はにかみ草

。。考えたこととか感じたことをいろいろ書きます。。

夢と本

2009-05-24 14:00:44 | 公開

今日は夢にともだちのJ兄さんが出てきて、夢のなかで私はJさんから、高祖岩三郎(こうそいわ さぶろう)さんの『新しいアナキズムの系譜学』を古本で買ってお金を払ったのに、しばらくしてから「まだお金払ってもらってない。明日からコタツも売って生活をしないといけないから、早くお金を払って。 もう貯金もゼロ円だから」と言われた夢を見た。おもしろかった。

多分寝る前にこの案内を見たからだと思う。

紀伊國屋新宿本店 トークセッション
高祖岩三郎+廣瀬純(ひろせじゅん)
「資本主義からの脱出――アナキズムとアサンブレア」
http://www.kinokuniya.co.jp/01f/event/event.htm#shinjukuhonten_01


今日はその夢のあと、断崖絶壁を歩いていて、下の川をふと見ると、大学にいたときに可愛がってたネコが川を泳いでいて(何でネコが川を泳ぐんだ。しかも犬かきで)、「にゃんちゃーん!」と呼びかけたら、にゃんちゃんが たった2回のジャンプで断崖絶壁をのぼってきた夢を見た。すごい跳躍力。そのあとに、にゃんにゃんと言って甘えてくれた。

そのにゃんちゃんは、冬になる前に、いつもいた場所から突然消えてしまった。誰かにもらわれたのか、交通事故にあったのか分からなくてすごく心配。



最近は、残業と休日出勤のせいでブログを更新するひまもなくて、
読書も毎日の電車のなかでしかできない。(1日合計1時間ぐらい。)
帰って机に向かう時間もないので、中国語は休みの日にまとめて勉強してる。

4,5月に読んだ本は、

・道場親信(みちば ちかのぶ) 『抵抗の同時代史 軍事化とネオリベラリズムに抗して』人文書院、2008年
http://rakuhoku.blog87.fc2.com/blog-entry-212.html

・田村志津枝(たむら しづえ)『悲情城市の人びと―台湾と日本のうた』晶文社、1992年

・森 宣雄(もり よしお)『台湾/日本―連鎖するコロニアリズム』(インパクト出版会、2001年)

・P・スタインホフ (著), 木村 由美子 (翻訳) 『死へのイデオロギー―日本赤軍派―』(岩波、2003年)

・白崎朝子『介護労働を生きる――公務員ヘルパーから派遣ヘルパーの22年』(現代書館、2009年)

・冨山一郎(とみやま いちろう)『暴力の予感』岩波書店 (2002)→1章だけ

・う・そっくん/ぱく・くぉにる(禹〓熏・朴権一(※〓は析の下に日)『韓国ワーキングプア 88万ウォン世代』 金友子(きむうじゃ)ほか訳、明石書店、2009年→半分読んでとまってる

・梅森 直之(うめもり なおゆき)『ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る』 (光文社新書、2007年)

などです。。5月の最後の週は、樫村 愛子『ネオリベラリズムの精神分析―なぜ伝統や文化が求められるのか』光文社 (2007年) を読みたいです。

(ふりがながついていない著者は、名前の一部の読みかたが わかりません。白崎(しらさき)さんは、「あさこ」さんでいいのでしょうか。樫村さんは「かじむら」さん??)


それと、来月の研究会で扱うネグリの『ディオニュソスの労働』も少しずつ読んでいます。(分厚いので休みの日しか読めません・・)

台湾へ+還我祖靈 宣傳片 日文版

2009-05-17 00:00:00 | 公開
2年後ぐらいには、台湾に留学に行きたいと思っています。
なので、今はできる限り節約してお金を貯めたいです。(といっても、貯金10万もありませんが・・とにかく貯めます。)

私は台湾の留学生のwさんと仲が良くて、去年は10日間、台湾の南部と中部に旅行につれていってもらったり、街を案内していただきました。
どうしてもまた台湾に行って政治や歴史や言葉を勉強したいと思ってます。
今は漢語(中国語)しか話せませんが、できれば台湾語(福建語)や、原住民族の言葉も覚えたいです。


wさんの台湾のご自宅に泊まらせてもらったときも、家族のように接してもらえました。


この前一緒につくった餃子と油餅(ヨウビン(右下))



えびを きざんでいます。wさんはこの包丁をひろったそうです。でかすぎる。



台湾に行く一番の目的は、原住民族の立法委員である、高金素梅(カオチンスーメイ)(民族名はチワス・アリ)さんたちの運動に関わりたいということです。

チワスアリさんは、靖国に祭られている祖先の魂を取り戻すために、靖国神社に抗議して裁判でも闘っておられます。台湾が日本の植民地であったとき、原住民族が虐殺されたり、三光作戦でが焼き払われたり、毒ガスで殺されたりしました。高砂義勇隊(たかさごぎゆうたい)として戦場に「日本人」として動員されて、命を奪われたひとがたくさんいます。

このような日本と台湾の歴史(もちろん中国や朝鮮や沖縄、東南アジアとの関係も含みます)を考えると、自分は決して無関係ではないし、どうしても台湾に行ってもっと学びたいと思ってます。

できることなら将来は台湾に住みたいです。


台南(たいなん)の本屋で手にいれた、『無言的幽谷』。原住民族が植民地時代にうけた被害などの写真がのっています。



日本で出版された『還我祖霊 台湾原住民族と靖国神社』の台湾版です。著者は弁護士の中島さん。
カバーの写真は、日本軍が原住民の首を切り落とす写真です。。


この冊子は、チワスさんたちが来日したときに売られていた冊子です。多分超レアです。「合祀を取り消し、名前を削除せよ、私たちは日本人ではない」とあります。



「誰も私たちが歴史を語ることを止めることはできない」とあります。





あまり関係ありませんが、南京に行ったときに入院した「人民医院」のカルテです。貴重な思い出です。人民医院!!です。



「靖国合祀に対する台湾原住民の本音(映画「靖国」より抜粋)」
http://www.youtube.com/watch?v=WgqbK8cjfa8


実はここに出てくる通訳さんと実際にお話したことがありますが、あこがれています。チワスさんが喋るそばから次々と靖国側に通訳をして、「おまえたちの神道はくそみたいなもんだ」と言っているのがすごいです。怒りでここまで言葉が出てくるのでしょう。

「還我祖靈(祖霊を返せ) 宣傳片 日文版」



「1895年 日本人が台湾に来て我々を統治した
我々は日本人に野蛮人、生蕃と呼ばれた
そして我々は土地を奪われ人格を否定された
しかし本当の主人は台湾原住民族なのだ
南方戦を前に統治者から高砂族と命名された
お国のために志願しろと強制された
騙され脅かされ仕方なく戦場へ行った
日本人は死ねといった しかし母は言った 死ぬな 帰ってこい
母はこうも言った もし死んだら祖霊の地に帰れ 祖先が待っているから
だが戦争は惨めだ 死んで日本の鬼にされて靖国神社に入れられた
靖国神社で祖霊は奴隷にされ 怨霊となり安らかになれない
一日も早く安らかな祖霊の地に帰りたい」


この映像は回虫さんがリンクされていて知りました。
http://d.hatena.ne.jp/tzetze/20080804/p2

台湾の歴史に関する書籍

2009-04-19 16:28:34 | 公開
私が台湾に関心をもったのは、漢語(中国語)を勉強してからでした。
そもそも中国語を勉強しようと思ったのは、私の恩師がすすめてくださったからです。西洋中心主義に対する恩師の批判を聞いて、大学で授業を履修するときにそのことを少し思い出して、中国語を選択しました。

my恩師は中国語、朝鮮語、フランス語などができるらしく、見習いたいです。

1回生のころは、語学の授業が週に5時間あったのと、漢語はリズムと発音が好きで、結構すらすら覚えられました。でもリスニングは短い音が多いということもあって、途中で挫折しそうになりましたが、歌をひたすら歌っていると、少しずつ聞き取れるようになってきました。

授業では、語学の先生がやたら大陸中心主義で、台湾を軽視していました。
いわく「台湾の発音は変だから、リスニングの練習をするなら台湾のドラマはやめておいたほうがいい。大陸のドラマを見なさい」などです。

1回生のころは、その言葉をきいて「やっぱり大陸の発音のほうがいいのかな」と不安になっていましたが、でも何となくいやでそれに逆らって、台湾のドラマをひたすら見て聞き取りの練習をしました。いまでは巻き舌音の少ない南方の言葉のほうが聞き取りやすく、北方の人の言葉はなかなか聞き取れません。

大阪の日本橋に『上海新天地』という店があって、そこにはたくさん中国や台湾や香港などのCDやVCDが売っています。そこで王心凌(わんしんりん)という歌手のCDを買って練習していましたが、最初その歌手は中国人だと思っていたのです。でもあとで台湾の歌手だということが分かって驚いて、そこからさらに台湾への関心がひろがりました。


3回生の半ばに、台湾の留学生の友人と出会ったときは、台湾人の友達とやっと出会えた喜びで本当にうれしかったです。

台湾についていろいろ教えてもらっているときに、最初はまだ自分のなかにも大陸中心主義みたいなものがあり、「この野菜は中国では何というのですか」とか、「正統」だと言われる中国のことを意識してしまっていました。今ではそれはおかしかったとも思うし、「正統」といわれるものを求めてしまう自分の心性は批判しないといけないと思います。そんなことを聞いてしまって、友達にも失礼なことをしたと反省しています。

友達はお父さんが、「戦後」大陸から台湾に渡った外省人(ワイションレン)で、お母さんが台湾の「四大族群(スーダ-ズーチン)」(四大エスニックグループ)である客家人(クーチァレン)です。なので、ご自身のことを「中国人」とも「台湾人」ともおっしゃいます。


2回生のころは、台湾と日本の歴史に関する本を何冊か読みました。
原住民族の立法委員であるチワス・アリさんの活動にもかなり関心があるので、もっと本を読みたいと思います。



最近は、田村志津枝(たむらしづえ)『悲情城市の人びと 台湾と日本のうた』(晶文社、92年)を電車のなかで読みました。
この本も台湾の友達がゆずってくれて、すごくうれしいです。

アマゾンの紹介文を引用します。

1989年ヴェネチア映画祭グランプリに輝いた台湾ニューシネマの傑作『悲情都市』。終戦によって50年にわたる日本支配から解放された台湾の人々が、祖国のあたらしい支配者に弾圧される悲劇を描くこの映画のなかで、処刑される青年たちが日本の戦前の流行歌『幌馬車の唄』をうたう。40年におよぶ戒厳令がとかれたいま、人々は重い口を開きはじめた。日本占領下の日々、「二・二八事件」の真実―。歴史の波間にゆれ動いた台湾の深い悲しみを追う力作書下しノンフィクション。


引用おわり

「悲情城市」は、「ベイチンチョンシー」と読み(発音は大体です)、「悲しみの町」という意味です。この題名の映画があるのですが、ずっと観たいと思いつつ、レンタルもなくてまだ観ていません。映画は2・28事件をテーマにしています。

2・28事件は、「戦後に台湾に接収にきた中華民国の国民党政府に対する台湾人の大規模な反乱ー鎮圧事件」(森宣雄『台湾/日本 連鎖するコロニアリズム』)です。チェジュドの4・3事件が思い出されますが、台湾でも大量虐殺があり、戒厳令下ではなかなか口に出すことができなかったそうです。本では2・28事件にかんする人びとの証言や、植民地支配で日本語や神社参拝が強制されたことなどが書かれています。

日本は台湾に対する植民地支配責任を負っていること、その再生産(「日本の植民地支配は台湾の近代化に貢献した」、「台湾は親日的だ」などという言説が何度も繰り返されていること)を断ち切らなければならないことなどを、つねに意識したいと思います。


この本で一番ぐさっときた、ある台湾人の言葉を引用します。


私も、台湾の悲しみについて、よく考えますよ。台湾の悲情の根源は、日本の植民地であったことだと思います。台湾人と日本人とのあいだには、個別的には友情も親しみもあったでしょう。だが、植民地における支配民族と被支配民族との関係は、そうした美しい関係をもこわしていく。実際、日本人が台湾人をどれくらい理解していますか。理解できないのはなぜですか。やはり、支配者の立場にあぐらをかいていたからではありませんか。(174頁)」


台湾の友達が、大学内で日本人に悪口を言われるとき「これだから中国人は・・」という言い方をされるそうです。友達は「日本人は島国根性で優越感をもっている」と悲しそうに言っていました。聞いていて本当に腹が立つし、悲しいです。

台湾なのに「中国人」と勝手に名指されることもおかしいし、日本人の中国人、朝鮮人、アジア人に対する偏見は そのつどおかしいと批判していきたいと思います。蔑視や偏見も、植民地支配が根源にあるのでしょう。



昨日から、森 宣雄(もりよしお)『台湾/日本―連鎖するコロニアリズム』インパクト出版会 (2001)を読んでいます。

台湾独立運動の歴史や、戦後左派の日本の知識人が台湾人の訴えを無視してきたことについての批判だけにとどまらず、台湾内部の植民地主義的言説の再生産も徹底的に批判すると序にありました(10頁)。

台湾の友達も「後藤新平は台湾の近代化に貢献した」と言っていてびっくりしたけど、それも言説の再生産になると思います。でも問題は、「第二次大戦後の植民地解放後、ただに旧帝国内にとどまらず旧植民地の側の解放運動においても植民地主義が再生産され、両者が連動するという事態は、この旧帝国の運動における植民地主義の否認ー継続を不可欠の環として起こっている」ことでしょう。(38頁)


この本で原住民族のことがどれだけ書かれているか、それも気にかけて読みたいところです。台湾関連の本では原住民族がほとんど言及されてない本も多いので。金静美さんは日本の台湾植民地化と原住民の抵抗の闘いについてかなり書いていました。(『故郷の世界史 解放のインターナショナリズムへ』(現代企画室))

アマゾンの『台湾/日本』の紹介文から転載します。

歴史をパロディ化=戯画化する小林よしのり『台湾論』、それを支える金美齢・李登輝らの「日本精神」論、そして台湾を黙殺する戦後左翼と「進歩的知識人」…日本/台湾100年の悲劇の折り重なりに奥深く分け入り、いま連鎖するコロニアリズム=植民地主義を解体にみちびく現代史叙述の解放の実践。


第1章 戦後左翼の宿痾と憎悪
第2章 『台湾青年』グループの独立運動
第3章 「日本精神」をめぐる流用と歴史の声
第4章 「日本精神」と「良き時代」の道具化
第5章 台湾をめぐる日本植民地主義の現在
終章 日台植民地主義の連鎖
結語 植民地主義連鎖の解体の実践



3月中に読みたい本&最近読んだ本

2009-03-07 00:23:54 | 公開
仕事がもうすぐ始まるので、それまでに何とか読みたい本を読んでおきたいと あせっています。

これから読みたい本は、
山下英愛(やました よんえ)『ナショナリズムの狭間から―「慰安婦」問題へのもう一つの視座』明石書店、2008年。

山下さんはダブルで、姓は母方の名字らしいです。名は分かるように朝鮮語読み。
(ということを、友人のliangさんのブログで知りました。
http://ameblo.jp/tajitajir/entry-10217454676.html

この本を卒論を書く段階で読んでいなかったことは反省です。。
ナショナリズム批判をおこなっているそうなので、それがすごく気になります。

ちなみに早尾貴紀(はやおたかのり)さんが、ブログで書評を書かれています。
おすすめ!
http://hayao.at.webry.info/200808/article_7.html

山下さんといえば、権 仁淑さんの『韓国の軍事文化とジェンダー』御茶の水書房 、2006年 の訳者ですね。
この本は、韓国の民主化運動内における性差別や、韓国の徴兵制、軍隊内の性暴力、ある女性活動家のライフヒストリーなどが書かれていて かなりよかったです。

ちなみに山下さんは、京都の反戦生活という集まりのイベントに来られていました。(日程的にいけなかったのが残念です。)
「反戦生活・韓国徴兵拒否企画 21世紀のみんなのいやなこと」




2冊目。これも友人の紹介ですが、宋 安鍾『在日音楽の100年』(青土社、2009年

在日朝鮮人のラッパーのKPのことも書かれているらしいので、それが一番気になってます。
KPのHP→
http://www.kpstyle.com/
(ちなみに私は「根無し草」、「Baton」、「chalenger」という曲が好きです。
「Baton」という曲については、以前「下関市教育長の発言「植民地支配は歴史的事実に反する」というエントリーで書きました。)


リンク先の青土社の紹介文から引用します。

「「在日」 文化の軌跡と可能性
戦前興行界を湧かせた幻の女性歌手・演芸人、龜子(ペグジャ)。戦後ジャズブームに頭角を現し、日韓をまたいで活躍した吉屋潤の栄光と挫折。そして今日までの歌謡曲・フォーク等の歴史を彩る二世、三世、四世たち。彼らの背負ったものと勝ち得たもの、そして未来とは――。「失郷民(シリヤンミン)」 のうたの知られざる消息を掘り下げ、あらたな 「在日」 文化の可能性を展望する。

国家・民族のはざまに引き裂かれ、一国音楽史の下では“包摂”あるいは“黙視”されてきた在日韓国朝鮮人の歌手・音楽家たち。植民地時代から約100年の時をへて、「多民族国家」 という建前のさらに向こうへ、かれらのうたの軌跡と未来をさぐる、画期的音楽史。」



3冊目は、道場親信(みちばちかのぶ)『抵抗の同時代史 軍事化とネオリベラリズムに抗して』人文書院、2008年 です。
詳しくは、洛北(らくほく)出版さんのブログに


* * * * * *

最近読んだ本です。

デヴィッド・クレーバー『アナーキスト人類学のための断章』(以文社)

明日の研究会の課題図書なので読みました。
「書迷の読書日記」さんの書評↓
http://d.hatena.ne.jp/gemingdeshumi/20090228


姜信子(きょうのぶこ)『棄郷ノート』(作品社、2000年)

めーちゃくちゃ よかったです。
またまた「書迷の読書日記」さんの書評にもくわしいですが、本の帯には「故郷、民族、国家。美しき幻想の装置」と書かれているように、反ナショナリズムで、民族主義とは距離を置いている本です。

「親日派」として知られている小説家、李光洙を論じながら、
韓国、上海、満州を著者がたどっていく旅で思考されたことが書かれています。

著者は「日本人」でも「韓国人」でもないというスタンスで、
「故郷」を棄てる旅をするために韓国を訪れるのですが、
そのときに地元の人々に「女なのに訪ねてくるなんて」と何度も言われる場面があって、それに驚きました。
お墓や族譜のことでは女性ではなく男性が取り仕切るべきことだとされているようですが、でもわざわざ訪ねていったのに「女が」と言われるなんて・・・。

著者が韓国を離れるときに 特別な情もわかなかったと1章の最後に書いていたのが印象的でした。

あと上海編では、朝鮮独立のための大韓民国臨時政府についても書かれていて、
中国に関する記述があると どうしてもすぐに飛んでいきたくなってしまいながら読んでいました。

私は将来、中国か台湾に亡命して暮らす予定です。



あと読んだのは、文 京洙(むんぎょんす)さんの『済州島現代史―公共圏の死滅と再生 』新幹社 (2005年)と、玄 基栄(ひょん ぎよん)、 金 石範(きむ ソッポム)『順伊(すに)おばさん』新幹社 (2001年)

どちらも済州島(チェジュド)四・三事件に関わる本です。

(『順伊おばさん』はまだ半分しか読んでいません。
この本の素晴らしい書評は、オモニハッキョのFさんが書かれています。
4・3事件って何?という人はご一読ください。
http://d.hatena.ne.jp/F1977/20090118

読んだ理由は、週に1回通っているオモニハッキョにはチェジュド出身のオモニが多いし、4・3事件や朝鮮戦争以外の済州島の歴史も知りたかったからです。


チェジュドの社会運動や、海女さんの籠城闘争が書いてあったり、パクチョンヒの経済政策に異議をとなえるために焼身自殺をした労働者の話があって、時代背景は違うけど京大のストライキのことを思い出しました。
「済州島開発特別法」に反対するために焼身自殺をした梁龍賛という人物のことも初めて知りました。

(特別法は、半島=陸地(ユッチ)の財閥や資本が、チェジュドを観光資源として開発しやすくするための法律で、農民の土地を収奪したり それによって生きていけなくなる島民が多いことから猛反対にあった。)

焼身自殺は昔よくあった抗議の意思表示なのでしょうか。
そこまで追いつめる権力側も憎いけど、焼身自殺をされてもびくともしない権力者っていそうな気がします。
血も涙もない人なら、人が死んでも知らんふりをするのかもしれません。


ということを別の場所で書いていたら、ある友人が
焼身抗議した全泰壱(チョンテイル)さんの映画「美しい青年」について教えてくださいました。
http://www.hf.rim.or.jp/~t-sanjin/pakkwansu_chonteir.html


台湾の食品

2009-02-01 22:50:18 | 公開
留学生の友達が台湾に帰国するらしいので、
どうしても食べたいものを船便で送ってもらうことになりました。


運費(送料)を調べてみましたが、やっぱりこれぐらいするんですね。。
http://www.post.japanpost.jp/int/charge/list/parcel1.html#


下の写真は、去年台湾にいったときに持って帰ってきたものです。
台湾のお米が食べたいとおもって、4・5キロぐらいスーツケースにつめたのですが、案の定重量オーバーでした。



ここからは、台南(たいなん)に行ったときに「農会」(ノンフイ)というところに連れていってもらって買ったものの写真です。

すごく好きなおかしで、「フォンリースー」といいます。
パイナップルケーキです。
包装が簡単なものだったら、10個入りで100円ぐらいです。


「玉井(イージン)」という産地の干しマンゴーです。
(カタカナは適当です。日本のカタカナでは表記がむずかしいので)
「芒果干」は、マングォガンと読みます。


一番食べたいのが、米粉(ミーフェン=ビーフン)です。
水にもどして、たまねぎとミンチなどでいためてソースをかけると、
最高においしいです♪
しかもこの1袋で100円です。安い!!





「面筋(ミエンジン)」というのは、大豆とお揚げをあまからくたいたものです。



スープです。実はまだ部屋にたくさんのこってるので、
ほしい人は言ってください。


結局、去年はこれだけ詰めこんで帰ってきました。


今年は船便で、乾燥ビーフンをダンボール1箱分ぐらい送ってもらう予定です。
合計8000円ぐらいあれば足りるかなという感じです。

あと、ピータンも頼まなきゃ・・・。

比薩(ピザ)

2009-01-14 18:26:51 | 公開
今天、和台湾的朋友一起做比薩♪
(今日は、台湾の友達と一緒にピザをつくりました)



台湾の友達は院生で、私の母と同じぐらいの年齢で、お母さんのような・友達のような感覚でおつきあいしているひとです。

そのOさんは、小さいころから面食をよくつくっていたそうなので、
かなりプロという感じです。餃子も手づくりで よくつくっています。

いままで一緒につくった料理は、ピザのほかに、油餅(ヨウビン:中華料理)、面包(パン)、餅干(クッキー)、などです。
今日のピザも成功して、すごくおいしかったです(>U<)


ともだちは、今日すこしストレスがたまっていたようなので、
小麦粉をねってから こねて、投げるときに、
某大学の職員をののしって、小麦粉のかたまりをボールに向かって投げながら
「このN!このやろう!」と(冗談で)叫んでいたのが、超爆笑で、
2人で「好笑(おもしろい)」といいながら、爆笑してつくりました。

ちなみに、今日用意した小麦粉は、賞味期限が3ヶ月きれていましたが、
「日本の食品の安全は厳しすぎるので、しかも小麦粉なんて賞味期限きれても大丈夫ですよ」といわれたので、つかうことにしました。

去年の2月には、その友人に旧正月のときに台湾につれていってもらって、
ものすごい充実した日々をすごすことができました。
http://blog.goo.ne.jp/hanxiucao/c/48bbdae56d89b9c09eb73236944e3adb

では、油餅をつくったときの写真をのせます。














これは からすみです。台湾の名物で、魚のたまごです。


ほんとに、台湾の友人には、毎日のように膨大な量の中国語を教えてもらっているので、
一緒に過ごした1年ちょっとのあいだで リスニングも前より かなり(?)
聞きとれるようになったし、作文や日記も添削してもらえるので、
たすかっています。

中国語と日本語をまぜて話していますが、
友達の分からない単語やことばを おたがいにおしえながら過ごしています。



最近のネコです。

 



絶対に、世界ネコランキングで 1位になると思います。
このネコが一番かわいいに決まってます。(ごうまん)

(最近読んだ本(アフマドの『帝国との対決』)の感想を書きたかったのに、別のことを書いてしまいました・・)



今日は、やっと黄英治さんの『記憶の火葬 在日をいきる』(影書房)を読みます。
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2007/06/0706j0821-00002.htm

黄さんはこちらで、すばらしい書評を書かれています。
集英社新書の『在日1世の記憶』の書評:
民族時報 http://www.korea-htr.com/jp/141150/114911da.htm


12月の読書

2008-12-22 01:02:45 | 公開
のこりすくない学生の時間は、なるべく読書にあてたいです。

きっと働くと、まとまった時間で本を読むことも少なくなるだろうし、
体力・時間・気力的に読めるか微妙なので、
いまのうちにややこしい本、むずかしい本、ぶあつい本などを中心によみたいです。

ブログを書くのもめんどくさくなってしまいがちですが、
書きたいことはあるし、できれば書きたいと思っています。

最近読んだ本です。下の説明はアマゾンからの引用です。

★ジョルジョ・アガンベン『アウシュヴィッツの残りのもの―アルシーヴと証人』
月曜社 (2001/09)
⇒イタリア現代思想の騎手による「アウシュビッツ以後」の倫理学の試み。プリモ・レーヴィを始めとする強制収容所からの奇跡的生還者たちの証言をもとに、「人間である」状況を剥奪される極限を考察する。

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感想:この本はむずかしい。理解できるところもあるけど、できないところもあったりします。時間のかかる本です。半分までしか読めていないので、年末までにはよみすすめたいです。同著者の『ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生』と あわせてよまないとダメですね。。後者は読めてないですが・・・。。。むーずーい!




★テッサ・モーリス・スズキ 『北朝鮮へのエクソダス―「帰国事業」の影をたどる 』朝日新聞社 (2007/5/8)

冷戦下1959年以降、日本から9万人以上の在日朝鮮人が北朝鮮へ渡った「帰国事業」の新資料が筆者によって発見された。日本と北朝鮮の関係に今も影を落とす驚愕の歴史が国際的スケールで明らかになる。日本、北朝鮮、韓国、ソ連、中国、米国、そして赤十字。それぞれの思惑が絡み合い、歴史は隠蔽された。東京、ジュネーブ、平壌、新潟と筆者が旅しながら、息を呑む展開で物語を読み解いていく。渾身の書き下ろし。早くも海外で話題。

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ほぼ読了。すばらしい本です。東アジアの歴史や国際関係を考えるうえで重要な本だとおもいます。400ページ弱あります。

テッサさんの本は、『デモクラシーの冒険』、『辺境から眺める アイヌが経験する近代』、『過去は死なない メディア・記憶・歴史』、『自由を耐え忍ぶ』などを読みましたが、どれも本当にすばらしいので、テッサさんの本は好きだし これからも読みたいです。

なぜ「外国人」のテッサさんが日本のマイノリティにかんして、
これほど真摯に研究されているのか、その理由を知りたいです。
一度お会いしてみたいなぁ。

本の要約もしたいですが、ちょっと時間が・・・。




★『フリーターズフリー vol.2 (2)』 人文書院 、2008年

話題となった創刊号から1年半余り、充実の2号がいよいよ完成。テーマは「女性/労働」「性暴力」「釜ヶ崎」。
フリーターは常に「男性名詞」なのか?生を切り崩さない仕事への模索は、女性の担ってきた労働へと向かい合っていく。

女性で、安心。貧乏でも、安心。働けと言わないワーキングマガジン。

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ほとんど読みました。女性の労働をとりあげているのはよかったのですが、
外国人の労働もちかいうちにとりあげてほしいです。
対談などもおもしろかったです。
責任編集の栗田隆子さんが頑張っておられるそうだし、おすすめです。

でもやっぱり、日本人の女性のことだけではちょっと・・・と思ってしまう。。

今月号の『オルタ』は特集が外国人労働のことらしいです。
クリスマスプレゼントに買ってもらったので、ちかいうちに読みます。わーい!

2008年11・12月号「特集 労働開国?─移民・外国人労働者・フリーター」
http://www.parc-jp.org/alter/2008/alter_2008_11-12.html




★ 小林 多喜二『蟹工船』

あれだけ話題になっていたのに まだ読んでなかったのかといわれそうですが。。
やっと読みました。
本代節約のために、「青空文庫」から 大学のプリンタで印刷して読みました(タダです)。
やっぱりアイヌのことなどにはほとんど言及されていないし、日本人の男性の労働者が中心の話なのですね。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000156/card1465.html




★テレサ・ハッキョン チャ、池内 靖子訳『ディクテ―韓国系アメリカ人女性アーティストによる自伝的エクリチュール 』青土社 (2003)

日本の満洲侵略に遭った母をもち、韓国軍政を逃れアメリカへ。パリ留学を経てニューヨークで暴漢に殺される―植民地以後、母国語を奪われた女性が、複数の言語と図像を往還し、自らの生と現代世界史を一冊に凝縮した究極の実験的テクスト。アメリカにおけるポストコロニアル、多文化主義、ジェンダー研究の必読書。

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読んだことがないような本。半分読みました。
本をひらいてびっくりするかんじです。言葉のリズムが独特というか・・・。
また続きをよまなきゃ。





★権 仁淑( 山下 英愛訳)
『韓国の軍事文化とジェンダー』 御茶の水書房 (2006)

著者自身も身を置いていた学生運動と韓国社会の中枢ともいえる軍隊を対象に、韓国社会の軍事化をジェンダーの視点で分析した韓国現代社会論。80年代の学生運動圏の軍事化と男性性文化を隅々まで暴き出す。

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今年最後によむ本です。いまとりよせ中。

このまえ、RLLのネットラジオで韓国の徴兵拒否者のカン・イソクさんが出演していたので、徴兵制についても考えようと思って買いました。

参考:「今週のラジオは全裸で戦車を止めた韓国のダダカンがゲスト!!聞くしかない!!」
http://www.rll.jp/hood/text/left/20081126134908.php#more



さいごの本。電車の中とかでよんでます。

★田中寛治/川瀬俊治/大久保佳代『旧生駒トンネルと朝鮮人労働者』宇多出版企画、1992.8
http://www2.odn.ne.jp/chichiro/u.html


生駒(いこま)トンネルについてくわしくはこちら⇒
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Hanamizuki/3836/ikoma/ikoma.htm

私は奈良県民なので、地域の強制連行の歴史ぐらい知っておかなければと思って買いました。
生駒トンネルは、近鉄電車がはしっていて、奈良と大阪を結ぶながいトンネルです。
今年の夏に、トンネル作業に従事させたれた朝鮮人の人々の慰霊碑を見学にいきました。
(また写真をのせます。)「宝徳寺(ほうとくじ)」という外国人の建てたお寺です。

水野直樹編『生活の中の植民地主義』の論文

2008-07-30 17:37:23 | 公開
少し前に水野直樹・編『生活の中の植民地主義』の論文を読みました。

鄭 根埴(ちょん・ぐんしく)さんの論文「植民地支配、身体規律、「健康」」が一番面白かったので、少し感想を書きます。

筆者はソウル大学校社会学科教授で、日本の植民地支配下の朝鮮社会、特にハンセン病など医療・衛生問題、身体規律の問題を研究しています。この論文では、「植民地支配、身体規律、「健康」」というテーマで、身体の歴史性や近代的身体について述べています。
印象に残ったところを少し要約して引用します。(ページ数は本を参照してください。すみません。。)

***

・「私たちの身体はただ自然的・生物学的なものではなく、歴史的なものであり社会的なものである。」

・「近代的身体は、近代国家の形成、資本主義の成立などと密接な関係がある。近代国家では、国家が必要とする軍事力、そして市場で要求される労働力をになう身体が必要となる。」

・「支配権力は人間を資源とみなし、すべての人間を労働力および軍事力として把握しようとした。長期的な戦争動員の必要性のために、次第に子どもや老人も政策対象となり、女性は労働力や男性のための性的道具、または人口資源を生む出産と育児の担当者と規定され、児童は将来の労働力、軍事力とみなされたため、母性と乳幼児保護が絶えず強調されることとなった。人的資源は長期的に使用されねばならないため、健康と衛生が強調された。また「悪の伝染」を防ぐための装置として「清潔」が衛生政策の中心を占めるようになり、日本でも朝鮮でも、身体規律と健康が「国民の義務」となった。 」

(*「悪の伝染」というのはハンセン病などのことだと思います。このためにハンセン病だと疑われた人々が、家族と引き離されて強制的に隔離されていったんですね。。優生思想というのは本当に恐ろしい。)


・「日本政府は、1938年4月に制定された国家総動員法にもとづいて、1939年7月に国民徴用令を交付した。兵力動員の増加によって産業労働力の供給は大幅に不足することとなったので、人口増加と国民体力の積極的な向上が急務となった。」

・「1941年、太平洋戦争の勃発とともに厚生運動はいっそう強化され、「健民運動」が大々的に展開された。ひとりひとりの身体は天皇制国家のため、女性の身体は出産のため、子供は良質の軍事力や労働力に成長するために、義務として健康であるべきものと規定された。これは「健兵」、「健民」、「健児」などの単語を重要な議題として浮上させ、「健母」という単語まで作り出された。この運動の目的は大東亜共栄圏の建設であった。「皇国民族の増強を図ること」が運動の根本であり、この言葉は、国防上、政治上、産業上、その他の部面で優秀健全な人のことをいい、「健全な皇国民族」の略称といえるものであった。

***引用おわりです***


この論文を読んで一番驚いたのは、「健康」という概念さえ、国家の軍事力と労働力のためにつくりだされた概念だということでした。

また、「健母」という語も同様の目的のもとにつくられた単語で、この単語で柳沢厚生労働大臣の「女性は産む機械」発言も思い出しましたが、彼一人をバッシングしても意味がなく、近代においてどのように人が国家の戦略のために利用されてきたかということを歴史的に問わなければ意味がないと感じました。


米山リサ『戦争・暴力・リドレス』

2008-06-25 17:49:41 | 公開
米山リサさんの本、『戦争・暴力・リドレス 多文化主義のポリティクス』(岩波書店)を読み終えました。一番心に残った一節をメモします。


ノラ・オクジャ・ケラーの『慰安婦(なぐさめる女)ーある小説』という作品について書かれた部分です。アメリカに移住したコリアン・アメリカンの2人の女性の話です。(母は「慰安婦」にされた女性です)

***

 真実を先送りにすることの不可避性と、正義を追求することの可能性とが、このテキストにおいて同時に示唆されていることは、リドレスの政治にとってきわめて重要な点である。テキストがベッカの母親の最終的な真実を少なくともベッカに対して明らかにしないことは、想起とリドレスの正統な主体が、直接の生存者やその後継者でなくてもよく、オリジナルの時と空間を超えた共同参加性(コミュニティ)によって構築されていてもよい、ということを示している。正義を追求し、死者を哀悼するために必要なのは、オリジナルの真正さの回復や、究極の犠牲者への感情移入や無批判な同一化ではない。植民地主義によってもたらされた生、言葉、身体、名前の一切性に対してなされた暴力を認知し、これに対する憤りに自らを「感染」させることなのである。『慰安婦』は、テキスト全体をつうじて、表象の不可能性、意味の不安定性、オリジナルの回復不可能性、といったことをを示唆しつづける。それと同時に、ケラーのテキストは、このポスト構造主義的な認識があるからこそ可能となる、正義のための有効なアクションの可能性を模索するのである。
 テキストは、字義的な民族性を超え、母親と死者へとベッカを結びつけるリドレスの主体の根本的な再編成を示唆している。それは、リドレスの主体が所属する共同参加性は、リドレスという正義を追求するために積極的に関与しはじめる以前に、あらかじめそこに存在していなければならないものではない、ということを指し示している。そしてこの共同参加性は、生者ばかりでなく、名も無く、出自も定かでない、無数の存在・非存在の群れとしての死者たちからも成っているのである。(179-180頁)


***

この文章が一番感動しました・・・。


近いうちに、金富子編著 中野敏男編著『歴史と責任ー「慰安婦」問題と一九九〇年代』(青弓社)を読もう。それと、東京裁判ハンドブック編集委員会 (編集) 『東京裁判ハンドブック』(青木書店)も卒論のために。。

どっちとも早く読みたい!

文富軾『失われた記憶を求めて 狂気の時代を考える』

2008-06-03 22:21:51 | 公開
文富軾(ムン・ムシク)『失われた記憶を求めて -狂気の時代を考える』板垣竜太訳 現代企画室2005

■著者の紹介
1959年、韓国釜山生まれ。1978年、釜山の高麗神学大学校(現・高進大)に入学。1981年に光州抗争の真相を知り、1982年3月、釜山アメリカ文化学院に放火。4月に自首し、死刑判決を受けるが、「恩赦」により無期懲役に減刑。6年半の監獄生活を送る。1993年に詩集『花々』を出版。1997年に季刊誌『当代批評』を創刊し、以後、同機関誌の編集に携わる。 

■ 光州事件とは?

1979年、朴正熙大統領が側近の金載圭に射殺される。この過程で国家保安司令官として捜査指揮権を握ったのが、クーデターを通じて軍を掌握し、民主化運動を流血鎮圧することで政権を簒奪した全斗煥である。(・・・)新軍部に権力が集中するなか、維新体制の崩壊を民主化に結びつけようとした野党や市民勢力は戒厳令の撤廃を求めて、新軍部と対立する。「ソウルの春」と呼ばれた民主化への熱望が噴出する時期に、野党や学生、労働者は大規模なデモを行った。それに対し、新軍部は圧力を行使して5月17日に非常戒厳令全国拡大措置を発表し、政治活動を禁止するとともに金大中など有力政治指導者の逮捕に踏み切る。言論・出版の自由の事前検閲が行われ、大学も閉鎖された。80年5月18日、新軍部による殺戮の嵐が全国に吹き荒れた。「華麗なる休暇」と名づけられたこの狂乱の作戦こそが、民主化を求める市民を特殊部隊を投入して無残に殺戮した「光州事件」である。軍事政権の延長を企てる全斗煥の退陣と、金大中の釈放を求める学生や市民たちの民主化要求に対して、戒厳軍は過剰鎮圧をもってこたえた。特殊部隊は棍棒でデモ隊の頭部を打撃し、学生だけでなく一般市民も血を流して倒れていった。このとき、光州では、軍隊が白昼に市民を刀剣で切り倒すことまで行われていた。        光州は孤立していた。光州市民がKBSやMBCなど放送局に火を放ったのも、光州で何が起こっているのかがまったく外部に知らされていないことのあらわれであった。そうした彼らを、メディアは暴徒として映し出した。全斗煥は市民を弾圧する戒厳軍を激励して、指揮官には慰労金を渡した。事態を収拾するために、宗教指導者などで構成された光州収拾対策委員会は、新軍部と問題解決のための対話を行う。その結果、収拾委員会は武器を回収して「平和的解決」をめざすことになる。だが、生き残ることを拒否した抗争派は道庁を死守するとして、27日の夜明け、戒厳軍の道庁進撃とともに、悲壮な最期を遂げた。
(玄武岩『韓国のデジタル・デモクラシー』(集英社新書)33―37頁からの要約)


訳者 板垣竜太さんの問題提起(訳者あとがきより)
・ 本書を日本で読むということはどういうことか(272頁)
・ 重要なのは、本書で論じられている80年代の韓国社会を同時期の日本社会と切り離し、一方は「平和な日本」、他方は「大変な韓国」としてとらえず、あらためて当時の日本社会は一体どのような時代だったのか、「平和」で「豊か」な時代として想起するときに何が忘却に追いやられているのかを問い返すような視点ではないだろうか。
 
○ 日本と朝鮮の関係
・朝鮮戦争(「朝鮮特需」)、
・文氏が放火した釜山アメリカ文化院は、日帝植民地支配下で農村搾取の手先だった東洋拓殖会社の建物を、1949年に米国が引き継ぎ、この50年間無償で使用されていた建物。(123頁)、
・大邱高等法院での文氏の最終陳述(262頁)
 「…それ以後、私は不当な権力を支える力が何であるかについて、長い彷徨と苦悩を重ねるようになりました。…間違った政権を支える最も大きな圧力は、間違った韓米関係であり、民主主義を放棄し諦めてしまう、民衆ではない大衆、即ち、この国の国民であると考えるようになりました。私はこんどの放火に私のすべて、私の生命までかけました。私の生命を投げ出してこの民族と世界とに期待をかけました。私は、私の死が韓米関係の新しい里程票となることを願います。(…)またアメリカに代わってアジアの宗主国として振舞おうとする日本政府が、アメリカの姿勢をそのまま踏襲しようとすることに対しても、この事件が一つの警鐘にならねばなりません。」

文氏の行動は、記憶をわずか2年の間に喪失し、急ぐように忘却してしまったその時代的状況にたいする抵抗であった。(80頁)

* * * * * * * * * * * * * * * * * * *

○光州抗争の正当性と事後処理問題について
 -1995年12月21日の「5・18民主化運動等に関する特別法」の制定(62頁)
…この法に基づき、光州市民を暴徒とみなし虐殺した過去の軍事政権の首脳が「国家内乱罪と殺人罪」により法定に立たされ、抗争の犠牲者に対する名誉回復と補償が一定程度達成された。5月18日には、光州抗争の犠牲者が埋め立てられている光州の望月(マンウォル)洞(トン)墓域で政府主導の盛大な記念式を開いている。

問題点:(太字強調はぅきき)
・ 「記憶の権力」―特定の記憶を中心とし、残余の記憶を排除し周辺化することで、権威と権力を獲得していく(74頁)
・ 権力の恣意による記憶の独占 (国家によって公式化された記憶)

光州抗争が国家の「公式的な記憶」となった瞬間、危機に立たされることになる。もし現在韓国の内と外で一般的な定説として受容されている光州抗争についての言説と叙述が、この抗争と関連した数多くの記憶を排除したり省略したりするのであれば、果たしてどのような結果が起こるだろうか。記憶の「空洞化」あるいは「化石化」?(…)成功した抗争は反復的に記念されるのみであり、「遡って」記憶されることはない。
・「光州抗争の世界化」という言葉=「新自由主義世界化時代」における観光商品ブレンド化企画だとまでは酷評したくない。
・ 光州抗争の記憶がそれ自体としては既に「終結」したものであるという判断
・ それが民主主義精神であれ、博愛精神であれ、共同体的情緒であれ、(…)そうした抽象的な「精神」がとりわけ強調される現実においては、具体的な「身体の記憶」、生きている人間の恐怖や葛藤、傷跡(トラウマ)といったものは捨象されてしまう。
・ 「純潔な精神」や理念だけが強調されるとき、そのようになりえなかった人々の記憶は「光州」の記憶の外に追い出されてしまわないか。
(以上、62―65頁)
・ 彼らが標準と認める民衆の隠れた英雄にも身体障害者、精神病患者、子ども、老弱者、女性などが存在する可能性はたいへん少ないか、そもそもない。(155頁)
・ 国家権力の暴力によって死んだ人たちが国家有功者となって国立墓地に埋められれば、死んだ霊魂たちはなぐさめられるのだろうか。(161頁)
・ 歴史の犠牲者に対する補償の形式、基準と内容は、実際のところ、国家が生き残った人たちを再び国民として包摂し、管理する一形態となりうる。(161頁)

・ 物質的な補償は、個人が甘受しなければならなかった生活上の損失を一定程度補充したり、精神的な傷跡をある程度癒したりすることは出来るが、あらゆることを現状回復することはできない。(計算されえないものを計算することが出来ると信ずる物神主義から生ずる)








* * * * * * * * * * * * * * * * * * *

光州事件を引き起こした理由
 ・暴力に対する倫理的無感覚症、物神主義(フェティシズム)に対する省察的思惟の欠如、効率性に対する過度の盲信、そして何よりも国家権力の行為に対する盲目的な追従 (103頁)
(韓国経済が1960年代後半急速に発展したのは、「ベトナム特需」と「韓日国交」の再開)

多数の同意のなかで少数の虐殺が可能になった韓国社会の抑圧的動員体制
…光州市民を助けるためにそこに駆けつけたり、暴力の不当性に抵抗したりした人は誰もいなかった。いや他の地域は奇異なくらい徹底して沈黙していた。

・ 韓国の新軍部と米国政府の緊密な協力 (82頁から)
「米国は勧告(人)」という身体にかかった「呪術」である(125頁)
新米と反米―どちらも「米国中心主義」から抜け出すものではない(70頁)

* * * * * * * * * * * * * * * * * * *

■国家主義とは国家の正当性を動かぬ真理として受け入れることを強要する理念(32頁)
■韓国の国家主義の土台は、反共主義と近代化主義と速度主義の結合体である(36頁)
■ファシズムについて(48頁)
■韓国の軍、軍隊の神話、軍事主義にたいする批判(197,8頁)
 -「1年平均100名が自殺、精神疾患5000名!」

■ 勝利した者の歴史、華麗な経歴、粗雑で通俗的なプチ英雄主義者に対する批判(155~)

☆重要な問い☆
 歴史や過去というものは「清算」することができるのか。私たちが記憶する過去は、あたかも勘定書を作成して執行すれば消えてしまいうるような、そんなものなのか。少しでも私たちが、多くの人々が経験しなければならなかった人間的な苦痛や犠牲を真摯に記憶することができたなら、何気なく用いる化この清算ということばにも暴力がひそんでいるという事実に気づくだろう。

☆名言☆
「忘却はもう一つの虐殺のはじまり」(30頁)…光州事件だけでなく、「慰安婦」問題、
現在の日本の歴史修正主義に対する受容…いろんなことに対して!!


台湾原住民族の立法委員・高金素梅(チワスアリ)さんが政治弾圧を受ける

2008-01-05 17:38:39 | 公開
台湾原住民族の立法委員である高金素梅(チワス・アリ)さんが選挙活動中に台湾の検察から政治弾圧を受けているようです。チワス・アリさんの活動(原住民族の権利を獲得するために闘っています。)に賛同される方は、是非抗議のメールやFAXを送ってくださいとのことです。よろしくお願いします!

チワス・アリさんのプロフィールは↓(ここから)

1965年生まれ 台北市在住

台湾の原住民族であるタイヤル族出身。中国名、高金素梅。著名な
女優として活躍の後、2001年末に立法委員(日本の国会議員に相当)
に初当選。以後、現職の立法委員として活躍してこられました。
「原住民族基本法」を立法化させるなど、少数民族の権利獲得のた
めに尽力しています。

2003年2月、日本の台湾植民地化時代に最前線へ送られた原住民族
の「高砂義勇隊」の遺族、及び韓国、沖縄の軍人遺族と連帯し、日
本政府と小泉首相、靖国神社に対して訴訟を起こしました。現在
「小泉首相靖国参拝違憲アジア訴訟」の台湾原告団団長を務め、小
泉首相の靖国神社参拝に反対し、靖国神社に対して高砂義勇隊犠牲
者の合祀取り下げを要求しています。2005年9月には、57名の原住
民族代表を率いて国連において、「日本は歴史に対し無責任な国家
である」と訴えるなど、活発に活動しておられます。
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転載おわり


○彼女は靖国反対行動でも何度も日本に足を運び、合祀を取り消す裁判も起こしました。
映画「あんにょん・サヨナラ」や「出草之歌 台湾原住民の吶喊 背山一戦」にも出演しています。

(ちなみに、私はチワスアリさんの歌手時代のCDを持っています。。
彼女が中国語で出版している対談本は→
http://global.yesasia.com/jp/PrdDept.aspx/code-c/section-books/pid-1004025180/ 
100頁訳してとまってます。。続きを訳さなきゃ・・・)

○日本語で原住民族や靖国神社との関係を知ることができる本
中島 光孝『還我祖霊―台湾原住民族と靖国神社』白澤社 2006


以下、転載です

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高金素梅(チワスアリ)さんへの弾圧に抗議の声を上げてください!


年明け早々、大阪と東京で抗議集会を予定していますが、時間が緊
迫している為、それに先立ち、先ずは台湾当局に抗議のハガキ、F
AX、メールを集中してください(抗議先は文末)。よろしくお願
いします!

 「呼びかけ文」
 
 12月24日、台湾立法委の選挙運動の真っ只中(*投票日1月12日)
、最高検察局特偵組(特捜部)と宜蘭地検署は高金素梅(チワスア
リ)の国会事務所と服務処の二カ所を「賄選(*買票=選挙票を金
で買う)容疑」を名目に強制捜索に入りました。
 
 報道によると、原住民族の高率な失業問題を解決するために、河
川保全の監視員に原住民族を任命するよう求めた高金素梅たちの行
為が「公務員の肩書きを利用した賄選にあたる」という、まったく
不可解な“罪状”を基にしたものです。
 
 これまで長年にわたる差別政策の下で、劣悪な生活環境を強いら
れた原住民族の生活改善に、原住民族選出立法委員として全力を注
ぐのは極めて正当かつ当然の活動といえます。おまけにこの件が起
こったのは、今年の七月のことです。なぜ今の時期を待って大々的
な捜索が行われたのでしょうか?!さすがに、台湾新聞各紙もこの
強引かつ意図的な「捜索」には一斉に疑問の声を上げています。
 
 言うまでもなく、これは明らかに高金素梅(チワスアリ)たち、
及びその活動の破壊を目論む勢力による「賄選捜索」を名目にした
政治弾圧です。当局は大量の捜査員を動員し、各地ので「捜索」
「事情聴取」を名目にして、高金素梅の支援者を長期にわたって不
当に拘束し、脅迫、圧力を加えています。
 
 高金素梅(チワスアリ)たちの活動は、原住民族の生活改善に止
まらず、「伝統領域」の回復、自治の確立、さらには民族意識の復
権にまで及んでいます。「還我祖霊」運動は正にそれを象徴すもの
であり、日本やアメリカなどで熾烈に闘われた「反靖国闘争」はそ
の一環でした。
 
 こうした原住民族の覚醒と運動の高まり、そして原住民族はもと
より、既に社会の底辺民衆からも絶大な支持と支援を得て、今回の
選挙においても高位当選を確実視されている高金素梅(チワスアリ)
たちは、親日・買弁政権=陳水扁・民進党にとって、政権を維持す
る上で憎悪と恐怖の対象に他なりません。

 今回の選挙や次に来る総統選挙において劣勢が伝えられる陳水扁
・民進党は、一度手にした政権(利権)をそう易々とは手放さない
でしょう。前回の総統選において、当選が危ぶまれていた陳水扁
(民進党)が不可解な“銃撃事件”によって危機を切り抜けた手法
や、今回の選挙に併せた「台湾名義の国連加盟」策動など、海峡両
岸、台湾内部の「対立」と「憎悪」を意図的に煽り立てる陳水扁・
民進党政権のなりふり構わぬファッショ的政治手法を見るとき、今
後、より強権的手段を用いる可能性も十分に予想されます。これは
単に選挙妨害という次元に止まらず、民進党政権にとって“政治危
機”を切り抜ける為の一大政治弾圧に発展する可能性も否定できま
せん(*因みに、この選挙期間中の「収賄・賄選一斉摘発」は陳水
扁総統が直々に指示したものです)。

 現地の情勢は相当緊迫しているようです。当局はあらゆる手を弄
し、高金素梅(チワスアリ)の当選を阻止し、その活動を封じよう
と躍起になっています。それに対し、高金素梅(チワスアリ)本人
をはじめ主要な幹部たちはすでに山中のに身を隠しながら、ゲ
リラ的な選挙活動を続けています。

 肩を並べ「靖国」で共に闘った、最も信頼できる台湾の友人たち
に対する弾圧に抗議の声を上げましょう!!
 先ずは日本から声を上げ、高金素梅(チワスアリ)たちに対する
弾圧を許さないという国際的世論を巻き起こしましょう!!

「台湾原住民族と共に闘う会」               
2007年12月30日


  *・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*


参考のため、抗議文の見本をお送りします。あくまでも「見本」で
す。各自で創意工夫をお願いします(もっと短いもので良いと思い
ます・・・)。

早急に、大量に発信してください。是非ともお願いいたします。
(当方でも集約したいと思います。お手数ですが、できれば発信し
たものを私にもお送りください。)
                  墨面 拝




 「抗議文見本(№1ーFAX、メール用)」

台湾当局は高金素梅(チワスアリ)さんたちへの政治弾圧をただち
に止めろ!!

抗議文

 報道によると、12月24日、台湾立法委の選挙運動の真っ只中、台
湾最高検察局特偵組(特捜部)と宜蘭地検署は高金素梅(チワスア
リ)の国会事務所と服務処の二カ所を「賄選容疑」を名目に強制捜
索に入った。原住民族の高率な失業問題を解決するために、河川保
全の監視員に原住民族を任命するよう求めた高金素梅たちの行為が
「公務員の肩書きを利用した賄選にあたる」という、まったく不可
解な“罪状”を基にしたものである。
 
 これまで長年にわたる差別政策の下で、劣悪な生活環境を強いら
れた原住民族の生活改善に、原住民族選出立法委員として全力を注
ぐのは極めて正当かつ当然の活動であり、おまけにこの件が起こっ
たのは、今年の七月のことである。なぜ今の時期を狙って大々的な
捜索が行われたのか?!さすがに、台湾新聞各紙もこの強引かつ意
図的な「捜索」には一斉に疑問の声を上げている。

 また、当局は大量の捜査員を動員し、各地ので「捜索」「事
情聴取」を名目にして、高金素梅の支援者を不当に拘束し、脅迫、
圧力を加えている。世界の常識からすれば、これは明らかに「賄選
捜索」を名目にした高金素梅(チワスアリ)たちとその活動に対す
る選挙妨害、政治弾圧そのものである。
 
 かつて、独裁政権からの迫害の犠牲者を“自称”し、それに対す
る抵抗運動を闘ったと吹聴する陳水扁民進党政権は、今やその仮面
さえ拭い捨て、当時の独裁政権と同じファッショ的手法で民衆を弾
圧しようとしている。
 
 近年、日本やアメリカなどで熾烈に闘われた「反靖国闘争」の第
一線で、常に先頭に立つ高金素梅(チワスアリ)たちの勇姿に、常
々陳水扁や李登輝の如き「好戦右翼」の“ペット”に成り下がった
「台湾人」しか知らされてこなかった私たちは大きな感動を受ける
と共に、この上ない尊敬を抱いた。“台湾独立”を高唱しながら、
民族の権益と尊厳を平然と売り渡す恥ずべき輩が政権を握る台湾の
現状において、彼女(彼ら)こそが誇り高く、世界から尊敬される
「台湾人」の姿である。
 
 高金素梅(チワスアリ)たちの献身的活動は、原住民族はもとよ
り、台湾各界、更には世界の心ある人々から絶大な支持と賞賛を得
ている。それ故に、今回の選挙において高位当選を確実視されてい
る。今回の選挙や次の総統選挙において劣勢が伝えられる陳水扁・
民進党が今回起こした高金素梅(チワスアリ)たちに対する露骨な
政治迫害に私たちは大きな驚きと怒りを覚えている。

高金素梅(チワスアリ)たちに対する選挙妨害、政治弾圧を即刻中
止せよ!!




  「抗議文見本(№2ーハガキ用)」


台湾当局は高金素梅さんたちへの政治弾圧をただちに止めろ!!

台湾立法委の選挙運動の真っ只中、台湾当局は高金素梅に対し「賄
選容疑」名目の強制捜索を行った。原住民族の高率な失業問題を解
決するために、河川保全の監視員に原住民族を任命するよう求めた
高金素梅たちの行為が「公務員の肩書きを利用した賄選にあたる」
という、まったく不可解な“罪状”を基にしたものである。今だ劣
悪な環境にある原住民族の生活改善に、原住民族選出立法委員とし
て全力を注ぐのは極めて正当かつ当然の活動であり、おまけにこの
件が起こったのは、今年の七月のことである。なぜ今の時期を狙っ
て大々的な捜索が行われたのか?!

 また、当局は大量の捜査員を動員し、各地ので「捜索」「事
情聴取」を名目にして、高金素梅の支援者を不当に拘束し、脅迫、
圧力を加えている。世界の常識からすれば、これは明らかに「賄選
捜索」を名目にした高金素梅たちとその活動に対する選挙妨害、政
治弾圧そのものである。
 
 高金素梅たちの献身的活動は、原住民族はもとより、台湾各界、
更には世界の心ある人々から絶大な支持と賞賛を得ている。それ故
に、今回の選挙においても高位当選を確実視されている。今回の選
挙や次の総統選挙において劣勢が伝えられる陳水扁・民進党が今回
起こした高金素梅たちに対する露骨な政治迫害に私たちは大きな驚
きと怒りを覚えている。
 
高金素梅たちに対する選挙妨害、政治弾圧を即刻中止せよ!!




緊急に抗議ハガキ、メール、FAXを集中してください!!
(文面は各自、本「呼びかけ文」を参考にしてください)

抗議先:台北駐日経済文化代表処
〒108-0071 東京都港区白金台5-20-2
(広報部)
電話 03(3280)7840~ 8 、7827、7916
FAX 03(3280)7926
e-mail:teco-jp@www.roc-taiwan.or.jp
http://www.taiwanembassy.org/JP/ct.asp?xItem=41500&CtNode=1447&mp=202&xp1=

  *・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*



以下は、台湾当局による高金素梅(チワスアリ)事務所に対する捜
索の翌日に行われた記者会見での発言要旨です。
*****************

立法委員の高金素梅は今日記者会見を開き、特偵組(特捜部)のい
わゆる「賄選(金銭で票を買う行為)」名目で行われた捜索に対し、
これは「賄選」捜索に名を借りた政治弾圧であると断じた。「
同胞に奉仕することはもとより私の責務であり、これを以て「賄選」
として、私を陥れようとするならば、私は絶対に納得できない。」

高金素梅は語る:「の人たちが、行政手続きのやり方を知らず、
或いは関係当局に対し当然得るべき経費を獲得する術を知らないと
き、高金素梅の服務団はに入り、の人々に対し、どの様に
陳情を出すのか、どの様に案件の処理にあたればいいのかについて
手助けする。これが罪だというのですか?」

「もしこれが罪だというのであれば、なぜこの6年の間、検察官は
私の元に来て、このような案件に対し、私を問いたださなかったの
でしょうか?私の事務所に対する捜索を、なぜ選挙期間も残すとこ
ろ後18日間となったこの時点で、このような強烈な手段で、大々
的に私の事務所に対する家宅捜索を行わねばならなかったのでしょ
うか。の仲間たちはこうしたやり方に納得するでしょうか?」

高金素梅は強調する。同胞に奉仕することは高金素梅たちが一貫し
て追及する理念であり、の為にあるべき権利と資源を闘いとる
ことは高金素梅の責任であり、義務である。

「風害や水害が起こる度に、私たちは真っ先に現場に駆けつけます。
では失業者があふれています。我々は行政に対し彼らの労働権
獲得の為に尽力します。このことが罪であり、賄選だという。」結
局のところ、これは捜査なのか、それとも弾圧なのか?

台湾のすべてのは皆知っています。高金素梅が「票を金銭で買
う」ことなどしない立法委員であることを知っています。今、検察
局は高金素梅が「賄選」をしたと吹聴し、圧力を加えています。部
落において、まったくの“笑い話”にされるでしょう。

高金素梅は最後にこう語った:「私にははっきりと見て取れます。
こういったことは選挙が終わると、跡形もなく霧散してしまうでし
ょう。しかし、原住民がこうした脅しに屈することはありません。
私は既に弁護団を組織し、選挙後に、この間に起こった、何の根拠
もなく、不当な脅迫や捜索を受けた同胞たちの公道(*正義、
正統性)を必ず取り戻します。
(2007/12/25)

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西川長夫『〈新〉植民地主義論』平凡社

2007-11-27 16:24:21 | 公開
読んだ本の感想です。

西川長夫『〈新〉植民地主義論』平凡社

この本では、著者の「戦後、私たちはなぜ植民地問題を渡したちの考察の正面にすえて深く考えることができなかったのか。戦後、日本人が過去の歩みを深く反省してそれを未来につなげるつもりであれば、植民地問題こそはまっさきに検討すべき問題であったのに、なぜそれができなかったのか」という問題意識から、「脱植民地化は、政治・経済・文化の問題であると同時に、私たち個々人の問題である」とし、植民地主義問題の対象化や概念の転換を主張しています。

(西川さんは当時日本の植民地であった北朝鮮と満州の国境近くに位置する町で生まれています。引き揚げたあとはアメリカ占領下の日本社会で生き、日本の戦後社会に対する違和感を表す言葉として「植民地」があり、それが動機となって、大連・ソウル・高雄・台湾・台北・ホーチミン・ハノイといった日本の植民地支配の及んだ都市を実際にまわって現地で考え、その経験があって本を執筆したそうです。)

筆者の植民地主義の定義は、「先進列強による後発諸国の搾取の一形態」(新旧両植民地主義に通じる)です。旧来の「新植民地主義」概念は、古典的な「民族自決」の原則に従い、一つの領域国家(旧植民地)と他の領域国家(旧宗主国)との支配ー従属関係を示しているのに対し、新しい「〈新〉植民地主義」は領域的な支配(占領、入植)をしない「植民地なき植民地主義」と定義されています。

〈新〉植民地主義では、人口移動と格差の増大がその徴候を現す現象となります。
そのため、国家間の格差だけでなく国内間の格差も搾取ー被搾取の関係があります。

具体的に、植民地と都市についての考察で面白かった点は、シンガポール、香港、台北などの振興諸国の自負と民族的な誇りを表す高層ビルは、世界資本主義との強い絆を示しているのに対し、高層ビル街の周辺に残された地方に広がる貧しい人々の住居は、周辺国の中心部と周辺国の周辺部との利益不調和的な関係があり、その高層ビルはニューヨークやロンドンや東京などの中心国の中心部とつながっているという点です。

かつては植民地が世界の80%を占めていましたが、それが消えた今、地球上の全土が新しい植民地主義の対象になりうるという時代を迎えています。

新しい植民地の境界を示しているのはもはや領土や国境ではなく、政治的経済的な構造の中での位置であると指摘されています。

また多文化主義に関して新しい視点を得られたと思うのは、第5章の「多文化主義と〈新〉植民地主義」で、多文化主義の建国物語によって隠された歴史的事実として植民地があるという指摘です。

多文化主義言説の三大輸出国であるアメリカ、カナダ、オーストラリアはいずれも大英帝国の旧植民地であり、さまざまな移民のなかでもアングロ・サクソン系の移民が最大のマジョリティとして支配権を握っていた国です。多文化主義を国是としてかかげることは、白人支配の終焉ではないにしても再編成を意味します。

先住民族から見れば、移民たちは先住民族の土地を占拠している侵略者たちであり、「多文化共存による国民統合」は侵略者に都合のいい欺瞞的なスローガンにすぎません。先住民に対して土地の一部が返還されていますが、それでも侵略者はなお先住民族の土地にとどまっていることからしても、多文化主義は支配的な移民の側の論理であり、先住民族側の論理ではありません。

このような点から、多文化主義は未来を語ることによって過去の重要な側面を隠蔽する傾向があり、旧来の国家のシステムがうまく機能しなくなり(※)、移民国家内部の内的な矛盾があったという指摘は、今まで私自身も多文化主義に対してそこまで批判的に考えていなかったので気づかされたことが大きいです。

(少し欺瞞的だとは思っていたものの・・・。欺瞞的に思っていたというのは、多文化主義が多国籍企業やそれと結びつく政府に利用されているということなどです。移民労働者を受け入れて、安い賃金で搾取しているという構造があるのに、それを覆い隠すかのように「多文化主義」を標榜するのはおかしいと感じていましたが、植民地の議論までには考えが至りませんでした。このことに対する批判は徐京植『半難民の位置から』(影書房)にもありました。)

※の「旧来の国家システム」というのは南アフリカのアパルトヘイト体制や、オーストラリアの白豪主義、カナダのイギリス系支配などです。

植民地化に関しては、全国民にかかわる国民化もまた植民地化であるし(国民化とは「文明化」と「同化」である)、列強の植民地化のイデオロギーであった「文明化の使命」を自国民に向けたという「自己植民地化」についても考えてみたいと思いました。(小森陽一の『ポストコロニアル』岩波書店 2001年では主に「自己植民地化」について書かれているそうです。)

おわり。

目取真俊『沖縄「戦後」ゼロ年』 生活人新書 2005年 

2007-11-25 19:45:03 | 公開
メモです。

 目取真俊『沖縄「戦後」ゼロ年』 生活人新書 2005年 

第一部 沖縄戦と基地問題を考える

☆「戦後」60年
日本人が「平和」を享受していたと思いこんでいた「戦後」がどのような犠牲によって支えられていたのか。沖縄、朝鮮半島、台湾、中国・・・(14頁)

・沖縄の占領は終わったのか?
「銃剣とブルドーザー」で土地を奪われ、60年経った今も沖縄島の20%の面積を占拠している米軍基地。そこから戦闘機がイラクに。ヘリの墜落(宜野湾市の沖縄国際大学)、女性が米兵に強姦されるといった基地があるゆえの被害。

・・・歴史・・・

☆同化=皇民化教育「土人」→「日本人」。歴史、文化、習俗、言葉、身体的特徴を恥じ、積極的に日本人になろうとしていった(沖縄人の差別への恐怖ー※)40頁。 戦場への総動員(筆者の父も。2千数百名の学徒が動員)。「国体護持」を目的とした「本土決戦」のための時間稼ぎにより、「捨て石」にされ、県民の4分の1(10万人以上)が犠牲に。軍隊は住民を守らない。

※44頁 1903年人類館事件・・・第五回内国勧業博覧会で琉球人が見せ物にされる
アイヌや朝鮮人、台湾の「生蕃」にたいするヤマトゥの差別を内面化し、みずからも差別する側に回っていく

・「沖縄の住民を虐殺した日本兵で、戦後、みずからの行為を悔い、謝罪し、虐殺に至った経過や理由を自己検証した日本人がいない」という批判(36頁)
→日本人の沖縄に対する根深い差別感情がある。

差別と被差別、戦争の加害と被害の二重性

☆「沖縄ブーム」ヤマトゥンチューにとって都合の悪い沖縄の歴史や現実を見ないために利用されている

☆平和の礎(いしじ)・・・1995年に沖縄県が激戦地だった糸満市の摩文仁に建設
 沖縄戦でなくなったすべての人の名前が刻まれるはずだったが、愛楽園と宮古島の南静園というハンセン病施設でなくなった人々の名前は2004年までずっと刻まれなかった。強制連行された朝鮮人労働者や「慰安婦」の人々も(63頁)。

☆沖縄戦と慰安所(65頁)
沖縄人女性が日本兵や、米兵の相手をさせられる。「ナワピー」という蔑称
戦争と性暴力(『虹の鳥』)

☆筆者の立場・・・沖縄戦の実相を知るだけでなく、肉親の生きた歴史を共有し、記憶として生かし続けること、そのための方法の一つが沖縄戦を小説で書くこと(70頁)、沖縄戦を通して米軍基地や自衛隊基地の問題を考える

☆天皇の戦争責任(76頁)
1983年 献血推進運動全国大会で皇太子明仁が来たとき、警備当局から「精神障害者は表に出すな」との指示。昭和天皇はついにガンで来れず。しかし来沖が焦点となると、卒業式・入学式での「日の丸・君が代」が問題に。

「天皇メッセージ」(126頁)・・・米軍が沖縄の軍事占領を続けるよう、日本の天皇が希望しているという天皇の対米メッセージ

☆基地のない村(98頁)
筆者が生まれ育ったのは、今帰仁村。米軍基地も自衛隊基地もまったくない。
基地関連の補助金が出ない分、予算面では厳しいが自力で生きる姿勢が作られてきた村。

筆者は子どものころから沖縄戦の話を聞いてきても、最初から戦争に否定感を持って考えていたのではない。大学に入ってから基地を自分の目で確かめ、考えるようになった。

・友人の発言「生まれたときから基地やフェンスがあるから、それが当たり前のことだと思っていた。疑問に思わなかった。」

☆住民の立場の多様性・生活の中の米軍基地(104頁)
基地の種類(飛行場・軍港・兵站基地・通信基地・住宅・教育施設・上陸訓練場、射撃訓練場)や所属部隊の性格によって、隣接する地域にもたらす影響も変わる。爆音被害や演習に伴う事故の危険性も場所によって違う。

・沖縄内部の差別と矛盾
「ヤンバル」という言葉・・・北部地域を指す。首里を中心とした那覇から見れば、山に囲まれた「野蛮」な田舎→「南北問題」

「東西問題」→西海岸はリゾート地としてにぎわっているのに、東海岸はさびれて演習も行われている

・学校の施設も米軍軍事基地関連の補助金で作られている
学校と防衛施設局の関係(108頁)

・性暴力・・・女生徒が米兵に襲われる。堕胎したことを隠したまま学校を卒業する。中学生の頃からディスコに通って米兵と知り合う女生徒もいる。性暴力の事件で表に出るのはほんの一部。1995年の3人の米兵による少女強姦事件。


・SACO(日米特別行動委員会)合意・・・普天間基地の「返還」を目玉とするが、そこで示された基地の「整理縮小」案は、沖縄県内に代替施設を造るというもの。基地の「県内たらい回し」。名護市辺野古沖への海上基地建設「海上ヘリポート」。111頁

基地問題を経済問題にすりかえる賛成派。財政補助や振興策
「癒しの島沖縄」への転換

☆筆者の批判・・・「そのような沖縄の現実に対して、あなたはどうするのか、という問いが、すべての日本人に向かって沖縄から発せられている」「沖縄問題」をつくりだしているのは「本土」に住む日本人である」「沖縄人は人間ではないのか」「日本人には踏まれているものの痛みが分からないのか」

「ヤマトゥの都合に合わせて振り回されても、いつまでもウチナンチューがおとなしく従順であるはずがない。自分を踏みつけている足を「どかせ」といってもどかさない者にはどうすればいいのか。最後は刺すしかないのか」

第二部 〈癒しの島幻想〉とナショナリズム

1 アメリカの世界戦略と基地沖縄 130頁
米は早期に朝鮮半島の情勢を安定化させ、東アジアに配置している米軍を中東に移動させたいと考えている

☆日本国内でつくりだされている北朝鮮への好戦的雰囲気は、間違いなく沖縄の基地強化につながる。

2 能力主義教育の浸透と沖縄の教育運動

学校現場の混乱→中学生の殺人・死体遺棄事件などの集団暴行事件
(主犯格の少年の家庭は軍用地主で裕福な家庭)

校長の権限強化、職員会議も命令の場に。授業とは関係のない仕事を増やされ、生徒と向き合えない、多忙化のために教材研究もできない・・・抵抗する先生が減っていく。愛国心教育育成の場に。階層分化。高校中退率全国2位。

☆失業率が高いため、公務員指向が強く、沖縄の教員採用試験の倍率は10倍

4 イデオロギーとしての〈癒し系〉沖縄エンターテイメント

NHK『ちゅらさん』ステレオ・タイプ化された沖縄人像
中江裕司 アメラジアン(アメリカ国籍の親とアジア諸国の国籍の親との間に生まれた人の総称)
『ナビィの恋』1999年 沖縄の映画として空前の大ヒット 

・本土:「癒し」を求める、沖縄:基地依存からの脱却を観光に求める
地域の文化、人間性や身体まで観光に従属化される。個人の健康なども。(160頁)

→基地問題の隠蔽、沖縄の商品化と消費。

・憲法9条の裏には沖縄の米軍基地という存在があった。

・研究者への批判:沖縄を素材にして論文を書き、研究実績をあげていく。それ以上に沖縄に深くかかわる研究者がどれだけいるか?
ポストコロニアリズムや多文化主義の研究。「研究テーマのはやりが変われば簡単に忘れられるだろう」

本は以上で終わり。以下もメモ

・教科書検定問題 
集団自決の軍の強制性記述を修正・削除。
憲法9条改悪に向けて、軍に対するイメージを少しでもよくしたいという改憲派の目論見のため、沖縄戦での集団自決の軍の責任をなかったことにしたい。そして集団自決を「殉国美談」とし、靖国の論理へ・・・。

・ネットでの情報
☆やんばる東村(ひがしそん)高江の現状 http://takae.ti-da.net/
☆ちゅら海をまもれ!沖縄・辺野古で座り込み中!
海上基地建設を阻止するため連日命がけで座り込みする人たちがいる!
http://blog.livedoor.jp/kitihantai555/

など。

目取真俊『虹の鳥』(影書房)************************
・基地と性暴力について
(少女の強姦事件に対しては大規模なデモや集会が起きるのに、マユやそのほかの女性(基地周辺で働く外国人女性)に対しての性暴力への批判は?)

・教育現場の荒れ・高校内での暴力(主人公カツャの置かれた状況 不良グループに入る・・・「教育困難校」
))
・軍用地主 地代での生活

*********************************************

・沖縄関連参考図書

『私という旅 ジェンダーとレイシズムを越えて』(青土社)

2007-09-29 16:20:09 | 公開
昨日ちょんよんへさんとリサ・ゴウさんの『私という旅 ジェンダーとレイシズムを越えて』(青土社)を読み終わりました。

在日フィリピン人女性の現状を今まで知らなかった自分が恥ずかしいです。在日フィリピン人女性が日本でどのような状況に置かれているのかということや、受けている差別について、最後の「参考資料」のところにも詳しい差別の現状が書かれていました。

フィリピン人女性=「貧しくてかわいそうな存在」、「性産業で働いていて、金のためには何でもするずるい女性」、「(同じアジア人でも)日本人より劣っている」というステレオタイプと偏見のために、子どもが学校で差別を受けたり、「あんな動物(フィリピン人)をなぜバスに乗せるのか」という日本人の乗客がいたり、という数え切れないぐらいひどい差別を受けているという記述がありました。

問題なのは、そのようなレイシズムをもつ「日本人」(これも一面的にとらえることは出来ないのですが)の側であるということです。

そして重要なのは、そのような差別を批判するだけではなく、それを変えようとする行動をしなければいけないということです。

差別を批判するのにも関わらず、自分はその差別的な構造から得た特権を捨てようとしない人に、差別を批判する権利はない、というリサさんの言葉が、その本で自分にとって一番重要な部分だと感じました。

(正確な言葉はあとで追記します。今手元に本がないので…)


在日外国人にとって、日本がいかに息苦しい社会かということに意識的でなければならないと思います。

「日本人」なら受けられる様々な権利や行政のサービスも、在日外国人にはないことが多いからです。そのような状況がこれからも続き、「日本人」自身がそれを変えていかないのなら、アジアの人々を戦前と同じように侵略し、搾取しているも同然だと思います。
日本社会がずっとこのまま窒息しそうな社会だったら、アジアの人々とも新しい関係を築くことは出来ないでしょう。

そのために、自分は何を出来るかを考えて行動しなければならないと思いました。(書くだけで、ほとんど何も出来てないのですが…)

よく、「日本はアメリカの戦争に巻き込まれて被害者だ」というような論調の文章を見かけますが、なぜ被害者づらばかりなのか?と感じます。
日本政府が自発的にやっている部分も当然あるし、それを支え協力している限り、加害者でしかないと思います。(戦争被害を受けた国に対しては。)

戦争に対しても、「唯一の被爆国民で被害者」、現在も「アメリカの戦争につきあわされてる日本人は被害者」だなんて、アジアに対する視線が抜け落ちていますし、自らの加害性が見えなくなるだけではないのでしょうか?


大体、「日本人」がアメリカの戦争に付き合わされなかったらそれで十分なのでしょうか。


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今日から生田武志さんの『ルポ 最底辺』を読もうと思います。その次は西川長夫の『新植民地主義』の予定です。



子安宣邦『日本ナショナリズムの解読』

2007-03-23 20:14:09 | 公開
子安宣邦『日本ナショナリズムの解読』(発行:白澤社/発売:現代書館 刊行年:2007年3月)を読みました!
とても面白かったですが、途中で何回も眠くなりました。。
(難しいところがちらほらあって、、)

うまくまとめられる自信がないですが、書評を書こうと思います。

その前に、同書についてのTBを頂きましたので、紹介させていただきます。
「Internet Zone::WordPressでBlog生活」さんのエントリー
子安宣邦『日本ナショナリズムの解読』

より詳しい書評は↑でご覧くださいませ
(拙ブログもエントリーの最後の方に「関連ブログ」としてリンクしていただいています。ありがとうございます♪)

上記ブログのカテゴリー「中国」を見ていたら、陳凱歌『私の紅衛兵時代』の書評がされていて、以前ここで中国の歴史についての本についてお尋ねしていたのですが、まずはこれから読んでみようかなと思いました。

(陳凱歌は映画監督で、私は名前しか聞いたことがありませんでしたが、、
そういえばここ(「中国の文革期を描いた作品」)でも陳監督の映画について書かれていました。)

前置きが長くなりましたが、『日本ナショナリズムの解読』について書きます。

目次:
解読1 日本の固有性と他者の痕跡ー宣長における狂気と正気
  2 「日本語(やまとことば)」の理念とその創出ー宣長『古事記伝』の贈り物
  3 祭祀国家日本の理念とその創出ー水戸学と危機の国家神学
  4 国体論の文明論的解体ー福沢『文明論之概略』と国体論批判
  5 道徳主義的国家とその批判ー福沢「智徳論」の解読
  6 「日本民族」概念のアルケオロジーー「民族」「日本民族」概念の成立
  7 「民族国家」の理念的形成(その一)和辻倫理学をめぐって・倫理(エシックス)から倫理(りんり)へ)
  8 同上 -昭和日本の倫理学
  9 哲学というナショナリズムー「種の倫理」・国家のオントロジー
 10 東洋民族協和と「国体」の変革ー橘僕「国体論序説」

(疲れた…

特に面白かったのは、解読1、2,3,4,6です。9は最後の方が難しくてあまり理解できていない気がしますが。。

1(日本の固有性と他者の痕跡)では

日本ナショナリズムを構成する中心的な言説として、「日本がもともと日本であるという自己の起源的な固有性をいう言説」や、「日本人や日本語や日本文化などの排他的な同一性の主張」などがあるが、

日本の成立史は「韓(から)」からの離脱史であり、「韓」とは「日本」の歴史に残る、消し去られた他者の痕跡であることを、『日本書紀』における神・スサノオを例に出しながら解読しています。

驚いたのは、p18で「「奈良」に人々は大和の古都を認めても、韓の語「那羅(なら)」ををその地名に読もうとしない」とあったことです。

6 「日本民族」概念のアルケオロジーー「民族」「日本民族」概念の成立では

「「民族」や「日本民族」概念を成立させる日本近代史は、十九世紀の中葉、開国通商を求める欧米先進国の圧力とともに始まり、1840年のアヘン戦争から始まる近代史において、東アジアと日本とがヨーロッパの軍事力をともなった圧力によって資本主義世界システムに組み入れられていきます。

明治時代の代表的国語辞典「言海」(1889-91刊)では「人種」という単語は載っているものの、「民族」は載っていません。しかし、『大言海』(1932-37刊)には載っています。「人種」が載っているということは、おそらく「民族」概念は成立していただろうと推測しています。

このことから、
「『大言海』が刊行される1925年から30年末にかけての時代は、神話と言語と歴史的記憶を共有する日本人という日本の「民族概念」すなわち「日本民族概念」が日本帝国をささえる理念として構成されていった時代であったといえるだろう。」(p135)

と書かれています。「近代の国語辞典の編纂作業は、一国言語の一国的な公共性の認定作業」であるので、このようにして「民族概念」が近代につくられたものであるとの説明がとても明快で分かりやすかったです。


あとがきにも

「昭和初期とは、明治の国家形成期のナショナリズムとは異なったもう一つの、あるいは「日本ナショナリズム」とでも呼ぶべきナショナリズムの成立期である。昭和における帝国日本のナショナリズムが「日本民族」概念を構成し、己の民族的・文化的・精神的同一性をめぐる考察を導くのである。日本思想史や日本精神史などといった学術的言説の成立と「日本民族」概念の成立は同時期なのである。」(p228)
とあります。


てな感じで、すごく面白かったです。
この本は是非、「大和民族がずっと日本の国を統治してきたことは間違いない」「日本は極めて同質的な国です」と発言した伊吹大臣に読んでいただきたいですね!麻生大臣もそういうことを言ってた気がしますが…


ではでは今日はこの辺で。。