老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

991 食べ残したとうもろこし

2019-03-10 06:21:06 | 老いびとの聲
大きな庭石のよこに福寿草が咲く 石は「景石」とも言われるが私は「捨石」と呼んでいる

食べ残したとうもろこしのような700日のブログ

ブログ『老い楽の詩』を書き始めたのは 2017年4月9日
過ぎた日は早く 待つ日は長い
死を待つ時間も長ければよいのだが・・・・

700日のブログを喩えると
食べ残したとうもろこしである
日にちをとうもろこしの粒に見立て
700粒のとうもろこし

余のとうもろこしは
あちこちに食べ残しが目立ち
ブログを怠けて書かずに続いた日もあった
休まずに物事を継続することは難しいですね
継続できない脆弱な心の持ち主は自分だけかもしれない

今日から新たなとうころこしを手にとる
食べ残しの粒が
いまよりはまばらになるように願い
pcに向かう「わたし」ともうひとり「私」
ブログは自己対話の世界でもあった
コメント
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