入院。なんとか退院はしたものの、9月下旬からの私の入院時にはとても家には置いておけないので、施設探し。なんとか、入院期間をカバーできる施設を探してショートステイのロング……。ところが、私の入院前に施設に入ったものの、私の入院日に父親も再度入院……。食が細くなってしまっていてどうしようもありませんでした。およそ1か月で「地域包括ケア病棟」に転棟となりましたので、12月下旬には退院しないとなりません。しかし、退院して家にいても同じことの繰り返しになってしまいそうなので、現在施設を探しているところです……。あぁあ……(涙)
【2019年11月】
【ノート】Stage For~ 舌がん「ステージ4」から希望のステージへ
著 者:堀ちえみ
発行所:(株)扶桑社
発 行:初版第1刷 2019年10月25日
発行所:(株)扶桑社
発 行:初版第1刷 2019年10月25日
ISBN978-4-594-08321-2
価 格:JPY1,300.-+
いつもご来場くださり、ありがとうございますm(_ _)m
にほんブログ村