はにかみ草

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西川長夫『〈新〉植民地主義論』平凡社

2007-11-27 16:24:21 | 公開
読んだ本の感想です。

西川長夫『〈新〉植民地主義論』平凡社

この本では、著者の「戦後、私たちはなぜ植民地問題を渡したちの考察の正面にすえて深く考えることができなかったのか。戦後、日本人が過去の歩みを深く反省してそれを未来につなげるつもりであれば、植民地問題こそはまっさきに検討すべき問題であったのに、なぜそれができなかったのか」という問題意識から、「脱植民地化は、政治・経済・文化の問題であると同時に、私たち個々人の問題である」とし、植民地主義問題の対象化や概念の転換を主張しています。

(西川さんは当時日本の植民地であった北朝鮮と満州の国境近くに位置する町で生まれています。引き揚げたあとはアメリカ占領下の日本社会で生き、日本の戦後社会に対する違和感を表す言葉として「植民地」があり、それが動機となって、大連・ソウル・高雄・台湾・台北・ホーチミン・ハノイといった日本の植民地支配の及んだ都市を実際にまわって現地で考え、その経験があって本を執筆したそうです。)

筆者の植民地主義の定義は、「先進列強による後発諸国の搾取の一形態」(新旧両植民地主義に通じる)です。旧来の「新植民地主義」概念は、古典的な「民族自決」の原則に従い、一つの領域国家(旧植民地)と他の領域国家(旧宗主国)との支配ー従属関係を示しているのに対し、新しい「〈新〉植民地主義」は領域的な支配(占領、入植)をしない「植民地なき植民地主義」と定義されています。

〈新〉植民地主義では、人口移動と格差の増大がその徴候を現す現象となります。
そのため、国家間の格差だけでなく国内間の格差も搾取ー被搾取の関係があります。

具体的に、植民地と都市についての考察で面白かった点は、シンガポール、香港、台北などの振興諸国の自負と民族的な誇りを表す高層ビルは、世界資本主義との強い絆を示しているのに対し、高層ビル街の周辺に残された地方に広がる貧しい人々の住居は、周辺国の中心部と周辺国の周辺部との利益不調和的な関係があり、その高層ビルはニューヨークやロンドンや東京などの中心国の中心部とつながっているという点です。

かつては植民地が世界の80%を占めていましたが、それが消えた今、地球上の全土が新しい植民地主義の対象になりうるという時代を迎えています。

新しい植民地の境界を示しているのはもはや領土や国境ではなく、政治的経済的な構造の中での位置であると指摘されています。

また多文化主義に関して新しい視点を得られたと思うのは、第5章の「多文化主義と〈新〉植民地主義」で、多文化主義の建国物語によって隠された歴史的事実として植民地があるという指摘です。

多文化主義言説の三大輸出国であるアメリカ、カナダ、オーストラリアはいずれも大英帝国の旧植民地であり、さまざまな移民のなかでもアングロ・サクソン系の移民が最大のマジョリティとして支配権を握っていた国です。多文化主義を国是としてかかげることは、白人支配の終焉ではないにしても再編成を意味します。

先住民族から見れば、移民たちは先住民族の土地を占拠している侵略者たちであり、「多文化共存による国民統合」は侵略者に都合のいい欺瞞的なスローガンにすぎません。先住民に対して土地の一部が返還されていますが、それでも侵略者はなお先住民族の土地にとどまっていることからしても、多文化主義は支配的な移民の側の論理であり、先住民族側の論理ではありません。

このような点から、多文化主義は未来を語ることによって過去の重要な側面を隠蔽する傾向があり、旧来の国家のシステムがうまく機能しなくなり(※)、移民国家内部の内的な矛盾があったという指摘は、今まで私自身も多文化主義に対してそこまで批判的に考えていなかったので気づかされたことが大きいです。

(少し欺瞞的だとは思っていたものの・・・。欺瞞的に思っていたというのは、多文化主義が多国籍企業やそれと結びつく政府に利用されているということなどです。移民労働者を受け入れて、安い賃金で搾取しているという構造があるのに、それを覆い隠すかのように「多文化主義」を標榜するのはおかしいと感じていましたが、植民地の議論までには考えが至りませんでした。このことに対する批判は徐京植『半難民の位置から』(影書房)にもありました。)

※の「旧来の国家システム」というのは南アフリカのアパルトヘイト体制や、オーストラリアの白豪主義、カナダのイギリス系支配などです。

植民地化に関しては、全国民にかかわる国民化もまた植民地化であるし(国民化とは「文明化」と「同化」である)、列強の植民地化のイデオロギーであった「文明化の使命」を自国民に向けたという「自己植民地化」についても考えてみたいと思いました。(小森陽一の『ポストコロニアル』岩波書店 2001年では主に「自己植民地化」について書かれているそうです。)

おわり。

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2 コメント

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ずいぶん前に読んでのうろ覚えなんですが (仲@ukiuki)
2007-11-30 18:07:46
ごぶさたしてます。

この本、ずいぶん前に読んでのうろ覚えなんですが、オーストラリアなどで多文化主義を先鋭的に主張し実践してきた人たちも、最後の最後で国民国家の枠組みに閉じこもってしまう、というような分析と、そのような状況に対する強烈な違和感を著者は抱いているのだなあと感じられる部分があって、強く印象に残っています。

では国民国家の枠組み、国民主義とでもいうものをどう超えていくのか。これこそ、今、取り組むべき大きな課題だと感じています。

……ここまで書いて、ふと思いました。
これって地球温暖化の話なんかにも通じるのかも??
Unknown (ぅきき)
2007-11-30 19:39:18
こんにちは。かなりお久しぶりです!
コメントありがとうございます

最後の最後で国民国家の枠組みに閉じこもってしまうというより、多文化主義がもともとマジョリティにとって都合のいい論理…だと理解していたのですが、、うーん、どうなんでしょう??何か難しくて頭が回りません><あっ、そういえば仲@ukiukiさんのおっしゃる議論もあったかもしれないです。もう1回読もうかな…難しくて理解できていないところもあるので。。。

難しい…です。国民とか、ナショナリティの解体って酒井直樹さんの著作とか読まないとだめですよね。。(友人が「難しくて途中であきらめた」と言っていました。)

うーん、、難しい話になると全然ちゃんとお返事できていなくて本当にすみません

ところで仲@ukiukiさんは京都におすまいですよね?2日は高橋哲哉さんの講演があるので、もし行かれるならお会いしましょう♪私はきっと最前列にいるはずです(笑笑笑)