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よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
写真と文章で綴ってみたい。
そう思ってブログを始めてみました。

変わりゆく「なんば」-大阪市中央区:なんば広場

2025年03月19日 | 大阪(大阪市内)
Nanba Square, Chuo Ward, Osaka City

さてさて、久しぶりに難波を訪れたワタクシは、難波八阪神社を後にして難波の中心部に向かっていました。
久しぶりとはいえ勝手知ったる難波ですので、地図などを見なくても道に迷うことはありません


裏通りを歩くと、そこには昔懐かしい風景がまだ残っていました。今では大阪も随分と小綺麗な町並みに変わりつつあり、
ワタクシのように昭和の時代に大阪で育ったネイティブ大阪人には「大阪らしさが失われていくなぁ」と思ってしまうのです


でも、一歩裏通りに入っていくと、まだまだ昔ながらの町並みが広がっているんですね


と思っていたら、こんなオシャレな看板がありました


そして、こんなオシャレな空間が広がっていました。うーむ、難波も変わりつつありますな


南海なんば駅の近くに来ると「自動車通行禁止」になっていました。南海なんば駅前は交通量の多い道路だったのですが、
2023年11月から駅前の道路が歩行者天国に生まれ変わったんです


この地図で赤く塗られたエリアが歩行者天国になったんです。そして、「なんば広場」という名前がつけられました


この日、「なんば広場」では「ご当地おむす美大賞グランプリ大会」というイベントが開催されるようで、その準備が進んでいました。
最近はおむすびが外国人にも人気のようですね。ちなみに朝ドラの「おむすび」はあまりの面白無さで、見るのを止めました。
関係のない話で申し訳ありません


向こうに見えている重厚感あふれる建造物は大阪高島屋です。1932年に建てられた歴史のある建造物です。
ワタクシは高島屋というと、バラの包装紙がすぐに頭に思い浮かびます


ではでは、次は難波の有名スポットの方に向かうとしましょうか

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


私が子どもの頃、叔母(母の姉)が難波に住んでいました。そのため、私はよく難波に遊びに来ていたんです。
叔母の家のすぐ近くに「なんば花月」があったので、よく吉本の漫才師や新喜劇の役者さんの姿を見かけました。
その当時から私は漫才が大好きだったのですが、最近は変に理屈っぽい漫才やコント紛いの漫才が多いのがイヤなんですよ。
そんな中、去年の「M-1グランプリ」で準優勝だったバッテリィズはストレートで分かりやすい漫才で好感を持てました。



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高さ12mの獅子-大阪市浪速区:難波八阪神社

2025年03月18日 | 大阪(大阪市内)
Nanba Yasaka Shrine, Naniwa Ward, Osaka City

さてさて、3月8日の土曜日、ワタクシは久しぶりに大阪市難波に出かけました。
難波は言うまでもなく梅田と並ぶ大阪を代表する繁華街です。
難波は「ミナミ」、梅田は「キタ」とも呼ばれ、常に多くの観光客や買い物客などで賑わっています


地下鉄(大阪メトロ)のなんば駅で下車し、ワタクシは朝の9時ちょうどに難波八阪神社に到着しました。
この神社は難波の中心部からは少し離れた場所にあるのですが、最近は外国人観光客にすごく人気がある神社なんです


難波八阪神社の歴史は古く、言い伝えによると、創建は仁徳天皇(313~399年)の時代にまでさかのぼります。
当時、この地域に疫病が流行した際に、これを治めるために神仏習合の神である牛頭天王(ごずてんのう)が現れ、
お祀りをしたのがはじまりとされています。その後は難波下の宮と呼ばれ、人々に親しまれるようになりました


難波八阪神社が有名なのは、巨大な獅子頭をかたどった獅子殿の存在です。高さ12m、幅11m、奥行き10mの大きさを誇り、
神楽や獅子舞・居合道などの奉納の舞台としても利用されています。
古くからこの地は獅子舞が盛んな地域でもあったことから、魔除けの獅子として1974年に建立されました


建設の際に「神社のシンボルとして大阪人がビックリするようなものにしよう」という考えから巨大な獅子殿が完成したとのこと。
目はライト、鼻はスピーカーの役割を果たしているということです。目が輝くところを見てみたいものです


この獅子殿の写真を撮るために、外国人観光客がたくさん訪れるんです。この日も境内にいるのは8割くらいが外国人でした。
絵馬もほとんどが外国の言語で書かれていました。神様も多くの言語でお願いされると大変ですな


境内に梅の木がありましたが、今年は梅の開花が随分と遅れています。なにせ2月は寒い日が多かったですからね


神社を後にして難波の中心部の方に向かって行きました。エディオンアリーナ大阪(大阪府立体育会館)の前に来てビックリ。
翌日が大相撲大阪場所(春場所)の初日だということは知っていましたが、前日の朝だというのにすごい行列なんですよ


ワタクシ、並んでいた女性に「今日は今から何かあるんですか?」と訊いてみました。
すると「10時から大相撲の土俵祭りがあるんです」とのこと。ワタクシ、恥ずかしながら土俵祭りってどんなものか知りませんでした。
調べてみると「土俵祭とは立行司が祭主となり、祝詞を奏上し、供物を捧げて場所中の安全と興行の成功、
さらには国家の安泰、五穀豊穣を祈念するものです。
土俵の中央に穴を開け、塩、昆布、するめ、勝栗、洗米、かやの実などの縁起物が沈められます」ということです。
なお、「荒れる春場所」と言われますが、翌日の春場所初日には横綱豊昇龍、大関琴櫻が揃って負けたのでした

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


大阪人でない人にとって、鉄道で難波に来ると迷うことがあるんです。
それは「なんば駅で待ち合わせしようか」と言うと、大変なことになるんです。
まず地下鉄だと「なんば駅」には御堂筋線、四つ橋線、千日前線の三路線が乗り入れており、各線の駅はちょっと離れてるんです。
さらに南海電車の「なんば駅」、近鉄電車の「大阪難波駅」、JRの「JR難波駅」がそれぞれありますから、
「〇〇線のなんば駅」と指定しておかないとダメなんですよね。



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近松門左衛門はどう思う?-大阪市北区:露天神社

2024年07月12日 | 大阪(大阪市内)
Tsuyunoten Shrine, Kita Ward, Osaka City

さてさて、大阪天満宮を訪れた後、ワタクシは待ち合わせ場所になっていた梅田へと歩いて向かいました


待ち合わせをしていた場所のすぐ近くに露天神社(つゆのてんじんじゃ)がありました。
しかし、この神社は正式な名前の露天神社よりもお初天神という通称の方が一般的になんです。
ほとんどの大阪人はお初天神と呼びますし、神社のそばにある商店街も「曽根崎お初天神商店街」という名前になっています


なぜお初天神と呼ばれるのかと言いますと、1703年に堂島新地の遊女「お初」と内本町の醤油屋手代「徳兵衛」の心中事件が起こります。
心中事件はこの露天神社の裏にあった森の中で起こったのですが、当時上方で大人気だった劇作家の近松門左衛門が
「曽根崎心中」というタイトルで人形浄瑠璃として発表したところ大評判となり、大勢の参拝者がここを訪ねた事に由来なんです


曽根崎心中には、二人の恋人が社会の厳しい制約に苦しんだ末に心中を遂げるという悲劇的な展開が描かれています。
いわば「叶わぬ恋」「実らぬ恋」を近松門左衛門は描いたわけですな


しかし、お初と徳兵衛の2人の純愛が世代を超えて評判を呼び、良縁を願いたくさんの参拝者が訪れることとなりました。
かつて悲恋の地としての露天神社が、いつの間にか縁結びのスポット「お初天神」となったんですよ


そして、今では「恋人の聖地」にも選定されているんです。恋人の聖地って何やねん…とワタクシなどは思ってしまうのですが、
恋人の聖地はNPO地域活性化支援センターが主催する「恋人の聖地プロジェクトにより選定された観光スポットだそうです


選定委員が桂由美、假屋崎省吾。親善大使に石田純一、IMALU、森泉、板野友美なんて名前が並んでいるのを見ると、
「胡散臭い聖地やなぁ」とワタクシは思ってしまうのですが、若い人はそうではないのでしょうね


お初・徳兵衛の300回忌を迎えた平成16年には、「お初・徳兵衛」のブロンズ像も製作されました。
「曽根崎心中」の舞台が恋人の聖地と呼ばれたり、二人のブロンズ像が造られたりしているのを、
近松門左衛門はどんな思いで見ているのでしょうね


ではでは、知人との待ち合わせに向かうとしましょうか。この日はたくさん食べ、たくさん飲み、いっぱい語り合ったのでした

使用したカメラ:FUJIFILM X-T30


聖地というのは本来、宗教の発祥などに関係が深く、神聖視されている土地を意味する言葉です。
あるいは「高校野球の聖地甲子園球場」のように、特定の分野において重要な場所。あこがれの場所という意味もあるでしょう。
しかし、最近は「恋人の聖地」「アニメの聖地巡礼」のように「聖地」という言葉が、随分と薄っぺらい意味で使われるんですよ。
同じように「カリスマ」という言葉も随分と安売りされると思うのですが、そんなことを思うのも年寄りの戯言なんでしょうな。



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合格祈願-大阪市北区:大阪天満宮

2024年07月11日 | 大阪(大阪市内)
Osaka Tenmangu Shrine, Kita Ward, Osaka City

さてさて、大阪市北区の天満を散策したワタクシは、さらに散策を続けて行きました


ワタクシは天神橋商店街を南に向かって歩いて行きました。
この商店街は天神橋一丁目から六丁目まで南北2.6 kmに伸びる日本一長いアーケード商店街で、店舗数は600程度だそうです。
なお、この写真にある大きな提灯に「天三」と書いてありますが、これは「天神橋筋三丁目」を略した言葉なんですよ


天神橋筋一丁目あたりまで行って、商店街を少し東に行くと大阪天満宮があるんです。
この大阪天満宮の夏祭りが、有名な天神祭なんです


この神社ですが、650年に孝徳天皇が難波宮を造営した際、その西北に守護神として大将軍社を創建したのが始まりだそうです。
そして、901年に菅原道真が藤原時平によって九州大宰府へ配転(左遷)させられた際、
この地にあった大将軍社に参詣し旅の安全を祈願したということで「菅原道真ゆかりの地」になるわけですね


菅原道真の死後に天神信仰が広まり始めますが、949年に道真ゆかりの大将軍社の前に7本の松が生え、
霊光を放ったという話が都に伝わ理ました。それを聞いた村上天皇の勅命によってこの地に天満宮が建立されることとなったそうです。
菅原道真の祟りというのは、都の連中には相当恐れられていたんですね


学問の神様である菅原道真公を祀った天満宮ですので、当然ながら「学問の神様」として多くの受験生が参拝にやってきます。
ズラリと合格祈願の絵馬が並んでいるのも、天満宮ならではの光景です


これも時代の流れでしょう。ワタクシには全く読むことも出来ない外国文字(多分タイ語でしょうかねぇ)で書かれた絵馬がありました。
外国の留学生が書いたものなのか、それとも観光客が書いたものかはわかりませんが、菅原道真もさまざまな言語で祈願をされるとは
思ってもいなかったでしょうね。でも、頭脳明晰な彼のことですからすぐにマルチリンガルになっているのかも知れません


ワタクシは神頼みということをしないので、自分が高校受験や大学受験の際に神社に行って合格祈願をしたのかどうか記憶がありません。
ただ、親戚が京都の北野天満宮で買ってきてくれた合格祈願の鉛筆を持って受験に行ったのは覚えているんです


最近は少子化の影響で、高校受験も大学受験も基本的には広き門だと聞きます。
大阪なんて公立高校の半分近くが定員割れをするという異常事態ですが、それでも祈願に行く受験生は多いのでしょうね

使用したカメラ:FUJIFILM X-T30


この大阪天満宮のすぐ隣に、「天満天神繁昌亭」という落語をメインにした寄席があるんです。
私は落語が好きなのですが、近い将来、古典落語というのは滅びるんじゃないかと危惧しています。
理由の一つは古典落語ってある程度の知識、素養がないと面白みがわからないのですが、そういう知識が若い人に伝わっていないこと。
もう一つの理由は古典落語って今の時代のコンプライアンスで言うと、使えないような言葉や表現が多いということ。
なんでもかんでもコンプライアンスという言葉でがんじがらめにすることで、芸能文化が衰退していくように思うんですよ。



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市場の周囲をウロウロ-大阪市北区:天満

2024年07月10日 | 大阪(大阪市内)
Tenma, Kita Ward, Osaka City

さてさて、大阪市北区天満にやって来て、散策を楽しむワタクシです


「天満市場」と書かれた大きな看板があります。ワタクシ、市場の中を歩くのが好きなので天満市場に行くことにしました


天満市場の歴史は古く、大阪城築城当時から大川沿いに集結した食材の集積場でした。
その中でも青果物を多く扱い天満青物市場と呼ばれたそうです。その他にも乾物、米、の干魚、雑候場がありました


市場の中は活気に溢れ、どのお店にも多くのお客さんが来ていました


最近はどこに行っても商店街、市場が寂れている姿を目にします。郊外型の大型スーパーに人が集まる一方で、
駅前の商店街や市場は廃れていくばかりです。でも、ここ天満市場は別でした。
こういう市場がいつまでも残っていってほしいですね


天満市場の周囲も居酒屋、飲食店などがズラリと集まっています。真っ昼間から飲んでいる人がいっぱいいます


ワタクシもちょっと一杯飲もうかと思ったのですが、この後に待ち合わせがありまして、
当然ながらタップリと飲むのは間違いありませんので、ここでは我慢、我慢のワタクシです


おおっ、激安エリアの天満にも激安スーパーの「玉出」がありました。このド派手な看板は目立ちますわ


「東洋ショー」という看板がありますが、これ何だと思います?
実は由緒正しきストリップ劇場なんです。1964年に開館といいますから、今年で60周年ということですな。
今の時代、ストリップに需要があるのかどうかわかりませんが、劇場が存続しているということは需要があるのでしょう

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


私が住んでいる地域からさほど遠くない場所に、「ららぽーと」「イオンモール」のような大型店舗が次々に開店しました。
確かに買い物には便利ですし、大きな駐車場があるので今の時代には郊外型の大型小売店というのは一番マッチするのでしょう。
でも、昔の市場や商店街でお店の人と会話を交わしながら買い物をするのって、楽しかった気がするんですよ。



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