老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

骨折予防習慣

2022-03-06 10:39:48 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」
1835 片足を上げる



一昨日、整形外科を受診した。
中待合室の壁に「1日3回 骨折予防習慣」のポスターが目に止まった。
何が書いてあるのか、と気になり近づいた。

齢(とし)を嵩ねていくと、躰を支える骨と筋肉が衰え
転んだとき骨折してしまいがちになる。

他人(ひと)事ではなく、我身も同様に衰え
頚椎ヘルニアと腰椎圧迫骨折の憂き目に有り、痛みほ癒えぬ。

寝たきりにならないよう
1日3回 開眼片脚立ちを行うことで
骨折の予防になる。

早速、今日から骨折予防習慣を取り組んでいくとしようか。

生活のなかでも片脚を上げる行為(動作)はある。
ズボンや靴を穿くとき、浴槽をまたぐとき
階段の昇り降りもそうである。

片脚を上げる動作は安定したバランスが 求められる。
脚の筋力が衰えてくると、手すりなどにつかまり片脚を上げる。

歩く、左右の脚を交互に上げ連続していく動作に他ならない。
歩行バランスを崩し、転倒してしまい
圧迫骨折や骨が欠けたりして、保存療法になる。

痛みを堪えながら何とか歩けるのに、
「動いてはダメ」「歩かないで」「立たないで」などと行動を制止してしまう。

歩くとき、介護者が傍らで見守りをする
「アブナイ」、と思ったとき、手を出したりすればよい。

介護施設や定員20名を超えるデイの事業所の職員は
「転んだら大変だから、安全のためにも施設のなかでは、車いすを使わせていただきます」、と
利用者の安全を優先するという言葉に、家族は同意してしまう。

安全を優先する、ということで、日中車いすに座り、車いすでトイレや浴室に移動する。
ひと月もしないうちに、歩けていた老人は歩けなくなった。

人間の躰、手足は使わない、と体力、筋力が衰え機能が低下していく。
使わないものはダメになる。

介護保険(介護サービス)は、要介護老人の自立を支援することにある
転んだら大変だから、それは利用者よりも事業所の責任逃れに過ぎない。
転ばないよう、どのような手立て(支援、介助方法、福祉用具の活用などなど)をとれば
転倒を防ぐ歩行ができるのか
それを模索し、支援を行うかである。

居宅サービス計画書(ケアプラン)のサービス内容の欄には
「事業所内の移動は、車いすを使用しない(体調不良などの時を除き)」
「日常生活行為を通し、歩く機会を作る」
と記載します。


老人は、声を出したり、手足を動かしたり、歩いたりすることで
元気になる。

転ぶから、といって
車いすで移動する先は
寝たきりになり
死期をはやめることに連なる。

時間がかかり、動作がゆっくりであっても
大地に足を着き歩く
それは人間の歩みでもあった。






「徘徊」老人の思い

2022-03-05 08:37:57 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」

春陽

1834 戻ることができない

人間は外に出たがる生き物
コロナウイルス禍は老人にも大きな影を映し出している
家族から「外に出てはいけない」、と話され
「閉じこもり」の状態が続いている。

そのせいか、言葉を忘れ、足の筋力は衰え
うつ的傾向や認知症の症状が出てきている

人混みのなかでなければ、外へ出よう
春の風が吹き始め
福寿草が咲き始めた。

認知症老人も外にでたがる。
出たがるときは、一緒に外へ出て春の風を感じてみようか。

認知症老人は「徘徊」する、と言われる。
「徘徊」という言葉は、自分は好まない。
徘徊の意味は、目的もなく歩く。
目的のない歩きはない。

認知症老人は路に迷って、家に帰れなくなり
予想もつかない処で発見されたりする。

認知症老人は、路を真っ直ぐ進むか、左右に曲がり歩き進むが、
戻る、引き返すことができない。

時間も人生も戻ることができない。

路に迷い、歩けども歩けども家につかないとき
不安が募り、どうしていいのかわからなくなってしまう。
発見され、見覚えのある家(施設)に帰ってきたときは、ホッとするのもつかの間
家族や施設職員から「心配したよ。何処歩いていたの」、と叱られてしまう。

認知症老人はこころのなかでは、申し訳ない、と思っている。
冬ならば、「寒かっただろう、お茶でも飲みな」、とお茶を差し出すだけでいい
夏のときは、暑さで喉が乾いている。「冷たい水」を出す。
それだけで、認知症老人の気持ちは落ち着く。




「臨床」とは

2022-03-04 07:48:41 | 介護の深淵


1833 患者に臨む

砂時計から落下する砂を見ていると
流れ往く時間に映る。
落ち往く砂は早く
残された砂は少なくなってきた。

老人にとっても 
わたしとっても 
残された星の砂は
貴重なな時間である。

老人の顔に深く刻みこまれた皺、
節くれだった手指から、
わたしはなにを感じ
なにを話すのか。

病院のなかで“臨床経験”という言葉をよく耳にする。
読んで字の如く「床に臨む」となり
「床」つまりベッドに寝ている人は患者=病人であり
「臨む人」は医師や看護師である。

直訳すると ベッドで痛み苦しみを抱きながら病魔と闘っている患者に対し、
向き合っている医師、看護師は 何を為さねばならないのか。


介護の世界においても同じである。

ベッドは畳(たたみ)一畳の程度の限られた空間のなかで、
寝たきり老人は生活している。
ベッドに臥床(がしょう、寝ている)している老人を目の前にしたとき、
わたしは、どんな言葉をかけてきただろうか。

十年間寝たきりだったある老人がおられた。
長い間、家族から離れ 友人が住む地域からも離れ 独り、じっと耐え生きてきた。
明日のことよりも 今日のことだけを考え精一杯生きてきた。
今日まで生かされてきたのは、彼だけでなく自分も同じであった。

残り少なくなってきたあなたの時間
あなたとわたし 繰り返すことのない時間 
あなたに寄り添いながら
いまを生きていく。

医師もいろいろ

2022-03-03 21:08:58 | 阿呆者


1832 年だから(老人だから)

人間にとり「水」は、生命(いのち)をつなぐ

認知症老人は喉が渇いても、水を飲むことがわからずにいる。
皮膚はカサつき、尿は紅茶色になり尿路感染を誘発させる。

水を飲むことを忘れた百代婆さんは、
38.9℃の高熱を出し眼をあけることもできずにいた。

自宅に電話をかけたら長男がでた。
「デイサービス青空の家です。朝から熱があり、いま38.9℃の熱があります。大変でもお迎えをお願いします」。

15分後に長男の車が到着した。
「ご苦労様です。大変ですが、この足で受診をお願いできたら助かります」
いまから、 孫を(保育所まで)迎えに行かなくてはならない、と
長男は他人事(人ごと)のように素っ気なく話す。
その言葉に返す言葉もなく、その場は過ぎた。

翌日の朝、自宅を訪れ熱を測ったら、体温計は37.3℃であった。
「熱があり、これから熱があがりそうな感じです。手を握ったらいつもと違い、熱いです。
いまからかかりつけ医に診てもらった方が良いと思いますが、どうします・・・・」

息子はかかりつけ医に電話をかけ、事の経過を話すと、本人は受診せずとも処方します、
という主治医の言葉が返ってきた。

70歳を超えた医主治医は、患者を診察することもなく、解熱剤、抗生物質を処方された。
聴診器もあてず顔の表情を診ることもなく、薬を出す。
「年だからいいのか」、と、主治医の言葉を思い出した。

前もって医院の受付に。電話をし百夜婆さんの症状を「先生にお伝えくださるよう」お願いしたのだが・・・・
脇腹を抑え痛がっていた、尿は濃く、臭い、38.9℃ の熱があります、と。

高熱はどこからくるのか、採血採尿の検査 もなく、
これでいいのか、と・・・・

プーチン大統領に捧げる 『 ジョニーは戦場へ行った』

2022-03-03 08:32:54 | 読む 聞く 見る
1831ドルトン・トランボ『 ジョニーは戦場へ行った』 角川文庫





ロシアの侵略によるウクライナで戦争の勃発を知り
30歳頃手にした『ジョニーは戦場へ行った』文庫本を思い出した。
この本のことは頭の片隅に忘れていた。
街場の書店の棚には並んでいない。

第一次世界大戦の話で、ジョニーは異国の戦場にいた。
砲弾を避けようと塹壕に飛び込むが、目、鼻、口、耳、そして両腕、両足を失った。
肉塊の状態となり、ヘレンケラーよりも、さらに重い重い障害を抱えた。

そのような躰になっても首と頭だけは動かせた。
意識はあり、思考することはできたが、光も音も匂いも感ずることができず
暗闇と孤独の世界におかれたときの絶望感
自ら死ぬ事もできない自分の躰
人間の存在と時間のもつ意味を深く考えさせられた

頭と首だけが唯一動き、意識はあった。
自分はいま、どこにいて、いま何時なのか、まったくわからない
感ずる ことができるのは皮膚感覚であった。

あるクリスマスの夜、新米の看護師が彼の寝ているベッドのところに来た。
彼 の胸に MERY CHRISTMAS という文字を丁寧に書いたことから
彼の胸の中に大きな希望というか、一筋の光が射してきた。

彼を肉塊という物体としてみたのではなく
生きているひとりの人間として、手(指)で彼の躰に触れ
今日はXmasの日よ、と無言の言葉でかけてくれたことが
彼はなによりもうれしかった。

見ることも話すことも聞くこともできない
両腕両足もない
何ができるのか
彼をみてできない、わからない、と思い込んでしまう。

新米の看護師は指で彼の胸に文字を書いたことから、
彼は刺激を受け(反応し)、頭と首を動かし
モールス信号を使い、自分の意思を伝えようと試みる。

肉塊は、意思を持ち、会話をできるまでになる。

身体障がい者の介護をしていたとき(31歳)に、この本に出会った。
衝撃だった。
ケア(介護だけでなく看護も含めて)とは何か
ケアは、要介護老人や病人に言葉をかける、
手を触れることから始めていくことの大切さを知らされた。

『ジョニーは戦場へ行った』は、反戦文学であるけれど
看護、介護の本として学ぶことが多い。


最後に、彼は、自分の躰を公衆の前に陳列してくれ、と訴える。
肉塊になった自分の躰は、酷く眼を背けられ、
なかには憐れみや侮蔑的差別的 な言葉を投げかけられても
戦争は如何に悲惨残酷なもので、人間を破壊し多くの死傷者を生み出しているか。
彼は自分の無残な軀を通し、人間にとり戦争はいかに無意味なのか、を叫んでる。
そうした行動を通し、彼自身の存在を訴えている。

峠三吉の にんげんをかえせ という言葉が浮かぶ。
にんげんがにんげんを殺す理由はない。


『ジョニーは戦場へ行った』は、2つのあらすじからなる
なお、本作の語り手はジョー(ジョニーではない)で、彼自身の過去の記憶や現状など、全てが彼の「内的独白」によってのみ記述されており、一切の第3者視点が存在しない。

第一章「死者」
ジョーは、徴兵によって最愛の恋人カリーンに別れを告げて第一次世界大戦へと出征する。

しかし、異国の戦場で迫り来る敵の砲弾を避けようと塹壕に飛び込むが、目(視覚)、鼻(嗅覚)、口(言葉)、耳(聴覚)を失い、運び込まれた病院で、壊疽して機能しない両腕、両脚も切断されてしまう。

首と頭をわずかにしか動かせないジョーは、今がいつで、どれだけ時間が経ち、自分はどこにいて、誰が近くに来ているのかを皮膚感覚で察知しようとする。一方鎮静剤を定期的に投与され、彼の意識は現在と過去の間をさまよう。恋人カリーンや戦争に行く前に死んだ父親との、実際には過去にも無かった数々の空想の出来事の世界に身を置き、そしてまた現実の「孤独」と「暗黒」の世界に戻って来る。 



第二章「生者」
自分には意識があることを伝えようと、わずかに動く首と頭を使って必死に訴えようとするジョー。しかし、彼には意識はなくただ生物として横たわっていると思っている看護婦、医師、そして軍人は、彼の頭の動きは「肉体的痙攣にすぎない」という引継ぎマニュアルに書かれている指示の通りに、鎮静剤の注射をするだけ。

あるクリスマスの夜、新しく赴任してきた看護婦がジョーの胸にMERRY CHRISTMASと一文字ずつ手で書く。彼はそれを理解し応えようと頭を動かすが、彼を物体ではなく人間だという思いで接している心優しい看護婦にも、それは伝わらなかった。

頭の中で過去の人々との交流を回想する彼に、ある日彼の父親がモールス信号のヒントを与える。そしてついに自らの意思を伝える手段としてモールス信号を使い、必死に周囲に訴えかけるジョー。心優しい新しい看護婦がジョーが何かを訴えかけているのではないかと気づき、医師を呼びに行くが、痙攣としか理解しない医師は鎮静剤を打つだけだった。

そして数日後、軍の医師団が訪問してきた時、1人がジョーが発信しているSOSのモールス信号に気付く。ジョーに意識はなく肉体が横たわっているだけと思っていた全員が驚愕する。トップの人間が「何が望みか聞いてみろ」と指示し、部下がジョーの額にモールス信号を叩く。

それに対して、ジョーは答える。「自分を公衆の前に出して陳列してくれ(自分を維持するにはお金が掛かる筈だから、その見物料金を充ててもらいたい)」それは出来ないと返事をすると、「では殺してくれ」と答えるジョー。あとは何を言っても、「殺してくれ」「殺してくれ」「殺してくれ」とだけモールス信号で訴えるジョー…

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用。上記引用文の青字は星光輝がしました。

冬から春へ

2022-03-02 08:48:41 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」


1830 ジッと生きる

去年の今頃
95歳だった彼女は、「もう体力の限界かな」と感じ、
「桜の花が観れたらいいのに」
そう思っていた。

ベッドに臥すまでは、麻痺と筋力の衰えた足で
ピックアップウォーカーを使いこなし
30㎝ものある段差を乗り越え、歩いていた。

二度目の「東京オリンピックを観るまでは死ねない」
そう話していた彼女。
「冬季北京オリンピック」閉会式も終えた。
いまは、歩くことも起き上がることもできなくなった。

介護し続けてきた長男嫁は60半ばになり、介護歴十三年を数え
長男嫁は膵臓の持病を抱え 左脇腹などの痛みを堪え、姑の介護を続けてきた。

ちりめんじゃこや青物野菜が入ったお粥と一日500ccの水分を摂り
おむつにオシッコをされ、朝夕2回おむつを取り替える。

十分な栄養と水分には満ち足りてはいないけれど
床ずれ一つ作らず、きれいな肌で生きている。
長男嫁は「ここまで介護をしてきたから、いまさら特別養護老人ホームには入れたくない。最後まで看たい」、と夫に話す。

一月に2泊3日のショートステイを使い、介護休息をとって頂くことにした。

ジッと凍える土の中で春を待ちわびている虫や草花たち
満開の桜を観せてやりたい、と誰もが思う。
 

帯状疱疹

2022-03-01 21:55:29 | 阿呆者


1829 泪が出るほど痛い

十数年前に
ストレスが嵩じたのか
頭部左側面の内側(頭部の中)に
帯状疱疹になり
言葉で言いあらわせない痛みに襲われた
突然、痛みが襲う

wifeが頭部右側、痛みが突き抜ける
マスクの紐が触れただけでも痛い
ロキソニンを服用しても痛みはいくらかやわらぐだけ
余りの痛さに両目尻から泪が滲み、頬を伝わり流れる。

どうしてあげることもできない。

一緒に通勤し、一緒に帰宅した。
顔面麻痺にならないことを祈る。

野の兎を追いかけるほど忙しく
皆さまのブログ訪問が途切れますことをお許しください。

宮沢賢治の雨ニモマケズを「編詩」しました

2022-03-01 08:52:37 | 介護の深淵
1828 病気ニモマケズ

星 光輝「病気ニモマケズ」

病気ニモマケズ
障害ニモマケズ
肺炎ニモ夏ノ熱中症ニモマケズ
丈夫ナカラダヲネガイ
慾ハナク
決シテ諦メズ
イツモシズカニワラッテヰル
一日塩分六グラムト
野菜ト少シノ肉ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンノカンジョウヲ捨テサリ
ヨク立場ヲワカリ
ソシテワスレズ
施設ノ居室ノカーテンノ陰ノ
小サナ特殊寝台ニジット生キテイル

東ニ寝タキリノロウジンアレバ
行ツテ介護シテヤリ
西ニツカレタ家族介護者アレバ
行ツテソノロウジンノ世話ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニ惚ケタ人ガミチニマヨッテイレバ
モウ安心ダカラネトイヒ
ナカマガ他界シタトキハ泪ヲナガシ
ゲンキデ春ヲムカエタトキハ桜ヲミル
ヤクニンニ ヨウカイゴロウジン トヨバレ
ネンネン介護給付ハキビシクナリ
苦ニモセズニ
ワタシナリニ
イマニイキテイル

宮沢賢治さんが、拙い「編詩」?を目にしたとき 苦笑するのか、それとも
再掲

宮澤賢治「雨ニモマケズ」

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケズ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシズカニワラッテヰル
一日玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ陰ノ
小サナ萱ブキ小屋ニヰテ

東ニ病気ノコドモアレバ
行ツテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクワヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

「できる」「できない」の続きは、日曜日掲載予定