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Animate Country をリリース HEALING MUSIC GREENDOOR

2017年07月20日 15時57分17秒 | 趣味・特技
Animate Country

今、命を考えている。
この世に生まれたところは誰もがカントリー、だからヒトは皆、生まれたその場所を
「故郷」という。故郷には命が宿っている。
私の故郷をAnimate Countryといいたい。生命が宿るカントリー。

誰もが安らぐ、安心で、穏やかなカントリーを誇りに思い、その場の空気を共に呼吸
していた仲間、そんな気持ちになれば、いさかいや、いじめも起こらない。
ましてや生かされてきたその場所で、死を選ぶということはないだろう。

若い方々の命が尽きるのはつらいことである。
私はまだまだ生きられる。生きていれば、よいことがたくさん身の回りに起こるだろ
う。いやなことばかりではない。

この「Animate Country」は大した曲ではない。ずっと作りかけで、残していた曲で
ある。どうしても完成させる必要があり、手を入れた。

若い方に私の願いが通じればうれしいと思う。(HEALING MUSIC GREENDOOR)

mp3 Animate Country






音楽といのち HEALING MUSIC GREENDOOR

2017年07月17日 19時44分14秒 | 趣味・特技
音はいのち

自然界にはたくさんの音が流れている。その音を聞くことができてもできなく
てもそこにある音は体の五感で感じるだろう。私は直接聞くことができる能力を得た。
きっと、幸せ者だと思う。

世の中にある音は、心地よい音ばかりではない。人の罵声、嵐、濁流、怖さを感じる音は
たくさんある。反面、やさしさや穏やかで、心が静かになる音もたくさんある。
人は音が大好きで、その音が音楽としてまとまった時、個人の好き嫌いの感情が生まれる。
私はあの人の曲が好きだ、いつも聞いている、素晴らしいことだ。

この世界に無音の場所はあるのだろうか。音が空気振動である限り、その世界はどこに
行ってもないはずだ。
ただ一つ、瞑想の世界は別ではないかと思う。座禅を組みただひたすら己のこだわりか
らの解放を求める。それができたとき「音」というものはなくなる。
あるのは、心の世界、おのれの中にある真理の奏でだ、奏は音ではなく。心の振るえなの
だ。
私は考える。いのちは何か。心臓の鼓動、血流の流れ、それが心のエネルギーとなる。だが、
これだけではいのちの神髄は不完全だ。いのちのいのちたるゆえんは、無音である。無音の
境地を知らなければ本当の「いのち」を感じない。

でもこれは我々がそう思う錯覚に近い。瞑想の世界にそれがあるとしても、それは万人の
ものではない。不可能に近い可能性の問題だ。
ただ言いたかったのは、音があろうとなかろうと、感じる力は誰にでもある。その力が
いのちだ。
いのちには音がある。その音を聞け、去れば死ということを間違った無音の世界と看破し
死を選ぶことはないだろう。生きていればこそ世界は音のある世界だ。

その世界を我々は無にしない。音を感じ、喜び、新しいいのちを楽しむのが今の世界だ。
無音の世界はいずれ誰にもやってくる。その時まで一生懸命生きなければ、本当の「音」
はわからない。命には始まりと終わりがある。それは音の始まりと終わりでもあるのだ。

A Sound,sound is happiness forever

HEALING MUSIC GREENDOOR

いのち HEALING MUSIC GREENDOOR

2017年07月13日 14時54分49秒 | レビュー/感想
いのちあればこそ

私は古希を超えた人間だ。まだ若いとは思いつつ、若者ではない。
最近、いじめの自殺に心が痛む。自ら命を絶つわけだからつらいことが身辺に
起こっていることはわかる。
死ななければならないほどの。

私が十代のころ、死ということを真剣に考えたことがある。それは死ぬことではなく、
生きることの辛さを感じとっていたからだ。
家では親同士のいさかいが絶えない、学校では無口な変わり者として孤独だった。
暴力も受けた。頭を強打したため、長いこと頭痛に悩まされ、いつか死ぬのではないかと
思っていた。その不安は「生」ということに気が行っていて、死に対する不安のほうが大
きかったのだと思う。

生きていることはつらかったが、生きなければと思っていた。
なぜなら、未来に目を向けることができたからだ。
子ども心に、幼い子ども心でも、生きていれば何かがある。
辛くてもなりたい、やりたい希望は無限にあるものだ。それを忘れなかった。

いつまでも苦しいかもしれない、だが、死んだら何もかもなくなってしまう、
自分の存在が消えてしまうことのほうが怖かった。もちろん70年も生きたのだから
いろんなことがあった。喜怒哀楽というけれど、生きていなければ経験はない。
喜怒哀楽の様々な体験ができて、ここまで生きてきた。ただ、単純に生きていてよかったと
思うばかりである。

辛い、苦しい、もうやめにしたい、そう思っても、それを実行してはだめだ。
すべてが終わってしまう。悲しむ人とだって絶対にいるものだ。
まず、死を考えるのではなく、生きるということはなんだ、その先にあるのは未来だ、
時間は止まらない。
人間も時とともに変わるものだ。その変化が生である。死は時間の停止である、それを
我が身に受け入れてはならないのではないかと、強く思う。

HEALING MUSIC GREENDOOR