Higashi-Imoarai, Kumiyama Town, Kyoto Pref.
さてさて、今回は京都といってもちょっと変わった京都を紹介したいと思います。
ワタクシ、少し前のことなのですが京都府久御山町にある東一口という集落に、漁村の風景を眺めようと出向きました。
まずここで「よっちんさんもついに酒の飲み過ぎで頭がおかしくなったかな。京都市の南にある久御山町に、なんで漁村があるねん」と思った方も多いでしょう。
そう思われるのは当然です。京都市の伏見区に接する久御山町には当然ですが、海はありません。大きな川もありません。
しかししかし、この地図を見てください。
京都市の南部にはかつて巨椋池という「池」というより、「湖」という言葉がふさわしい大きな池がありました。
この地図はかつての巨椋池を今の地図に描いてみたものです。その大きさがわかるでしょうか。
この巨大な池は明治時代から本格的に干拓が始まり、昭和16年には巨椋池は完全に姿を消しました。
しかしながら、かつて巨椋池で漁業が盛んだった集落には、今なお漁村の趣が残っている集落があるのです。
そんな光景を眺めたくって、ワタクシは東一口に向かったのでありました。
そしてそして、次に注目してほしいのは「東一口」という地名なのですが、これ、何て読むと思います。
「ひがしいちくち」「ひがしひとくち」…実はこれで「ひがしいもあらい」って読むんですよ。
京都には数多くの難読地名が存在します。京都市内にある有名な難読地名だけでも
「太秦=うずまさ」「先斗町=ぽんとちょう」「化野=あだしの」などがすぐに頭に浮かんできます。
そんな難読地名が多い京都でも「一口=いもあらい」は、まあ難読中の難読地名ではないでしょうかねぇ。
かつては巨椋池の独占的な漁業権を持つ3つの漁港の一つであった東一口。
訪ねてみると狭い路地に沿って、立派な古民家が立ち並んでおりました。
かつてはこの石段を下って行けば、そこには水面が広がっていたのでしょうね。この下は船着き場であったのでしょう。
猫が多いのも漁村だった名残りでしょうか…そんなことはありませんね。
堤防の上に出来た東一口は東西に細長い集落で、全長1,300m、最大幅100m、最小幅27mの集落でした。
今も狭い路地に寄り添うように民家が立ち並んでいます。
巨椋池の干拓事業は木津川の洪水を防ぐという目的もありましたが、最大の目的は食糧増産のために水田を作ることでした。
同じ時期に秋田県の八郎潟や九州の有明海など、耕地拡大のために日本各地で干拓事業が進められました。
その後、コメが余るようになって減反政策が進められるのですから、なんとも皮肉なものですね。
漁村としての役割を終えてもう数十年。でも東一口の佇まいは、昔のままの姿が残っておりました。
この家などは、かつては立派な漁師さんだったのでしょうね。ワタクシの立つ位置が船着き場だったのだと思います。
今回はちょっと変わった京都を案内させていただきました。どんなガイドブックにも載ることがない東一口でしょうが
ワタクシには十分興味深い場所であり、訪ねる価値がありました。
使用したカメラ:FUJIFILM X-E1
東一口…この地名を知ったのは学生時代のことですから、もう30年も前のことです。
地名の面白さ、さらにそこは漁村であったということを知り、一度は訪ねたいと思っていました。
今回、30年の歳月が過ぎてやっと願いが叶いました。
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さてさて、今回は京都といってもちょっと変わった京都を紹介したいと思います。
ワタクシ、少し前のことなのですが京都府久御山町にある東一口という集落に、漁村の風景を眺めようと出向きました。
まずここで「よっちんさんもついに酒の飲み過ぎで頭がおかしくなったかな。京都市の南にある久御山町に、なんで漁村があるねん」と思った方も多いでしょう。
そう思われるのは当然です。京都市の伏見区に接する久御山町には当然ですが、海はありません。大きな川もありません。
しかししかし、この地図を見てください。
京都市の南部にはかつて巨椋池という「池」というより、「湖」という言葉がふさわしい大きな池がありました。
この地図はかつての巨椋池を今の地図に描いてみたものです。その大きさがわかるでしょうか。
この巨大な池は明治時代から本格的に干拓が始まり、昭和16年には巨椋池は完全に姿を消しました。
しかしながら、かつて巨椋池で漁業が盛んだった集落には、今なお漁村の趣が残っている集落があるのです。
そんな光景を眺めたくって、ワタクシは東一口に向かったのでありました。
そしてそして、次に注目してほしいのは「東一口」という地名なのですが、これ、何て読むと思います。
「ひがしいちくち」「ひがしひとくち」…実はこれで「ひがしいもあらい」って読むんですよ。
京都には数多くの難読地名が存在します。京都市内にある有名な難読地名だけでも
「太秦=うずまさ」「先斗町=ぽんとちょう」「化野=あだしの」などがすぐに頭に浮かんできます。
そんな難読地名が多い京都でも「一口=いもあらい」は、まあ難読中の難読地名ではないでしょうかねぇ。
かつては巨椋池の独占的な漁業権を持つ3つの漁港の一つであった東一口。
訪ねてみると狭い路地に沿って、立派な古民家が立ち並んでおりました。
かつてはこの石段を下って行けば、そこには水面が広がっていたのでしょうね。この下は船着き場であったのでしょう。
猫が多いのも漁村だった名残りでしょうか…そんなことはありませんね。
堤防の上に出来た東一口は東西に細長い集落で、全長1,300m、最大幅100m、最小幅27mの集落でした。
今も狭い路地に寄り添うように民家が立ち並んでいます。
巨椋池の干拓事業は木津川の洪水を防ぐという目的もありましたが、最大の目的は食糧増産のために水田を作ることでした。
同じ時期に秋田県の八郎潟や九州の有明海など、耕地拡大のために日本各地で干拓事業が進められました。
その後、コメが余るようになって減反政策が進められるのですから、なんとも皮肉なものですね。
漁村としての役割を終えてもう数十年。でも東一口の佇まいは、昔のままの姿が残っておりました。
この家などは、かつては立派な漁師さんだったのでしょうね。ワタクシの立つ位置が船着き場だったのだと思います。
今回はちょっと変わった京都を案内させていただきました。どんなガイドブックにも載ることがない東一口でしょうが
ワタクシには十分興味深い場所であり、訪ねる価値がありました。
使用したカメラ:FUJIFILM X-E1
東一口…この地名を知ったのは学生時代のことですから、もう30年も前のことです。
地名の面白さ、さらにそこは漁村であったということを知り、一度は訪ねたいと思っていました。
今回、30年の歳月が過ぎてやっと願いが叶いました。
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素敵なショットから、様子、雰囲気、伝わってきました。
楽しめました。
心和みました。
ありがとうございました。
いつも、拙い私のブログを見て、嬉しいコメント&応援ポチに、恐縮、深謝、深謝、深謝です。
応援ポチ♪♪
低い斜光が路地の陰影を作っていて美しいです。
こんな場所の猫って絵になるんですよね^^
応援ポチ
まあ、よっちん、よくいろんなこと知ってますねえ。
町の名前もまた珍しいですね。
民家の堂々とした佇まい、見る価値がありますね(^.^)
「太」がとれた「秦」の地名がその隣にあり、
そちらは「はた」と読ませますね
かつて奈良電気鉄道時代の近鉄京都線が
巨椋池の水しぶきがかかりそうだったことを
年配者にお聞きしたことがあります
地名等、読み方難しいです。特に京都は読めません(汗)
由来等あるのですよね!! 風情ある写真です^^
願いが叶いましたね!
一口=いもあらい
凄い地名ですね、全体読めないな~笑)
今日も素敵な一日を☆応援P
いもあらいとは確かに読めませんよね。
娘が学生時代を過ごした枚方も
最初は読めませんでした^^;
応援です☆~
巨椋池は?なんて呼ぶのですか?
一口を・・いもあらいなんてわかりませんよね!
いい写真で心いやされます。
心のノートに書いておこう・・・
一口・・・読めません。
おはようございます!
>東一口
これを読める人はいないと思うなぁ!!
素敵な場所、心が和みます。
ポチッ!