Broken Flowers …はうはう河馬の脂肪遊戯

いらっしゃいませ。お独りさまで?どうぞお好きな席に。戯れ言、繰り言、かあるくかるく。

25…それぞれが持つ弱さの象徴だったように見えたし。

2009年01月25日 | 2009

午前10時30分からのスタジオレッスンに間に合わせようと
家を出たら、渋滞もなく、40分でジムについてしまい呆然。

あちこちを時間稼ぎに車を流し、
近くのコンビニで時間を費やし、9時45分頃に駐車場に入る。

と、次々、駐車場に車が入ってきて、
10時のジムの開場を待っている人たちが列を為し100人くらい並んだのには驚いた。
日曜日って毎週こうなの?すげー。

今日は、ファンエアロ1とシェイプアップエアロの時間の短い奴。
イントラさんがちがうんで、フリも違うから面白かった。
つーか、やっとのことでついていけたかなって感じ。

シャッセをやったときに足の持って行き方が、
昨晩のイントラさんとは違っていて難儀した。
ついつい、昨晩のように身体の後ろに流しちゃうんだけど
今日は、身体の前にもってくるフリなんだよね。
自分の身体なのに、自分の思うように動かない。



そのあと、サンストリート浜北まで行って、映画「リボリューションロード」を観た。
なんとも考えさせられる映画だった。
100点。
タイタニックのように甘いラブストーリーだと思っていたら全然違って、
最初から最後まで、「救われない」って感じで見ごたえがあった。

で、食事の写真の下に、映画のネタばれを含む俺の雑感を置いた。
映画を見る方は、読まないように。
















で、以下、映画のネタばれみたいな、俺の雑感。

映画の中の二人の生き方はきつすぎて、俺には到底できそうにない。
思いの丈をぶつけあうことだけが最良の道ではなく、
聞き流すってことも、この長い人生、それはそれで必要なのだろう。
触ってはいけない心の部分って、誰しも持っているはずだし。

無駄に生きると勿体無いとか、生き方が大切だとか、
映画の中で、いろんな形で問われていたけれど
生きとし生けるもの、無駄に生きてるものなんかない。
生きとし生けるもの、使命があって生まれてきたものなんかないのと同様に。

俺、自分で言うのもなんだけど、消極的な考え方が強い。
コップに半分の水があった場合、半分「しかない」と考えるタイプ。

他人が何か革新的なことをやろうとするときには
映画に出てきた同僚たちのように
自分が夢に飛び込む勇気を持たないことは棚の上に置いといて、
夢に駆けようとする奴らを
親切顔して思いとどませようとするにちがいない。

俺の心の中には
あの夫もいれば、その妻もいるし
不動産屋の夫婦もいれば、心を病んだその息子もいる。
日によって、夫を殺してみたり
妻を殺してみたりして、心のバランスを保っているんだ。


もしかしたら。
お腹の赤ちゃんを一番愛していたのは、妻であり
一番憎んでいたのは、夫だったのかもしれないなあ。
赤ちゃんが、夫婦それぞれが持つ弱さの象徴だったように見えた。


救われない映画だった。
けれど、絶望しても、
「自分で死のうとするまでは、自分の思うがままに生きていける」からいい。
生に絶望するってことは、生への希望を知っているってことだから。

希望の意味するところを知ることもなく
後悔することをも知る時間もないままに
死ななければならない「命」にくらべれば。