goo blog サービス終了のお知らせ 

魚鳥木申すか申すか

2013-11-06 23:56:03 | 日記
子どもの頃、同級生の仲良しと遊ぶ約束をしなかった日は、家で宿題を終えてゴロゴロしていた。
母がピアノを教えているので、学校を終えた子どもが、だいたい学年順に
「こんにちは」
とやってきて、廊下をパタパタ足音をたててピアノの部屋に入っていった。
その足音で、あぁ誰それちゃんが来たな、とだいたいわかる。
洋間のグランドピアノはよく響いたので、誰それちゃんが、どこまで進んだとか、何を弾いているとか私はよく知っていた。時々母が少しイライラする気配とかも音でわかった。
母にピアノを習っていなかった私はのんきにゴロゴロミカンを食べながら、
「なんであそこで止まるんかなあ?なんでちゃんと弾けないのかなあ?」
と、自分は弾けもしない曲でも耳で覚えてしまっていたから偉そうに評価しながら昼寝をしたりして、母の仕事が終わるのを待っていた。

外で賑やかな声がする、近所の男の子達が遊びに来ているのだ。
誘われるでもなく、私は飛び出して一緒に遊んだ。
寺の境内や、階段下の馬場は子どもの遊び場。鐘撞堂の低い白壁の瓦屋根から飛び降りたり、缶けり、温泉石投げ、けんけんパー、鬼ごっこ、陣取り合戦、十字架鬼、てつなぎ鬼、馬乗り、縄跳び、ゴムとび、ドッチボール、
竹鉄砲、ビー玉、メンコ、学年など関係なく集まった子どもは
「何して遊ぶ?」
から始まって、とことん遊びほうけたものだ。農作業中の大人に叱られることもしばしば。
竹竿担いで誰かの家の庭に侵入して、おばさんにボロカスに叱られたことは鮮明に覚えている。
ビー玉、爆竹、メンコは大人から禁止令が出ていたし、通学路別分団委員会で、子どもの間でもやめましょうと決めていたが、その分団委員長自ら掟破りをしていた。

男の子達は、たくさん遊びを知っていたから退屈することがなかった。ルールは年長組が教えてくれる。
時には、みんなでゾロゾロ少し遠い山の方まで繰り出すことがあった。
女の子は道を歩くが、男の子は竹藪を駆け抜けてひょいと突然現れて私たちを驚かして喜んでいた。
目的地まで行くと、遠いから日頃あまり遊べない友達とかと合流する。
そんな場所でお寺の鐘が聞こえる頃は、もう夕方で、来た道はどんどん暗くなるから、結構ドキドキしながら、でもお兄さんもいるからと気丈に男の子のあとを追いかけて走って帰った。
私の膝はいつも赤チンで傷だらけ、ジャンプ失敗で捻挫とかも何回もあった。

遊びは無尽蔵にあった。
どれもこれも子どもの知恵工夫でできていて私は忘れられない。
本当によく遊んだものだ。

そんな中で、ひとつ異質な遊びがあった。
私はとてもお気に入りだったからいつでもやりたかったけれど、ひとところでじっとしていられないやんちゃ軍団はそうでもなくて、不完全燃焼な記憶となった遊びだ。
それが
「魚鳥木申すか申すか」「ギョチョウモク申すか申すか」
「申す申す」
この掛け合いのあと、指された者が答えなければならないが、答えられないとアウトとなる。
「魚(ギョ)!」と指されたら、魚の名前、「鳥(チョウ)」と指されたら鳥の名前、「木(モク)!」と指されたら木の名前を答える。
どれだけ知っているかを競った。誰かが既に答えた物を言ってもアウト。

帰省すると、そんな風に遊んでいたみんなが、見間違えるほどのおっさんになっていたりして、
「もしかして誰それちゃん?」
と尋ねる。
誰それちゃんのお兄さんの方だったり弟の方だったり、外れることも多い。
いつか、ギョチョウモク申すか申すか!やりたい!
なんて思ったりしてね(=^ェ^=)

楽しかった子どもの頃。

おやすみなさい、明日があるならまたね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする