はせがわクリニック奮闘記

糖質制限、湿潤療法で奮闘中です。
パーキンソン病にはグルタチオン点滴を
癌には高濃度ビタミンC点滴も施行中です。

2013年05月19日 | 昔話
Mは高校2年の時の同級生でした。
身長が180cmを越える、がっちりとした体型で、私と彼がクラスでの体育委員の座や、通知表の体育の点数のトップを競い合いました。
私と彼とは親友というよりもライバルといった関係だったかもしれません。
記憶に残っているのは、その年の体育祭です。
二人で400m走に出たのですが、陸上部所属のスーパースターが優勝することが確実なレースでした。
ところが、スタートで飛び出したのは谷という秀才でした。(実際、彼は現役で東大に進学します。)
谷はスーパースターに臆すること無く、堂々と勝負を仕掛けたのです。
それを、”スゲーな”と他人事のように眺めながら、私は3位をチンタラと走っていました。
すると第3コーナーでMが、”コイッ、長谷川っ”と叫びながら私を追い抜いていったのです。
我にかえり、あわててMの背中を追いかけた私でしたが、追いつくことはできませんでした。
そして、そのレースは谷がスーパースターの猛追を振り切って優勝したのです。
谷やMと比べて、私には、”気迫”が足りなかったことを反省させられるレースで

その後、Mは立命館大学に入学し、ボクシング部のキャプテンになります。
Mが一度だけ熊本に遊びに来たことがあるのですが、真っ先に連れて行けと頼まれたのは九州学院高校でした。
最近は知りませんが、当時はボクシングの強豪校だったのです。
練習中だったボクシング部員に対してMは先輩のフリをして、リングを空けるように命令しました。
そして私にスパーリングをするぞと提案してきました。
”打つのは長谷川だけで、俺は防御だけだから大丈夫。”と言うのです。
生まれて初めて練習用の大きなグラブを付けてみたのですが、その軽さには驚かされました。
そしてMに向かってパンチを繰り出していったのですが1発も当たりません。
私はMに、”よけるな!打たせろ!”と叫びました。
するとMは私のパンチを顔で受け始めました。正確には顔では無くオデコです。
オデコにパンチを受けてもダメージは全く無いようでした。
1分で息切れし、1分半であれほど軽かったグラブが鉛のように重く感じられ、両手が下がってきます。
その時Mのジャブが私の顔面を捉えました。
”防御だけと言っただろうが!”と抗議したのですが、Mはジャブをやめません。
仕方ないので防御しようとしたのですが不可能でした。
何の前ぶれも無くジャブが伸びてくるので、避けようとした時にはMのグラブが私の顔面に張り付いているのです。
両手でガッチリとガードするしか無いのですが、こんどは防御の上からワンツーが打ち込まれてきて、吹っ飛ばされます。
結局、3分持たずにTKO負けとなりました。
この体験は貴重で、以後、ボクシングの試合でスタミナ切れで手数が減ったボクサーに同情を覚えるようになりました。

立命館を卒業したMは、一吉証券に入社しますが、そこに留まらず、海外青年協力隊に入り、アフリカへと旅立ちました。
私が知っているのはそこまでです。
修猷館の同窓会名簿などで調べるつもりですが、Mの消息をご存じの方があれば、是非、教えて下さい。