goo ベトナムの人たちは親しくなると家族のように接してくれるようになります。
まず最初に「私の家に遊びに来て下さい。」と誘われます。そこで食事をご馳走され家族を紹介されます。
次に、親族に紹介されたり、家族や親族のお祝い事に招待されます。
家族との旅行にも誘われます。そしてプレゼントを頂けるようになります。
ベトナム人は昔の日本人の様に家族と親族、友人を大切にします。
そして、年上の人を敬います。古き日本の良き時代を想い出させてくれますよ。
○私の好きなベトナムのアオザイを身に付けたお人形さんです。当時買えば1ドルぐらいでしたが、・・・今は?
価格よりもプレゼントしてくれた子を想い出させる品です。
ベトナムでは貧しい家の子は大変です。子供の頃から家のお手伝いをします。
子供の頃から学校を休んで仕事をしなければならない子供も少なくありません。
近くの食堂で働いていたランちゃんと言う15歳の子供でしたが、どう見ても12歳位にしか見えませんでした。
朝早くから、夜遅くまでよく働いていました。
私が毎日声をかけてあげたら、初めはニコニコするだけでしたが、・・・いつからかランちゃんから声をかけて
来るようになりました。
それからは私が店で食事をすると私のそばに来て色々話をするようになりました。
「家が貧しので学校へ行けない。」「本当は学校へ行きたい。」そんなランちゃんに私は何冊も本を買ってあげ
ました。
人形のように大きな目に涙を浮かべて家族の貧しい暮らしぶりを話していました。
私達は廻りの人から「親子の様ですネ・・・」と言われるようになり、それをランちゃんも嬉しい様子で「恋人よ」
と返してはしゃいだりしていました。そんな月日が数カ月流れて北ベトナムにも冬の寒気がやってきたころ、・・
ある晩、私の宿舎をランちゃんが訪ねて来ました。
アオザイを身に付けていました。私が「どうした?・・・」と聞くとあの大きな目から涙がいっぱい溢れて、声
をあげて泣いてしまいました。
少し落ち着いてからランちゃんは言いました。「Heiya、私を忘れないで!」
その時持ってきたのがこの人形です。私はランちゃんを抱き締めて「ノウレン、ノウレン・・」と繰り返し涙を
流すことしかできませんでした。ランちゃんから聞いていたその日が来てしまったのです。(ノウレン=頑張れ)
次の日、私が朝起きる前に父親が迎えに来てランちゃんを故郷へ連れて帰ったそうです。
ランちゃんは自分が望まない親の決めた人の所へ嫁がなければならなかったのです。
この人形を何処で見かけてもランちゃんの大きな目を想い出してしまいます。
ハノイのお土産やで若い夫婦の人形を1ドルで買いました。
ランちゃんが結婚して幸せであって欲しいと祈らずにはいられません。
○ベトナムの友人からお土産を頂いて困った物もありました。
私の趣味の彫刻を知った友人が持ってきてくれた置き物ですが日本に持って帰るのにリックを買って背負って来ました。
日本円で二千円位していました。掛け軸も頂きましたがこれは100円位です。掛け軸の方が軽くて有り難いですね。
○これも頂いたものです。名前が彫られています。
私が赴任したハロン湾のはづれのカンファという小さな街は石炭の街です。
これは石炭に彫刻したものです。壊れやすいので持ち帰るのに注意しました。もう一つは折れていました。
何処かにぶつけたりしなければ自然に壊れることはありません。
○ベトナムからのお土産にはいろいろの想い出がついて来ます。
価格に関係なく私には宝です。
ベトナムでは刺繍の絵と木板に書く漆絵も有名です。必ずプレゼントされますが持ち帰りに苦労します。
私は、一時帰国する際に少しずつ持って来ました。
○ハノイから車で30分の所にシルク村とバッチャンという陶器の村があります。
10年前はハノイの観光ルートになっていました。陶器のお土産も重くて大変です。
○これは銀製品です。小物入れでしょうか?奥さんにと頂きました。
○これも小物入れですが、石を彫ったものです。
○コースターも趣のあるものが色々あります。頂いたので価格は?
これは板が反りやすくて使うのにはお勧めできません。飾りならOKかも?
○私の好きな物を知っているいる友人がよく持ってきてくれるのがこのお菓子と即席ミーとフォーです。
小腹がすいた時によく食べました。
まだまだ、沢山の物を頂きましたが、一つ一つに想い出があります。ひとりひとりの顔を想い出します。
~ お土産には想い出が付いていますから、眺めているとベトナムが恋しくなります。 ~
まず最初に「私の家に遊びに来て下さい。」と誘われます。そこで食事をご馳走され家族を紹介されます。
次に、親族に紹介されたり、家族や親族のお祝い事に招待されます。
家族との旅行にも誘われます。そしてプレゼントを頂けるようになります。
ベトナム人は昔の日本人の様に家族と親族、友人を大切にします。
そして、年上の人を敬います。古き日本の良き時代を想い出させてくれますよ。
○私の好きなベトナムのアオザイを身に付けたお人形さんです。当時買えば1ドルぐらいでしたが、・・・今は?
価格よりもプレゼントしてくれた子を想い出させる品です。
ベトナムでは貧しい家の子は大変です。子供の頃から家のお手伝いをします。
子供の頃から学校を休んで仕事をしなければならない子供も少なくありません。
近くの食堂で働いていたランちゃんと言う15歳の子供でしたが、どう見ても12歳位にしか見えませんでした。
朝早くから、夜遅くまでよく働いていました。
私が毎日声をかけてあげたら、初めはニコニコするだけでしたが、・・・いつからかランちゃんから声をかけて
来るようになりました。
それからは私が店で食事をすると私のそばに来て色々話をするようになりました。
「家が貧しので学校へ行けない。」「本当は学校へ行きたい。」そんなランちゃんに私は何冊も本を買ってあげ
ました。
人形のように大きな目に涙を浮かべて家族の貧しい暮らしぶりを話していました。
私達は廻りの人から「親子の様ですネ・・・」と言われるようになり、それをランちゃんも嬉しい様子で「恋人よ」
と返してはしゃいだりしていました。そんな月日が数カ月流れて北ベトナムにも冬の寒気がやってきたころ、・・
ある晩、私の宿舎をランちゃんが訪ねて来ました。
アオザイを身に付けていました。私が「どうした?・・・」と聞くとあの大きな目から涙がいっぱい溢れて、声
をあげて泣いてしまいました。
少し落ち着いてからランちゃんは言いました。「Heiya、私を忘れないで!」
その時持ってきたのがこの人形です。私はランちゃんを抱き締めて「ノウレン、ノウレン・・」と繰り返し涙を
流すことしかできませんでした。ランちゃんから聞いていたその日が来てしまったのです。(ノウレン=頑張れ)
次の日、私が朝起きる前に父親が迎えに来てランちゃんを故郷へ連れて帰ったそうです。
ランちゃんは自分が望まない親の決めた人の所へ嫁がなければならなかったのです。
この人形を何処で見かけてもランちゃんの大きな目を想い出してしまいます。
ハノイのお土産やで若い夫婦の人形を1ドルで買いました。
ランちゃんが結婚して幸せであって欲しいと祈らずにはいられません。
○ベトナムの友人からお土産を頂いて困った物もありました。
私の趣味の彫刻を知った友人が持ってきてくれた置き物ですが日本に持って帰るのにリックを買って背負って来ました。
日本円で二千円位していました。掛け軸も頂きましたがこれは100円位です。掛け軸の方が軽くて有り難いですね。
○これも頂いたものです。名前が彫られています。
私が赴任したハロン湾のはづれのカンファという小さな街は石炭の街です。
これは石炭に彫刻したものです。壊れやすいので持ち帰るのに注意しました。もう一つは折れていました。
何処かにぶつけたりしなければ自然に壊れることはありません。
○ベトナムからのお土産にはいろいろの想い出がついて来ます。
価格に関係なく私には宝です。
ベトナムでは刺繍の絵と木板に書く漆絵も有名です。必ずプレゼントされますが持ち帰りに苦労します。
私は、一時帰国する際に少しずつ持って来ました。
○ハノイから車で30分の所にシルク村とバッチャンという陶器の村があります。
10年前はハノイの観光ルートになっていました。陶器のお土産も重くて大変です。
○これは銀製品です。小物入れでしょうか?奥さんにと頂きました。
○これも小物入れですが、石を彫ったものです。
○コースターも趣のあるものが色々あります。頂いたので価格は?
これは板が反りやすくて使うのにはお勧めできません。飾りならOKかも?
○私の好きな物を知っているいる友人がよく持ってきてくれるのがこのお菓子と即席ミーとフォーです。
小腹がすいた時によく食べました。
まだまだ、沢山の物を頂きましたが、一つ一つに想い出があります。ひとりひとりの顔を想い出します。
~ お土産には想い出が付いていますから、眺めているとベトナムが恋しくなります。 ~