Go straight till the end!!

世界一周の旅の思い出を綴っています。
ブログタイトルは、出発前に旅日記の表紙に書いた言葉です。

(5) Shen Zhen (中国)

2009-01-29 07:47:59 | プロローグ・タイ・中国
 香港から深圳( Shen Zhen )(シェンヂェン)(しんせん)までは僅かな距離だ。
 香港からMTR東鉄線を使って、45分位で羅湖駅( Lo Wu )に着き、ここでパスポートチェックと荷物検査を受け、徒歩で深圳駅へと進んだ。いよいよ中国本土だ。

 深圳の街をバックパックを背負いながら歩いてると、何度か客引きに声をかけられたが、以前インドで体験した強引な客引きと比べるとあっさりしていて、一度断れば諦めてくれた。

 この日は無理をせず、駅周辺のホテルに泊まることにした。
 ここは、香港の重慶大厦(チョンキンマンション)の宿より安くてずっと奇麗だった(しかし何故かホテルの従業員も同じ部屋で寝ていた)。

 ちなみにマクドナルドの商品も香港より若干安かった。他にも色々な面で香港と中国本土の物価の差を感じた(香港ドル(HK$)と中国元との関係は必ずしも1:1ではなく、当時は香港ドルの方が強かったが、現在は中国元の方がレートが高いようだ)。

 翌日、深圳の街を観光することにしたが、経済区であるこの街に見所は少ないようだ。
 とりあえず、【世界の窓( WINDOW OF THE WORLD )という施設に行ってみることにした。しかし着いてみると、世界の建造物を模倣したテーマパークでがっかりした。
 何が面白いのだろうと思うのだが、中国人(特に女性)には大人気のようで、そこかしこで写真を撮っていた。彼女らは自分の写真を撮るのが好きなようだ。しかもそのポーズが多種多様でモデルのようだ。その光景が面白かった。

 後で気付いたのだが、【世界の窓】に行く為に利用したミニバス(現在は地下鉄で行ける)や、ちょっとした買い物で(僅かの金額だが)ぼられていた。中国人は世界で一番商売上手なのではないかと思う。
 値切ったつもりでもまだ甘かったことに、そしてこの日一度も日本語を話していないことに、ちょっとテンションが下がっていた。

 この時旅日記にこう書いてある。

 「一日に感謝しよう。何があったとしても。」


 宿に戻ると、日本人旅行者2人がドミトリーに到着していた。今回は香港・マカオを中心に観光すると言う。中国本土にも詳しいそうなので、色々情報を仕入れる為にここでもう1泊することにした(本当のところは心細かったのかもしれない)。

 彼らから陽(阳)朔(ヤンシュオ)という土地を勧められた。桂林(グイリン)から始まる灕江(りこう)下りの終点で、桂林よりも物価が安く人もすれてないらしい。

 次の目的地が決まったので、彼らに感謝し翌日陽朔に向けて出発することにした。

 ※地図はこちら

(4)香港(後編)

2009-01-22 17:34:28 | プロローグ・タイ・中国
 香港には3泊しかしていないが、精力的に観光している。

【九龍サイド】

【尖沙咀(チムシャツォイ)

九龍公園   プールもある。

九龍清眞寺( Islam Mosque )   イスラムの雰囲気を味わえる。

【油麻地(ヤウマテイ)

ナイトマーケット(廟街(ミウガイ))   屋台が美味しい。

【香港島サイド】

【上環(ションワン)

文華里(マンワーレイ)   印鑑横丁(ハンコ屋が並ぶ)。

キャット・ストリート   ガラクタ市。後年『香港世界』(山口文憲著、ちくま文庫)を読んで、ここで猫枕(まうちゃむ)を探したことがある。

文武廟(マンモウミウ)( Man Mou Temple )   香港最古の廟。文武の神を祀る。巨大な線香(蚊取り線香と同じ形)を吊るしていたのが印象的。

【中環(ヅォンワン)( Central )

香港動植物公園   ちょっとした憩いの空間。

ヴィクトリア・ピーク   百万ドルの夜景を堪能した。

皇后像廣(広)場   日曜にはフィリピン人で賑わうリトル・マニラと化す。

【灣仔(ワンジャイ)

中環廣(広)場(セントラルプラザ)46F展望スペース   景色がきれい。

香港藝(芸)術中心   香港の文化の発信地。

シーサイド・プロムナード   のんびり海を眺めた。

【銅鑼灣(トンローワン)( Causeway bay )

タイガー・バーム・ガーデン( AW BOON HAW GARDEN ) (アウ・ブーン・ハウ・ガーデン)   観光客も多かったが、現在は閉鎖中らしい。

ヴィクトリア・パーク(維多利亞公園)   巨大な公園。サッカーやバスケット・ボール、太極拳などをする人々や、くつろぎにくる庶民の憩いの場。この前にある香港中央図書館には、後年よくお世話になった。香港でネットカフェを見かけることは少なく、ネットをする為によく利用した(無料で使用可能)。

ヌーン・ディ・ガン(午炮)   正午に一発空砲を放つ。毎日見に行った。



 香港は大都会なので人の流れも速く、人込みの中を移動するのに疲れてしまった。
 急(せ)かされたような感覚があり、急いでいて判断ミスもあった(行き先の違うバスに乗ったり、バス代を間違って多く払ったり・・・等々)。
 特にお金に関しては倹約を心掛けていたので、小額のことでも気になってしまっていた。
 一つのミスを引きずっていると次の判断ミスを呼ぶ。切り替えが大切だと思う。



 ここは日本の都市部と大きく変わらないので、旅をしている感覚は薄かったと思う。
 そんな訳で、中国ビザ(一ヶ月有効)を手に入れて先へ進むことにした。

※地図はこちら

(3)香港(前編)

2009-01-15 13:24:34 | プロローグ・タイ・中国
 尖沙咀(チムシャツォイ)にある重慶大廈(チョンキンマンション)には、世界各国のバックパッカーがやって来る安宿が集まっている。
 今となればもうちょっといい宿に泊まりたいと思うが、当時はそんな金銭的余裕もなかった。
 ちなみに現在この建物の近辺は、強引な客引きも多く治安が悪そうなので、行くのはお勧め出来ない(特に夜間は)。どうしても安宿に泊まりたい人は、隣の美麗都大厦( MIRADOR MANSION )の方を勧める。

 宿に着くと、ドミトリー(相部屋)の旅人達と夕食を食べに行くことになった。香港最初の食事は、ナイトマーケット(油麻地(ヤウマテイ)廟街(ミウガイ)にて)の屋台料理だ。

 その時一緒に食事をしたのは、ヨーロッパ側からアジア横断をして来た旅人達だった。
 楽しい食事を期待していたのだが、その誰もが旅に疲れ切っていた。いろいろ聞きたいことがあったのだが、億劫(おっくう)そうに答えられると質問する気も失せた。
 そのうちの一人は自分と同じ柄のポロシャツを着ていた。かなり色落ちしている。その色褪(あ)せたシャツを見ながら自分も疲れ切った旅人になってしまうのだろうかと少し不安になった。



 宿には、日本人の他にフランス人、イギリス人、アメリカ人の旅人がいた。彼らのほとんどが長い期間旅をしてきていた。そして香港には長居する気はないようだった。ここは都会すぎるのだと思う。物価も高い。
 宿の出入りは激しかった。日本人の美男美女カップルなどは、部屋に一歩入るや否や「暑い」と言って消えてしまった(ドミトリーは人も多いので空調の効きが悪い)。

 そんな中一人だけ長居している日本人がいた。香港でアルバイトをしているという。内容を聞くとブランド品の買い付けだった。どうやら宿の親父が話を持ちかけてくるらしい。
 結構いいお金になるらしいので自分も期待していたが、声をかけられることは無かった。
 確かに自分の服装を見たらブランド品を買いに行くようには見えない。宿の親父もきちんと人を見ているようだ。

※地図はこちら

(2)成田~バンコク(タイ)~香港

2009-01-08 07:50:40 | プロローグ・タイ・中国
 成田国際空港のチェックイン・カウンターで、ある提案を受けた。
 どうやら航空会社サイドでダブルブッキングをしてしまったらしく、席が足りないとのことだった。香港直行ではなく、Bangkok (バンコク)(タイ)経由で香港入りしてくれる人を探しているらしい。

 以下の特典があるとのこと。

①$300をキャッシュバック
②ビジネスクラスを利用
③バンコクでのホテル(1泊)を用意(バンコクの航空会社のオフィスで紹介)
 
 ツアーの団体客は予定変更不可能なので、個人旅行者に声をかけているようだった。
 特に急ぐ旅でもないので快く了承した。

 搭乗して気付いたことは、自分の格好がビジネスクラスに不釣合いだったことだ。そんな自分に対し、客室乗務員の態度も心なしか冷たい感じだ。
 この頃は普段着なくなった服を旅に持って行っていた。旅先で処分出来るし、人にあげてもいいからだ。しかし結果的に恥ずかしい思いをすることになってしまった。

 バンコクに到着し、ユナイテッド航空のオフィスに向かったが、この時23時30分。嫌な予感がしたが、案の定誰もいなかった。
 部屋を折半する形でルフトハンザ航空のカウンターがあり、帰り支度をしている社員がいたので、同じ便で来た欧米人男性と日本人女性のカップルが交渉を始めた。
 しかし、あっさり「 I don’t know.」と言われてしまい、男性は「 I give up.」を連呼しながら頭を抱えて出て行った。

 思わず笑ってしまった。とにかく笑うしかない(ちなみに$300は後日振り込まれていた)。

 バンコクの空港(当時はドン・ムァン国際空港)で夜を明かすのはこれが3回目だ。空港の隣にあるホテル( HOTEL AMARI )に行って事情を説明すると、ロビーで待機させてくれた。

 旅日記にはこう書いてある。

 「感謝しないとやっていられない。意味があると考えろ。」 

 「一日いろいろあったが、感謝の気持ちだけは忘れないこと!」



 翌朝早朝の便で香港入りした。大都会の中に人の優しさが見える街だ。広東語の響きも優しい。
 初めての香港訪問になるが、その後香港が縁の深い地になるとは、この時は思いもよらなかった。
 右も左も分からない状態で最初に向かったのは、尖沙咀(チムシャツォイ)にある重慶大廈(チョンキンマンション)だった。香港で最も有名な安宿が集まるビルだ。

※地図はこちら

(1)プロローグ

2009-01-01 17:49:51 | プロローグ・タイ・中国
 欧米のようにバカンスというものがあれば、年に1回長期旅行にも行けるのだが、日本のシステムはそれを許さない。 仕方ないので5つの目的地を一度に周ることにした。



 旅日記の表紙にはこう書いた。

 Go straight till the end!! (最後までまっすぐ行け!!)

 何があっても自分らしく (カズ(三浦知良)選手の言葉)



 そして世界を一周する旅が始まった。