Siwa Oasis (シーワ(スィーワ)・オアシス)に3泊した後、バスで Alexandria (アレクサンドリア(アレキサンドリア))へ戻った(所要8時間半)。長時間の移動がきつくなっている。
【地中海の真珠】と評されるアレクサンドリアは、カイロに次ぐエジプト第2の都市だ。
紀元前332年に、マケドニア王アレクサンダー大王(アレクサンドロス3世)(紀元前356年?~紀元前323年)(在位、紀元前336年~紀元前323年)によって建設された。街の名前は【アレクサンドロス(イスカンダル)の街】という意味だ。
アレクサンダーの死後、プトレマイオス1世(紀元前367年~紀元前282年)(在位、紀元前305年~紀元前282年)が興したプトレマイオス朝(紀元前306年~紀元前30年)の首都となった。
プトレマイオスは、アレクサンダーの部下であり、共に哲学者アリストテレス(紀元前384年~紀元前322年)の元で学んだ学友だったらしい。
プトレマイオスは、アレクサンダーの遺体をアレクサンドリア近郊に埋めたそうだ(アレクサンダーの墓は現在も見つかっていない)。
プトレマイオス朝の最後の女王クレオパトラ(紀元前70(69)年~紀元前30年)の物語もこの街と共にある。
この地にはプトレマイオス1世によって建てられた70万もの蔵書(巻物)を誇る古代最大・最高の図書館(アレクサンドリア図書館)があった。ここはヘレニズムの知の巨匠たちが世界各地から集まった一大アカデミーとして知られている。
名前を挙げると、古代における最高の科学者と評されたアルキメデスや幾何学のエウクレイデス、地球の直径を計測したエラトステネス、天動説のプトレマイオスなど。
人口百万人を越え、文化と商業の中心地として繁栄したアレクサンドリアは【世界の結び目】と評されたという。
この地も過去に大地震の影響で巨大な津波に襲われたことがあったらしい(365年7月21日、1303年8月8日)。古代世界7不思議の一つに数えられたファロス灯台は、1303年と1323年の地震で崩壊している。
この街で観光したのは下記の通り。
・ポンペイの柱(アームードゥッサワーリー) ローマ皇帝ディオクレティアヌス(244年~311年)(在位284年~305年) によって建築された寺院の一部だと言われている。当時は400本あったとされる柱も今ではこの1本を残すのみとなってしまった。
・ローマ円形劇場 2世紀(ローマ帝国時代)に建てられた。敷地内に当時の大浴場跡も残っている。
カーイトゥベーイの要塞(ファロス灯台の跡地に建てられた要塞)や、博物館(グレコローマン博物館、アレクサンドリア国立博物館)には行かなかった。
歴史の勉強不足もあり興味が湧かなかったからか、それとも疲れ切っていたからだろうか。
また、当時の旅日記には海上自衛隊の練習艦かしまがアレクサンドリアに寄港していたと書いてある(見学出来たらしいのだが行かなかった)。
なお現在、この街にはアレクサンドリア図書館(新アレクサンドリア図書館)が復活している(2001年8月1日開館)。
余談になるが、現在この街を舞台にした映画『アレクサンドリア』が公開中だ。
この映画を見て、この街の歴史を少し知ることが出来たと思う。
※映画『アレクサンドリア』のおまけ記事はこちら
※地図はこちら
【地中海の真珠】と評されるアレクサンドリアは、カイロに次ぐエジプト第2の都市だ。
紀元前332年に、マケドニア王アレクサンダー大王(アレクサンドロス3世)(紀元前356年?~紀元前323年)(在位、紀元前336年~紀元前323年)によって建設された。街の名前は【アレクサンドロス(イスカンダル)の街】という意味だ。
アレクサンダーの死後、プトレマイオス1世(紀元前367年~紀元前282年)(在位、紀元前305年~紀元前282年)が興したプトレマイオス朝(紀元前306年~紀元前30年)の首都となった。
プトレマイオスは、アレクサンダーの部下であり、共に哲学者アリストテレス(紀元前384年~紀元前322年)の元で学んだ学友だったらしい。
プトレマイオスは、アレクサンダーの遺体をアレクサンドリア近郊に埋めたそうだ(アレクサンダーの墓は現在も見つかっていない)。
プトレマイオス朝の最後の女王クレオパトラ(紀元前70(69)年~紀元前30年)の物語もこの街と共にある。
この地にはプトレマイオス1世によって建てられた70万もの蔵書(巻物)を誇る古代最大・最高の図書館(アレクサンドリア図書館)があった。ここはヘレニズムの知の巨匠たちが世界各地から集まった一大アカデミーとして知られている。
名前を挙げると、古代における最高の科学者と評されたアルキメデスや幾何学のエウクレイデス、地球の直径を計測したエラトステネス、天動説のプトレマイオスなど。
人口百万人を越え、文化と商業の中心地として繁栄したアレクサンドリアは【世界の結び目】と評されたという。
この地も過去に大地震の影響で巨大な津波に襲われたことがあったらしい(365年7月21日、1303年8月8日)。古代世界7不思議の一つに数えられたファロス灯台は、1303年と1323年の地震で崩壊している。
この街で観光したのは下記の通り。
・ポンペイの柱(アームードゥッサワーリー) ローマ皇帝ディオクレティアヌス(244年~311年)(在位284年~305年) によって建築された寺院の一部だと言われている。当時は400本あったとされる柱も今ではこの1本を残すのみとなってしまった。
・ローマ円形劇場 2世紀(ローマ帝国時代)に建てられた。敷地内に当時の大浴場跡も残っている。
カーイトゥベーイの要塞(ファロス灯台の跡地に建てられた要塞)や、博物館(グレコローマン博物館、アレクサンドリア国立博物館)には行かなかった。
歴史の勉強不足もあり興味が湧かなかったからか、それとも疲れ切っていたからだろうか。
また、当時の旅日記には海上自衛隊の練習艦かしまがアレクサンドリアに寄港していたと書いてある(見学出来たらしいのだが行かなかった)。
なお現在、この街にはアレクサンドリア図書館(新アレクサンドリア図書館)が復活している(2001年8月1日開館)。
余談になるが、現在この街を舞台にした映画『アレクサンドリア』が公開中だ。
この映画を見て、この街の歴史を少し知ることが出来たと思う。
※映画『アレクサンドリア』のおまけ記事はこちら
※地図はこちら