奈緒は、健ちゃんをカウンターに呼び寄せたが周囲のお客さんが気になり、落ち着いて話が出来なく、二人だけで部屋に入ることに少し躊躇したが、思案の末、奥の居間に健太を案内した。
健ちゃんも、彼女の部屋に入るのは初めてで、彼女の誘いに一瞬躊躇ったが、奈緒の顔つきから難しい内緒話かと察し、オンザロックを手にして部屋の丸テーブルの前に座ると、奈緒は「真面目に話を聞いてネ」と念を押すと、彼は「少し酔ってはいるが大丈夫だよ」と返事をしたので、彼女は冷えた水を一口飲んだあと、俯いてコップを見つめながら、重苦しい口調で呟くように
『 実は、一昨日、お店が休みの夜、母さんとお店の飾り幕に刺繍をしていたとき、母さんがいきなり
「お前、好きな人でもいるのかい?」 と聞いたので、わたしビックリして「いる訳ないでしょう」と答えたら母さんは言いにくそうに、この前、大助君のお母さん(孝子)とお茶を飲みながらお喋りしていたとき、孝子さんが
「奈緒ちゃんが大助と一緒になってくれれば、幼い頃から奈緒ちゃんを大助同様に自分の子の様に可愛いがって気心が通じていて、わたし達は勿論、珠子とも姉妹の様に仲が良く、世間であるように嫁と姑のドロドロしたこともなく、何でもお話しできるので、嬉しいんだけれどもねぇ~」
と言っていたが、母さんも大助なら幼いころからお前とまるで双子の様に一緒に育てられ、相性もよく似合うと思うし、一緒になってくれれば、これまで苦労した甲斐もあったと思うんだけれども、お前の気持ちはどうなの?。と、聞いたので、わたしは、彼には恋人がいるし、とっくに大助君とのことは、所詮叶わぬ恋と諦めているので、母親の期待に応えることが出来ないことで悲しくなり、まともに返事もせずにいたところ、母さんは寂しそうな表情をしたが、それ以上深く聞くこともなく
「珠子さんも、自動車会社の永井さんと結婚するらしいが、そうなると、大助君は大学の寮にいるし、孝子さんも一人になってしまい寂しいんだろうね」
と言っていたが、わたしは、そのとき初めて珠子さんの結婚話が噂でなく本当なのかとビックリしてしまったゎ。健ちゃんなら判っているでしょう。どうなの?』
と話したところ、健ちゃんは「なにか簡単なおつまみをくれないか」と言うのでカマンベール・チーズを出してあげたところ、彼は
「う~ん、やっぱりそうなのか」「俺も薄々とは耳にしていたが・・」
「まぁ~、珠子さんも大人だし、それなりに考えて永井君との結婚を決意したんだろうな」
「幾ら親しい友達でも、こればっかりは、俺も口出しできないわ」「俺は賛成できないなぁ」
と、がっかりした様な顔つきで溜め息をついた。
奈緒は実の姉の様に慕っている珠子さんが、確かにイケメンに見えるが何処かひ弱な感じのする永井君に奪われるようで心が落ち着かず、何時もの健ちゃんらしくない中途半端な返事が不満で「健ちゃん、本当にそれでもいいのっ!」と語気を強めて、彼の顔を見つめたところ、彼は水割りを飲みながら時々奈緒の顔をチラット見ては、苦々しい顔で
『 そう言えば、思いつくことがあったなぁ。 それは、この前の町内商店街の会合に、普段は顔を出さない永井君が珍しく顔を出し、会議後の慰労会に移ると、彼は皆に愛想よくお酌をして廻り、そのあと「今後は、役員会に毎回出席致しますので・・」と挨拶していたが、俺も車のことではお世話になっているので、是非、商工会の発展のため出席してくれと無難な返事をしておいたが、その時、こともあろうに昭二のいる前で、区会議員が選挙話にかこつけて
「永井君も、近いうちに城(珠子)さんと、結婚する運びになったが、君達青年部の諸君も、今後とも仲良くしてやってくれ」
と、場に似合わない可笑しなことを言っていたが、今、奈緒の話を聞いて、あのとき、それとなく根回しをしていたのかと思いだし、区会議員のおっさんも、永井自動車とどんな関係があるのか知らんが、良くやるわい。
永井君も、学校時代、成績もよかったらしいし、仕事熱心で、性格もおとなしそうで、珠子さんにとって悪い話ではないとも思ったが、ただ、彼女に熱を入れていた昭ちゃんが気の毒でたまらんわ。』
と言ったあと続けて
実際、その晩、慰労会の途中で昭ちゃんに裏口に呼び出されて
「お前は親友として不甲斐のない奴だ!。見損なったよ」
「俺は最後までお前の仲立ちに期待していたが、これで全て終わってしまったわ」
と言うなり、俺に、いきなり往復ビンタを食らわせたが、俺も自分なりに昭二と珠子のために随分と努力したつもりだけど、結果が出ないことには言い訳も出来ず、昭ちゃんの心中を思えばと、両手の拳に力を込めて握り締め仁王立ちして、昭ちゃんの気が済むようにと為すがままに殴らせたが、あの時は流石に痛かったわ。
昭ちゃんも、余程頭にきたらしく、男泣きしていたよ。
だからと言って永井君を攻める理由は俺には無いしなぁ。全く弱ったもんだ。
と、コップの中の氷を割り箸で掻き回しながら、会合での出来事を思い出して話たあと、急に話題を変えて
「奈緒ッ!昭ちゃんもそうだが、お前も、俺から言わせれば、大体が控え目過ぎるんだよ」
「鳶に油揚げ攫われるた後で悔やんでも、後の祭りだ」「もっと積極的にならんと幸せは掴めないよ」
「あの青い瞳の美代子さんのことなんて、大助が一時的な子供のハシカにかかったみたいなもんだ。いずれ熱が冷めるよ」
「自分勝手な思い込みで簡単に諦めるな」「恋愛そして結婚は、男と女の人生最大の戦いだッ!」
と話の矛先を変えたので、奈緒は
「ナニョ! 自分が長い春を凌いで思いが叶い、結婚したからって、人のことを単純に見ないでょ」
と口答えすると、彼は目を鋭く輝かせて
「奈緒っ!。お前は大助の嫁になれよ!。いや、必ずなるんだっ!」
「両方の母親もそれを望んでおり、俺は女房の愛子にも二人を必ず一緒にしてみせると宣言しているので、今度こそは意地でも出雲の神様に願をかけてやり遂げてみせるわ。いいなっ!」
と顔を紅潮させて力んで言うので、奈緒は
「健ちゃん、わたしのことを心配してくれる気持ちは大変有り難いけど、大助君とのことは、それこそ、もう終わったことなのょ・・」
「それは、大助君は、わたしにとって初恋の人で、中学生の頃から二人で逢う度に心が萌え胸がトキメイたこともあったゎ。けれども、倒々、何も言いだせないまま、片思いで終わってしまったゎ」
「初恋は稔らないって言うけれど、本当だわね。つくずく思い知らされたゎ」
「けれども、片思いでも恋は恋よ」「楽しい夢を沢山見させてもらっただけでも感謝しているゎ」
「勿論、一人で泣きくれたこともあったけれど・・」
と、目を潤ませて話したので、健ちゃんは、慌てて
「俺は、女の涙に弱いんだ。なにもいまここで涙を零すこともないだろう」
と言ったあと
「大助を本当に好きなら、もっと勇気を出して大助の懐に飛び込め」「俺も、精一杯応援するからな」
と言って、適当な慰めの言葉が見つからないので、思いつくまま
「お前もわかっているだろうけど、俺なんか、石の上にも3年と言うが、幾ら頼んでも返事がもらえないので、最後は、彼女の子供を可愛いがって、成るべく時間をとって遊んであげたら、子供のほうが俺になついてきて、遂に、彼女も折れて一緒になったが、正に格言通り”将を射んと欲せば馬を射よ”で、辛抱強く相手に思いを尽くすことだよ」
と自分の話をしたあと
「近く青年部で恒例の夏山登山の行事をするから、そのときは大助も休暇で参加すると言っていたので、お前とペアになる様に配慮するから、その時、思いきって心の中のモヤモヤを全部彼に吐き出してしまえよ」
と言って肩を軽く叩き「さぁ~、飲みなおしだ。涙を拭いて店に行って歌えよ」と奈緒の手を引いて部屋を出ようとしたが、奈緒は座ったまま動こうとしなかった。