Bucharest (ブカレスト)を観光した後、夜行列車で Sighetu Marmatiei (シゲット・マルマツィエイ)へと向かった。
ここマラムレシュ地方は、ウクライナとの国境付近にあり、五つあったこの旅の目的地の一つだ。
5年前に来た時は、Baia Mare (バイア・マーレ)が終点だったのでそこからバスを利用したのだが(シゲットまで鉄道は敷設されていなかった気がする)、観光客も増え、鉄道の需要が高まったのだろう。
前回の旅では、寝台車の切符を持っていながら2等客車に乗った。ブカレスト駅で寝台車の場所を尋(たず)ねた陽気なおばちゃん達に「行き先が同じだから私たちの客車に一緒に来なさい」と言われ、楽しい鉄道の旅をすることが出来たと思う。
今回も2等客車に乗れば楽しい旅が出来ると思ったが、それよりも眠気が勝(まさ)った。
昨晩は荷物を気にしながら寝ていたので熟睡していなかったし、今日もほとんど仮眠を取っていなかった。ブカレストは治安が悪く、心落ち着く場所が見つからなかったのだ。
切符売り場で「寝台車の切符は無い」と言われ(クリスマス前で帰省客が多い模様)、仕方なく1等客車の切符を手配した。2等客車よりは眠れるだろう。
1等客車に乗り込むと、若者が多かった。彼らの多くは大学生らしく、普通に英語を話すことが出来た。裕福な家庭の子息というのが個人的な印象だ。
列車は15時間半かかり、ようやくシゲットの街に着いた。
シゲットの街は5年前と比べ随分と明るく感じられた。
当時はまだ観光客が珍しい時代だったらしく、街を歩いているとよく声をかけられた。ちょっとした人気者になれたのだが、今回は勝手が違うようだ。
この5年間で随分観光客が訪れるようになったのだろう。実際TVでも何度かマラムレシュを取り上げた番組を見た気がする。
携帯電話も普及していたし、インターネットカフェもあった(パソコンが故障中だったが)。
この街も変わっていくのだろう。素朴で古き良き姿のままでいて欲しいと思う気持ちもあるが、それはこちらのエゴかもしれない。
とりあえず、宿を探してプライベートルーム(民宿)に泊まった。優しいウクライナ人のおじさんが働いていたが、宿の女主人がいろいろと口うるさかったのを覚えている。
実はクリスマスをこの街で迎えたいと思っていた(何とか間に合ってよかった)。
だが、いつもより早く食堂やお店は閉まってしまった。
クリスマスは本来家族で祝うものだということを改めて知った。
シゲットで観光したのは下記の通り。
・マラムレシュ民族博物館 5年前に訪問した時にここで働いている人々を撮った写真を渡したら喜んでくれた。
・エリ・ヴィーゼル(1928年~)の生家 ノーベル平和賞受賞作家エリ・ヴィーゼルの生家があるが、中には入れなかった
12月24日から1月6日までは COLINDE (コリンダ、キリスト生誕祭)でいろいろなイベントが開かれていた。
教会のミサに参席したり、合唱コンサートを聴きにも行った。クリスマス・キャロルだ。
残念ながら、少年達(小中学生位)のマナーが非常に悪かった。
合唱中に、ステージに爆竹を投げ込むのだ。マネージャーらしきおじさんが注意していたが、少年達の行為は止まらなかった。
その行為は、少年達の不平不満の表れのように思えてならなかった。
昔ならば、年配者を敬い、大人の発言にきちんと耳を傾けたのではないかと思う。
彼らは400年近くも変わらぬ生活を続け、それを誇りとして生きてきた民だ。閉鎖された社会だったかもしれないが彼らは幸せだった。
だが、今やTVを見ればヨーロッパの先進国の生活が手に取るように分かる。
そして、自分のような観光客も若者にとっては影響が大きいのだろう。ここにやってくる旅行者は、(牧歌的生活を失った)先進国から来る人が多いからだ。
先進国の生活と比較してしまうと、若者たちは自分のことを単なる時代遅れの田舎者としか思えないのかもしれない。知らないことは幸せなのだ。
みやこうせいさん(ジャーナリスト)が【魂の美しい人々】と形容したマラムレシュの人々にも、時代の波によって大きな変化がもたらされようとしていた。
※地図はこちら
ここマラムレシュ地方は、ウクライナとの国境付近にあり、五つあったこの旅の目的地の一つだ。
5年前に来た時は、Baia Mare (バイア・マーレ)が終点だったのでそこからバスを利用したのだが(シゲットまで鉄道は敷設されていなかった気がする)、観光客も増え、鉄道の需要が高まったのだろう。
前回の旅では、寝台車の切符を持っていながら2等客車に乗った。ブカレスト駅で寝台車の場所を尋(たず)ねた陽気なおばちゃん達に「行き先が同じだから私たちの客車に一緒に来なさい」と言われ、楽しい鉄道の旅をすることが出来たと思う。
今回も2等客車に乗れば楽しい旅が出来ると思ったが、それよりも眠気が勝(まさ)った。
昨晩は荷物を気にしながら寝ていたので熟睡していなかったし、今日もほとんど仮眠を取っていなかった。ブカレストは治安が悪く、心落ち着く場所が見つからなかったのだ。
切符売り場で「寝台車の切符は無い」と言われ(クリスマス前で帰省客が多い模様)、仕方なく1等客車の切符を手配した。2等客車よりは眠れるだろう。
1等客車に乗り込むと、若者が多かった。彼らの多くは大学生らしく、普通に英語を話すことが出来た。裕福な家庭の子息というのが個人的な印象だ。
列車は15時間半かかり、ようやくシゲットの街に着いた。
シゲットの街は5年前と比べ随分と明るく感じられた。
当時はまだ観光客が珍しい時代だったらしく、街を歩いているとよく声をかけられた。ちょっとした人気者になれたのだが、今回は勝手が違うようだ。
この5年間で随分観光客が訪れるようになったのだろう。実際TVでも何度かマラムレシュを取り上げた番組を見た気がする。
携帯電話も普及していたし、インターネットカフェもあった(パソコンが故障中だったが)。
この街も変わっていくのだろう。素朴で古き良き姿のままでいて欲しいと思う気持ちもあるが、それはこちらのエゴかもしれない。
とりあえず、宿を探してプライベートルーム(民宿)に泊まった。優しいウクライナ人のおじさんが働いていたが、宿の女主人がいろいろと口うるさかったのを覚えている。
実はクリスマスをこの街で迎えたいと思っていた(何とか間に合ってよかった)。
だが、いつもより早く食堂やお店は閉まってしまった。
クリスマスは本来家族で祝うものだということを改めて知った。
シゲットで観光したのは下記の通り。
・マラムレシュ民族博物館 5年前に訪問した時にここで働いている人々を撮った写真を渡したら喜んでくれた。
・エリ・ヴィーゼル(1928年~)の生家 ノーベル平和賞受賞作家エリ・ヴィーゼルの生家があるが、中には入れなかった
12月24日から1月6日までは COLINDE (コリンダ、キリスト生誕祭)でいろいろなイベントが開かれていた。
教会のミサに参席したり、合唱コンサートを聴きにも行った。クリスマス・キャロルだ。
残念ながら、少年達(小中学生位)のマナーが非常に悪かった。
合唱中に、ステージに爆竹を投げ込むのだ。マネージャーらしきおじさんが注意していたが、少年達の行為は止まらなかった。
その行為は、少年達の不平不満の表れのように思えてならなかった。
昔ならば、年配者を敬い、大人の発言にきちんと耳を傾けたのではないかと思う。
彼らは400年近くも変わらぬ生活を続け、それを誇りとして生きてきた民だ。閉鎖された社会だったかもしれないが彼らは幸せだった。
だが、今やTVを見ればヨーロッパの先進国の生活が手に取るように分かる。
そして、自分のような観光客も若者にとっては影響が大きいのだろう。ここにやってくる旅行者は、(牧歌的生活を失った)先進国から来る人が多いからだ。
先進国の生活と比較してしまうと、若者たちは自分のことを単なる時代遅れの田舎者としか思えないのかもしれない。知らないことは幸せなのだ。
みやこうせいさん(ジャーナリスト)が【魂の美しい人々】と形容したマラムレシュの人々にも、時代の波によって大きな変化がもたらされようとしていた。
※地図はこちら