Go straight till the end!!

世界一周の旅の思い出を綴っています。
ブログタイトルは、出発前に旅日記の表紙に書いた言葉です。

(163)ヴォルビリス(モロッコ)

2011-10-27 23:55:55 | モロッコ
 Meknes (メクネス)滞在2日目、まず近郊の古都 Moulay Idriss (ムーレイ・イドリス)に向かった。

 メクネスの北22kmにある聖者の街ムーレイ・イドリスは、イドリース朝(788年~985年)の創始者ムーレイ・イドリス1世(イドリス・イブン・アブドゥーッラー)にちなんで名付けられた(【ムーレイ】とは聖者の意)。
 アッバース朝(750年~1258年)の勢力争いに敗れたイドリス1世はローマ都市 Volbilis (ヴォルビリス)近郊のベルベル族に受け入れられた。その後、彼らをイスラム教に改宗させ、この地にモロッコ初のイスラム王朝イードリス朝を打ち立てた。
 この街の中心にある Horm (ホルム)は彼の霊廟でムスリム以外中に入ることはできない。



 街の雰囲気を味わった後、ローマ時代の古代都市遺跡 Volubilis (ヴォルビリス)へと向かった。
 ムーレイ・イドリスから約4kmの道のりを歩いた記憶がある。



 ヴォルビリスは、その保存状態の良さから世界遺産に登録されている。



 もともと紀元前3世紀頃、カルタゴの施設群の上に築かれたとされているが、都市が建造されたのは西暦40年頃かららしい。
 かつては、マウレタニア・ティンギタナと呼ばれ、ローマ属州の州都として栄えた。
 この街の名前は、ベルべル語夾竹桃(きょうちくとう)に因(ちな)んでいる。 

 ローマ帝国が撤退した後、7世紀にアッバース朝の支配下に入った。
 789年には、イドリース1世が、アッバース朝の迫害から逃れてこの地に落ち着いたが、ムーレイ・イドリス2世(791年~828年)によって Fez (フェズ)の都市が建設されると、ヴォルビリスの重要性は失われていき、1755年のリスボン大地震で崩壊した。



 カラカラ帝の凱旋門(277年建造)(上記写真)をくぐると、一面にひまわりが咲き乱れていた。
 今、この遺跡に存在するのは、自分と古(いにしえ)の記憶を宿した建造物と、そしてひまわりだけだ(なんともぜいたくな話だ)。


 
 他に誰もいないこの廃墟で詩を書いている。

 

 風と砂が一時触れ合う。

 それによって砂は美しさを増す。
 
 風はまたどこかに行ってしまう。

※地図はこちら

(162)メクネス(モロッコ)

2011-10-20 23:55:55 | モロッコ
 Fez (フェズ、フェス)から Meknes (メクネス)まではとても近い。バスで1時間位だった。

 メクネスの街は別名【メクネッサ・ザイトゥーン】(オリーブのメクネッサ)と言う。10世紀頃に、メクネッサ族(ベルベル人)が建設し、周辺にオリーブなどの広大な畑を作ったことに由来するらしい。水の美味しいことでも有名な街だ。

 その後アラウィー朝モロッコ(1660年~)の時代に首都となり(1675年~1728年)、最盛期を迎えたが、首都としての役割が終わると共に衰退の一歩を辿った。
 現在旧市街世界遺産に登録されている。



 この街で観光したのは下記の通り。

(エル・)マンスール門  北アフリカで最も美しいことで有名な門の一つ。最盛期を迎えたアラウィー朝のムーレイ・イスマイル(1672年~1727年)の死後に完成した。別名【マンスール・エルアージュ門】(改宗者の勝利の門)。



・ムーレイ・イスマイル廟  栄華を誇ったメクネスの主の墓。イスラム文化の最高傑作とも言われている。

風の道  王宮の壁沿いにある通り。強い風が吹き抜けることに由来する。王宮横の庭園ゴルフ場になっていて、当時のお金で約2千円でプレー出来ると聞いた。



 本来ならじっくり観光する価値がある街なのだが、夕方になると早めに観光を切り上げて、サッカーユーロ2000の放送をTVに釘付けになって観ていた(毎日の日課になっていた)。

 他にはこの地でパンツを購入している。ジッパーで膝下の部分が取り外し可能というもので、ボロボロになったGパンの代わりに、帰国するまでお世話になった。

 

 この時の旅日記に書いてあるアラビア語の単語を一部紹介させて頂く。

HAMDULILLAH (ハンドゥリッラー)  (神のおかげで)

INSHALLAH (インシャアッラー)  (神が望むならば)



 滞在3日目に、メクネス近郊に観光に出かけた。

※地図はこちら

(161)フェズ(モロッコ)

2011-10-06 23:55:55 | モロッコ
 Merzouga (メルズーガ)から Rissani (リッサニ)に戻り、そこから夜行バスで Fez (フェズ、フェス)へ向かった。
 夜行バスにしたのは正解だったと思う。夜の移動は涼しくて快適だった(昼間のバス移動は暑さとの戦いでもある)。



 フェズはアラビア語ではファースまたはファスとも呼ぶ。

 この街は、789年、アッバース朝(750年~1258年)の勢力争いに敗れたムーレイ・イドリス1世(イドリース・イブン・アブドゥッラー)(?年~791年)よって建設され、息子のムーレイ・イドリス2世(791年~828年)によってたてられたイドリース朝(788年~985年)の首都となった。

 イドリース朝は、西マグリブにおける最初のイスラム王朝(モロッコではウマイヤ朝(661年~750年)に次ぐ2番目のイスラム王朝)である。

 フェズの街はマリーン朝(1196年~1465年)の支配下にあった13~14世紀に発展した。この時に造られた地区をフェズ・エル・ジェディドといい、昔ながらの街をフェズ・エル・バリと呼んで区別しているらしい。これらフェズの旧市街世界遺産に登録されている。
 この地はかつてスペインからの移民ユダヤ人、また近隣のチュニジア人の出会いにより発展し、モロッコの宗教、文化の中心だった。



 フェズで有名なのは、迷宮と表現される複雑なメディナ(旧市街)(アラビア語で【街】の意)だ。迷子にならないように観光しなければならないが、モロッコの伝統と文化を感じるには一番の場所かもしれない。

 フェズのメディナをいろいろ観光したと思うのだが、旅日記に書き記してあるのはブー・ジュルード庭園のみ(王宮にも行ったが入れなかった)。
 一息つく為に立ち寄ったのだが、この庭園を綺麗だと思った。



 フェズの街に1泊して、次の目的地 Meknes (メクネス)に向かった。

※フェズの街並みのおまけ記事はこちら

※地図はこちら