平凡な父のHitori言

平凡なサラリーマンのありふれた道程の記録

悪を撲滅できるのは庶民の力の結集

2006年05月31日 19時40分18秒 | 独り言
 5月31日は世界禁煙デーだ。フリー百科事典ウィキペディアによると、世界保健機関(WHO)が1989年に制定した、禁煙を推進するための記念日とある。最近は日本の喫煙人口も少しずつ減ってきているが、女性の喫煙は増えていると言う。タバコが健康に悪いことは明らかになっており、健康増進法でも、受動喫煙防止を謳っている。明らかに人間健康に悪く、禁止してもよいのに、過去のしがらみから禁止することができない。構造改革を声高にいい、これまでの仕組みをぶっ壊すと言うなら、タバコに対してももっと厳しい姿勢をとるべきだ。タバコの販売で生活を立てている人たちもいることだが、ちゃんと社会全体で支援し、十年以上かけてでも根絶すべきだと思う。
 近年、青少年の犯罪が絶えないのも、犯罪を侵すものが悪いことは確かだが、社会全体の問題でもある。罪を犯すに至った背景には、必ず、社会的な問題があるのだ。しかも、犯罪の中には、弱者ゆえに致し方なかったと思われるケースもある。経済的に恵まれ、社会的地位が高いものは自らが手を汚すことはないが、庶民は、常に多くのプレッシャー、ストレス、不満にさらされ生きている。罪を犯すものの多くは弱者であり、強いものは黙ってそれを見ているだけだ。犯罪の裏には強者からの見えざるプレッシャーがあるのだ。銀行が膨大な利益をあげているが、その裏では高利のサラ金に融資したり、なんでもありの投資会社に融資したりしているのだ。法律的には何の罪も問われないが、ついサラ金に手を出し、罪を犯すことになった人間に対してまったく責任がないと言えるのだろうか。
 庶民の力を結集すれば、小さな悪を撲滅することだってできるし、選挙権を行使することで政治を変え、少しでもよい社会にすることだってできる。そんな簡単なこともできない世の中だが、せめて心優しき人たちが損をする社会だけにはしたくないものだね。


悪いことばかりが続く日々

2006年05月28日 19時23分00秒 | 独り言
 企業の不祥事、事件、事故、気候不順、自然災害、公務員の不正など悲しい出来事ばかりが続く。昨日はインドネシアで大地震があり、死者は5000人を超える恐れもあるという。いつも辛い思いをするのは弱者である女性、子供、高齢者の人たちで、どこの国でも金持ちは安全な場所に住み、悲惨の状況を見て可哀想と思うだけだ。高い所にいる人間は世の中が見渡せ、いかにも世の中のことを十分にわかっているようなことをいう。庶民は低い平地で一生懸命働き、豊かな暮らしを願い額に汗水流し、毎日の生活ことしか見えないが、身の回りにある植物や動物に接し、日々の暮らしがどんなものか身をもって実感している。実物大の目の前にある暮らしを見ることなく、経済界、政界のお偉いさんは大所、高所から日本の未来を考えているというが、本当に世の中が見えているのだろうか。座談会、討論会でいかにももっともらしい意見を述べ合い討論しているが、いつになっても悪い出来事が絶えない。それどころかますます悪くなるばかりのような気がしてならない。最近の話題やニュースといえば、苦しいこと、悲しいこと、辛いことばかりだ。ブログの話題も明るいことが少なくて書きたくないと思う日々が続く。それでもすこしでも世の中がよくなってほしいものだね。  
 インドネシアの皆さん、あきらめたら終わり、どんなに辛いことがあってもお天道様に真正面に向き合って生きていくこと、それしかできないでしょうが、決してあきらめないでください。いつか必ず、いいことが待っています。嫌なことから眼をそむけず、じっと見つめていくことしかできませんが、少しでも早い復興を祈っています。

思いを馳せる

2006年05月22日 22時20分32秒 | 独り言
 現代社会は、コンピューター、ソフトウエアの進歩により、仮想現実を創りあげたり、膨大な計算をしたり、数十年前では不可能だったことがあっという間にできるようになった。一昔、ふた昔前には想像の世界だったものが、現実のものにもなっている。しかし、人間の想像力や新しいアイデアを創り出す力、モノを思う力は進歩しているのだろうか。いろいろなものが想像の世界であり、夢、希望、目標だった頃のほうが人間の思う力は強かったのではないだろうかとふと感じる。「思いを馳せる」という言葉があるが、そんなことをすっかり忘れてしまっているのではないだろうか。「思いを馳せる」とは国語辞典には遠くのことに思いを至らせることとあるが、もっといろんな意味がある気がする。海を見たことのないものが遠くにある海を思い浮かべたり、まだ見ぬ未来の恋人を想像してみたり、行ったことのない海外の国に強い願望を感じたり、人はいろいろ思いを馳せるものだった。思いを馳せることなく、安易にバーチャルリアリティーの世界に走ることは、なにかおかしいのではないだろうか。多くのことに思いを馳せることで、夢が広がり希望を持ち、目標に向かうことができるのだと思う。簡単に叶わぬ夢でも思いを馳せることで次への強い原動力となる。
 たくさんのモノが溢れ、夢や目標を失っている今、人はもう一度思いを馳せることを思い出してもいいじゃないかな。昨日は、平凡な父も久しぶりの五月の青空に、いくつかの思いを馳せたよ。辛いこと、悲しいこと、苦しいことが多い世の中だが、たまには思いを馳せるのもいいものだ。

松井選手、そしてスポーツの魅力

2006年05月20日 19時21分46秒 | 独り言
 松井選手の怪我でニューヨークを訪れる日本人観光客が激減しているという。松井選手も、観光大使として、ニューヨークを訪れるように日本に呼びかけたという。松井選手の人気のすごさを物語った話だが、日本人ファンは、松井選手に対して単に日本人大リーガー以上のものを見ているのだと思う。日本人大リーガーの中でホームランの魅力を持つ松井選手は確かに人気が高いのがわかるが、それを超えるものとして典型的な日本人の理想像を見ているのだ。どんな時も感情をあらわにすることなく、落ち着いた態度で礼儀正しく応対し、決して投げやりにならず、じっと辛抱強く事にあたる。過去の多くの麗しき日本の偉人はそんな日本人気質を持っていた。単なる優れた野球選手としてだけでなく、心の中にある夢や理想を見ているのだ。きっと今の殺伐とした世の中では、希望、夢、目標としての存在なのだろう。長嶋さんも日本人にとってプロ野球選手以上の存在だが、日本の発展とともに、多くの人たちの生きる希望や夢だったね。
 松井選手のいないヤンキースの試合を見てもなんとも物足りない気持ちだが、一人の人間が、これだけ多くの人に夢や希望を与えることができるのはスポーツの持つ大きな魅力でもあるのだろう。六月からはワールドカップも始まるし、また、たくさんの感動を期待しよう。

パートから社長、地域愛から愛国心へ

2006年05月17日 22時37分22秒 | 独り言
 清水邦明さんの実姉である橋本真由美さんという方がパートからブックオフの社長に抜擢された。新任の抱負で「社員がやりがいを持って働ける最強の現場をつくりたい。社長になってもレジには立ちます」と述べたという。誰もが入りやすい店作りの手腕が認められたとのことだ。こうした経営者が、初心を忘れず、お客さん、社員のことを考えた経営を続けるならばきっと会社も成長するでしょう。どこかの偽装騒ぎを起こした社長は捕まったようだが、人の不幸の上に成り立つ不当な利益は、いつかは破綻をきたすという典型だ。お客さんへのサービス、社員の働きがい、そして適切な利益配分を基本にすれば、本当に世の中から必要とされる会社になっていくだろう。経営トップになったときに、株主利益、企業の発展を優先し、社員、パート、アルバイトの献身や犠牲の上に成り立つ経営をしたなら、いつかは社会からそっぽを向かれてしまう。また、そうした企業の姿勢を厳しい眼で見る社会をつくっていくことが大人の使命でもある。
 教育基本法に愛国心を盛り込むことで議論が盛んだが、政治家には、愛国心を持てる国づくり、社会づくりに励むことを切に願う。愛国心は教育するものではなく、本来は、地域社会から自然に感じ取ることができるのが一番である。地域を愛し、国を愛し、地球を愛する心が平和の基本でもあると思うが、所詮理想としか思えないのだろうかね。実に簡単なことが理想にしか見えなくなった現代は、おかしなことが現実で、正しいことが非現実になってしまったのか。経済的損得ばかりが優先する社会がそんなにいいものとはどうしても思えない。


断然、中村俊輔選手を応援

2006年05月16日 21時12分11秒 | 独り言
 いよいよワールドカップ日本代表選手も決まり、ドイツに向かって発進。選抜されたメンバーの中でも中村俊輔選手は、わたくしの一番のお気に入りだ。前回の落選から四年、ついに日本代表に選抜された。ワールドカップへの意気込みを語る会見の場所には、デパートの屋上を選んだと言う。デパートの屋上のサッカースクールで、青空の下で熱い思いを語ったとのことだ。中村選手にはこの道一筋という一途さを感じる。世の中では多芸多才な人間がもてはやされるが、不器用さ、一途さ、青々しい熱さがなんともいい。これしかできない、これしかないという一途さが今の世の中では貴重品になったね。結果がどうであれ、思いっきりプレーし四年間のワールドカップへの熱い思いを存分に発散してほしいものだ。
一途に、ひたすらに、この道一筋、わき目もふらず、サッカーボールにすべてをぶつけてくれー。ガンバレーワールドカップ日本代表選手たち。

当然のようだが、苦しいときこそ真価が問われる

2006年05月14日 17時01分58秒 | 独り言
 人間も企業も苦境に立たされたときに、本当の力が出るものだ。Mファンドのように信義も道徳心もなく儲けしか考えない企業は簡単に海外に逃げていく。株主利益といっても一部の金持ちの利益のためだけを考えているのであり、国、社会のこと、市民のことなど一切考えていない。唯一の信念は株主利益。しかし、企業の経営効率を上げ、株価を上げることは社員のモチベーション抜きではありえないのだ。一時的な株価アップにより利益をあげること、それしかない手法には疑問を感じる。
 日本の景気がよくなっているが、社員の給与に反映させることが、最優先であり、給与に回ったお金が、結局は世の中全体の景気に結びつくのだ。日本の経営者は、利益が増えても、株主を最優先に考え、株価を維持することばかりを考えている。将来の企業の発展のため、買収を防ぐためと言い訳をしても、結局、それが経営者の評価に結びつくからである。グローバルな企業である前に日本を支える企業であることが大切だと思うがどうだろう。きっと景気が悪くなると、真っ先に給料を下げ、人員削減して乗り越えていくのだろうね。ほかにもっと正しい道があると思うが、国際的な経営コンサルタントがやってきたことは経済的効率性アップだけであり、人、技術をいかに活かすかではなかった気がする。
 松井選手も大怪我をしたが、本当の真価と進化は復帰後にかかっている。野球ができなくて苦しいだろう、肉体的苦痛で大変な思いをしているだろう。しかしこれを乗り越えたとき、また一歩、新たな野球への進歩がある。それができるプレーヤーだと信じている。最後はまた野球の話になってしまったね。


松井選手の復活

2006年05月12日 23時04分00秒 | 独り言
 松井選手が骨折により長期離脱となる。連続試合出場の記録も途切れることとなった。今年はひそかに40本塁打を期待していたがそれも難しくなってしまった。
松井選手が今できることは、少しでも早く怪我を治し復帰することだけだが、いったん野球から離れてみることで、新たな発見があるかもしれない。
 次に球場に帰ってきたとき、ニューゴジラとなって帰ってくることを信じている。人間の真価は苦境に立ったときにこそ問われるものだ。
 これを機会にニューゴジラとなってさらにパワーアップしてくれー。

日本の品格を失うな

2006年05月11日 21時55分22秒 | 独り言
 藤原正彦さんの『国家の品格』が受けている。すでに二百万部を突破し、『バカの壁』を越えるスピードで売れている。平凡なわたくしも読んだが、なるほどと思うことが多かった。古来の日本人の品格の高さを述べている部分には、大いには同感できた。特に武士道の中に日本の高い品格があると書いているが、それだけでなく、農民、職人、商人もそれぞれに誇りを持っていたのだろうと思う。資源に乏しい島国のなかで、苦しいときもそれなりに平和にやってこられたのは、精神の気高さにあるのだろう。一言でいうと日本人は皆で分かち合うことのできる民族であるということだ。少ない資源、農作物、海産物などを奪いあうのではなく、分かち合うことのできる数少ない民族なのだ。空腹な四人の人間の前に一つのりんごがあるとして、それを四つに分け皆で分かち合うのか、争い奪い合い独り占めするのか、そのどちらが本当にりんごをおいしく食べられることなのかを知っているのだ。こうした品性により、グローバルなビジネス戦争の中では時に損をすることも多いが、それでいいのだと思う。日本人は日本流のやり方でビジネスをやっていけばよい。
 Mファンドが税制優遇され、ビジネスのやりやすいシンガポールに移転したというが、合法的金儲けしか考えないハゲタカファンドは、日本の企業からも手を引いてほしいものだよね。

野球選手にファッションセンスが必要か?

2006年05月09日 21時58分20秒 | 野球
 新庄選手がまたまたお騒がせしているようだ。「オシャレで見た目も良くて、カッコ良くて。そうじゃないと若い子は見に来ない」、「もう野球だけじゃ、これからはダメです」とテレビで発言したと言う。そんな行動に、野球界の経営者、一部の選手も賛同しているらしい。もう野球というスポーツはショーになってしまうのか。これからプロ野球を目指す選手には野球センスと同時にファッションセンスを求めるというのだろうか。プロの選手は球場入りするときにスタイリスト、ヘアデザイナーなどを連れて入れと言うのだろうか。芸能人化するスポーツ選手が多いことは確かだが、それは現役を引退してからのことであり、ファッションセンスを発揮するのは普段着のときでいいんじゃないの。客が呼べればいいだけの一部の経営者たちが新庄選手のファンサービスに賛同しているらしいが、プロ野球選手を目指す子供達のことを考えてみるといい。有名高校、有名大学、プロチームのユニフォームを夢見て、練習に明け暮れ、能力、技を磨いているというのに、見た目が大事だ、ファッションセンスがいるだというんじゃ、やってられないよね。ファンのためにやっていると言うが、野球ファンのためでなく、新庄選手の行動を面白がっているファンのためだけのような気がするが、野球を愛するファンはどんな気持ちだろう。
 グランド上のプレーでファンを魅了できないとしたら、日本のプロ野球は終わりかもしれない。また、貴重な日本文化の一つが絶滅の危機に瀕している。ファッションセンスを持ったプロ野球選手はいてもいいが、プロ野球選手にファションセンスを求めることは理解できないね。