よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
写真と文章で綴ってみたい。
そう思ってブログを始めてみました。

五重塔は工事中-山口県山口市:瑠璃光寺

2024年10月09日 | 山口
Rurikoji Temple, Yamaguchi City, Yamaguchi Pref.

さてさて、山口市にやって来たワタクシ達は、山口駅からこの日に泊まるホテルへと猛暑の中を15分ほど歩いて行きました。
ホテルに荷物を預けるとフロントの方から「どちらに行かれますか?」と訊かれたので、
「瑠璃光寺です」と答えると、「歩いて行かれるんですか。けっこうな距離がありますよ」と驚かれました。
次に「瑠璃光寺なんですが、五重塔が工事中なんですよ」と言われたので、「ええ、知っていますがせっかくの名刹ですので、
参拝しようと思っているんです」と答え、ワタクシ達は瑠璃光寺へと向かいました


ホテルから猛暑の中を歩くこと20分。瑠璃光寺に着きました。室町時代の優れた建築であり日本三名塔に数えられる瑠璃光寺五重塔は、
「西の京」と呼ばれる山口のシンボルであり、国宝にも選定されています。
ちなみに三名塔とは瑠璃光寺以外に、京都の醍醐寺、奈良の法隆寺の五重塔だそうです。
現在、約70年ぶりの檜皮葺屋根の全面葺き替え工事中なんですよ


この写真は山口県観光協会のHPのものですが、これが本来の五重塔です。この姿を見ることが出来ないのは残念ですが、
その代わりに境内はほとんど人がいませんでした。静かな参拝を楽しむことが出来ました


瑠璃光寺は曹洞宗のお寺で、大内氏によって建立されたお寺です。
室町時代、大内氏25代の大内義弘が現在の場所に香積寺を建立したのが始まりだと伝えられています


境内は曹洞宗のお寺らしく質実剛健というか、派手さは無いものの落ち着いた佇まいが印象的でした。
瑠璃光寺一帯は紅葉の名所としても有名だそうで、秋の季節に訪れるのも素敵でしょうね


上にも書きましたが、山口は「西の京」と呼ばれるのですが、なぜそのような名前がついたのかと言いますと、
長門・周防国の守護に任じられた24代大内弘世(ひろよ)は1360年ころ政庁を山口に移し、
京に模した街づくりをはじめたと言われています


将軍である足利義詮に会うため京に上った弘世は京の高い文化や情緒に感銘を受け、山口の一の坂川を京の鴨川にみたて、
京をまねた町づくりを行いました。応仁の乱が起こると、乱を逃れてきた文化人を招いたことで京都の文化が広まり、
日明貿易を行うなど「西の京」として大いに栄えました。
雪舟やフランシスコ・ザビエルもこの時代に山口に滞在していた人物として有名ですよね


応仁の乱というのは京の町を焼け野原にしましたが、京文化を地方に伝播させたという意味合いにおいては
地方文化の発展に大きく寄与したとワタクシは思っています。
そんなことを思いながら、ワタクシ達は瑠璃光院を後にして山口の町へ向かいました


山口市内にはさほど古い町並みが残ってはいないのですが、一の坂川の左岸の一画に歴史を感じる町並みがありました


山口県山口市…県庁所在地とは思えないほど、静かで落ち着いた雰囲気の町でした。
派手さはありませんが、住む町としては暮らしやすい町なのじゃないかなという印象を持ちました

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


ここ山口市のように、応仁の乱の戦火から京都を逃れた公家、僧侶は地方の武士達に手厚く迎えられ、
その結果として京都の文化が各地に伝わり、「小京都」と呼ばれる町が出来上がっていきました。
山口以外では土佐国の中村、但馬国の出石、美濃国の郡上、飛騨国の高山、伊予国の大洲などが代表的な町だと思いますが、
どの町も魅力的で、何度でも訪れたくなる町ばかりです。



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