2013/11/24
ぽかぽか春庭アート散歩>建築散歩2008~2013(4)両国界隈、伊東忠太ほか
前はそれほど気にも止めなかったのに、友達が「この小説が好きだ」と勧めてくれた本とか映画とかを見て、自分も好きになることがあります。
影響されやすい私、「とりあえず、友達が好きなものは私も好き」というタチです。
前は築地本願寺を見ても、大倉集古館を見ても、それほど好きな建物とは思わなかったのですが、ウェブ友が「忠太動物園」のファンだということを知り、今では私も伊東忠太(1867-1954)の建てた建築を見ると、「どこに忠太の動物園があるかな」と楽しみに見るようになりました。
11月01日は、両国周辺を散歩しました。出講先が大学祭のため休みになったからです。
両国駅から国技館脇を通って、旧安田庭園へ。両国公会堂、震災慰霊堂を見てから江戸東京博物館へ。
旧安田庭園内に立つ両国公会堂は、森山松之助(1869-1949)が設計した円形ドームのホール。1926(大正15)年に、安田善次郎の寄付によって建てられた公共ホールです。
両国公会堂
旧安田公園の潮入り庭園を抜けて反対側に出ると、震災慰霊堂の三重塔が見えます。
震災慰霊堂三重塔
東京都震災慰霊堂と震災記念館は、元陸軍被服廠があった場所です。
1923年(大正12)年9月1日の関東大震災のおり、罹災者が家財道具などを持ちこんだ避難場所になりましたが、火災が家具に燃え移り、避難民が焼死圧死しました。東京の死者10万人といわれる中、ここら一帯だけで3万~4万人もなくなったということです。陸軍被服廠には身元不明者の遺体が積み重なっていました。
これらの人々のお骨を納めた慰霊堂と震災記念館を設計したのが伊東忠太。
震災慰霊堂の鍬入れ式で槌を振るう伊東忠太(右側の人)

震災慰霊堂正面

忠太は慰霊堂の屋根や内部に、また震災記念館の正面に、忠太好みの奇妙な空想の動物を飾っています。
屋根の上に空想の鳥がはばたく


忠太自身は「予は何の因果か、性来、お化けが大好きである」と述べ、妖怪をスケッチした絵(「怪奇図案集」)も残しています。
慰霊堂の天井近くにいる玉を咥える怪物

11月1日は、社会科見学日和だったらしく、江戸東京博物館とセットで震災慰霊堂にも見学の小学生がバス仕立てでわんさか押しかけていました。慰霊堂の線香けむる内部で、果たして小学生たちに「大震災や戦災で何万人もの人が折り重なって死んでいったこと」が想像できるのかと思いましたが、みな、にぎやかに「机の前にかしこまって勉強しなくてよい日」を楽しんでいました。

震災記念館にも小学生がわいわいと。

震災記念館のガーゴイル獅子像は、以前見たときに比べ、ずいぶんと形が崩れていました。2011・3・11に壊れたのではないかと思います。
忠太の動物たち、建物を守るために設置されているのだと思うのですが、2011年の震災では、身を壊して建物を守ったのでしょうか。

最初に震災記念館を見たときに展示されていた、1923年9月1日を記録した当時の小学生の図画や作文が、次に行ったときは展示されていなかったので、オクラ入りしたのかと思っていましたが、今回、コピー版で展示されていました。すさまじい震災を記録した小学生たち、もう生きている人も少ないかと思います。当時10歳だったとしても、今年は100歳です。でも、もしご存命の方がいたら、震災や戦災を記憶している方に語り部となってもらい、私たちは、震災の記憶を受け継ぐべきでしょう。
忠太の動物たちは、そういう記憶を反芻しつつ、静かに建物を守っているように見えたのでした。
<つづく>
ぽかぽか春庭アート散歩>建築散歩2008~2013(4)両国界隈、伊東忠太ほか
前はそれほど気にも止めなかったのに、友達が「この小説が好きだ」と勧めてくれた本とか映画とかを見て、自分も好きになることがあります。
影響されやすい私、「とりあえず、友達が好きなものは私も好き」というタチです。
前は築地本願寺を見ても、大倉集古館を見ても、それほど好きな建物とは思わなかったのですが、ウェブ友が「忠太動物園」のファンだということを知り、今では私も伊東忠太(1867-1954)の建てた建築を見ると、「どこに忠太の動物園があるかな」と楽しみに見るようになりました。
11月01日は、両国周辺を散歩しました。出講先が大学祭のため休みになったからです。
両国駅から国技館脇を通って、旧安田庭園へ。両国公会堂、震災慰霊堂を見てから江戸東京博物館へ。
旧安田庭園内に立つ両国公会堂は、森山松之助(1869-1949)が設計した円形ドームのホール。1926(大正15)年に、安田善次郎の寄付によって建てられた公共ホールです。
両国公会堂

旧安田公園の潮入り庭園を抜けて反対側に出ると、震災慰霊堂の三重塔が見えます。
震災慰霊堂三重塔

東京都震災慰霊堂と震災記念館は、元陸軍被服廠があった場所です。
1923年(大正12)年9月1日の関東大震災のおり、罹災者が家財道具などを持ちこんだ避難場所になりましたが、火災が家具に燃え移り、避難民が焼死圧死しました。東京の死者10万人といわれる中、ここら一帯だけで3万~4万人もなくなったということです。陸軍被服廠には身元不明者の遺体が積み重なっていました。
これらの人々のお骨を納めた慰霊堂と震災記念館を設計したのが伊東忠太。
震災慰霊堂の鍬入れ式で槌を振るう伊東忠太(右側の人)

震災慰霊堂正面

忠太は慰霊堂の屋根や内部に、また震災記念館の正面に、忠太好みの奇妙な空想の動物を飾っています。
屋根の上に空想の鳥がはばたく


忠太自身は「予は何の因果か、性来、お化けが大好きである」と述べ、妖怪をスケッチした絵(「怪奇図案集」)も残しています。
慰霊堂の天井近くにいる玉を咥える怪物

11月1日は、社会科見学日和だったらしく、江戸東京博物館とセットで震災慰霊堂にも見学の小学生がバス仕立てでわんさか押しかけていました。慰霊堂の線香けむる内部で、果たして小学生たちに「大震災や戦災で何万人もの人が折り重なって死んでいったこと」が想像できるのかと思いましたが、みな、にぎやかに「机の前にかしこまって勉強しなくてよい日」を楽しんでいました。

震災記念館にも小学生がわいわいと。

震災記念館のガーゴイル獅子像は、以前見たときに比べ、ずいぶんと形が崩れていました。2011・3・11に壊れたのではないかと思います。
忠太の動物たち、建物を守るために設置されているのだと思うのですが、2011年の震災では、身を壊して建物を守ったのでしょうか。

最初に震災記念館を見たときに展示されていた、1923年9月1日を記録した当時の小学生の図画や作文が、次に行ったときは展示されていなかったので、オクラ入りしたのかと思っていましたが、今回、コピー版で展示されていました。すさまじい震災を記録した小学生たち、もう生きている人も少ないかと思います。当時10歳だったとしても、今年は100歳です。でも、もしご存命の方がいたら、震災や戦災を記憶している方に語り部となってもらい、私たちは、震災の記憶を受け継ぐべきでしょう。
忠太の動物たちは、そういう記憶を反芻しつつ、静かに建物を守っているように見えたのでした。
<つづく>
2013/11/26
ぽかぽか春庭アート散歩>建築散歩2008~2013(5)メタボリズム菊竹清訓
江戸東京博物館。同じ頃に出来た東京ビッグサイト(設計:関野宏行)と同様に、20年前はあまり好きではありませんでした。バブル最盛期の「浮かれはしゃいでいる都市感覚」のように見えたので。
2013年4月にフラワードリームショウを見に行った時の東京ビッグサイト

バブルもはじけて、もはやこのような建物を作ることはないのかもなあと思うと、これも都市のひとつのモニュメントみたいで、今では好きです。

江戸東京博物館入口の、長~いエスカレーターで上昇して、常設展へ向かうときの「非日常への飛翔」感覚。
高いところが好きで、上昇感覚が好きなのに、自分で一歩いっぽ登る努力ができないたちで、エスカレーターや長~いエレベーターを上昇していくのが好きなのです。

東京芸術劇場(設計:芦原義信1918-2003)のエレベーターも、事故防止のためとかで短くなってしまって、今では長いエレベーターで一気に上がっていける建物はあまり見かけなくなったので、江戸東京博で上昇感覚を楽しんでいます。
江戸東京博物館は、1993年に出来上がりました。菊竹清訓(きくたけきよのり 1928-2011)の作品。そうか、ここが出来てちょうど20年経つのだなあと思います。
「メタボリズム空中楼閣」的たてもの、菊竹らしさが出ている外観と思います。

私は、今では菊竹、好きです。江戸東京博物館も、出来た当初は「う~ん、なんだかなあ」と感じたのですけれど。何度も目にするうちになれたのかしら。
菊竹の作品、江戸東京博物館の翌年に完成した、不忍の池のほとりにあったホテル・ソフィテル東京。ここも建った当初は奇妙な形に驚き、ホテルと知ったときはもっと驚きました。上野動物園に来たときは、不忍の池から眺めていましたが、長いあいだ誰の作品かなどには気がまわりませんでした。菊竹作品だったとは、取り壊されてから知ったのです。

(画像借り物です。壊される前に撮影しておけばよかった)
壊されることを前提とする新陳代謝を図る建物なので、壊されることは織り込み済みの設計だったのは思うのですが、いつかあのホテルに泊まって、空中浮遊の感じがするかどうか、試したかったのに。池のほとりから眺めていると、あんな不安定に見える部屋に宿泊して外をながめたら、寝ているあいだに落っこちる夢でも見るんじゃないかと思って見ていたのです。
<つづく>
ぽかぽか春庭アート散歩>建築散歩2008~2013(5)メタボリズム菊竹清訓
江戸東京博物館。同じ頃に出来た東京ビッグサイト(設計:関野宏行)と同様に、20年前はあまり好きではありませんでした。バブル最盛期の「浮かれはしゃいでいる都市感覚」のように見えたので。
2013年4月にフラワードリームショウを見に行った時の東京ビッグサイト

バブルもはじけて、もはやこのような建物を作ることはないのかもなあと思うと、これも都市のひとつのモニュメントみたいで、今では好きです。

江戸東京博物館入口の、長~いエスカレーターで上昇して、常設展へ向かうときの「非日常への飛翔」感覚。
高いところが好きで、上昇感覚が好きなのに、自分で一歩いっぽ登る努力ができないたちで、エスカレーターや長~いエレベーターを上昇していくのが好きなのです。

東京芸術劇場(設計:芦原義信1918-2003)のエレベーターも、事故防止のためとかで短くなってしまって、今では長いエレベーターで一気に上がっていける建物はあまり見かけなくなったので、江戸東京博で上昇感覚を楽しんでいます。
江戸東京博物館は、1993年に出来上がりました。菊竹清訓(きくたけきよのり 1928-2011)の作品。そうか、ここが出来てちょうど20年経つのだなあと思います。
「メタボリズム空中楼閣」的たてもの、菊竹らしさが出ている外観と思います。

私は、今では菊竹、好きです。江戸東京博物館も、出来た当初は「う~ん、なんだかなあ」と感じたのですけれど。何度も目にするうちになれたのかしら。
菊竹の作品、江戸東京博物館の翌年に完成した、不忍の池のほとりにあったホテル・ソフィテル東京。ここも建った当初は奇妙な形に驚き、ホテルと知ったときはもっと驚きました。上野動物園に来たときは、不忍の池から眺めていましたが、長いあいだ誰の作品かなどには気がまわりませんでした。菊竹作品だったとは、取り壊されてから知ったのです。

(画像借り物です。壊される前に撮影しておけばよかった)
壊されることを前提とする新陳代謝を図る建物なので、壊されることは織り込み済みの設計だったのは思うのですが、いつかあのホテルに泊まって、空中浮遊の感じがするかどうか、試したかったのに。池のほとりから眺めていると、あんな不安定に見える部屋に宿泊して外をながめたら、寝ているあいだに落っこちる夢でも見るんじゃないかと思って見ていたのです。
<つづく>
2013/11/27
ぽかぽか春庭アート散歩>建築散歩2008~2013(6)メタボリズム黒川紀章
菊竹とともに、都市の新陳代謝=メタボリズムを追求した一人が黒川紀章です。西欧の建築に追いつけ追い越せと走ってきた日本の近代現代建築において、日本から世界へ向けて発信されて世界に浸透した建築運動の最初のひとつが、このメタボリズムの主張です。
石造りで永久保存をめざす西欧の建築物に対して、伊勢神宮や出雲大社の式年遷宮にみられるように、「壊す→作り代える・作り変える」というのが、日本のやり方でした。
都市空間を「生きて呼吸し、生まれ変わっていくもの」として捉え、社会の変化、人間の変化に応じて呼吸し、新陳代謝を行うのが現代の都市である、としたメタボリズムの考え方は、世界の建築思潮に大きな影響を与えました。建築において、日本が西欧に発信し受け入れられた最初のひとつ、と言えると思います。
黒川の設計した埼玉県立近代美術館は、私にとっては想い出深い美術館です。
青春の10年間、学生時代後半、市内の中学校国語教師として3年間、ケニアに行っていた1年を除いて、結婚出産までの10年間をさいたま市ですごしました。近代美術館ができたころは結婚出産の時期で一度も入館しないまま東京に引っ越しました。しかし、その後、市内の大学に出講するようになり、美術館は通勤の帰りに立ち寄る場所になりました。この頃は絵を見るのが目的だったので、埼玉県立近代美術館が黒川紀章の作品であることなど一度も意識したことがありませんでした。
さいたま市内の大学に出講しなくなってからは、埼玉県立近代美術館に出かける機会はごく少なくなりました。
2013年に近代美術館主催の近代建築探訪ツアーの事前レクチャーに参加した折、秋から建物が耐震改修工事のために閉館することを知り、ようやくここが黒川紀章の作品であったことに気がつきました。写真は、レクチャーが終了したあとの夕方に撮影したので、写りは悪いですが。
正面
入り口
窓から直方体が突き出ているのは、いったい何を表現したいデザインなのか、よくわかりませんが、黒川紀章はここに突き出したかったのでしょう。

埼玉近代美術館の外には、黒川の中銀カプセルタワーのひとつが展示されていて、中を見ることもできました。
中銀カプセルタワーのひとつとその内部

中銀カプセルタワービルの写真がカプセルの横に展示されていました。

中銀カプセルタワービルは、全体を取り壊して建て替える計画が出たものの、保存派の意見も根強い。黒川自身は「全体を取り壊さなくても、使用に耐えない一部だけを取り替えれば済むためにカプセルの設計にしてあるのだから」と、自身の作品が新陳代謝されようとしたのには、反対の立場だったそうです。
一時は建て替え賛成派が半数以上になったものの、いつのまにか建て替え案は立ち消えに。
話題になって賃貸希望者が増えた結果、ありきたりのオフィスビルになるようりも、「黒川紀章設計カプセルタワー」という付加価値で高めの賃貸にしたほうがいいと考えるオーナーが増えたのか、現在のところ建て替え案は再浮上に至っていないようです。
現在の中銀カプセルひとつの賃貸は、10平米で1ヶ月6万円~6万5千円。中銀カプセルと同じ1972年に建てられた銀座のビルと比較すると。1972年築中央区銀座1-28-16杉浦ビルのレンタルオフィスは、90平米で1ヶ月27万円の賃貸料金です。10平米あたりなら約3万円ですから、カプセルタワーのほうが倍以上の割高であることがわかります。中銀カプセルという名に、付加価値がついているのだろうと思います。
建物を見るにつけ、絵や陶磁器を見るにつけ、ついつい値段の話になるのが私の鑑賞法なので、賃貸料金比較をしてしまいました。
新陳代謝(メタボリズム)なのに、代謝を拒否するのは、芸術的価値うんぬんよりも経済的要素があるのではないかと思ったので計算してみたまで。
建築の思想うんぬんやら空間処理うんぬんなどの理論で建物を論評するのは専門家がさんざんやっているだろうから、私は私の「値段で論ずるアート」をやってみました。
日展などの公募展を見るたび、入賞作とそうでない作に差はないなあと感じ、「審査の先生が、弟子筋の中から高額の指導料を師匠に収めた順に入賞させる」という毎年だされる噂がほんとうなのやら、と疑いながら見ていたのですが、今回の日展審査不正騒動の報道により、噂は本当だったことが明らかになりました。
アートの評価なんてそんなものです。今後は、日展入賞作品の脇に「審査員への指導料100万円収めた作品」とか、「毎月10万円の講師料を払って指導を受けている人の作品」という具合に値段表をつけて展示したらいいんでないかい?
建物にもさまざまな賞が付与されますが、ま、私は私の感覚で好きな絵や建物を見ていけばいいのだ、とつくづく思います。
さて、摂取した熱量=カロリーの新陳代謝がうまく運ばずに脂肪となって溜め込まれてしまうというのがメタボリックシンドローム。私の熱量の新陳代謝もさっぱりとすすまず、溜め込まれています。摂取熱量が消費熱量を上回る故に脂肪となるのだとはわかっているものの、今日も仕事帰りの電車の中で、鯖のバッテラ4貫とピーナツひと袋を食べてしまいました。
明日をもしれぬ浮草稼業、来年の契約はどうなるのか。
安定した幸福な人生をおくっている方には、非常勤やパート、派遣の不安な日々をおくる身の上を思いやる時間もないことでしょうが、せめて、駅のベンチでカップ酒飲んでいるおっさんやら、電車の中でピーナツをぼりぼり食べている太めのおばはんを見かけたおりは、「あらま、かわいそうに、新陳代謝がうまくいかず、ストレス溜め込んでいるんでしょうね」と、同情してください。
建築メタボリズムの総帥、黒川紀章でさえ、自分の作品が新陳代謝されてしまうのを嫌がったのですから、わたくしごときがストレスを脂肪に変えて溜め込むのも、むべなるかな、私のメタボリックシンドローム代謝不全をお咎めなきよう。
<つづく>
ぽかぽか春庭アート散歩>建築散歩2008~2013(6)メタボリズム黒川紀章
菊竹とともに、都市の新陳代謝=メタボリズムを追求した一人が黒川紀章です。西欧の建築に追いつけ追い越せと走ってきた日本の近代現代建築において、日本から世界へ向けて発信されて世界に浸透した建築運動の最初のひとつが、このメタボリズムの主張です。
石造りで永久保存をめざす西欧の建築物に対して、伊勢神宮や出雲大社の式年遷宮にみられるように、「壊す→作り代える・作り変える」というのが、日本のやり方でした。
都市空間を「生きて呼吸し、生まれ変わっていくもの」として捉え、社会の変化、人間の変化に応じて呼吸し、新陳代謝を行うのが現代の都市である、としたメタボリズムの考え方は、世界の建築思潮に大きな影響を与えました。建築において、日本が西欧に発信し受け入れられた最初のひとつ、と言えると思います。
黒川の設計した埼玉県立近代美術館は、私にとっては想い出深い美術館です。
青春の10年間、学生時代後半、市内の中学校国語教師として3年間、ケニアに行っていた1年を除いて、結婚出産までの10年間をさいたま市ですごしました。近代美術館ができたころは結婚出産の時期で一度も入館しないまま東京に引っ越しました。しかし、その後、市内の大学に出講するようになり、美術館は通勤の帰りに立ち寄る場所になりました。この頃は絵を見るのが目的だったので、埼玉県立近代美術館が黒川紀章の作品であることなど一度も意識したことがありませんでした。
さいたま市内の大学に出講しなくなってからは、埼玉県立近代美術館に出かける機会はごく少なくなりました。
2013年に近代美術館主催の近代建築探訪ツアーの事前レクチャーに参加した折、秋から建物が耐震改修工事のために閉館することを知り、ようやくここが黒川紀章の作品であったことに気がつきました。写真は、レクチャーが終了したあとの夕方に撮影したので、写りは悪いですが。
正面

入り口

窓から直方体が突き出ているのは、いったい何を表現したいデザインなのか、よくわかりませんが、黒川紀章はここに突き出したかったのでしょう。

埼玉近代美術館の外には、黒川の中銀カプセルタワーのひとつが展示されていて、中を見ることもできました。
中銀カプセルタワーのひとつとその内部


中銀カプセルタワービルの写真がカプセルの横に展示されていました。

中銀カプセルタワービルは、全体を取り壊して建て替える計画が出たものの、保存派の意見も根強い。黒川自身は「全体を取り壊さなくても、使用に耐えない一部だけを取り替えれば済むためにカプセルの設計にしてあるのだから」と、自身の作品が新陳代謝されようとしたのには、反対の立場だったそうです。
一時は建て替え賛成派が半数以上になったものの、いつのまにか建て替え案は立ち消えに。
話題になって賃貸希望者が増えた結果、ありきたりのオフィスビルになるようりも、「黒川紀章設計カプセルタワー」という付加価値で高めの賃貸にしたほうがいいと考えるオーナーが増えたのか、現在のところ建て替え案は再浮上に至っていないようです。
現在の中銀カプセルひとつの賃貸は、10平米で1ヶ月6万円~6万5千円。中銀カプセルと同じ1972年に建てられた銀座のビルと比較すると。1972年築中央区銀座1-28-16杉浦ビルのレンタルオフィスは、90平米で1ヶ月27万円の賃貸料金です。10平米あたりなら約3万円ですから、カプセルタワーのほうが倍以上の割高であることがわかります。中銀カプセルという名に、付加価値がついているのだろうと思います。
建物を見るにつけ、絵や陶磁器を見るにつけ、ついつい値段の話になるのが私の鑑賞法なので、賃貸料金比較をしてしまいました。
新陳代謝(メタボリズム)なのに、代謝を拒否するのは、芸術的価値うんぬんよりも経済的要素があるのではないかと思ったので計算してみたまで。
建築の思想うんぬんやら空間処理うんぬんなどの理論で建物を論評するのは専門家がさんざんやっているだろうから、私は私の「値段で論ずるアート」をやってみました。
日展などの公募展を見るたび、入賞作とそうでない作に差はないなあと感じ、「審査の先生が、弟子筋の中から高額の指導料を師匠に収めた順に入賞させる」という毎年だされる噂がほんとうなのやら、と疑いながら見ていたのですが、今回の日展審査不正騒動の報道により、噂は本当だったことが明らかになりました。
アートの評価なんてそんなものです。今後は、日展入賞作品の脇に「審査員への指導料100万円収めた作品」とか、「毎月10万円の講師料を払って指導を受けている人の作品」という具合に値段表をつけて展示したらいいんでないかい?
建物にもさまざまな賞が付与されますが、ま、私は私の感覚で好きな絵や建物を見ていけばいいのだ、とつくづく思います。
さて、摂取した熱量=カロリーの新陳代謝がうまく運ばずに脂肪となって溜め込まれてしまうというのがメタボリックシンドローム。私の熱量の新陳代謝もさっぱりとすすまず、溜め込まれています。摂取熱量が消費熱量を上回る故に脂肪となるのだとはわかっているものの、今日も仕事帰りの電車の中で、鯖のバッテラ4貫とピーナツひと袋を食べてしまいました。
明日をもしれぬ浮草稼業、来年の契約はどうなるのか。
安定した幸福な人生をおくっている方には、非常勤やパート、派遣の不安な日々をおくる身の上を思いやる時間もないことでしょうが、せめて、駅のベンチでカップ酒飲んでいるおっさんやら、電車の中でピーナツをぼりぼり食べている太めのおばはんを見かけたおりは、「あらま、かわいそうに、新陳代謝がうまくいかず、ストレス溜め込んでいるんでしょうね」と、同情してください。
建築メタボリズムの総帥、黒川紀章でさえ、自分の作品が新陳代謝されてしまうのを嫌がったのですから、わたくしごときがストレスを脂肪に変えて溜め込むのも、むべなるかな、私のメタボリックシンドローム代謝不全をお咎めなきよう。
<つづく>
2013/11/28
ぽかぽか春庭アート散歩>建築散歩2008~2013(8)建物散歩と建築本
今年の文化勲章、高倉健さんの受賞うれしかったです。受賞記念に娘息子と「あなたへ」を見ました。
俳優では森繁久彌さん森光子さんが文化勲章を受賞していますが、文化人、演劇人としての受賞で、映画俳優として文化勲章を受けたのは健さんが最初です。
建築の分野で最初に文化勲章を受賞したのが伊東忠太(1943年受賞)。1963年の吉田五十八に続き、1967年に受賞したのが 村野藤吾です。1980年年丹下健三、1998年芦原義信、2010年安藤忠雄。
今2013年に文化功労賞を受賞した槇文彦やプリツカー賞を受賞した伊東豊雄あたりが次の「建築による文化勲章受賞者」になるんじゃないかしら。
建物に関して、これまで「見て楽しければいい」と思って、建物の外観や意匠を楽しんできました。建築家について、知らないことが多かった。建物を眺めながら、建築家の顔と結びつけて見ていたのは、コンドルやヴォーリスなどの外国人建築家たち。西洋美術館の設計者はルコルビジェというのは、上野公園に「世界遺産に登録を」の看板とともに名前は見ますが、じゃ、どんな人なのかと言われれば、よく知りません。
東京駅が辰野金吾、赤坂迎賓館が片山東熊というのも、名前だけ知っている。
今年3月にはじめて「建物見学レクチャー」を受けたとき、やはり深く研究している人の説をことばで聞いたあと建物を見ると、楽しさが倍増するなあと思いました。
夏休み旅行で、擬似洋風建物を建てた地方の大工棟梁の写真などを眺めて、ようやく建築家についてもっと知りたくなってきました。
それでも、建築関係の本には手を出さず、建築の本といえば、建物の写真がたくさんのっている本を借りて、写真を見ているだけにしてきました。本を読みだしたらきりがなくなるだろうとおそれて。
しかるに、この秋の読書、図書館で建物写真の本を借りるとき、写真中心の『お屋敷散歩』という本の並びに『現代日本建築家列伝』があったので、ついいっしょに借りました。
今まで藤森照信の本も、「写真を見て、どこにどんな建物があるのかチェックするだけ」にしていて、建築探偵シリーズなどを写真をパラパラと見ていただけだったのに、ついに岩波新書の『日本の近代建築 上・下』を借りて読みました。おもしろかったので、神保町散歩したとき、図書館本を読み終わった『日本の近代建築 上・下』、建築関連専門書店の南洋堂で、上は定価の半額の古本、下は新本で買いました。藤森照信『建築探偵・奇想天外』は、他の店で「半額本」で仕入れました。
図書館で『現代日本建築家列伝』やら『現代建築に関する16章』なども借りてきて、いよいよ深みにはまっていく気配。建築についてさまざまなことを知れば、もっと知りたくなります。もっとあちこち見て歩きたくなります。
建築写真は、明治、大正、昭和戦前、昭和戦後以降などのくくりで、建築年代順に並べた本。建築家別に紹介されている本も。北海道から沖縄まで観光に便利な地域別。住宅、学校、教会、公共施設など、用途別に並べているものなど、さまざまな紹介の仕方があり、それぞれによさがあるのですが、私の撮った写真は、私のメモ用なので、とにかく形が写ってさえいればいい。
建物写真家、建築探偵シリーズの増田彰久さんの写真、すばらしい。今回も『西洋館を楽しむ』『棟梁たちの西洋館』を図書館から借りました。そのほか、亀田博和『教会のある風景』小野吉彦『お屋敷散歩』などを借りて、枕頭本にしています。寝付く前の数分間、写真をながめて、次のお休みにどこに出かけて何を見ようなどと計画を立てるのですが、たいていは、計画がまとまる前に寝てしまいますが。
さて、次の休みにはどこを見学しようか。
小笠原伯爵邸のレストランでランチおごってくれる人を募集中です。赤坂プリンスホテルの立て直しが完了したら、レストラントリアノン(旧李王家邸)でおごってくださる人も募集中。
おさそい、お待ちしております。
<おわり>
ぽかぽか春庭アート散歩>建築散歩2008~2013(8)建物散歩と建築本
今年の文化勲章、高倉健さんの受賞うれしかったです。受賞記念に娘息子と「あなたへ」を見ました。
俳優では森繁久彌さん森光子さんが文化勲章を受賞していますが、文化人、演劇人としての受賞で、映画俳優として文化勲章を受けたのは健さんが最初です。
建築の分野で最初に文化勲章を受賞したのが伊東忠太(1943年受賞)。1963年の吉田五十八に続き、1967年に受賞したのが 村野藤吾です。1980年年丹下健三、1998年芦原義信、2010年安藤忠雄。
今2013年に文化功労賞を受賞した槇文彦やプリツカー賞を受賞した伊東豊雄あたりが次の「建築による文化勲章受賞者」になるんじゃないかしら。
建物に関して、これまで「見て楽しければいい」と思って、建物の外観や意匠を楽しんできました。建築家について、知らないことが多かった。建物を眺めながら、建築家の顔と結びつけて見ていたのは、コンドルやヴォーリスなどの外国人建築家たち。西洋美術館の設計者はルコルビジェというのは、上野公園に「世界遺産に登録を」の看板とともに名前は見ますが、じゃ、どんな人なのかと言われれば、よく知りません。
東京駅が辰野金吾、赤坂迎賓館が片山東熊というのも、名前だけ知っている。
今年3月にはじめて「建物見学レクチャー」を受けたとき、やはり深く研究している人の説をことばで聞いたあと建物を見ると、楽しさが倍増するなあと思いました。
夏休み旅行で、擬似洋風建物を建てた地方の大工棟梁の写真などを眺めて、ようやく建築家についてもっと知りたくなってきました。
それでも、建築関係の本には手を出さず、建築の本といえば、建物の写真がたくさんのっている本を借りて、写真を見ているだけにしてきました。本を読みだしたらきりがなくなるだろうとおそれて。
しかるに、この秋の読書、図書館で建物写真の本を借りるとき、写真中心の『お屋敷散歩』という本の並びに『現代日本建築家列伝』があったので、ついいっしょに借りました。
今まで藤森照信の本も、「写真を見て、どこにどんな建物があるのかチェックするだけ」にしていて、建築探偵シリーズなどを写真をパラパラと見ていただけだったのに、ついに岩波新書の『日本の近代建築 上・下』を借りて読みました。おもしろかったので、神保町散歩したとき、図書館本を読み終わった『日本の近代建築 上・下』、建築関連専門書店の南洋堂で、上は定価の半額の古本、下は新本で買いました。藤森照信『建築探偵・奇想天外』は、他の店で「半額本」で仕入れました。
図書館で『現代日本建築家列伝』やら『現代建築に関する16章』なども借りてきて、いよいよ深みにはまっていく気配。建築についてさまざまなことを知れば、もっと知りたくなります。もっとあちこち見て歩きたくなります。
建築写真は、明治、大正、昭和戦前、昭和戦後以降などのくくりで、建築年代順に並べた本。建築家別に紹介されている本も。北海道から沖縄まで観光に便利な地域別。住宅、学校、教会、公共施設など、用途別に並べているものなど、さまざまな紹介の仕方があり、それぞれによさがあるのですが、私の撮った写真は、私のメモ用なので、とにかく形が写ってさえいればいい。
建物写真家、建築探偵シリーズの増田彰久さんの写真、すばらしい。今回も『西洋館を楽しむ』『棟梁たちの西洋館』を図書館から借りました。そのほか、亀田博和『教会のある風景』小野吉彦『お屋敷散歩』などを借りて、枕頭本にしています。寝付く前の数分間、写真をながめて、次のお休みにどこに出かけて何を見ようなどと計画を立てるのですが、たいていは、計画がまとまる前に寝てしまいますが。
さて、次の休みにはどこを見学しようか。
小笠原伯爵邸のレストランでランチおごってくれる人を募集中です。赤坂プリンスホテルの立て直しが完了したら、レストラントリアノン(旧李王家邸)でおごってくださる人も募集中。
おさそい、お待ちしております。
<おわり>
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