愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです (ヨハネの手紙第一 4章8節)
人間は、根本的に「人なんかどうでもいい」と思っているのです。
「自分がよければいい。 神さまなんて知ったこっちゃない。 自分がよければいい。
あいつなんか死んでしまえばいい。 私さえ幸せならばそれでいい」と思うのが人間なのです。
そしてそれこそが「罪」なのです。
あなたには、あなたの十字架があるのです。
もしかしたら、あなたの十字架は、 誰かに「ごめんなさい」と一言言うことかもしれない。
いままで冷たくしていた誰かにやさしい態度を示すことかもしれない。
「あのことを行ったのは私だ」と告白することかもしれない。
あなたは「私には愛がない」とおっしゃる。
実はそれが神さまへの最も近道であることにお気づきですか。
自分が重病にかかっていることを知らない人が医者に行くでしょうか。
私たちは重病、それも確実に死にいたる病にかかっています。
そのために、あなたは神さまを切に求めているのではありませんか。
努力して信じることはできません。 自分の力で信じることもできません。
試験を受けて信じる資格を得るわけでもありません。
不思議なことです。 オレがワタシがと我を張って生きているときには本当の自分を見失って疲れるが、
自分の弱さや罪を神さまに告白し、神さまに委ねるとき、 私たちは本当の自分を見出すのです。
いま、○○さんのためにお祈りをいたします。
○○さんはいま、自分の信仰生活の入り口に立っています。
自分に愛がない、ということに気づき、
あなたを信じる信仰を求めていらっしゃいます。
人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、
何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すには、
人はいったい何を差し出せばよいでしょう。
(マタイによる福音書 16章26節)
http://www.hyuki.com/dig/believe2.html
イエスさまを信じたいが、どうしたらいいかわからない人のために(より抜粋)
キリスト教に限らず、色々問題のある、偽や似非の宗教団体がひしめき合う昨今、
生活の場で自らの心の中に、自ら必要な人が、信仰を持つのが良いかもしれません。他人に強要せずに。
迷える子羊の雲には、そう思えるのです。
そして、雲がキリスト教にこだわるのは、今まで生きてきて、
本当に雲を助けてくださった何人もの方々が、それを隠しながら、
実はクリスチャンであることを、後からそっと教えてくださったからです。
仏教でも神道でもない。
それから、似非団体には、散々酷い思いをさせられてきたのも、また、事実なのです。
人間は、根本的に「人なんかどうでもいい」と思っているのです。
「自分がよければいい。 神さまなんて知ったこっちゃない。 自分がよければいい。
あいつなんか死んでしまえばいい。 私さえ幸せならばそれでいい」と思うのが人間なのです。
そしてそれこそが「罪」なのです。
あなたには、あなたの十字架があるのです。
もしかしたら、あなたの十字架は、 誰かに「ごめんなさい」と一言言うことかもしれない。
いままで冷たくしていた誰かにやさしい態度を示すことかもしれない。
「あのことを行ったのは私だ」と告白することかもしれない。
あなたは「私には愛がない」とおっしゃる。
実はそれが神さまへの最も近道であることにお気づきですか。
自分が重病にかかっていることを知らない人が医者に行くでしょうか。
私たちは重病、それも確実に死にいたる病にかかっています。
そのために、あなたは神さまを切に求めているのではありませんか。
努力して信じることはできません。 自分の力で信じることもできません。
試験を受けて信じる資格を得るわけでもありません。
不思議なことです。 オレがワタシがと我を張って生きているときには本当の自分を見失って疲れるが、
自分の弱さや罪を神さまに告白し、神さまに委ねるとき、 私たちは本当の自分を見出すのです。
いま、○○さんのためにお祈りをいたします。
○○さんはいま、自分の信仰生活の入り口に立っています。
自分に愛がない、ということに気づき、
あなたを信じる信仰を求めていらっしゃいます。
人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、
何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すには、
人はいったい何を差し出せばよいでしょう。
(マタイによる福音書 16章26節)
http://www.hyuki.com/dig/believe2.html
イエスさまを信じたいが、どうしたらいいかわからない人のために(より抜粋)
キリスト教に限らず、色々問題のある、偽や似非の宗教団体がひしめき合う昨今、
生活の場で自らの心の中に、自ら必要な人が、信仰を持つのが良いかもしれません。他人に強要せずに。
迷える子羊の雲には、そう思えるのです。
そして、雲がキリスト教にこだわるのは、今まで生きてきて、
本当に雲を助けてくださった何人もの方々が、それを隠しながら、
実はクリスチャンであることを、後からそっと教えてくださったからです。
仏教でも神道でもない。
それから、似非団体には、散々酷い思いをさせられてきたのも、また、事実なのです。