つくばの“ド素人”音楽同好会

クラシック音楽から,邦楽,洋楽とジャンルにとらわれず幅広く語り明かす,音楽の素人さんのための憩いの場です。

朝比奈隆とマックス・ウェーバー

2008年06月01日 21時29分19秒 | マエストロ
自分で書いていて、なんとたいそうな題名だろうと思っているところです。

朝比奈隆先生は、言わずと知れた、関西が生んだ最高のカリスマ的マエストロであり、ウェーバーももちろん社会学の大先生なわけであります。
お二人ともあまりに偉大すぎて、言葉に換言できませんけど・・・。

最近、わけあって、マックス・ウェーバーの本を読んでいたらこんな記述がありました。人間の行動について、以下。

―自分で同じ行為を行うことが出来なければ、理解することが出来ないというわけでもない。「シーザーを理解するのには、自分がシーザーである必要はない。」完全な追体験可能性というのは、理解の明確性にとっては大切であっても、それは意味解釈の絶対的条件ではない―

と言っているわけです。なるほど。
しかしその前段で実はウェーバーはこうも言っているのです。

―神秘的な過程、つまり、言語で十分に伝達し得ない過程は、この体験を知らない人たちには完全に理解することはできない―

さて、私はハタと朝比奈先生の話を思い出し、あわてて先生の書を読み返してみました。先生は指揮者とオーケストラの関係についてこう述べています。

~だから私はいつも言っているのですが、指揮者は何かの楽器のプロのプレイヤーでなきゃいけない。そうすればプレーヤーの職人気質というものがわかるでしょう。現役ではないから自分ではそんなにうまく弾けないけれど、お互いに理解しあえるものがある・・・・・・これは指揮者とオーケストラの共同作業ですから、指揮者が若い人であろうが年寄りであろうが非常に大事なことだと思います~

私は朝比奈先生のここを読み返して、「あー、そうなのか」と深く感銘したわけです。
だから、音楽とは、神秘的な過程を追求し、理解していくものなのか・・・。
そして朝比奈先生とウェーバーが、60年の時代を超えて対話をしているかのようにも思えたのです。

音楽はかくも素晴らしく、また学問もかくも素晴らしいものかと、ちょっぴり考えさせられた瞬間でありました