老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

886;トンボの思い出

2018-08-13 04:03:48 | 空蝉
トンボの思い出

暑い夏が続きますが、
早朝の風景は、
時折秋の気配を感じさせる。
枯れた草の細い枝の先に
トンボが数匹止まっている。
可愛いトンボ

(望遠レンズならばよかったのですが、ガラ携帯で小さく写ってしまった)


田圃は稲穂になり、
一月過ぎれば豊穣の風景。
遠くには森の上にあるホテル。
若い男女が結婚式を挙げたとき、
夜空に十発の花火が打ちあがる。
余が死んだとき、
生きた齢の数だけ
花火を打ち上げられたら最高・・・・。

そうそう
トンボがテーマ
昔、子どもの頃
トンボ鉛筆を使っていたのを思い出した。
今ボールペンが主流となってしまったが、
ときどき鉛筆を使うと、
なめらかさとやさしさが指に伝わってくる。
中学生のとき、
鉛筆の上をナイフで6面を削り、
そこに数字を1,2,3,4,5,6と書き入れ
鉛筆双六(えんぴつすごろく)を作った。
選択問題の答えがわからないと、
鉛筆双六を転がし、
上面に出た数字を、解答箇所に書いた。
先生に見つかり怒られたことがあった。
いまもトンボ鉛筆を目にすると懐かしくなる。

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