世に言う学生服です。
先日横浜で友人と再会した折。何故か学生服の話になりました。
彼いわく、学ランは長ランが伸びきってからある日突然短ランができたんだ!
というのです。
ちなみに長ランとか短ランが分からない人は、家のお兄さんに聞いてください。
そんなはずは絶対にないと思うのですが、いわゆる標準といわれた学生服を基準に考えると、一見彼の意見が正しいかに思えます。
でも、元々学ランというのは、長崎の出島にいたオランダ人が来ていた服を、薩長の兵隊に着せたのがことの起こりだそうです。だから学ランは、学蘭なんですね。(サルトフィニート調べ)
かつてヨーロッパの貴族などが着ていた服は上着丈が長く、ボタンが非常に多かった。それからの派生系と考えるとむしろ、長ランが短くシンプルになって今の学ランになったのではないかと思うのです。
短ランは何でしょう。旧海軍や、海上自衛隊でも、短丈でやたらとボタンの多い詰襟の制服がありますよね。いわゆるモーニングの尻尾無しがディレクターズスーツだという話があるように、実は詰襟制服の正装を簡略化させたものが短ランの起こりかもしれませんね。
こう考えていくとなかなか、学ランも面白いものです。
ところで、最近学ランの裏地に刺繍って入っているんでしょうか。
中学生の頃、友達のお父さんの背広の裏地にすら刺繍が入っていました。
男はこだわりです。
何の役にも立ちません。
でも、それがなくなったら、男としてよって立つところがなくなるのです。
女のように、男は精神的にタフではありません。
だから刺繍でも愛でてないと、やってられないんですね。
さて今日の絵です。
いっこうに進まず申し訳ありません。
二人のネズミは風船を体に結びつけ、ついに離陸しました。
さあ、どうなるんでしょう・・・・
先日横浜で友人と再会した折。何故か学生服の話になりました。
彼いわく、学ランは長ランが伸びきってからある日突然短ランができたんだ!
というのです。
ちなみに長ランとか短ランが分からない人は、家のお兄さんに聞いてください。
そんなはずは絶対にないと思うのですが、いわゆる標準といわれた学生服を基準に考えると、一見彼の意見が正しいかに思えます。
でも、元々学ランというのは、長崎の出島にいたオランダ人が来ていた服を、薩長の兵隊に着せたのがことの起こりだそうです。だから学ランは、学蘭なんですね。(サルトフィニート調べ)
かつてヨーロッパの貴族などが着ていた服は上着丈が長く、ボタンが非常に多かった。それからの派生系と考えるとむしろ、長ランが短くシンプルになって今の学ランになったのではないかと思うのです。
短ランは何でしょう。旧海軍や、海上自衛隊でも、短丈でやたらとボタンの多い詰襟の制服がありますよね。いわゆるモーニングの尻尾無しがディレクターズスーツだという話があるように、実は詰襟制服の正装を簡略化させたものが短ランの起こりかもしれませんね。
こう考えていくとなかなか、学ランも面白いものです。
ところで、最近学ランの裏地に刺繍って入っているんでしょうか。
中学生の頃、友達のお父さんの背広の裏地にすら刺繍が入っていました。
男はこだわりです。
何の役にも立ちません。
でも、それがなくなったら、男としてよって立つところがなくなるのです。
女のように、男は精神的にタフではありません。
だから刺繍でも愛でてないと、やってられないんですね。
さて今日の絵です。
いっこうに進まず申し訳ありません。
二人のネズミは風船を体に結びつけ、ついに離陸しました。
さあ、どうなるんでしょう・・・・
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