はにかみ草

。。考えたこととか感じたことをいろいろ書きます。。

チワスアリ(高金素梅(カオチンスーメイ))さんの本の訳(一部)

2009-08-12 15:41:39 | 公開
パソコンのキーボードの接続がおかしくなって数日間入力できなかったり、
このまえはマウスが反応しなくなって かなりいらいらして マウスを机にたたきつけたりしてしまいましたが、無事どちらとも動くようになりました。でもまた動かなくなる可能性が大です。やっぱりワイヤレスマウスとキーボードは二度と買いません。WindowsがこわれたらMacを買おうかと思います。

「We hate ビルゲイツ」だし。(私たちはビルゲイツがきらい)

ところで、先日は、台湾から靖国の合祀に反対するため、原住民族の立法委員のチワス・アリさんや韓国のイ・ヒジャさんたち、中国からも数十名のかたが東京に来られていたそうです。関東に住んでいたら何があっても参加していたと思いますが、参加できないので、遠くから応援していました。

日韓台団体が靖国反対行動 「遺族望まぬ合祀やめて」」
右翼総結集、 8 日のキャンドルデモへの緊急協力要請/ヤスクニの闇へ キャンドル」(デモの動画もあります。)

台湾に住んだら、必ず国会(「立法院」といいます)前などにいくとおもうので、また1年後ぐらいにいろいろ報告しようと思います。




それで、2年前にチワスさんの対談本の序を訳したことを思い出して、ここに載せることにしました。誤訳もあると思いますし、読みにくい部分も多いですが、彼女たちがどういうことを主張しているかが 少しでも伝わればいいと思ったので載せます。本当は別の場所に載る予定だったのですが、その計画がなくなって、ずっと放置していました。

原文は台湾の「国語」(北京語=漢語=いわゆる「中国語」)で書かれています。

民族名は吉娃斯阿麗(チワスアリ)さん(漢族の名前は「高金素梅(カオチンスーメイ)」さんです)は、台湾の立法委員などで、原住民族の権利獲得のために活動されています。彼女はタイヤル族出身で、歌手や女優を経て立法議会議員に転身しました。

本は、台湾の著名な政治・時事評論家の胡忠信(フーチョンシン)氏の対談録である『你愿意听我的声音嗎?』(あなたは私の声を聴きたいですか?)です。

休みのあいだは本の続きを訳そうと思います。

*ここから

序 土地は私たちの永遠の母親である
吉娃斯阿麗(高金素梅)



この3年余間、多くの人が私に対して「理解できない」といい、ある人は非難し、ある人は賛同し、ある人は芸能界の「金素梅」を以って政治での「高金素梅」を分析しようとし、ある人は私の血液成分まで分析した。これらの推測や分析は何もないのに空騒ぎをするようなものであり、その分析の答案はまさに「歴史」にある。
隠され、歪曲された歴史を元に戻すなら、高金素梅のなすあらゆる行為は歴史の軌道上にあるのである……すべての友人と同胞に感謝し、あなた方の指摘と指導をもって序となす。



 2002年の初め、タイヤル族の吉娃斯・阿麗、漢名は高金素梅である私はある偶然の機会があり、一枚の拡大された写真と出会った。レンズの前のあの瞬間、あの姿は台湾を侵略した一人の日本軍人であり、手には大きな刀を持って、まさに我々のタイヤル族の抗日勇士の頭を切り落としていた。見よ、見よ、私の肌には鳥肌が立ちはじめ、目の周りに涙が溢れ出し、熱い血が上にのぼり額を衝いた。とうとう私は「私は何者か」をはっきり悟ったのである。
 歴史の偶然が高金素梅にこの一枚の写真を見させ、この一枚の写真が高金素梅に原住民族の復興運動の元に戻れない道を歩ませた。これは歴史の必然である。



多元と平等の価値の跡をたどる

西暦1492年、コロンブスが新大陸を発見し、人類のいわゆる「新文明」を創始した。新文明は数百年来西洋の強国がもたらした富や繁栄であるが、新文明はまた全世界の原住民族に壊滅的な災難をもたらした。新文明はアメリカ大陸での最初の百年間、一億余りのインディアンを消滅させた。新文明がオーストラリアにたどり着き、95%のアボリジニがいなくなった。新文明が台湾に着き、十いくつの原住民族が完全に消滅した。新文明の興隆はたった数百年しかないのにも関わらず、数千年の人類の古代文明が未曾有の巨大な変化をこうむった。そこで、人類は民族の古い生活の智恵を改めて顧み、進化論の「物が競い天が選ぶ(訳者注:自然淘汰・弱肉強食の意と思われる。)・適者生存」の観点が疑われるようになった。そこで、「物の多様性、文化の多元」が提起され始めた。人と人との間は平等であるべきであり、エスニックグループとエスニックグループの間も平等であるべきであるという考え方が進歩的な思想の主流となった。

 台湾は一つの小さい島であるが、この島にはなんと20個近くの異なる民族が存在している。これは世界でもめったにないエスニックグループの宝庫であり、このような貴重な条件なら本来は燦爛とした多元的な文化の宝庫が発展できるはずだ。しかし残念なことに、台湾はずっと多元的な民族の思潮がなく、今日まで漢文化の中の びん南文化である台湾文化が、甚だしきに至っては びん南ナショナリズム(訳者注:直訳は「福佬ショーヴィニズム」)に変化してしまった。


 何故社会は「多元・平等」でなければならないのか?もし多元の思考がなければ、平等は個人と個人の間の偽りの平等に変化する。これは西洋の人権論の陥穽である。一つ例をあげて説明すると、現行の法律の枠組みでは「漢族のあなた」と「タイヤル族の私」は平等である。私たちは同じように6歳のときから国家が提供する国民義務教育を受ける。しかし、以下のことを考えた人がいるだろうか?「漢族のあなた」が受ける教育は漢民族教育であり、教科書の字はあなたたちの字であり、教室で使われる言語はあなたたちの言語であり、教科書の歴史はあなたたち漢民族の歴史である。対照的に私(タイヤル族の吉娃斯阿麗)は平等な義務教育の下でも、不平等な異民族教育を受けている。私たちは母語を失い、伝統文化を失った。これはおかしな現象であり、法律によればあなたと私は平等であるが、同じ法律によっても「あなたの漢族」と「私のタイヤル族」は不平等である。個人と個人の間は平等であるが、集団と集団の間は不平等である。これはまさに「多元平等」の考え方を結び付けていない原因である。だから、いまもし私が原住民族は自己の民族教育のシステムを必要としていると話せば、皆は理解できるはずだと思う。



「配慮」はいらない。「平等」でさえあればいい。

 何人かの人は私が一族の同胞を連れて抗争するのを見て、私が過激な人種差別主義者だと考えるが、この見方は歪曲されたものである。台湾の歴来の指導者や政治人物はいつも「原住民の面倒をみる」と言うのを好むが、この50数年を私たちに見させてみれば、彼らが原住民を「配慮」した結果どのような様子になっただろう?

・原住民の人口は全台湾の2%を占める。もしこの割合に基づいて台湾政府の予算経費を分配すると、原住民は毎年約400億の予算があるべきである。しかし実際台湾政府は原住民に50数億しか分配しない。

・原住民の人口は明らかに2%であるのに、たった1%の教育経費しか獲得していない。
・台湾の毎年の交通建設経費は約2千数億であるのに、土地の面積の半分を占める原住民の地域はたった1億しかない。

・台湾の上水道の普及率は94%であるのに、原住民族の地域は44%である。
(しかも一旦雨が降れば土のせいで汚れた簡易上水道になる)
・台湾は1万8千余の病院があるのに、土地の半分の面積を占める原住民の地域には一軒の病院もない。
・原住民の地域は台湾の土地の半分を占めるのに、消防員とその施設はたった1%である。



再び以下の数字を見ると、先程言ったあれらの予算分配が以下の結果を引き起こしたのを見て欲しい。

・原住民族の失業率は台湾の平均失業率の3倍である。
・原住民の児童の中退率は台湾の平均数の4倍である。
・原住民の平均寿命は男性は平均より11歳、女性は8歳下回る。



 台湾の歴来の指導者や政治人物は「融合」という名詞を言うのをまだ好むが、私が言いたいのは、「民族の平等」なくして「社会の団結」はなく、「社会の団結」なくして「社会の進歩」はなく、永遠に「族群融合」もない。台湾には「族群融合」が必要であり、政策上、必ず先に「平等な資源の分配」から始め、思想教育上必ずまず先に指導者が「原住民族が台湾の主人」であることを率先して認めなければならない。さもなくば、原住民族に言わせれば、台湾の政権は本質上全て、現在の政権も含めて、「外来植民政権」であろう。



住まいがなければどこに国があろうか

台湾原住民族は音楽・文化あるいは口述歴史においてだけでなく、「戦争に反対し、平和を愛する」という哲学の精神が至る所に溢れており、私たちは平和を愛する民族である。しかし、「軍購」は「平和の破壊」に最も有効な手段であり、このように言うことができる。

(訳者注:本文では「軍購」(直訳は「軍が買うもの」である)となっている。軍事費は中国語では「軍費」であるが、「軍購」は何と訳していいか分からないので、一応「軍購」のままにしておく。)」

 あるとき、ある軍の将校が私に「「軍購」を支持する」と言い、続けて「ひっくり返った巣の下には割れていない卵はない。国がなければどこに住まいがあろう。我々は強大な国防力を必要としてこそ、原住民のをも保護できる。」と言った。そのとき私は率直に彼に応えた。「申し訳ありませんが、将校、原住民族の見方はちょうど反対です。私たちは言いたい。住まいがなくてどこに国があるでしょうか?台湾は五十数年来天文学的な人民の血と汗のお金をつかい武器を買いました。しかし、原住民族のや家は、今なおぼろぼろのや家です。原住民族がどうして軍購を支持しなければいけないのでしょうか?私たちは民族教育を必要としていますが潜水艦は必要ではなく、上水道は必要ですがミサイルは必要なく、病院は必要ですが大砲はいらない。」政府は憲法が私たちに与えた基本的生存権や教育権・発展権を奪った。どうして私たちに「国がなくてどこに住まいがあろうか」ということを要求できるのだろう。



私たちは大自然の中の一部である
原住民族は台湾で少なくとも数千年の歴史があり、我々の生活の智恵はずっと「分かち合い共有すること」である。我々の生活の智恵は全て大自然と共に暮らしてきた経験からきており、各族の口述の歴史にはこのような例や生活の智恵に満ちている。卑南族のあるではこのような口述の歴史がある。は、「鹿がいっぱいになると患いになる」ため、村を他の場所に移す。大武山の隣のパイワン族は、このような口述の歴史を持っている。山や谷川のえびが多くなったら人の足を刺すので、は村を移すことにする。現在の知識人は我々の口述歴史のこれらの自然を尊重する行為を理解しにくいと思うが、これらは我々原住民族の最も誇りとする生活の智恵である。我々は大自然を尊重し、まさに大自然の一部なのである。(訳者注:人が動物を殺したりするのではなく、自然を尊重するという意味だと思います。)

 数百年前、ある外国人がこの島嶼に侵入してきた。オランダ人が来て、最初の1年で2万枚のニホンジカ(訳者注:「梅花鹿」とある)の鹿皮を外へ送り出した。2年目には15万枚送り出し、オランダ人が台湾にいた期間、ニホンジカは絶滅した。日本人が台湾に来た51年間、この島の半分以上のヒノキが切り倒され持っていかれた。国民政府が来て、残っていた半分のヒノキが切られ、お金に換えられた。今日、台湾は雨が降ると災害が起き、雨が降らなければ水がなくなり旱魃が起こる。これは完全に、数百年来外来の侵入者が「開墾開発する」という功利的な意識のために原住民族の生活哲学を破壊した結果である。たとえ2年前に政府が北タイヤル地区に馬告国家公園をつくろうとしても、それは依然として「開発観光」の意識が政策を制定しているのである。開発は利益が生ずるが、利益は人の心を惑わす。当時の少なくない学者や知識人が政府の開発の立場にたち、タイヤル族が伝統領域を保護する「反馬告」の行為を非難した。そのとき「反馬告」は成功したけれども、我々は本当に無限に残念だと感じている。台湾の多数の知識人は「恥じ入る心」を以って原住民族の生活の智恵を振り返るべきだ。(訳者注:馬告国家公園とは、民進党政権になってから、タイヤル族の土地を国立公園にするという計画)



漢人は教育される必要がある
2002年、「原住民族反馬告大会」前夜の十月二十五日の晩、前台北市文化局長の龍応台が、凱達格蘭道にいる原住民族の同胞をたずねたときに、私の「V1492」での批判に答えて言った。



 私は二つの請求と願望がある
一つ目の請求はこれである。私は原住民がその声を更に大きく出せるようになり、私たち漢人にどのように歴史を見るか教えてくれることを望む。私たちがどのように1492年を理解し、原住民族がどのように1985年を考えるか、どのように1945年を見るか、我々漢人は教育される必要がある。原住民は今日の2002年が果たしてどのようなことであり、どのようにそれを見るのか。
あなたたちの観点からこの一点が見出せる。「我々漢人は教育されることが必要である」

 二つ目の請求は、原住民の声は非常に大きく、かつ非常に鮮明で、これで我々漢人に「我々がいかに眼中に人がいないかのように尊大で傲慢であるか。」ということに気づかせることが出来るということである。我々漢人の中には、客家人・外省人あるいは福佬人に関わらず、大声で「我々の権力がどのように傷を受けたか」と叫んでいる。しかし意外にも、そう叫ぶものは、原住民はその道をどのように歩いてきたかということは見えていない。原住民族たちが我々漢人に自分のことを知らしめ、必要な謙虚さがどれぐらいなのかを気づかせてくれることを希望する。
 一つの願望は、今日原住民族がこの場所に立っていて、あなたたちの発する声が少しの間ではなく、長く久しいものであれる必要があるということである。それは安定と鮮明な声を形成するだけでなく、かつ力を形成し、一年、また一年経つにつれて運動が結果を生み出せるようにすべきである。


 龍応台の話は私を深く感動させた。原住民の運動の道は孤独ではない。


 土地は私たちの永遠の母親である
最後に、パイワン族の詩人の莫那能の話を引用する。原住民族の同胞はともにこれに勉めよう。


 小さいころ、母親が早くに逝ってしまい、私はvuvu(=祖母)について大きくなった。あるとき、vuvuが私を負ぶって山に登り田んぼで働いていた。途中私をおろして休憩した。私は「vuvuは私のvuvuで、私のIna(=母親)でもあるんだね。」と言った。vuvuは私の頭を撫でて答えた。「Monanen、間違ってるよ!私の背中はあなたの一時の揺りかごにすぎない。土地こそが私たちの永遠の母親なんだよ。」



(vuvuとInaは原住民のことばだと思います)



『大日本帝国のクレオール 植民地期台湾の日本語文学』

2009-08-01 13:51:09 | 公開
電車のなかで、少しずつ フェイ・阮(ユアン)・クリーマンさんの『大日本帝国のクレオール 植民地期台湾の日本語文学』(慶応義塾大学出版会、2007年)を読んでいます。半分ちょっと読みましたが、少し紹介しようと思います。

読売新聞書評「黙殺されてきた作品群」
http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20080115bk05.htm

「異文化混交文学 台湾での評価」
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20071228bk03.htm


本書では、「植民地時代の台湾にて日本語で書かれたテクストは、日本の文学史では一言も言及されていない」ということと、国民党から民進党への政権交代が実現しても文学史は中国中心で、そのために忘却に追いやられてきた日本語文学をよみがえらせることが目的とされています。

植民地時代のテクストから「抵抗」という要素を抽出しようとしたり、支配者と被支配者の二項対立で語られる傾向が多い文学作品のなかから、「明白な白と黒の間に存在する、割り切れない矛盾や曖昧さに満ちた灰色の部分に焦点をあてる試み」ともかかれています。


日本語世代の『台湾万葉集』や、台湾におもむいた日本の作家の作品群の分析や、林芙美子(はやしふみこ)の『浮雲』の分析では、女性の植民地体験と戦争責任が問われています。

『浮雲』の分析では、女性の主人公であるゆき子が、内地(日本)では下級事務員として働いて、男性から性的関係も強要されるという日々を送るのですが、植民地のインドシナに赴任してからは、ベトナム人の女中をやとい、日本よりも充実した生活を享受していたという記述がありました。植民地で暮らす機会があった日本人の女性だからこそ享受できた特権だと思います。

第1章の「「南方」の系譜」、第2章の「「土人」の懐柔」」では、
日本が南方を「未踏の地、天然の美、そして「土人」」というまなざしで見て、領土を拡張し、「未開人」=「蕃人(ファンレン)」である台湾原住民族を教化し同化するという植民地主義的使命の表象に焦点があてられています。
アイヌや沖縄のことももちろん言及されています。

日本人が台湾原住民族に対して向けたまなざしは、「怠惰、不服従、不道徳、迷信を信じる、乱交、人食い」であり、「人食い」という言葉を見て、本橋哲也(もとはしてつや)氏の『ポストコロニアリズム』で書かれていた「カリバニズム」の概念を思い出しました。

西洋はアフリカを植民地にするとき、日本と同じように現地人を「人食い」とみなし懐柔しますが、アフリカ人を大量に虐殺する西洋のほうが「人食い」ではないのかという批判など。(すごい単純化してますが・・)


南方への関心から書かれた島田啓三の『冒険ダン吉』では、「無学で未開」の「土人」を登場させることにより、日本の文化的優越性が再肯定される日本版オリエンタリズムの性格が浮き彫りにされています。

1940年代では、台湾人の青年が死を目前にして、「君が代」を立派にうたいとおすという物語も教科書に掲載されたそうで、支配の後期には、「内地」のエキゾティックな空想を満たすことよりも、植民地全土から天皇への忠誠を勝ち取ることが目的でした。(42ページ)


原住民族が支配に対して抵抗しても、日本人植民者の目から見れば、「教化努力をありがたがらない」とか、抵抗するのは原住民の野性性と暴発と見なされ、日本人が彼・彼女らを強制労働で搾取したということはかえりみられなかったとあります。

原住民族で日本軍「慰安婦」にされた女性もおられて、証言を聞いたことがありますが、いままでほとんど聞かれてこなかった原住民族自身の声を聞かなければならないと思います。

今は台湾でチワスアリさんという原住民族の女性が国会で活躍していますが(今年の夏は反靖国のいっかんで、日本にも来られるそうです。)、原住民族の運動も多様なものがあるだろうし、台湾に行ったら是非彼女たちに会って活動に参加したいです。

2009 平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動-東アジアからヤスクニを見る




第6章の「言語政策と文化的アイデンティティ」もおもしろかったですが、長くなるのでまたの機会に・・。
帝国的言説とは異なる文化的アイデンティティを主張した、郷土文学派が台湾語で書くことを主張しようとすると、大陸中国とのつながりにとって障害になるという反論があったり、台湾語と日本語どちらを選ぶかという葛藤があったり・・。

台湾は言語的にものすごく複雑だとあらためて思いました。
それはオランダ、中国清朝、日本、国民党などの支配があったからのことですが…。

しかし国民党の支配がはじまり、日本語と台湾語が禁止されてからは、かつて強制された日本語で書くことが標準中国語文化に対する抵抗の表現でもあったとあり、その視点はいままでかんがえたことがなかったので、おどろきでもありました。


なお、著者は小林よしのりのように、台湾で遭遇した植民地的郷愁を内省することなく受容しようとする勢力に対しては、「植民地的郷愁という幻想で根底にある現実」を覆い隠すことを許してはならない。この言語的暴力の犠牲者たちは、植民地化の傷を負っているのだ」と、すごく批判的です。

(「日本がなつかしい」という言葉をきいて、「台湾はやっぱり親日的だ」などと勘違いする日本人とか↑)