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ポ-ル・マッカットニー「ヘイ・ジュード」をロンドンオリンピック フィナーレで歌う HEALING MUSIC

2012年07月28日 10時08分00秒 | 日記
ロンドンオリンピックの開会式を見ていた。ビートルズ、ポール・マッカットニー
がどこで出てくるのか興味深かった。世界的なアーチストとして、顔を出さないは
ずがないと信じていたが、なかなか出番がない。やはり出ないのかなあと残念に思
い始めた最後の時、すでに聖火も点火され、まさに終ろうとしていた時に、彼は颯
爽と出てきた。曲は「ヘイ・ジュード」。年齢は感じたが歌声にははりがあり、最
後を飾るにふさわしい場面だった。最後の「Da da da da da da ,da da da, hey jude」
のフレーズは、自ら立ち上がり、全員の前に立ち、観客、選手全体の合唱を促した。
何度繰り返されたか、数えなかったのが残念。十回以上は繰り返されたと思うが感
動的だった。ヘイ・ジュードは、ポールがジョンの息子、ジュリアンにささげた歌
で、最初は「ヘイ・ジュリアン」にするつもりだったが、車を運転しながら口ずさん
でいるとき、「ヘイ・ジュード」のほうがなじみやすかったため「ヘイ・ジュード」
にしたという逸話がある。ジュリアンへの慈愛に満ちた歌で、ポールの最高傑作の
一つであると思う。私も最も好きな曲である。元気な姿とともに、最高の場面で見
られたことに感動している。


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淡雪のよう消えた「初恋」村下孝蔵 HEALING MUSIC

2012年07月27日 12時25分02秒 | 日記
淡雪のよう消えた「初恋」村下孝蔵。「初恋」は好きな歌だった。
高校時代に淡い恋心を抱いた人を思い起こさせる。特に語り合うこ
ともなく、遠くから眺めていたような恋だった。初めて話をしたの
は、朝早く登校し、受験勉強を皆が登校してくる前に打ち込んでい
た時に、彼女も朝早くやってきたことがきっかけで話すようになっ
た。初めはドキドキし、勉強どころではなかったことを覚えている。
しかし、徐々に打ち解けお互いに同じ大学を受けることもわかり、
二人で頑張ったものである。大学にも無事入学したが、その後が惨
めだった。私の思いとは裏腹に彼女は私にいつまでも友人でいたい
という言葉を残して去って行った。
卒業後すぐに一度会ったが、その後は会うことはなかった。今でも
友人であると思っている。そんな青春のひと時を、思い起こさせて
くれるレトロな歌である。この歌を聴くと切なくなったが、この歳
ではただ懐かしいと思うだけである。村下孝蔵も若くして亡くなっ
た。恵まれた音楽活動ではなかったが、好きな歌を残してくれた記
憶に残る歌手である。


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HEALING MUSIC ニューリリース曲「ひかりの街」巡音Lukaをアップしました

2012年07月26日 07時50分29秒 | 日記
日常的な街の中で、女の子が恋をしお別れした後も、二人の間にあった出来事を、
何気なく想い、歌っている歌です。好きな街で好きだった人を想い、日常の営み
を自然に受け入れていく姿をひかりの街に象徴し、抒情的に表現したつもりです。
あまり気取らず、自然体で作りました。歌詞にも難しい意味をもとめていません。
誰もが経験する青春時代のひと時をさりげなく歌にしたものです。
巡音Lukaが歌っていますが、初音Mikuとキーが合わず、Lukaが歌うことになりま
した。下記ホームページにアクセスしてください。


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岸洋子の「海よおしえて」HEALING MUSIC

2012年07月25日 13時11分14秒 | 日記
岸洋子のシングル盤、A面に「恋心」が収録されている。B面が「海よおしえて」だ。
もちろん岸洋子の「恋心」は素晴らしい歌であるが、B面の「海よおしえて」もよい
歌である。岸洋子らしさが思いっきり出ている歌である。雄大な海に人生の行く末
を託す擬人化的な歌詞が特に良い。人間の思いが海を通して語られている。歌が人
生そのものである。歌詞も短く、取り立てて出来がよい歌とまではいかないかもし
れないが、好き嫌いでいえば好きな部類の歌である。まさにB面にふさわしい歌であ
るかもしれないが、心にちょっとしみるのがよい。話題にもならなかった歌でも岸
洋子が歌えば気になる歌になる。聴くたびに心がゆったりとする。Heallingな歌で
ある。「海よおしえて」のサイトは様々ある。検索されたい。


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今でも元気が出るBeautiful Sunday HEALING MUSIC

2012年07月24日 11時42分26秒 | 日記
1972年ころDaniel.Booneが歌って大ヒットをした。国内では田中星児が歌って
80万枚の大ヒットとなった。紅白歌合戦にも出演したが、当時TVで歌を聴かな
い日がないというほどの売れっ子であった。この歌はメロディが明るい、テン
ポも軽やかである。歌詞も英語版でも分かりやすく、内容がないと言ってしま
えば元もこもないが、とにかく元気にさせてくれる歌である。私の年代では、
カラオケで歌うと全員の大合唱になる。こんな単純で元気がでる歌が流行った
あの時代が懐かしい。歌も今はメッセージ性が強い歌ばかりである。日本民謡
の音頭のように単純で明るく華やかな音楽にも似ていて、きっと日本人の気質
に合ったのだろうと思う。田中星児は当時はこの歌を好きではなく、別の曲を
A盤にしてヒットを狙ったが、B盤にこの曲でいいか程度の思いで入れたそうで
ある。それが思いがけない大ヒットとなった。Daniel・Booneも田中星児もど
ちらかといえば、この歌だけで終わりになったが、われわれの面前には現れな
くとも田中星児は今でも元気に活躍しているそうである。グッチ裕三は従兄弟
と聞いて驚いている。歌詞とdaniel・Booneのジャケット写真を添付した。ま
た、聴いてみたいと思いませんか。


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信じること HEALING MUSIC

2012年07月22日 00時31分09秒 | 日記
あの日に
すべてを失ったとしても
どうでもいいじゃないか
命があれば
また、いいことがある

弱気を吐くなよ
ということが
いかほどの価値がある
むなしくなるだけ
切なさに気分が滅入るだけだ

もっと前向きに見ようよ
君の目の前に何がある
きっとまだ知らない世界が
広がっている
だれかときっと会えるさ

誰だって弱い
力強さなんかありっこない
弱いからいろんなことが
たくさん見える
世界は甘くないことが

だがここでgive upするかい
それもいいかもしれないが
絶対に後悔するさ
生きていれば
面白いことにたくさん出会う

人生って面白くしたくないかい
どうするかって
まず生きていなくては
ならないよね
前しか見ていないと

左右から後ろから
手を差し伸べていることが
見えないよ
君を見ている人は
ごまんといるんだ

一人なんてことはない
耳を澄ませば
人の呼吸が聞こえない?
僕には聞こえるんだ
それが心臓をくすぐる

たまらなく爽快になる
だからね
自分を信じよう
心臓が生きたいって
一生懸命
波打っている

心臓は永久に
止めてはならないよ
また、止めるもんじゃないんだ
最後まで打たせてあげないと
寂しいのは心臓だ
悲しみが広がるだけだ

人生は一色じゃない
いろんな色がある
いろんな色を見てみたい
そう思わない?

僕は生きていて
よかったと思っている
たくさんのいろいろを見た
友達がいた
いつでも会える友達だよ

いろんなことがわかる
だから、面白いのさ
生きるって

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ユーシン渓谷の想い出として写真を増やしYouTubeにアップしました

2012年07月20日 19時11分14秒 | 日記
ユーシン渓谷という表題で、自作曲「ユーシン」と写真集をアップしま
したが、写真を見つけましたので画像を増やした「ユーシン渓谷の想い
出」をアップしました。ユーシン渓谷の様子が詳しくわかります。ご覧
ください。

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HEALING MUSICよりニューリリース「春よ来い」を配信しました

2012年07月20日 11時46分16秒 | 日記
春は長い冬の後にやってくる季節。人も心も野山の緑さえ躍動感にあふれ、
新しい息吹を喜びます。北国育ちの私には、春がなんとなく待ち遠しい気
分でした。野山を駆け回っていたころの自分を思い出すとき、それは春が
多いのです。春が成長の印であったこと、友との別れの季節であったこと
と無関係ではありません。早く大きくなり独り立ちをしたかった。その素
直な気持ちを、春を待つ想いに託した曲です。

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懐かしのディスコティック・ポイントハッスル HEALING MUSIC

2012年07月20日 10時35分04秒 | 日記
1970年代後半、一世を風靡したディスコティっクは風のように通り過ぎて行った。
あの熱狂ぶりは何だったのか、音楽史的にも心理学的にも興味深い。男女が団子状
態の中で踊り狂うさまは、何かに取りつかれたモノノケのようでもあり、狂乱のさ
なかにある集団ヒステリズムのような風景にも見えた。が、これは偏見であろう。

ディスコは私にも興味深いリズムで、汗だくで踊った後の、爽快感はたまらないも
のであったろう。ディスコティックはアメリカで生まれ、様々なリズムが創られた。
バンプ、ウオーターゲート、オールドマン、ハッスルなどなどである。新しいリズ
ムを習得するためにディスコティックに通い、習得すればそれを披露しにまたディ
スコティックにやってくる。それがディスコティッカーたちの日常であった

数あるディスコティックの中で特にマニアに熱狂的に支持をされたのが「ポイント」
である。アメリカでは一時ポイント一色であるといわれるほどであった。このポイン
ト一色の中でもてはやされていた曲が「ポイントハッスル」である。1975年ビルボー
ド、ディスコティック部門で第9位にランクされていたという。ジミー・ジェームズ
とヴァーガヴォンズのコラボで歌われているこの歌は、リズミカルで力強い。ジミー
の「I am somebody」という曲が有名である。日本に限らず、その当時の世界は、精
神的に働きづくめの時代であり、日常性を離れることで自分の存在感を確かなものに
することができる一つの手段として、ディスコがあった。ディスコティックの中に、
いつもの自分とは違う自分を見つけていたのではないか。まさに、「I am somebody」
がディスコティックのなのだったと思う。なぜ、ディスコティックが衰退していった
か。価値観が変わり、ディスコティックの集団的な一体感が希薄になっていった。つ
まり、集団性が重荷になり、反動が社会的に人間関係を途絶させる方向に動いていく。
人間の心理的な解放感であるべきものが、むしろ、孤独感を助長していく時代へはい
って行ったのだと思う。経済的な変化が大きかったのではないかと思う。だが、音楽
的に見れば、ディスコティックのリズムは、人間の心を揺さぶり続ける力がある。
「I am somebody」をきいていると、時代のさなかにあった生きるための何らかの実
感をつかむ時代であったとしみじみ思う。今は、ただの懐かしさばかりかもしれないが。

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トム・ジョーンズとフンパーディンク雑感 HEALING MUSIC

2012年07月18日 12時27分47秒 | 日記
トム・ジョーンズとフンパーディンク、ともに1970年代に活躍した男っぽい
歌手であるが、この野性味が女性たちのセックスシンボルとして人気を博し
た。肉体美と甘いマスクから歌われるラブソングはボリューム感たっぷりの
歌い方で、歌唱力も抜群であった。体全身から歌われる高音の張りのある歌
は圧巻でさえあった。私は今でもこの二人を取り違えてしまうことがある。

どちらも似たような歌い方で、ヒット曲もダブっているのかなと錯覚してし
まうほどである。私はフンパーディンクのシングル盤「愛の花咲くとき」
を持っているが、先月、コンピューターに取り込む際に久しぶりに聴いた。

相変わらずの声に懐かしかった。二人とももう70歳を超えている。まだまだ、
現役といっていいほど歌い続けているようだ。トム・ジョーンズはエリザベ
ス女王からナイトの称号を授与されている。息長く活躍することは、我々の
世代にとって力強いことである。先日、尾崎紀世彦さんが亡くなられたが、
尾崎のことを和製トム・ジョーンズといっていた。あの張りのある歌声がも
はや聞けないのは、甚だ残念である。いつしか、歌も流行から外れ、声を張
り上げる、本格的な歌い方は影をひそめ、今は、優しい歌がはやっている。

歌詞も長く、語るように、物語風に進行していくようである。時代は変わる。
歌も変わる。だが、その時私たちの面前にいた歌手は、永遠に不滅であろう。
二人の歌い方、尾崎の歌い方が懐かしいが、それは今でも我々の思いである。

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ユーシン渓谷の写真が見つかりHPにアップしましたHEALING MUSIC

2012年07月18日 00時00分53秒 | 日記
短く簡単に。探していたユーシン渓谷の写真がだいぶ見つかりました。
ホームページにアップしましたのでご覧ください。YouTubeの写真もい
ずれ配信しなおすつもりです。
写真をたくさん撮っていたのは2001年と2002年でした。もう10年になる
かと思うと感慨深いものがあります。林道の補修は終わったと聞いてい
ますが、ロッジに泊まれるか、いずれにしても車は入れないので、林道
を歩くか山越えです。野宿覚悟でまた行ってみたいものです。

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2,3日後に新曲をアップする予定です。お楽しみに。

オリンピック応援ソングに思う HEALING MUSIC

2012年07月17日 14時22分30秒 | 日記
日本でオリンピックが開催されたのは45年前のことである。東京オリンピック、復興の象徴、
日本が世界に認められるきっかけとなった出来事、これをきっかけに高度お経済成長へと時
代は変化をしていった。そして、いま新たに8年後のオリンピック招致を目指して、東京は
意気込んでいる。だが、国内では盛り上がりに欠けているように感じる。日本の場合、外国
のように招致が国家事業のようにならない。どこか冷ややかな目が存在するかのようだ。私
はオリンピック招致大賛成であるが、それには理由がある。閉鎖的で島国の日本には、海外
へのアピールは、以前より重要であると思っているからである。

ではあるがまずはこの件は置いておいて、オリンピックがおこなわれる際に必ず応援ソング
が作られる。私は楽曲制作が趣味なので、ここ数年、曲のことが気にかかっている。8年前
のアテネオリンピックのときに歌われた、ゆずの「栄光の架け橋」をオリンピック応援歌最
優秀曲としてあげたい。

メロディは勇気、力強さ、それでいて繊細、歌詞も聴いているだけで力が湧いてくる。今で
もこの歌を聴くと、オリンピックのみならず、自分自身の応援歌のような思いに駆られる。
カラオケでは最も歌いたい曲の一つでもあるが、私には難しくて上手には歌えない。聴いて
勇気をもらう歌だと思っている。今年のいきものがかりの応援歌も素晴らしいと思う。だが、
アスリートを意識して作っていないと言っているように、歌はオリンピックを連想するとい
うより、誰もが生きていることの迷いや恐れを素直に受け入れ、そこから勇気を出していく
ような内容である。

アスリートの直接的な応援歌というより、誰もが抱えた生きる為に何をなすべきかを歌って
いる。メロディも好きである。さすがにいきものがかりの歌だと思う。良い歌を作ってくれ
て、ああ、私にも作れたならいいなあと、素直に思う。でも、私はやはりゆずの「栄光の架
け橋」が好きである。今でもこの歌は、私の心の応援歌である。なぜか勇気がわいてくる。

やはりその場にふさわしい応援歌の名曲であろうと思っている。絶対ということはあり得な
いが、私の中では、オリンピック応援歌としては、これ以上のものはもはや作られないので
はないかと思っている。あと数日でロンドンである。景気良くアドバルーンは上がるが、思
ったようにいかないのがこの世界である。だが、今まで以上にアスリートが素直に力を出せ
るオリンピックになるような気がする。応援歌を聴きながら、好きな種目も当然だが、すべ
てのアスリートに「栄光の架け橋」を再び送りたい。


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愉快な仲間たちmimiをYouTubeにアップしましたHEALING MUSIC

2012年07月15日 19時31分22秒 | 日記
愉快な仲間たち」という楽曲は、以前このサイト「自作曲free配信サイト
HEALING MUSIC」で紹介しました。中学生の息子が拾ってきて飼い始めた
我が家の猫のことである。名前はmimi。今回わずかな動画と写真を使って
YouTubeにアップしました。動画と曲がマッチングしていればうれしいで
すが、皆さんはどうお思いになるのでしょうか。YouTubeで「愉快な仲間
たちmimi」検索してください。似たようなサイトが結構ありそうです。
ではどうぞ。

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愉快な仲間は我が家の猫mimiとの交流を想ってできた曲HEALING MUSIC

2012年07月14日 20時25分38秒 | 日記
自作曲「愉快な仲間」とは我が家で17歳まで飼っていた猫ちゃん、名前はmimi
のことである。息子が中学校1年の時、校門前に捨ててあった数匹の猫を、友
人たちがそれぞれ持ち帰ったもので、我が家に来たのは赤虎の猫であった。母
親が猛烈に飼うことを反対し、困り果てた息子は私にすべてを託し、私が猫の
面倒を見ることを条件に飼うことになった。だが、予測通り約束は最初だけで、
あとはお決まりのように、めんどうは私と家内が見る羽目になった。真夜中に
起きてはミルクをやり、しもの世話をやるうち、文句を言いながらもかわいく
なっていくものである。子猫のころは本当に愛らしかった。爪も切らず、自由
に過ごさせたせいか、我が家の主はいつしかmimiに移って行ったようである。

当時は近所に野良猫がたくさんいて、我が家の周りをウロウロし、喧嘩もする
が、仲良しの猫も多かった。4匹の兄弟のうち最も長生きをしたのは我が家のm
imiであるが、死んだきっかけは外で誰かに乱暴されけがをしたためであった。
mimiのしぐさはいつも自然のままで、mimiがいるだけで心が癒された。mimiの
ことは今でも思い出す。自由奔放な猫たちのことを思い作った楽曲である。ピ
アノ、アルトサックス、マリンバを交互に使いながら、時には掛け合いをしな
がら、愉快な仲間であったmimiのしぐさを思い出させる曲を作ったつもりであ
る。あれから7年、月日が経つのは早いものであるが、この曲を聴くと、mimi
と遊んだ日々を思い出す。大した意味があるわけではないが、聞いてみて、あ
、そうなのかと思っていいただければうれしいですね。下記サイトで更新履歴
に収録されています。では、どうぞいらしてください。


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YouTubeに自作楽曲「ユーシン(渓谷)」画像曲集をアップしましたHEALING MUSIC

2012年07月12日 12時31分00秒 | 日記
神奈川県丹沢の懐深くに、ユーシン渓谷はあります。以前、本サイトで春には緑、
秋には紅葉の美しい渓谷の印象を曲にした「ユーシン」をアップしましたが、今
回、わずかな写真ではありますが、画像を編集し、曲とともに画像曲集としてYou
Tubeにアップしました。私のホームページで今でも配信していますので聴くこと
はできますが、また、違った印象でこの曲を聴くことができると思います。You
Tubeは「ユーシン」か「ユーシン渓谷」でも検索できます。写真が少ないのと、
曲の編曲に私自身が満足をしていません。機会を見て再編集をしてみたいと思っ
ています。私が写している場所は、ユーシンの中でもとても簡単に行ける場所で
はありません。ユーシンの美しさは、危険がないところでも楽しめます。あまり
にも沢が奥深く、危険もあるので映像をとるという気持にはなれないところです。
ユーシンには様々な沢が合流してきますが、写真はその中でも、堰堤も上流には
なく、特に手つかずの自然がいっぱいの沢です。丹沢にはまだまだこのような場
所がたくさんあります。機会があればホームページの写真集のコーナーで紹介し
ます。
どうぞ、youtube、私のホームページを訪問してみてください。今回新しい曲を
二曲アップしています。一つはボカロ先生が歌う「ポプラ物語」です。聴いてみ
てください


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