平凡な父のHitori言

平凡なサラリーマンのありふれた道程の記録

思いを馳せる

2006年05月22日 22時20分32秒 | 独り言
 現代社会は、コンピューター、ソフトウエアの進歩により、仮想現実を創りあげたり、膨大な計算をしたり、数十年前では不可能だったことがあっという間にできるようになった。一昔、ふた昔前には想像の世界だったものが、現実のものにもなっている。しかし、人間の想像力や新しいアイデアを創り出す力、モノを思う力は進歩しているのだろうか。いろいろなものが想像の世界であり、夢、希望、目標だった頃のほうが人間の思う力は強かったのではないだろうかとふと感じる。「思いを馳せる」という言葉があるが、そんなことをすっかり忘れてしまっているのではないだろうか。「思いを馳せる」とは国語辞典には遠くのことに思いを至らせることとあるが、もっといろんな意味がある気がする。海を見たことのないものが遠くにある海を思い浮かべたり、まだ見ぬ未来の恋人を想像してみたり、行ったことのない海外の国に強い願望を感じたり、人はいろいろ思いを馳せるものだった。思いを馳せることなく、安易にバーチャルリアリティーの世界に走ることは、なにかおかしいのではないだろうか。多くのことに思いを馳せることで、夢が広がり希望を持ち、目標に向かうことができるのだと思う。簡単に叶わぬ夢でも思いを馳せることで次への強い原動力となる。
 たくさんのモノが溢れ、夢や目標を失っている今、人はもう一度思いを馳せることを思い出してもいいじゃないかな。昨日は、平凡な父も久しぶりの五月の青空に、いくつかの思いを馳せたよ。辛いこと、悲しいこと、苦しいことが多い世の中だが、たまには思いを馳せるのもいいものだ。