2008/04/01
ぽかぽか春庭・東京徘徊俳諧日記>殿様の博物館(1)和敬塾本館と村上春樹の蛍
春の春庭俳諧徘徊。
今回、はじめての旧細川侯爵邸めぐりをしました。
肥後の殿様細川護煕が首相になったりして、熊本について見聞きする内容はふえてきましたが、これまで永青文庫や和敬塾を訪れたことはなかった。
巡ったところは3カ所。
1)和敬塾本館(旧細川侯爵邸) 2)永青文庫(旧細川邸事務所) 3)新江戸川橋公園(旧細川邸庭園)
「旧細川侯爵邸」は「和敬塾本館」として保存されています。
台東区の旧岩崎邸、目黒区の旧前田邸、北区の旧古河邸などには何度も足を運んで内部の見学もできたが、細川邸はこれまで見たことがなかった。
旧細川侯爵邸は、1936年に細川家第16代当主・細川護立(ほそかわ・もりたつ 1883-1970)によって建てられた洋館です。
今回は外観だけの見学。
内部は、年に10回ほど一般公開されています。夏休みの公開時に申し込みをして、またこようと思います。
http://maskweb.jp/b_wakei_1_1.html
和敬塾は、地方から東京の大学に進学してくる男子学生のための寮です。書類審査面接審査によって学生を厳選し、「良家子弟」を入寮させることで有名。
かっては「知る人ぞ知る」存在の寮でした。
30余年前、私自身が学生のとき、学校の近くにあるにもかかわらず、まったくその存在を知らなかった、庶民には無縁の寮でした。
村上春樹が「ノルエーの森」のなかにこの寮を描写したことで、「ノルエーの森にでてくる学生寮のモデル」として知る人も増えてきました。
私もたぶん、「ノルエーの森で主人公が歩く土地を追跡散歩しよう」というような「東京散歩本」の中で知ったのだと思います。
村上春樹は、早大進学後から秋まで入寮していましたが、塾の雰囲気に合わずに退寮。
春樹は、「芦屋のエエシのボン」だから、入寮できましたが、私が息子のために申し込みをしたとしても、入れてもらえない。「しかるべき家庭」じゃないから。
敷地内には「関係者以外立ち入り禁止」と書いてあったが、勝手に庭を歩きました。
細川邸下屋敷時代からの大木がうっそうと茂っている庭。
春休みでも、何人かの学生は残っています。
その学生たち、「こんにちは」と、挨拶してくれる。
なんと礼儀正しい気持ちのよい青年たちであることよ。私は「敷地内勝手に乱入の不審者」であるのに。
さすが、「全国から地方有力者の息子を集める」と言われる和敬塾、エエシの坊ちゃんは、我等シモジモとはしつけが違いマッセ、と、感心しましたが、「塾内で出会うときは、誰に対しても必ずこんにちはと言う」のが、寮のルールでした。
これを守らない新入生などは、先輩からこんこんと「塾生精神」をたたき込まれるらしい。
塾生たち、あるグループはデジタルビデオで撮影をしている。自主制作映画グループでしょうか。
あるグループは、寄り集まって談笑している。春風のここちよい日だまり。
「この寮に、うちとこの息子は入れてもらえない」というひがみ半分で塾内を歩いていましたが、気持ちのよい挨拶をうけて、みみっちいヒガミもおさまってきました。
若々しいつぼみたちよ、存分に花開くがよい。
桜さくのも、もうすぐという3月16日の徘徊でした。
本日の徘徊俳諧
和敬塾の青年の声風光る
<つづく>
ぽかぽか春庭・東京徘徊俳諧日記>殿様の博物館(1)和敬塾本館と村上春樹の蛍
春の春庭俳諧徘徊。
今回、はじめての旧細川侯爵邸めぐりをしました。
肥後の殿様細川護煕が首相になったりして、熊本について見聞きする内容はふえてきましたが、これまで永青文庫や和敬塾を訪れたことはなかった。
巡ったところは3カ所。
1)和敬塾本館(旧細川侯爵邸) 2)永青文庫(旧細川邸事務所) 3)新江戸川橋公園(旧細川邸庭園)
「旧細川侯爵邸」は「和敬塾本館」として保存されています。
台東区の旧岩崎邸、目黒区の旧前田邸、北区の旧古河邸などには何度も足を運んで内部の見学もできたが、細川邸はこれまで見たことがなかった。
旧細川侯爵邸は、1936年に細川家第16代当主・細川護立(ほそかわ・もりたつ 1883-1970)によって建てられた洋館です。
今回は外観だけの見学。
内部は、年に10回ほど一般公開されています。夏休みの公開時に申し込みをして、またこようと思います。
http://maskweb.jp/b_wakei_1_1.html
和敬塾は、地方から東京の大学に進学してくる男子学生のための寮です。書類審査面接審査によって学生を厳選し、「良家子弟」を入寮させることで有名。
かっては「知る人ぞ知る」存在の寮でした。
30余年前、私自身が学生のとき、学校の近くにあるにもかかわらず、まったくその存在を知らなかった、庶民には無縁の寮でした。
村上春樹が「ノルエーの森」のなかにこの寮を描写したことで、「ノルエーの森にでてくる学生寮のモデル」として知る人も増えてきました。
私もたぶん、「ノルエーの森で主人公が歩く土地を追跡散歩しよう」というような「東京散歩本」の中で知ったのだと思います。
村上春樹は、早大進学後から秋まで入寮していましたが、塾の雰囲気に合わずに退寮。
春樹は、「芦屋のエエシのボン」だから、入寮できましたが、私が息子のために申し込みをしたとしても、入れてもらえない。「しかるべき家庭」じゃないから。
敷地内には「関係者以外立ち入り禁止」と書いてあったが、勝手に庭を歩きました。
細川邸下屋敷時代からの大木がうっそうと茂っている庭。
春休みでも、何人かの学生は残っています。
その学生たち、「こんにちは」と、挨拶してくれる。
なんと礼儀正しい気持ちのよい青年たちであることよ。私は「敷地内勝手に乱入の不審者」であるのに。
さすが、「全国から地方有力者の息子を集める」と言われる和敬塾、エエシの坊ちゃんは、我等シモジモとはしつけが違いマッセ、と、感心しましたが、「塾内で出会うときは、誰に対しても必ずこんにちはと言う」のが、寮のルールでした。
これを守らない新入生などは、先輩からこんこんと「塾生精神」をたたき込まれるらしい。
塾生たち、あるグループはデジタルビデオで撮影をしている。自主制作映画グループでしょうか。
あるグループは、寄り集まって談笑している。春風のここちよい日だまり。
「この寮に、うちとこの息子は入れてもらえない」というひがみ半分で塾内を歩いていましたが、気持ちのよい挨拶をうけて、みみっちいヒガミもおさまってきました。
若々しいつぼみたちよ、存分に花開くがよい。
桜さくのも、もうすぐという3月16日の徘徊でした。
本日の徘徊俳諧
和敬塾の青年の声風光る
<つづく>
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