平凡な父のHitori言

平凡なサラリーマンのありふれた道程の記録

風邪がひどい

2007年02月12日 19時16分13秒 | 独り言
 先週末から、風邪を引いてまだ直らない。咳とたんがひどい。病気になると健康のありがたさがよくわかる。ただの風邪とはいえ、(たぶんそうだと思うが)一週間以上も続くと嫌になる。重病にかかったら、ただ日々を平凡に過ごせただけで満足できるのだろうか。病気になると、体と精神がつながっていることが実感できる。なんとしても今週末までには直したいものだ。
 プロ野球、メジャーリーグももうすぐスタート。桑田、松井、イチロー、松坂をはじめ多くの日本人プレーヤーが活躍する姿を健康な体と精神で眺めたいものだ。どんどんメジャーに日本人選手が進出するが、それが野球の国際化の流れなのかもしれない。いつの日か、サッカーのように世界中の選手がいろいろな国で活躍するのだろう。それまでに、地球の環境も暮らしやすいようにしなければならない。そんな普通のことしか思い浮かばない。

みせる価値、使う価値

2007年02月04日 17時16分27秒 | 独り言
 物の価値の中には、人に見せびらかしたり、自慢したりで意味を持つ価値と、使ったり、利用したりで意味を持つ価値がある。全社の典型的なものが宝飾類や高級品と呼ばれるものだ。他人に見せなければ価値がなく、ひとり眺めていてもなんら意味がない。後者は日常身の回りにある日用品で、使うことや利用することで手間が省けたり、快適だったり、楽だったりする。見せる価値は他人と自分を比較して幸せを感じようとする行為につながるもので、第三者から見ると人間のさもしさを感じることもある。使う価値は、ともすれば楽を求めるだけで怠惰につながることもある。物の価値を求めすぎることは、どこかでおかしなことになる。
 人間は地球上で唯一見栄を張る生物であり、数少ない道具を利用することを知った生物でもある。どこかで進化の方向を誤っちゃいないのかねー。

ある普通の人のささやき

2007年02月02日 22時39分28秒 | 独り言
 世の中にはいろいろなものさしがある。重さ、長さ、熱さを測るいろいろな秤もそろっちゃいるが、幸せを測るものさしは一つじゃないね。
 人はお金の量や地位の高さで幸せを測ったりしがちだが、幸せの秤は自分だけのもので、他人と比較するものじゃないのさ。いつかきっと気づくはずだ。幸せは人生の中で、一つひとつ拾い集めていくもので、不幸を拾うこともあるってことをね。
 わたしは、二つのポケットを持っているよ。一つは幸せを、もう一つは不幸を入れるポケットだ。不幸を入れるポケットの底には穴を開けておくことにしているよ。幸せを入れるポケットはチャックを閉めて大事にしまっておくのさ。人生の終わりには手のひらでそっと確かめ、にっこり笑ってさよならというつもりだ。

ある対話

2007年01月31日 22時15分13秒 | 独り言
現代人 : 「イヤー儲かったもうかった、また数十億のお金を儲けてしまったよ。俺様の才能は底知れないねー。儲けてももうけても、もっとお金がほしくなるよ。」
古代人 : 「そんなにお金を儲けても使い道がないじゃないのかい。」
現代人 : 「何いってんだい。子供に残しておきたいし、孫にもひ孫にも、いやいや子孫がずーっとずーっと楽な暮らしができるようにしたいんだよ。きっと、未来の子孫たちが、ご先祖様は偉かったと大いに感謝してくれるだろうからね。」
古代人 : 「だけど、自然がなくなり、人間以外の動物、植物がいなくなって、たくさんの人たちが苦しんでいるようだが、それでもいいのかい。」
現代人 : 「何いってんだい。わしらの子孫たちは、それこそ持続可能な暮らしができているじゃないか。発展には犠牲はつきものさ。見てみなよ、このふんだんにモノにあふれた持続可能な社会を。」
古代人 : 「ふーん、それが持続可能な社会なのかね。昔のほうがよっぽど豊かで喜びを感じることができた気がするけどねー。技術ってそんなにすごいのかねー。ふーん、便利で快適なことが幸せなのかねー。」

奪い合うから分かち合うへ

2007年01月30日 20時04分19秒 | 独り言
 自由な社会は自由な経済を生み、努力したものが報われる社会を生んできた。アメリカではアメリカンドリームと呼ばれ、能力、才能があり、努力し、チャンスをつかんだものは大金をつかむこともできた。その発展を夢見て多くの国が同じ道を歩んできた。しかし、多くの人が自らの持つ技能、才能、労力を捧げる企業という場は、いつしかそのかたちを変貌し、資本力のある個人、銀行、投資会社の金を生む道具となり、もうけたお金の大半を分配するのではなく、奪い合う場となった。株価を上げ、次への投資を集め、企業が伸び続けるためという名目の下に、人件費という形での利益の配分は、どんどん軽視されてきた。そもそも商品の作り手が誰であり、受け手が誰かは明らかだ。商品の流れの最も重要な要素はその始点と終点である多くの社員と消費者だ。それらを置き去りにし、その経済システムからいかに多くの財を生むかを目指す経営をするから不祥事が生まれ、格差社会を作り、経済の発展が人々の幸福と結びつかなくなる。
 もうそろそろ、奪い合う経済から、分かち合う経済を目指さなければならない時にきている。持続可能な経済とは永遠の成長を基本としなくてもよい。適正に利益を上げ、それらを分かち合い、がんばったものが金銭的に報われるだけでなく、尊敬を得ることで満ち足りることが大事じゃないのかね。「足る」を知り、「分かち合う」を喜ぶことはそんなに難しいことではないと思う。苦労も幸せも分かち合えば、苦労は数十分の一、幸せは数十倍になると思うが、単なる幻想に過ぎないのかね。多くの不幸の上に成り立つ幸福はきっと大きな罪でもある。


正しい者が選ばれし者

2007年01月29日 23時15分32秒 | 独り言
 勝負の世界では勝った者が強いという。だが、強い者が選ばれし者ではないのだ。歴史は物語っている、強い者ではなく正しい者が選ばれる世の中にしなければならないと。そして、最後にそうなるに違いない。だからこそこれまで歴史は続いてきたのだから。

持続可能な経済とは

2007年01月28日 18時37分40秒 | 独り言
 企業の存在価値は提供するサービスや商品が世の中にどれだけ役に立つか、いかなるベネフィットを提供できるかで決まる。しかし、さらに重要なことはその得られた利益をどのように配分するかにもあるのではないか。税金として国に収める、給与として社員に配分、将来の発展のために投資に回す、株主に配分、社会貢献として社会に還元など、その配分先はいくつかある。この配分が正しくなければ、富の格差を生み、ゆがんだ社会を造ることになる。できる限り、多くの人に配分されるようにしないと、富は豊かな金持ちに集まっていくばかりだ。そういう意味で、株主への配分は最小限でいい。お金を出しただけで多くの利益を得ることは資本力のあるものにお金を多く配分することになり、結局、大が小を、強者が弱者を飲み込むことになる。経営コンサルタントはいかに多くの利益を上げ、株主を重視し株価を上げるかを考えているばかりであり、この利益をいかに適正に配分するかは一切助言しない。今の経済学だっていかに利益をあげるかは解析するがその配分については研究対象としない。持続可能な経済発展には今の経済システムを変革しなければならないと思っている。しかし、権益、財力を握ったものが世の中を仕切っているようではままならない。
 今世紀のうちに、真の経営者、経済学者が現れることを願う。


ちっちゃな欲望

2007年01月27日 00時03分58秒 | 独り言
 人間は様々な欲望を持っている生物であり、地球上でもっとも欲深い生物だ。スポーツがうまくなりたい、おいしいものが食べたい、異性にもてたい、頭がよくなりたい、お金をもうけたい、健康でありたい、褒められたい、えらくなりたい、楽をしたいなどと欲望には際限がない。しかし、欲望があるからこそ人間なのだろう。その欲望をどのように表すかが大事なんだろうなー、単なる欲に終わらすか、向上心として活かすか、そこが人生を分けるのかもしれない。
 しかし、メタボリックな腹を見るにつけ、我が欲望の現実には目をつむりたくなる。心の中で、食欲が痩せたいという欲に少し勝っただけのことで、将来の食糧危機に備えているんだと言い聞かせてはいるが。まーこんなちっちゃな欲は欲望ともいえないか。

利益は目的か

2007年01月25日 20時37分47秒 | 独り言
 今年もテレビ局、お菓子メーカを始めとした企業の不祥事がなくならない。いろいろ原因はあるだろうが、元凶はひとつ。経済的結果である利益を求めることにある。結果だけを求め、結果を恐れ、ひたすら利益を優先した結果が不祥事を引き起こす。どんな不祥事も目先の利益を追い求め、表面化しない隠れた損害に目をつぶることからおき、その責任は経営者、管理職にあるのだ。「損して得取れ」という昔のことわざは広い意味で今も生きている。長期的な経営を考えるなら、一時の損よりも後々の大きな利益や社会からの信用のほうがはるかに大事なはずなのだ。
 企業の存続は利益なしではありえない。しかし、利益が目的になっては企業の持続的発展はありえない。企業の存在価値は経済的利益ではなく、商品、サービスを通していかに世の中に役立つかだ。提供する商品、サービスの価値に目的を置くなら、時には利益を犠牲にしてもかまわないし、結果としていつまでも利益が出ないなら、その企業は必要とされていないということだ。無理やり利益を上げ存続するくらいなら、勇気ある撤退、消滅の道を選ぶべきではないだろうか。
 利益を求める陰にはモラルのかけらもない株主の存在がある。結局はステークホルダーとして誰を重視して経営するかであり、一番大切にすべきはお客さんであること、そして、まじめに仕事をやる従業員であることを忘れちゃいけないということだ。
 そんな当たり前のことがいつまでたっても出来ないのは、日本の経営者を選ぶ過程に問題があるのかもしれない。簡単に社長の首を付け替えてお仕舞いじゃーいつまでたっても同じじゃないのかねー。日本には志の高い経営者はいなくなってしまったのだろうか、立派な従業員はいるのにね。

我が家の日本一小さな物語

2007年01月23日 23時30分46秒 | 独り言
 福井県丸岡町の「日本一小さな物語」である「第4回新一筆啓上賞」の入選作品が発表された。地方発進の心豊かな文化はうれしくなるね。
以下のサイトをご覧ください。
http://maruoka-fumi.jp/shinippitsu/shinippitsu04.html

 我が家の日本一小さい物語「父」の書簡。
往 「息子へ」
 おい、元気か。
復 「父へ」
 ああ元気だよ~~~。

元気の印の語尾の「~~~」にひと安心。いつまでも心配はつきない。