1839 孤独死
老人(高齢者)には、民間アパート入居お断りが多い。
とくにひとり者の老人の場合、孤独死を想像してしまうからであろう。
自分の家(自己所有)であっても、孤独死をすると「不幸」な死として見られてしまう。
果たしてそうであろうか。
長年住んできた家の中には
思い出の写真や旅行のお土産(飾り物、郷土土産など)があったり
柱には子どもがつけた傷痕
仏壇や遺影がかざられている。
古くなり傷んだ我家ではあるが
一番心が落ち着く
そこでひとりで死を迎えたしても寂しくはない。
雛は育ち巣から飛び立ったように
子どもたちも巣立ち、家に残ったのは老親だけ
家を守る老親
疲れた鳥がいつ帰巣してもいいように
ひとり暮らし老人になっても
最後まで我家で暮らし
我家で死にたい
不幸な死、寂しい死だと決めつけて欲しくない
我家で死ねたこと、本人にとり幸せな死であったかもしれない
老親が永遠の眠りについても
枕元で大人になった「子ども」たち(遺族)が遺産相続でもめている
その方が「孤独死」であるような気がする
老い逝き その先はあの世行きの片道切符を手にする
何処で死に
どのような死に方をするか
否、どのような死に方をするかではなく
残された老いの刻(時間)のなかで
老いをどう生きていくかで
死に方が定まるような気がする
しかし、誰人も
いつ人生の幕が降りるかは知る由もない
そう思うと遣る瀬なくなるから
いま(今日)を一生懸命生きることかもしれない
簡単なようで難しい
今日は親父の月命日
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