2007/05/29 火
ニーハオ春庭中国通信>偽満皇宮見学・帝国の光と闇
清朝の皇帝として2度、満州国皇帝として1度、生涯に3度皇帝になり、3度その座から引きずりおろされた溥儀。
3度目に皇帝の座から降りたあとは囚人となり、中国共産党によって思想改造を受けました。
大赦によって出獄したあとは、毛沢東を賛美してやまない「よき人民」になり、中華人民共和国の公民として、共産党の広告塔として遇されました。
「改心して人民への奉仕にめざめた元皇帝」を演じた溥儀に対し、皇后婉容は中国の歴史からは忘れ去られ、その生涯をたどろうとする人もいませんでした。
私が婉容の存在を知ったのは、愛新覚羅浩の『流転の王妃』によってです。
1959年にハードカバーが出版された頃、たぶん図書館から借りて読んだのであろう母から、嵯峨公爵家から溥儀の弟溥潔に嫁いだ浩の生涯について、聞いた気がするのですが、婉容のことはまったく知りませんでした。
婉容の名が記憶に残ったのは、入江曜子の『我が名はエリザベス』が新田次郎賞を受賞したとき。しかし、本を読まないまま、月日がすぎました。
1994年に最初にこの地に赴任する前に「満州関連雑学仕込み」として読んだのが愛新覚羅浩の『流転の王妃の昭和史』
1992年発行の文庫で、婉容の最後が悲惨なものだったと知りました。
中国では、闇のかなたに葬られていた婉容。
その生涯を掘り起こし、小説として上梓した作者入江曜子に対し、婉容の弟・潤麒は感謝し、新たなエピソードも伝えてくれたそうです。
帝国という名の表舞台に立ち、常に自分にスポットライトがあたるように願っていた溥儀。
しかし、そのスポットライトは、照明係りである日本軍の意向しだいであったことにいらだちながら皇帝を演じていたのが溥儀であるなら、一方の皇后は、傀儡国家の闇の底に沈んだ女性だったといえるでしょう。
溥儀を「満州帝国」の表の顔とするなら、もうひとつ別の「裏の顔」として知られた人物がいます。
「闇の帝王」とおそれられたのは、満州映画協会理事長甘粕正彦。
映画協会理事長は表向きの肩書きであり、帝国の闇の部分を仕切る謀略機関のトップであったとされています。
映画『ラストエンペラー』で、溥儀を演じたジョン・ローン以上に、もっとも印象に残った出演者は、甘粕正彦を演じた坂本龍一でした。
それまで私が抱いていた「大杉栄伊藤野枝虐殺」犯人、殺人者、というイメージとは大いに違い、複雑かつとても魅力的な甘粕像がインプットされました。
映画『ラストエンペラー』を見た後、私は、旧満州地域、偽満州国の地で仕事をすることになりました。
満州関連書をさまざまに読んだなかで、満州時代の甘粕を知っている人の証言は、みな甘粕に対して好意的でした。
中国人の証言も日本人の証言も、そろって「甘粕理事長は、たいした人徳者」「日本人のなかで、あんないい人はほかにいない」「とても魅力のある人物」というような声がほとんどで、直接彼を知っていて彼を悪く言った証言者がいない、ということに大いに興味を引かれました。
満州映画協会理事長甘粕正彦は、1945年、敗戦ののち「大ばくち、身ぐるみ脱いですってんてん」というひとことを残して自殺。
この「すってんてん」という俗語を結語とする一句、辞世の句というにはあまりにも自己諧謔がすぎます。
わざわざ自分の一生をちゃかして、笑いのめして死んだ男、甘粕正彦。
<偽満皇宮つづく>
ニーハオ春庭中国通信>偽満皇宮見学・帝国の光と闇
清朝の皇帝として2度、満州国皇帝として1度、生涯に3度皇帝になり、3度その座から引きずりおろされた溥儀。
3度目に皇帝の座から降りたあとは囚人となり、中国共産党によって思想改造を受けました。
大赦によって出獄したあとは、毛沢東を賛美してやまない「よき人民」になり、中華人民共和国の公民として、共産党の広告塔として遇されました。
「改心して人民への奉仕にめざめた元皇帝」を演じた溥儀に対し、皇后婉容は中国の歴史からは忘れ去られ、その生涯をたどろうとする人もいませんでした。
私が婉容の存在を知ったのは、愛新覚羅浩の『流転の王妃』によってです。
1959年にハードカバーが出版された頃、たぶん図書館から借りて読んだのであろう母から、嵯峨公爵家から溥儀の弟溥潔に嫁いだ浩の生涯について、聞いた気がするのですが、婉容のことはまったく知りませんでした。
婉容の名が記憶に残ったのは、入江曜子の『我が名はエリザベス』が新田次郎賞を受賞したとき。しかし、本を読まないまま、月日がすぎました。
1994年に最初にこの地に赴任する前に「満州関連雑学仕込み」として読んだのが愛新覚羅浩の『流転の王妃の昭和史』
1992年発行の文庫で、婉容の最後が悲惨なものだったと知りました。
中国では、闇のかなたに葬られていた婉容。
その生涯を掘り起こし、小説として上梓した作者入江曜子に対し、婉容の弟・潤麒は感謝し、新たなエピソードも伝えてくれたそうです。
帝国という名の表舞台に立ち、常に自分にスポットライトがあたるように願っていた溥儀。
しかし、そのスポットライトは、照明係りである日本軍の意向しだいであったことにいらだちながら皇帝を演じていたのが溥儀であるなら、一方の皇后は、傀儡国家の闇の底に沈んだ女性だったといえるでしょう。
溥儀を「満州帝国」の表の顔とするなら、もうひとつ別の「裏の顔」として知られた人物がいます。
「闇の帝王」とおそれられたのは、満州映画協会理事長甘粕正彦。
映画協会理事長は表向きの肩書きであり、帝国の闇の部分を仕切る謀略機関のトップであったとされています。
映画『ラストエンペラー』で、溥儀を演じたジョン・ローン以上に、もっとも印象に残った出演者は、甘粕正彦を演じた坂本龍一でした。
それまで私が抱いていた「大杉栄伊藤野枝虐殺」犯人、殺人者、というイメージとは大いに違い、複雑かつとても魅力的な甘粕像がインプットされました。
映画『ラストエンペラー』を見た後、私は、旧満州地域、偽満州国の地で仕事をすることになりました。
満州関連書をさまざまに読んだなかで、満州時代の甘粕を知っている人の証言は、みな甘粕に対して好意的でした。
中国人の証言も日本人の証言も、そろって「甘粕理事長は、たいした人徳者」「日本人のなかで、あんないい人はほかにいない」「とても魅力のある人物」というような声がほとんどで、直接彼を知っていて彼を悪く言った証言者がいない、ということに大いに興味を引かれました。
満州映画協会理事長甘粕正彦は、1945年、敗戦ののち「大ばくち、身ぐるみ脱いですってんてん」というひとことを残して自殺。
この「すってんてん」という俗語を結語とする一句、辞世の句というにはあまりにも自己諧謔がすぎます。
わざわざ自分の一生をちゃかして、笑いのめして死んだ男、甘粕正彦。
<偽満皇宮つづく>
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