出発前に会った旅人から、パキスタンの首都イスラマバードでクーデターがあったと聞き、無事入国出来るか不安になったが、とにかく国境まで行ってみることにした。
※この軍事クーデター(無血クーデター)でシャリフ首相に代わり、ムシャラフ大統領が最高権力者となった(2008年8月辞任)。
喀什(カシュガル)を発(た)ったバスは、パキスタンへと続くカラコルム・ハイウェイをひたすら南へ進んだ。
道中、視界に入る山肌に砂が堆積していた。タクラマカン砂漠の砂が風で運ばれて来るのだろう。
途中、卡拉庫里(カラクリ)湖で休憩をした。美しい湖だったが、歩くだけでも息が切れた。ここは標高約3600mもあり、酸素が薄いと感じた。
塔什庫爾干(タシュクルガン)の街に着いたのは、出発から8時間後だった。
バスの中では高山病でグッタリしていたのだが、カラクリ湖からは少し標高が低くなっており、何とか動き回ることが出来た。
タシュクルガンは、突厥(とっけつ)語で【石の城】を意味する。
歴史的には、様々な国の統治下にあったらしい。当時は人口の8割以上がタジク族で、漢族は数%だったらしいが、現在は他の地域同様、漢族が増えているかもしれない。
街の東端には石頭城なる城壁跡があった。この街の名前の由来はここから来ているのかもしれない。
ここは、唐代の喝盤陀国(かつばんだこく)の都城跡、または同じく唐代の葱嶺守捉(そうれいしゅそく)城跡(パミール高原を警備する兵の駐屯地跡)とされている。
街の物価は高く、内陸部の値段にまけてもらおうとすると、先方が怒り出すこともあった。僻地(へきち)なので輸送にコストがかかるのだろう。
中国最後の晩餐は、定番となっていた西紅柿炒鶏蛋(シーホンスー チャオ チータン)を食べた。これでも10元(約150円)した。嘉峪関で食べた時のの5倍の値段だ。
もう中華料理を食べられなくなると思うと、少し寂しい気がしてじっくり味わって食べた。
いろいろあったが、明日で中国ともお別れだ。
※地図はこちら
※この軍事クーデター(無血クーデター)でシャリフ首相に代わり、ムシャラフ大統領が最高権力者となった(2008年8月辞任)。
喀什(カシュガル)を発(た)ったバスは、パキスタンへと続くカラコルム・ハイウェイをひたすら南へ進んだ。
道中、視界に入る山肌に砂が堆積していた。タクラマカン砂漠の砂が風で運ばれて来るのだろう。
途中、卡拉庫里(カラクリ)湖で休憩をした。美しい湖だったが、歩くだけでも息が切れた。ここは標高約3600mもあり、酸素が薄いと感じた。
塔什庫爾干(タシュクルガン)の街に着いたのは、出発から8時間後だった。
バスの中では高山病でグッタリしていたのだが、カラクリ湖からは少し標高が低くなっており、何とか動き回ることが出来た。
タシュクルガンは、突厥(とっけつ)語で【石の城】を意味する。
歴史的には、様々な国の統治下にあったらしい。当時は人口の8割以上がタジク族で、漢族は数%だったらしいが、現在は他の地域同様、漢族が増えているかもしれない。
街の東端には石頭城なる城壁跡があった。この街の名前の由来はここから来ているのかもしれない。
ここは、唐代の喝盤陀国(かつばんだこく)の都城跡、または同じく唐代の葱嶺守捉(そうれいしゅそく)城跡(パミール高原を警備する兵の駐屯地跡)とされている。
街の物価は高く、内陸部の値段にまけてもらおうとすると、先方が怒り出すこともあった。僻地(へきち)なので輸送にコストがかかるのだろう。
中国最後の晩餐は、定番となっていた西紅柿炒鶏蛋(シーホンスー チャオ チータン)を食べた。これでも10元(約150円)した。嘉峪関で食べた時のの5倍の値段だ。
もう中華料理を食べられなくなると思うと、少し寂しい気がしてじっくり味わって食べた。
いろいろあったが、明日で中国ともお別れだ。
※地図はこちら