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楽しみは

2014-06-26 02:14:34 | 日記
50年以上生きていたら、楽しみなんて降ってこない。向こうからやってこない。
此方から貪欲に掴みにいくものだ。
若い頃は知らなかった。
ところが、悩みも楽しみも多き青春時代に比べ、楽しみは沢山あることを知った。

若い頃あちらからきてくれた幸せや楽しみは、私の場合、いつの間にやら消えていった、過ぎ去っていった。
そんなものだった。私はおくてでぼんやりののんびり、そのくせ時々何かにのめりこんでしまう。
そして、飽きて忘れて、大人になって状況激変、故郷離れて子どもを育て、友達を見つけることが最優先。
何が楽しみなのか、全て錯覚なのか、やがて身近な無責任な環境がもたらした他人をあてにしてはいけないことに気付く。

小さなコミュニティを大切にして、たまにそこから抜け出して全然違う空の下に自分を放り込む。
とにかく惰性の先に私には楽しみはない。
気まぐれを大切に、他人をあてにせず、自分の心地よい空間を求めてさまよっていると、楽しみがやってくる。
次の瞬間大喧嘩にもなるが。
家族は皆大人だから、奴らも気まぐれに私を利用する。でも家族だから本当にバカ笑いして楽しむこともある。

でも、私はやはりひとり。というのか、私の人生は私ひとりが抱えて全て私次第。
一人きりがさみしいことは勿論あるし、誤魔化しはしない。
ひとりの先に楽しみがある。そして、楽しみがあるところに、予期せず心許せる友人がやってくる。
そんな循環。たまにあるからこそ楽しい。だからこそひとりもいい。
そんな楽しみは自分から知らず知らず掴みにいっていたのだ、と思う。

高校卒業した頃、両親から遠ざかり40年、親心がわかりかけた頃に母を亡くし、深く後悔した。
それでも楽しみを求める。でなきゃこれからまだまだ生きる意味がない。

眠くてなにだんだん支離滅裂、何を書いているかわからんようになってきた。

強く生きるとは、ひとりでも耐えること。
そして、まだまだ楽しむ!
楽しみは楽しみだけで楽しみではない。刹那の楽しみも良いじゃないか。
ぐるぐる回っている、メリーゴーランドたね。
他人の楽しみに触れられるかは他人の許可がいる。
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