はにかみ草

。。考えたこととか感じたことをいろいろ書きます。。

子安宣邦『日本ナショナリズムの解読』

2007-03-23 20:14:09 | 公開
子安宣邦『日本ナショナリズムの解読』(発行:白澤社/発売:現代書館 刊行年:2007年3月)を読みました!
とても面白かったですが、途中で何回も眠くなりました。。
(難しいところがちらほらあって、、)

うまくまとめられる自信がないですが、書評を書こうと思います。

その前に、同書についてのTBを頂きましたので、紹介させていただきます。
「Internet Zone::WordPressでBlog生活」さんのエントリー
子安宣邦『日本ナショナリズムの解読』

より詳しい書評は↑でご覧くださいませ
(拙ブログもエントリーの最後の方に「関連ブログ」としてリンクしていただいています。ありがとうございます♪)

上記ブログのカテゴリー「中国」を見ていたら、陳凱歌『私の紅衛兵時代』の書評がされていて、以前ここで中国の歴史についての本についてお尋ねしていたのですが、まずはこれから読んでみようかなと思いました。

(陳凱歌は映画監督で、私は名前しか聞いたことがありませんでしたが、、
そういえばここ(「中国の文革期を描いた作品」)でも陳監督の映画について書かれていました。)

前置きが長くなりましたが、『日本ナショナリズムの解読』について書きます。

目次:
解読1 日本の固有性と他者の痕跡ー宣長における狂気と正気
  2 「日本語(やまとことば)」の理念とその創出ー宣長『古事記伝』の贈り物
  3 祭祀国家日本の理念とその創出ー水戸学と危機の国家神学
  4 国体論の文明論的解体ー福沢『文明論之概略』と国体論批判
  5 道徳主義的国家とその批判ー福沢「智徳論」の解読
  6 「日本民族」概念のアルケオロジーー「民族」「日本民族」概念の成立
  7 「民族国家」の理念的形成(その一)和辻倫理学をめぐって・倫理(エシックス)から倫理(りんり)へ)
  8 同上 -昭和日本の倫理学
  9 哲学というナショナリズムー「種の倫理」・国家のオントロジー
 10 東洋民族協和と「国体」の変革ー橘僕「国体論序説」

(疲れた…

特に面白かったのは、解読1、2,3,4,6です。9は最後の方が難しくてあまり理解できていない気がしますが。。

1(日本の固有性と他者の痕跡)では

日本ナショナリズムを構成する中心的な言説として、「日本がもともと日本であるという自己の起源的な固有性をいう言説」や、「日本人や日本語や日本文化などの排他的な同一性の主張」などがあるが、

日本の成立史は「韓(から)」からの離脱史であり、「韓」とは「日本」の歴史に残る、消し去られた他者の痕跡であることを、『日本書紀』における神・スサノオを例に出しながら解読しています。

驚いたのは、p18で「「奈良」に人々は大和の古都を認めても、韓の語「那羅(なら)」ををその地名に読もうとしない」とあったことです。

6 「日本民族」概念のアルケオロジーー「民族」「日本民族」概念の成立では

「「民族」や「日本民族」概念を成立させる日本近代史は、十九世紀の中葉、開国通商を求める欧米先進国の圧力とともに始まり、1840年のアヘン戦争から始まる近代史において、東アジアと日本とがヨーロッパの軍事力をともなった圧力によって資本主義世界システムに組み入れられていきます。

明治時代の代表的国語辞典「言海」(1889-91刊)では「人種」という単語は載っているものの、「民族」は載っていません。しかし、『大言海』(1932-37刊)には載っています。「人種」が載っているということは、おそらく「民族」概念は成立していただろうと推測しています。

このことから、
「『大言海』が刊行される1925年から30年末にかけての時代は、神話と言語と歴史的記憶を共有する日本人という日本の「民族概念」すなわち「日本民族概念」が日本帝国をささえる理念として構成されていった時代であったといえるだろう。」(p135)

と書かれています。「近代の国語辞典の編纂作業は、一国言語の一国的な公共性の認定作業」であるので、このようにして「民族概念」が近代につくられたものであるとの説明がとても明快で分かりやすかったです。


あとがきにも

「昭和初期とは、明治の国家形成期のナショナリズムとは異なったもう一つの、あるいは「日本ナショナリズム」とでも呼ぶべきナショナリズムの成立期である。昭和における帝国日本のナショナリズムが「日本民族」概念を構成し、己の民族的・文化的・精神的同一性をめぐる考察を導くのである。日本思想史や日本精神史などといった学術的言説の成立と「日本民族」概念の成立は同時期なのである。」(p228)
とあります。


てな感じで、すごく面白かったです。
この本は是非、「大和民族がずっと日本の国を統治してきたことは間違いない」「日本は極めて同質的な国です」と発言した伊吹大臣に読んでいただきたいですね!麻生大臣もそういうことを言ってた気がしますが…


ではでは今日はこの辺で。。

最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
初めまして (GAKU)
2007-03-27 23:48:19
ぅききさん、初めまして。

私のBlogをご紹介いただき、ありがとうございます。勝手にTBを送りつけただけでご挨拶もしておりませんでした。よろしくお願いいたします。m(_'_)m

「民族」という概念(もちろん日本語の)が、明治末~大正にかけての時期、つまり日本が日露戦争に勝って大国化しはじめた時期にでき上がってきたという指摘は、とても興味深かったですね。しかもそれが『言海』『大言海』という日本の代表的な辞典によって裏づけられる、というのはちょっと驚きでした。

もともと輸入語である社会科学の用語が、どういう歴史的な背景のなかで日本語として定着していったかという視点は、なかなか大事だと思いました。

いろいろたくさん本を読まれているようで、これからもちょくちょく立ち寄らせていただきます。お勉強、がんばってください。
返信する
はじめまして♪ (ぅきき)
2007-03-28 15:18:29
こちらこそリンクしていただき、ありがとうございましたTBは大歓迎です♪♪

そうですよね~~。「民族」という単語が19世紀後半の辞書にも出ていないなんて、私もかなり驚きでした!!普段よく目にする単語ですが、元をたどってみたらこんなにも歴史の浅い単語で、しかもそれが元々存在するかのように使われて定着していて…。

書評をされていた陳凱歌の本も今日か明日ぐらいから読もうと思います☆

>いろいろたくさん本を読まれているようで、これからもちょくちょく立ち寄らせていただきます。お勉強、がんばってください。

ありがとうございます^^
こちらこそよろしくお願いします
返信する
  ( )
2009-01-15 15:55:27
奈良が半島系の地名である。と言う説は良く聞きますが
正直言って間違いであると思います。

奈良のほかにも「ナラ」がつく地名は日本各地に多数あります。
(字には楢を使っている物が多い。)
そして「ナラ」のつく地名に多く共通する特徴が平らな土地である事。
この事から上代日本語では平らである事を「ナラ」と言っていた事が
推測され、また地形の特徴からこの「ナラ」が地名になった事も推測出来ます。

また奈良が朝鮮語で国を表す「nara」から来ているという説も眉唾と思います。
96さんがこの説を意識して書いたかどうかは判らないけど一応併記すると
朝鮮語で国を表す「nara」は、中期朝鮮語では「narah」となっており、
この事から古代においては「narak」であった事が推測されます。
従って、朝鮮語の国を表す語が奈良の語源であれば、「ナラカ」と言う地名に
なっていなければなりませんが、現存する最古の日本語資料でも「ナラ」です。
従って朝鮮語の国を表す語が奈良の語源である可能性はほぼありません。

また奈良が那羅でありいかにも半島系の地名だというのも根拠薄弱です。
まずもって那羅と表記されている資料が全く存在せず、
加羅等の半島の良く似た感じのある知名からこじつけただけであり、
全く根拠になりません。
朝鮮半島にも那羅、或いはそれに類するような地名は存在せず、
いかにも半島系の名前ではありえません。
返信する