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平凡な父のHitori言

平凡なサラリーマンのありふれた道程の記録

我が家のハチドリ計画

2007年01月20日 19時21分42秒 | 環境
 今日から、地球温暖化を取り扱った、アメリカ映画「不都合な真実」が公開される。
氷河の溶解や大型ハリケーン、熱波の被害を映像で示し、アル・ゴア前副大統領が地球温暖化の問題をわかりやすく解説したものだ。先週には、公開に先立ち日本を訪問し、テレビ出演や講演を行っていた。一般の人たちにもわかりやすい映画でおすすめできる。最近、テレビでも地球温暖化を盛んに取り扱っており、ようやく多くの人にも地球温暖化のリスクが理解されてきたようだ。
 ひとり一人ができることを一つずつ実行していくことでしか解決できない問題だけれど、決して解決できない問題ではない。こうした活動を進める運動のひとつにハチドリ計画と言うものがある。北米の原住民に伝わるハチドリの伝説をもとに地球温暖化をみんなで進めようとする運動だ。

 ところで少し前に、地球温暖化特集のテレビ番組を見ながら、うちの閻魔様にハチドリ計画と言うものがあるんだよと話をしたときのことだ。

閻魔様  「なに?ハチドリ計画?」
     「それって、私が八取って、あんたが残りを二を取ること?」
     「そう年取ったら、将来、年金の八割を取り、残りの二割をあんたに上げようと思っているの」
平凡な父 「・・・・・」がっくり

こりゃ将来は、否が応でも、地球に優しいささやかな生活ができそうだ。

大雪よ、止んでくれ

2005年12月22日 22時02分07秒 | 環境
 関西と新潟で大雪のため大停電が起きている。新潟には約三万人の一人暮らしの高齢者がいるとのこと。早く、電力を復旧しないと大変なことになる。一人暮らしの高齢者にはこの寒さ、暗闇はさぞかし辛いことだろう。日本は少子化、高齢化が進み、人口も今年はじめて自然減になったという。高齢者をひとり田舎において暮らす子供達はどんな気持ちだろう。ますます少子化が進むのは、親子の気遣いも必要ないと思うからだろうか。自分の代でこれまで続いてきた命の循環も途絶えてもかまわないとおもうからだろうか。そんな気持ちしか持てなくなっているとしたら、結局は今の大人の責任に違いない。そのひとりとして申し訳なさを感じるとともに、何とかしないといけないという焦燥感がつのる。子供のことを心配しない親はいないが、普段は何の心配もしない自分の親のことは、こんなことがあるとふと気になるものだ。電力会社の皆さんも必死になって頑張っていることでしょうが、一刻も早い復旧を祈るばかりだ。
 最近の異常気象を目の当たりにすると、人間の勝って気ままに地球が怒っている気がして仕方がない。問題を引き起こしているのも人間、解決できるのも人間、できることからやっていくしかない。

LOHASとは

2005年12月20日 20時53分13秒 | 環境
 環境ビジネスの世界で、今、LOHASという言葉がキーワードとなりつつある。Lifestyles Of Health and Sustainability の頭文字を取った略語で、環境と健康を指向するライフスタイルだという。ロハスという言葉はもともとUSAからきたもので、消費者層の価値観調査から出てきた概念とのこと。価値として環境と健康を重視したライフスタイルということで、精神的、知的、経済的にも比較的高く、上昇志向が強い人たちを指すらしい。これらの人たちを簡単に表す言葉としてエコとエゴの両立で説明されている。ビジネス上もヨガ、雑穀米,無農薬野菜などの健康食品、ハイブリッドカー、オール電化などがロハス層を狙いに展開されつつある。おしゃれで気軽な生き方が、これまでの環境、健康志向のグリーンコンシューマーとは少し違っているようだ。エコを価値として高く評価することは地球環境にとってもよい流れだが、少し違和感もある。特に健康面を強く求めすぎると、持続可能性で表される環境と両立しなくなるからだ。健康を強く求めると最後に行きつくところは、不老不死。いつまでも美しく健康に暮らすこと、それは究極の幸福なのだろうか。不老不死と持続可能性が両立するということは、同じ人間たちが永久に生き続ける世界だ。永久に不滅の命、それが達成されたとき、あらゆることを次の世代に引き継ぐことが必要なくなり、同じ人間たちが永遠に同じ生活を繰り返し、ますます、便利さ、快適さを求め続けることになるだろう。そのとき、人間は何を目的に生きていったらいいのだろう。自然界では常に新しい命が生まれ、成長し、年老いてやがて死を向かえ自然に帰る。自然はその終わりのない循環により成り立っている。
 人間は常に科学技術の発展を目指すようにできているように思う。何を目的に科学技術を発展させるのか、どうしていいのか答えは見つからないが、自然を理解し、自然と同化すること、自然の循環にまかせること、そして、そのための科学技術であるべきなのかもしれない。もうそろそろ、モノの価値観を見直し、要らないものを捨てて、身軽に生き、生涯を終わることを考えないといけないのかもしれない。
 平凡な父は、ロハスが単なるビジネスに利用され、ブームで終わることなく、さらには、むやみに健康でおしゃれな生活を追い求めることにならないよう願っている。野暮でちっともおしゃれじゃなくても、気持ちは、いつも抜けるような青空、すがすがしい五月の微風の中にいるようでありたい。ロハスがビジネスの種から人生の信念、哲学へと大きく成長していくように見守っていくよ。チョイモテ親父にはなれないが、ちょいとだけ役に立つ親父になりたいものだね。

エコプロダクツ2005の帰りに見た希望の星

2005年12月16日 23時52分12秒 | 環境
 今日、東京ビッグサイトで開催されているエコプロダクツ2005に行ってきた。予想以上に盛況で活気があり、科学技術の進歩が、人間の暮らしの便利性、快適性に活かされるだけでなく、人間社会と自然の融合に活かされる道はまだ残されているのではないかと希望を抱いた。会場の温度がちょっと暑く、エコプロダクツ展なのだから、もっと低い温度にすべきだろうと思ったが、あれは会場の熱気のせいだったのだろう。終了の時間となり、建物の外に出ると、もうほとんど日が暮れていたけれど、ビルの群れと夜空の境目が微かに薄紅に染まっていた。ふと見上げると夜空にひとつきらきらと輝く星が見えた。あれはなんの星だったのだろう。平凡な父には地球の未来の希望の星に写ったけれど、東京の冬空もまだ捨てたモンじゃないとちょっとうれしい気がしたよ。自然と都会の融合もきっと可能だと信じたい。これから向かうべき道は平坦ではないが、一人ひとりが決意さえ持って進めば、決して険しいだけの道ではない。

止まれない車輪のように

2005年12月06日 21時01分17秒 | 環境
 地球温暖化防止の国民運動のひとつとして、クールビズ、ウォームビズが進められている。これまでの節約、ケチ、辛抱のイメージを払拭し、それこそクールでファッショナブルな運動にして、国全体で盛り上げようとしている。冷暖房の温度の設定をゆるめにして、電力消費量を下げるということは賛成できるが、もうこの時期に、来年のクールビズのファッションショーを催すという。これって本当に環境にいいのだろうか。毎年、毎年、新しいファッションのために、お金を使わせ経済効果をあげつつ環境にもよい循環を生み出そうとしているのだろうが、必ずしも必要でないモノを新たに生産しなければならない。そのために消費するエネルギーを考慮に入れるとトータルでエネルギーの消費は減っているのだろうか。大いに疑問だ。
 日本では、最近、ますます、商品の寿命が短命化しているという。自動車の車名も売れる期間もどんどん短くなっているという。日本の国全体が、常に刺激を受け、動いていなければ生きていけない生命体になってしまっているのではないかと心配になる。じっと止まって考え、ゆっくり暮らしていけば、今の倍の時間を楽しむことができるのに、どうして忙しく働き続けるのだろうか。そういいながら、自分自身も人生のパートナーである閻魔大王(鬼嫁なんてかわいいものだよ)にいつも何を急いでいるの?と疑問符を投げかけられているのだが、もう少し日本の時間軸を世界の時間軸に合わせるようにしないと、ビジネスの世界では勝ちぬいても、真に豊かな国になれるのかどうかはわからないような気がする。2倍のスピードで働くことが、2倍の幸せにはならないことを、もういい加減に悟ってもいい頃だ。

地球温暖化防止月間

2005年12月05日 21時58分34秒 | 環境
 12月は地球温暖化防止月間だ。環境省の協賛のもと、『大停電の夜に』という東京の停電の夜を想定した映画を通しても、地球温暖化防止を訴えかけているらしい。確かに、スイッチを入れればいつでも電気がつく毎日だが、一年に一度くらい、日本中の電気を止める日があってもいいのではないか。真っ暗な夜には、きっと満天に煌く無限の星が望めることだろう。子供の頃以来、じっくりと夜空を眺めた記憶はほとんどないが、昔は、星座の名前も少しは覚えていた。今ではほとんど思い出すこともできない。
 今の世の中は、便利さ、快適さを求め続けたことで、逆に失ってしまったものも多い。たまには、不便な生活を通して、何が本当になくてはならないのかを考えないと、真に地球温暖化を止めることはできないだろう。日本は環境と経済の両立を目指しているが、両立はありえないと思っている。経済が多少なりとも悪化し、不便な生活を送ることを覚悟してでもやる気でなければ、本当に止めることはできないだろう。何が大事か大切か、本当に必要なものがなにかがわかれば、不便なことなんかなんでもないのに、そうしたことから眼をそむけ、モノの豊かさを求めている限り、正しい道筋は見えてこないだろう。できることから少しずつやるしかないが、ふと無力さ、迷いを感じることが多い日々である。