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SIMON AND GARHUNKEL'S GREATEST HITS HGM

2014年09月14日 15時03分54秒 | 趣味・特技
SIMON AND GARHUNKEL'S GREATEST HITS


サイモンとガーファンクルグレーテスト・ヒット
SIMON&GARFUNKELS「GREATES HITS」


当時、サイモンとガンファンクルは人気の絶頂期にありながら、解散のう
わさが絶えなかった。その頃の二人の関係が、このアルバム発売の経緯と
ともに単なる仲たがいでないことを詳しく書かれている。

署名記事ではないのでだれが書いたのかわからないが、サイモンとガンフ
ァンクルのファンにとって最大のなぞであったことが、少しでもわかるこ
とであれば、興味は尽きないと思い掲載させていただいた。

二人は今でも伝説のシンガーであり、素晴らしい歌を世に残した。二人が
互いに信頼関係を維持しながら、芸術的な思いの違いなどから解散する例
は多いが、解散しなければならない理由はいくらでもある。
本当のところは今でも謎ではないかとさえ思う。だがそれでいいのではな
いと思うこともあって、気になる方のためにお読みいただければいいので
はと思っている。

このアルバムは二人にとって最後のアルバムとなった。

SideA

1.ミセス・ロビンソン
MRS.ROBINSON
2.エミリー・エミリー
FOR EMILY,WHENEVER l MAY FIND HER
3.ボクサー
THE BOXER
4. 59番街橋の歌(フィーリン・グルービー)
THE 59th STREET BRIDGE SONG(Feelin'Groovy)
5.サウンド・オブ・サイレンス
THE SOUND OF SILENCE
6.アイ・アム・ア・ロック
I AM A ROCK
7.スカボロー・フェア/詠唱
SCARBOROUGH FAIR/CANTICLE

SideB

1.早く家へ帰りたい
HOMEWARD BOUND
2.明日に架ける橋
BRIDGE OVER TROUBLED WATER
3.アメリカ
AMERICA
4.キャシーの歌
KATHY'S SONG
5.コンドルは飛んで行く
EL CONDOR PASA(lf I Could)
6.ブックエンド
BOOKENDS
7.いとしのセシリア
CECILIA

この"S&Gグレーテスト・ヒット"を手にする君に

はじめに

S&Gグレーテスト・ヒット。とうとう僕達の前に姿を見せました。ポールと
アート自身が選曲し、アメリカ屈指のプロデューサー、ロイ・ハリーを加
えた三人がスタジオ録音とライブ録音、S&Gすべての録音を再検討し、練り
に練って制作した"グレーテスト・ヒット"アルバムです。
え!?日本では前にもグレーテスト・ヒットのアルバムがあったじゃないか?
と首をかしげるファンもきっとおいでになることでしょう。

日本でかつて制作されたグレーテスト・ヒットのアルバムは、「明日に架
ける橋」が生れる前のS&Gの作品を編集したものと(SONX-60081)、71年5月
にポールとアートが選曲を完了した段階でかつてのアルバムに収められた
テイクをそのまま使って発売された「明日に架ける橋」を含むグレーテス
ト・ヒット(第2集にあたり、現在ではS&Gゴールド・ディスクSOPN-10で発
売中)の二種類がありました。

いま君が手にしている、このグレーテスト・ヒット《新版》は、選曲上は
チラリと見ると、その第二集(ゴールド・ディスク)とまったく同じですが、
原型をとどめているのはわずか4曲しかないという物凄く手を加えた"全く
違う"グレーテスト・ヒット・アルバムなのです。
しかも、S&G解散説が飛びかったさなかの1971年にポールとアートが1年余
を制作に費やして生まれたという、むしろ皮肉な事実さえ秘めています。
解散説のなかで、偉大なトータル・アルバムとするためにポールとアート
が懸命な努力をしていたことに思いをはせて、針をおろして下さい。

ポールとアートの友情が生んだ.
"S&Gグレーテスト・ヒット"

S&Gの解散が噂にのぼるようになった1970年に、実は、ポールとアートが、
この"グレーテスト・ヒッドのアルバム制作に入っていたのをご存知でした
か?
S&Gの真実については、ポールとアート、そしてプロデュース協力に入った
ロイ・ハリーを含むごくひとにぎりの関係者を除いては誰も知りませんで
した。

ポールとアートが、未曽有の強行スケジュールで連続キャンパス・コンサ
ートに登場し、初めての特別テレビ番組をとる一方、レコード業界の記録
を塗りかえたあの大ベスト・セラー・アルバム「明日に架ける橋」の制作
をも進めていた1969年秋を最後に、S&Gの二人揃った姿は一般の目の前にあ
らわれなくなりました。

S&Gの解散"説"は、ここから生れたのですが、この後、アートは映画主演第
二作「愛の狩入一Carnal Knowledge」の撮影をすすめ、ポールが新しくソ
ロ・アルバムの制作に入ったことからますます真ぴょう性は高くなり、世
界のポップス・ファンの間に"S&G解散のさびしい波紋を広げていきました。
ところが、実はこのさなかに、ポールとアートは二人にとって初の"グレー
テスト・ヒット・アルバム"の制作に入っていたのです。

ポールとアートは、ロイ・ハリーの協力を得て1971年5月にはこの"グレー
テスト・ヒット・アルバム"の選曲と曲順を決定していました。そして、簡
単な寄せ集めのグレーテスト・ヒットには満足せず、大部分が録音されて
いた69年秋の大規模な連続コンサ~トのテープや、レコードには登場しなか
った同曲の別テイクテープを全て聞きなおし、一曲一曲を現在のポールと
アートの満足ゆく演奏に改めたばかりでなく、一部では新ミキシングによっ
てサウンドの改良を施すという常識では考えられないグレーテスト・ヒッ
トを生むために、努力を重ねていきました。

選曲と曲順決定だけでも2ヶ月、その後の内容の仕上げに12ヵ月。この"グ
レーテスト・ヒッド"がいよいよファンの前に登場したのは1972年7月(日本
ではそれから約1ヵ月後)のことでした。
曲目は同じでも今までのレコードと違う演奏のものが4曲、ミキシングし直
してサウンドを変えているもの5曲を収め、拍手をかぶせて効果を加えたも
の1曲を加えて、全14曲のうち、オリジナルの姿をそのままとどめているの
はわずか4曲という前例のないこの」S&Gグレーテスト・ヒット"は、こうし
て生れたのです。

小学生時代からの良き友。大学で英文学を専攻(同時に法律の専門学校も卒
業)したポール。博士号さえ持ち、数学や建築の研究者としても卓越したア
ート。
遠く離れたニューヨークとサンフランシスコにありながら、ともにフォーク
を歌い、やがてニューヨークで再会、グリニッチ・ビレッジでS&Gをスター
トさせた1963年。そして1964年早春、S&Gとしての初アルバム吹込み。ヒッ
トのない苦難を乗り越えるポールのイギリス時代。そして1965年も暮れよう
とする頃、こつ然と生れてきた「サウンド・オブ・サイレンス」の大ヒット。
共感を呼ばずには置かない理念に裏づけられ、深い洞察と天賦の才能が生む
鋭い啓示に満ちたポールの詩作。言葉の壁を打ち破り、全世界の人々の心に
一瞬のうちにとけこんでしまう珠玉のようなポールの曲想。そして詩と曲に
命をふきこむポールとアートのデュエット・ボーカル……。

それらが一体となって、S&Gを現代の知性を代表する位置においたのです。
ポールとアートがまだハイ・スクールの頃、トムとジェリーという芸名で
"ヘイ・スクール・ガール(イン・ザ・セカンド・ロウ)"というロックン・ロ
ールのシングル盤を出して10万枚クラスのヒットとなったのは二人が16才の
1957年。この時から数えても15年、小学校の卒業生歓送学芸会で顔をあわせ
て気のあった友達になった1951年から数えれば21年という長い間、励ましあ
い、努力を続けてきた二人の間にはぐくまれてきた友情が、"解散"という言
葉で終止符を打たれるなんて事はほんとうに悲しいことです。

僕達が予告も前ぶれもなく大切な友を失わなければならないような淋しさ、
と云ったら良いのでしょうか…。

ポールとアートがこれを破り、二人の友情が少しも変らないものであること
を一般に証明したのは、去る6月14日(1972年)のことでした。
アメリカの進歩的勢力から支持された次期大統領候補(民主党指名)マクガバ
ン氏の支援コンサートが開かれたニューヨークのマジソン・スクウア・ガー
デンに集まった人々の前に、ポールとアートは姿を現わし、「ミセス・ロビ
ンソン」「セシリア」のあと、「母と子の絆」をデュエットで歌い始めたの
です。解散説を決定的にした72年のポールのソロ・アルバム「ポール・サイ
モン」のA面トップ曲、しかもチャート上位に入ったポールー人のヒット曲、
「母と子の絆」が始まった時、マジソン・スクエア・ガーデンは興奮のるつ
ぼと化しました。

ヒット曲が出て来ただけなら「ミセス・ロビンソン」や「セシリア」と、拍
手も歓声も変らなかったでしょうし、「母と子の絆」の後に歌われた「スカ
ボロー・フェア/詠唱」「59番街橋の歌」「アメリカ」「サウンド・オブ・
サイレンス」、そして「明日に架ける橋」の方が大きかった筈です。でも、
集まった聴衆は「母と子の絆」に最大の拍手を送り、讃嘆と興奮で応えたの
です。

音楽的な自由や、ポールとアートの生き方の自由が、別々の活動につながる
"仕方のない"ものとしても、二人の友情と信頼だけはなくならないで欲しい。
二人の若者に、人間の孤独と社会の矛盾、そして世代の間にある断絶に立ち
向い、恐しさのあまり避けて通ってしまう人間と現実に触れる勇気と力を支
えてきた友情と信頼がぶちこわされ、"解散"によって、今まで歌われてきた
二人の理念が空虚な記録になることだけはあって欲しくない…。

こう念じてきた人々にとって、ボールがひとりで作ったアルバムから生れた
ヒット曲「母と子の絆」をデュエットで歌ったことは、S&Gにとっての"解散"
は単なる外形的なものであり、二人の友情は変るものではなかったことの証
(あかし)となって、暖かい興奮を巻き起したのです。

このコンサートの直後に市場に送り出されることになったこの"グレーテスト
・ヒット・アルバム"が早なる寄せ集めでなく、ポールとアートの協力から生
れた斬新な卜一タル・アルバムであったことは、再び二人の友情が少しも変
るものでないことを訴え、単純な"解散説"を否定する意味を持っていること
をあらわしています。

僕達にとってこの"S&Gグレーテスト・ヒッドがどんな背景を持っているかを、
君も考えてみて下さい。

HP  HEALING MUSIC GREENDOOR


9月13日(土)のつぶやき

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