Go straight till the end!!

世界一周の旅の思い出を綴っています。
ブログタイトルは、出発前に旅日記の表紙に書いた言葉です。

(187)ベルン(スイス)

2012-04-26 23:17:10 | オーストリア・スイス
 Vaduz (ファドゥーツ)からバスで Buches (ブックス)(スイス)に戻り、列車に乗り換えてスイスの首都 Bern (ベルン)にお昼頃に到着した。

 ベルンという都市がスイスの首都だということを、この旅の前まで正直知らなかったと思う。
 なぜここに来たかというと、その国を知るにはまず首都を見ておくべきだと思ったからだ。首都以外の都市の方が栄えている場合もあるが、訪問することによって首都に定められた背景などを知るいい機会になると思う(訪問したのはこの旅を通じていつしか首都マニアになっていたからというのもあるかもしれない)。



 ベルンの街は、ドイツ南部とスイスを治めていたツェーリンゲン大公ベルトルト5世(1160~1218)によって1191年にアーレ川沿いに造られた。
 街の名前は、この街で最初に捕らえられた動物が熊(ドイツ語ベーレン)であることに因んでいる。
 スイス連邦の建国は1291年とされているが、ベルンがスイス連邦に加盟したのは1353年。新しい国家の中で主導的な力を持ち、16世紀にはアルプス以北で最も大きな都市国家となったが、1798年のフランス革命フランス軍に領土を奪われた。
 1831年、街はベルン州の州都となり、1848年にスイス連邦の首都となった。

 ベルンはスイスで4番目に大きい都市であり、旧市街世界遺産に認定されている。



 ベルンで観光したのは下記の通り。

ベルン大聖堂  400年以上の年月をかけて1893年に完成した後期ゴシック様式の大聖堂。尖塔に上ると郊外まで見渡せるらしいが、尖塔には上らなかった。

アインシュタインの家(アインシュタイン・ハウス)  (アルベルト・)アインシュタイン(1879年~1955年)はこの家に住んでいた3年間に数々の業績を残したそうだ。有名なのは光電効果の理論(光量子(光子)の仮説、この理論でノーベル物理学賞を受賞)、ブラウン運動の理論(この成果により原子・分子の存在が初めて具体的に確認された)、特殊相対性理論など。ここは人の脳を活性化させる土地なのだろうか。

熊公園(クマ園)  2009年に移転するまで、アーレ川沿いのコンクリートに囲まれた土地に熊が暮らしていた。熊が窮屈そうに見えたのを覚えている。



 ベルン美術館に行くか迷ったが、すでに15時近くになっていた為諦めた。
 スイスは物価が高かった為積極的な観光が出来ず、街をブラブラしたり公園でくつろいで時間を潰し、夕方になり夜行列車に乗り込んだ。
 わずかな滞在だったがベルンの街ともお別れだ。

※地図はこちら

(186)ファドゥーツ(リヒテンシュタイン)

2012-04-19 23:55:55 | 小さな国々
 Wien (ウィーン)( Vienna (ヴィエナ)から夜行列車に乗り、翌早朝に Buches (ブックス)(スイス)に到着した。

 そこからバスで20分ほどで Vaduz (ファドゥーツ)(リヒテンシュタイン(公国))に着いた。

 リヒテンシュタインの首都ファドゥーツは、ライン川上流右岸にあり、スイスとの国境に近い。住民のほとんどがドイツ系アレマン人である。公用語もドイツ語だ。

 リヒテンシュタインは永世中立国である。同じく永世中立国家であるスイスやオーストリアと違うのは非武装という点だ。
 またこの国は、アンドラモナコサン・マリノ同様、タックスヘイブン(租税回避地)でもある(小国の知恵なのだろう)。
 世界で6番目に小さい国であり(南北に25km、東西に6km)、面積は小豆島(香川県)とほぼ同じである。しかし、リヒテンシュタイン家が国外に持つ所有地は公国の何倍もの面積にもなる。

 リヒテンシュタイン家の名前が歴史上に登場するのは12世紀。ウィーン近郊のリヒテンシュタイン城の城主フーゴが、居城の名をとって家名としたことがその始まり。リヒテンシュタイン家は14世紀からハプスブルク家に仕えた。
 1719年、神聖ローマ皇帝カール6世(1685年~1740年)(在位1711年~1740年)(ハプスブルク家)によって、リヒテンシュタイン家が買収したファドゥーツ伯爵領シェレンベルク男爵領とを併せてリヒテンシュタイン公(侯)領とすることを認可された(この地はかつて古代ローマの領土だった)。これがリヒテンシュタイン公国の始まりである。



 ファドゥーツに到着したのは午前7時半頃だったと思う。観光するにもどこもまだ開いていない。
 結局ファドゥーツ城の周囲を散策しただけ(約2時間の滞在)で、リヒテンシュタインを後にした。

 (写真は、政府庁舎。奥に見えるのはファドゥーツ大聖堂(聖フローリン大聖堂)(ネオゴシック様式))



※地図はこちら

(185)ウィーン(オーストリア)

2012-04-12 23:55:55 | オーストリア・スイス
 Budapest (ブダペスト)を早朝発った列車は、お昼頃に首都 Wien (ウィーン)( Vienna (ヴィエナ))(オーストリア)に到着した。

 ウィーンは、別名【森の都】・【音楽の都】・【楽都】と呼ばれている。
 第一次世界大戦終了までオーストリア=ハンガリー帝国(1867年~1918年)の首都として栄えた。

 (下記はオーストリア=ハンガリー帝国の領土だった地域)



 紀元前5世紀以降ケルト人の居住する小村であったところに、ローマ帝国の宿営地ウィンドボナ( Vindobona )( bonaケルト語【集落・町】の意)が建設されたのが街の起源らしい。

 その後、1278年よりハプスブルク家の支配下に置かれ、一族の本拠地としての役割を果たし、政治、経済、学芸の中心として繁栄していった(ハプスブルグ家の支配が終焉するのは第一次世界大戦が終わる1918年まで)。



 ウィーンで観光したのは下記の通り。

シュテファン大聖堂(シュテファン寺院)(世界遺産)  ウィーンのシンボル的存在南塔(107m)は、教会の塔としては(独)ウルム大聖堂(161m)、(独)ケルン大聖堂(157m)に次いで世界で3番目の高さがある。(ヴォルフガング・アマデウス・)モーツァルト(1756年~1791年)の結婚式葬式がここで執り行われた。

王宮  ハプスブルク家が600年以上にわたり生活した。入場料が高かった為、内部見学を諦めている。

市庁舎  1873年完成。ネオゴシック様式。

ヴォティーフ教会  1879年に完成したネオゴシック様式の美しい大聖堂。

市立公園  森の都ウィーンの市街地にある憩いの場。(フランツ・ペーター・)シューベルト(1797年~1828年)らウィーンで活躍した音楽家たちの彫像がある。

ブルクガルテン(王宮庭園)  現在は一般人・観光客向けに開放されている。

 (写真は、モーツァルト像)



シェーンブルン宮殿(世界遺産)   ウィーン風ロココ様式の宮殿。ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝レオポルト1世(1640年~1705年)(在位1658年~1705年)が1693年に造った狩猟用の別荘を、歴代の皇帝らが増改築した。入場料が高かった為、内部見学を諦めている。

美術史博物館  ヨーロッパ三大美術館の一つ。観光に充てた時間の約半分をここで過ごした。

フロイト博物館  精神分析学者ジークムント・フロイト(1856年~1891年)が住んだ家が博物館となって展示されている。



 上記の観光スポットを廻っているうちに、すっかり夕方になってしまった。
 北米先住民の絵画展なども開催されていたが、時間が足りなかった。オペラや演奏会も観覧したかったが、この街に長居できる懐具合ではない。1杯数百円のウィンナー・コーヒー(ウィーン風コーヒー、現地での呼称は【アインシュペナー】)さえ飲むのを諦めたのだから(今振り返るとそこまで倹約する必要はなかったのだが)。
 


 ウィーンは森の都の名の通り、緑が多い街だった。
 そして、美しい建築物が多かった。名前も知らない教会でさえ、その美しさに見とれてしまうほどだった。

※地図はこちら

おまけ(その22)『青空』( THE BLUE HEARTS (ザ・ブルーハーツ))

2012-04-05 23:55:55 | おまけ
(184)ブダペスト④(ハンガリー)のおまけ記事



 THE BLUE HEARTS (ザ・ブルーハーツ)の名曲『青空』を紹介したい。

 音楽は、言葉や国境を越えて心に響く。
 そのことを改めて教えてくれた曲だ。



※『青空』の動画はこちら

※この歌を歌手の Kat McDowell さんが英語でカバーされているようだ(動画はこちら)